9話『例えばの話だ』
私は、昨日の出来事を話した。一人で病院へと向かって、2度目のお見舞いをした話。
ガラガラ、と、ドアを開くと幸人はそこに居た。
そう、確か──
「私の顔を見て、っていうか、目が合った途端に幸人はすっごい顔が赤くなったの。耳まで真っ赤になってその理由が自分でも訳わかんないみたいで、困惑して出てってくれ! って言われちゃった」
「……多分、幸人は何か思い出したんだよね。その、何が幸人を赤くしたのかはよく分からないけど、多分、良くないことを」
片桐くんはんん……? と指を顎に当てて考えた。言ったことをメモにまとめているようだ。少し恥ずかしい。
対して寧々は何それ、と笑った。
「めっちゃ失礼だよね。お見舞いに来てやってるのになにその態度」
「や、だから天野さんの顔見てなんか思い出したんだろう」
寧々の言葉に反応して、否定した。私もそう思う。きっと、私の酷い言動を思い出したのだろう。だから、出て行ってと言ったのだ。
「そのときの幸人の動きは? 表情とか……覚えてたらでいいんだけどさ」
「えっと……『何だよそれ』って言って、顔をペタペタ触ってた……かな?」
「あぁ……うん。なんで顔が赤くなったかは分かったわ。はいはい」
彼は納得したように頷いた。私からすれば必死に考えて出した答えなのだ。そんな簡単に出る訳がないと思うが、どうなのだろうか。
「え、何、何で!?」
「天野さんは知らないで良い。とにかくマイナスの意味じゃない」
「私に言えないことなのに?」
「幸人のプライバシーを侵害する。だから深くは言わないほうがいいと思う」
確かに幸人も自分の居ない所で自分の内面の話をベラベラと話されるのは嫌だろう。
だけど、やっぱり気になる。出て行って、まで言われてしまったのだ。私だって知る権利くらいある気がする。
ぐっと堪えて諦めた。
「そっか……」
寧々はいやいや、と声を出す。
「何言ってんの? 教えなよ。沙耶はそれで傷ついてんじゃん」
「それは幸人と天野さんの問題だ。俺らが口出しする事じゃねえだろ」
「じゃあ私だけには言っていいんじゃない?」
それを聞くと片桐くんはキョトンと目を丸めた。確かに、それなら筋は通っている。まぁ寧々が私に漏らさない限りは、だが。
「分かった。その代わりギブアンドテイクで行こう」
彼は寧々の耳に口を寄せた。私だけ仲間外れにされているようで少し寂しくなったが、私に言えない事なら仕方ない。
というか寧々ももしかしたら先程同じように寂しく感じていたのかも知れない。なんて、少し申し訳なくなった。
「……なるほどね、納得したわ。間違いなく沙耶にとってはプラスだし、私たちが口出しする事でもないね」
「俺からしちゃ、それしか考えられない。俺の時も……多分、そうだから」
「はいはい。次行こう」
「えぇ、私は良くないんだけど……」
いいから。と寧々に急かされる。病室から出て行かされて、次に部屋に入った時は……確か。
「私が『幸人の恋人だったんじゃないか』って聞かれたね。も、もちろん違うって言ったよ!?」
「ぶっ」
片桐くんは思いっきり吹き出した。あはは! と楽しげに声を上げる。寧々が呆れたようにため息を吐く。やれやれといった様子だ。
「そりゃあ、もうさっきので確定だね」
「だな」
言葉をメモしていた片桐くんがうん? と眉を上げた。
「……って、待て。今『幸人の恋人だったんじゃないか』って言ったか?」
「……うん。それは私も気になった」
「俺の時は、『俺の親友だったんじゃないか?』って言ってたから……」
「あ! 確かに自分が『幸人』じゃないみたいな言い方だね」
寧々も言われて気づいた。そう、『今の幸人』は、自分自身がまるで別人であるかのように言う。自らを『記憶を失った幸人』ではないと判断した今の幸人は、一体誰なのだろうか。
「今の幸人って、何なんだと思う?」
「それは……分からない。だけど、自分でそう言ったってことは、俺らの知ってる幸人とは全くの別人なんだと思う」
「そうそう。一人称も俺って言ってたし、笑い方も全然違ったかな。あと仕草とかも幸人っぽくなくて、例えば話すときの目線とか伸びをするときの手の動かし方とか……」
「ちょ、ちょい沙耶ストップ。それ以上は引いちゃう、私引いちゃうから」
「欠伸する時に顔隠す為に下向く癖とか?」
「ふふ、やるね」
「やるね。じゃなくてさ。片桐は元からキモいから。これ以上求めてないから」
なにおう? と、喧嘩を買おうとする片桐くんと、来いや? と手でクイクイと煽る寧々を静止させる。絶対実は仲良いでしょこれ。
「とりあえず続き話すね?」
「うん」 「おう」
「その後、自己紹介したの、俺は君と初対面だから。って。そしたら……うん」
「え、沙耶どうしたの?」
「話せるか?」
「うん、……ごめんね。そうしたら、幸人が突然すっごい頭痛に襲われて。そのまま、今日は体調が悪いから帰ってくれないか? って」
「……は?」
意味不明じゃん、と不思議そうな顔をする寧々に対して、片桐くんはスラスラと鉛筆を走らせた。淡々と、一言一句逃さぬように書き残していた。
「帰ってくれないか? の前になんか言ってたか?」
「えと……確か、怖い。頭が痛い。って、何なんだよ、って頭を押さえてた……かな」
「……怖い、か」
「もしかして……だけど。『あの日』のことを思い出したんじゃ?」
「……そう、だよね」
寧々の言葉のそのままだ。幸人はあの日の記憶を思い出したのだろう。そして私を恐れた。ストレスか、トラウマか。それで頭を痛めた。全て納得のいく理由だ。
片桐くんはまだ真剣そうに鉛筆を走らせていた。メモ、というより、自らの考えを書いては、バツを書いて潰していた。そしてやっぱり。と確認したように顔を上げた。
「……うん、流石姉崎。見事に不正解だ」
「は?」
「天野さんも安心して。幸人は、場面的な記憶を思い出したりなんてできないよ」
「……へ?」
彼が口に出したのは、余りにも意外な言葉だった。
だけど、そんな訳がない。幸人が何も思い出してないのなら何故あんな顔をしたのか。私を怖がったのか。
そしてそれは初対面のときも同じだ。彼が何も思い出していないのなら私を追い出したりなんてしないだろう。
「じゃあ、何で──」
彼は右手の人差し指をピンと立て、言った。
「例えばの話だ」と。
さやちゃんには言えません。