6話『これはハイと言ってもいいのでしょうか』
「な、なにそれ……」
病室の扉を背に、ペタンと腰を落とす。幸人が元気そうで安心した反面、やはり聞いていた通りとはいえ幸人の変貌ぶりには驚かざるを得なかった。
普通、入ってきた人にいきなり出て行けなんて言うだろうか。いや、少なくとも幸人はそんなこと言わない。優しい彼が、そんなことを言うわけがない。
時間経過と共にだんだん頭が冷静になる。彼が突然出て行けなどと言ったことに理由があるのではないだろうか。と考える。
片桐くんの言う通り、幸人は記憶が消えているのだろう。だが、それでも彼は突然人にそんなことを言うような人では無いと思う。
そしてもう一つ疑問の種は残っていた。
「なんで、あんなに顔赤かったんだろ……」
彼は私の顔を見た途端、突然顔が真っ赤になった。顔が赤くなる、というのは原因がパターン分けされるだろう。例えば。
『緊張』、『発熱』、『恐怖』、『羞恥』、『憤怒』。
『緊張』は、あるだろうか。……分からない。私はまだ幸人のことを知らない。だが、『発熱』は恐らくないだろう。見た限り彼の顔色は良かった。私を見た途端に発熱するなんて、それは……ないだろう。
……では、『恐怖』は?
それを考えると、突然片桐くんの言葉が頭に浮かんだ。
『幸人の記憶は完全には消えてない』
────なら、もしかしたら。
ドクン、ドクンと心臓が胸を鳴らす。
……幸人が思い出したのは、『あの日』なのではないだろうか。
……『恐怖』は、ありえる話だった。彼の話では、彼は幸人に『親友』だと思い出された。それならば私のことを思い出すときに『あの日』を思い出すのはあり得ない話ではない。もしかして、幸人は私のことが怖くて、顔を赤くした。そして怖さから出て行けと言ったのだろうか。
ぶんぶんと頭を振る。まだ、まだそれと決まった訳ではない。それに、思い出す内容によっては他の案も有り得ない話ではないのだ。
そうだ。『羞恥』なら?
思い出して恥ずかしいと思える記憶、また、そんな経験。……心当たりがあった。
思い出したくはない。でも、根強く心に残ってる思い出。とても、幸せな思い出。
また幸人がさやちゃんと呼んでくれた日。
私が保健室で泣きじゃくったあの日を突然思い出したとすれば、その、顔は赤くなるだろう。実際、あの日の幸人もそれはそれは顔が赤くなっていた。それはもう、……もう。
ふと黒歴史が蘇る。
『別に幸人なら見ても良いのよ?』
あああ!! 私のバカぁぁ。胸元を大きく開いて、その、下着だって丸見えの状態で。なに言ってんの!? そりゃあ幸人も顔赤くなっちゃうよ……。
一人で恥ずかしくなって壁を叩く。つ、次だ次、こんなこと思い出して恥ずかしがってる場合じゃない! 次だ、次!
次は───『憤怒』
幸人が私を見て思い出す怒り、とは。……思い当たる節はあまりない。強いて言うなら『恐怖』と同じく『あの日』のことである。 もしかしたら幸人は、私が悪く言った事に対して強い怒りを感じたのかも知れない。それで、私を避けて、私を嫌った。
……あり得ない話ではない。むしろ、それが答えなのではないだろうか。それが答えなら、私は、私はどんな顔をして幸人に会えば良いのだろうか。
胸がズキズキと痛む。
「そりゃ、出ていけって、言うよね……」
当たり前だ。記憶を失った幸人は、いや、『あの日』を思い出した彼は私のことが大っ嫌いなのだ。
それならば私は、彼にとってどういう風に映っただろう。……きっと、……きっと。
やばい。なんか、泣きそうだ。
その時、ブブブブ、と携帯が振動した。気を紛らすように開く。通知が届いていて、LINEだった。
《裕太》:幸人の様子はどうだった? 幸人と何を話した? とりあえず元気だったか? 幸人を見……
ぷっと吹き出す。ストーカーじゃん……。長すぎて途中で切れちゃってるよ。本当に幸人のことが心配で、大好きなんだろうなぁ。
指紋でロックを解除して、LINEを開く。
《裕太》:《幸人の様子はどうだった? 幸人と何を話した? とりあえず元気だったか? 幸人を見て天野さんは大丈夫だったか? もし傷ついたなら電話しろ。後でいいから連絡してくれ》
……私の心配もしてたんだ。大丈夫じゃないよ。……もう最悪だ。もう5年も前の話だよ? なんで、そんな最悪の所思い出しちゃうかなぁ。
思わぬ優しさにまた涙が出てしまう。上を向いて飲み込んだ。奥歯をぎゅっと噛みしめる。
そうだ、負けるな。嫌われたのなら、ここから謝ればいいのだ。私は幸人を支えに来たのだ。……頑張れ、私。踏み出せ、私。
携帯を握りしめ、勇気を貰う。
ノックする。トン、トン、トン。
「もう入って大丈夫かな。嫌ならここで話すけど」
「……入っていい。悪かった、いきなり追い出したりして」
素直に謝られて、驚いた。あんなに怒っていたのに。……というか、やっぱり口調が全然幸人と違った。改めて確信する。
この人は幸人ではない。と。
ガラガラガラと、扉を開くと
「本っ当に悪かった! 俺、なんかすっげーその、テンパっちゃってさ!」
「……へ?」
「そのさ、幸人のお見舞いに来てくれた人で女の子が来たの、初めてだったからさ」
「……へ、へぇ」
「その、えと。つかぬ事をお聞きしますが……」
それは彼の口から飛び出した。
「君ってさ、もしかして幸人の恋人だったり……する?」
「…………へ?」
『それはまるで炊きたてのようなラブ米』
という短編作品を投稿しました。
名前から分かる通り、サクッと読める楽しい作品となっておりますので、良ければ読んでみて下さい。