3話『幸人との対話』
ガラガラと病室の扉を開く。俺は今の幸人を受け入れるのだ。そして、今の幸人を好きになってやる。俺は明るく挨拶を決め込んだ。
「よっ、さっきぶりだな!」
幸人は、ぼうっと窓の外を眺めていた。外の世界に興味があるのか、ひたすら赤くなった空と太陽をキラキラと瞳に写している。
そしてゆっくりと俺の方を見た。彼の瞳を見つめて、俺は続ける。
「はは、驚かせちゃったよな。突然すっげえ腹痛くなってさ、軽く1時間くらいトイレで格闘してたんだ」
幸人はプッと吹き出す。そしていつもの人懐っこい顔で笑っては、言った。
「あはは。そりゃあお疲れ様だ。……お前は良いやつだな。……正直に記憶が消えた俺に驚いたって言えばいいのにさ」
『お前』と、言葉に反応してしまう。どうしてもいつもの『ゆーたん』という可愛げのあるネーミングセンスの無い彼のあだ名を期待してしまうのだ。いつもの笑顔から飛び出る『誰か』の言葉は、明確に幸人の記憶喪失を示していた。……正直かなり辛い。
負けるな! きっとツカミは良かっただろう。ここからまた友達になればいいのだ。佐越さんの言葉を思い出せ。今の幸人を受け入れて好きになることは、俺が幸人にできる唯一の償いなのだ。
そうして俺はパッと切り替えて自己紹介から始めた。
「っと、そういえばまだ自己紹介がまだだったな。俺は片桐裕太っていうんだ。呼び方は任せるよ。俺は幸人って呼ばせてもらうからな?」
彼はキョトン。とおかしな顔をして笑った。幸人の顔だが、これまであまり見なかった笑い方である。
「……やっぱりお前は良いやつだな。名前を聞いても何も記憶は思い出せないけど、これだけは思い出せる。きっと、お前は……」
「俺の、親友だったんじゃないか?」
────つい、笑ってしまった。胸が焼けるくらいに、どんな言葉よりも嬉しくて。何もしなくてもニヤけてしまう。
バカ野郎。それは俺が言いたかった台詞だろうが。俺が伝えたかった言葉じゃねえか。
記憶を無くした幸人が、唯一思い出したことが、こんな幸せなことだって。こんなにも嬉しいことだって。
「あはははっ! 流石は俺の親友だ。それでこそ幸人だよなぁ。そうだよ。間違いなくお前は俺の親友だ。今も、ずっとな?」
「……! いい……のか?」
彼は、少し複雑そうな顔をした。
「ったり前だろ? 幸人は俺の親友。それは今も変わってない。例え記憶が飛んじまっても、こうして思い出してくれたんだしさっ」
「幸人は、本当にいい友達を持ったんだな。ありがとう裕太。まだ何も思い出せないけど、これからも仲良くしてくれるとすっげえ助かるよ」
「あぁ、俺にどーんと任せろ! こちらこそ、これから宜しくなっ」
俺は手を差し出した。そして、彼は少し照れくさそうにしながら、その手を取ってしっかりと握りかえしてくれた。夕日に照らされた病室で、2人で顔を真っ赤に染めて笑い合った。……少しは仲良くなれたかなぁ。
トントントン、とノックの音が響く。
「片桐くん。面会終了の時間だよー」
佐越さんが扉をガラガラと開いた。そして嬉しそうに俺たちの方を眺めた。
「仲良くなれたみたいで良かったよ。ありがとう、片桐くん。んで……えーっと、幸人くんは今からまた脳の診察をして、異常が無ければ晩ごはんの時間だね」
「それじゃあそろそろ帰るかぁ。んじゃ、またな、幸人! すぐに会いに来るよ」
「おう、また! 楽しみにして待ってる!」
「もうじき暗くなるから、気をつけて帰ってね、片桐くん!」
「了解です、ありがとうございました!」
そうして俺は病室を後にした。
帰り道、暗い夜道を歩く中で、俺は改めて考えた。
彼は、幸人のことを『アイツ』と呼び、まるで自分が『記憶を失った幸人』とは別人のように話していた。
じゃあ彼は一体誰なのだろうか。
この5年間の記憶が消えてしまった、『幼い頃の幸人』とは考えにくい。それなら恐らく自分自身のことを幸人と認識するだろう。
それとも『幼いときの記憶が消えた幸人?』
これなら少しは考えられるが、変わろうとしたキッカケが消えるだけで全ての記憶も失うだろうか。この5年間の記憶は残る?
ん? 変わろうとしたキッカケ?
なら、もしかして今の幸人は。
『幸人のなりたかった自分』……とか?
俺は帰り道、そんな妄想を繰り返していた。……まだまだ今の幸人について知らないことが多すぎる。ゆっくりでいい。ゆっくり知っていこう。
何よりも幸人に変に刺激を与えるのがまずい。彼は今、とても不安定な状態なのだ。
今の幸人を理解して、どうにかして絶対に前の幸人に戻してやる。植物状態になんてさせない!
覚悟と決意で強く拳を握った。
佐越さん「……実は面会時間なんてとっくの前に過ぎてるんだけどね。あぁ、怒られるなぁ」




