二章最終話『変わらない僕へ』
「…………おい、幸人」
放課後、昨日と同じように一人で外回りに行こうとすると、京香さんに声をかけられた。
「はい、何ですか?」
「……いや、悪い。ひとつだけ聞いてもいいか?」
「はい、どうぞ」
「……私たちは、お前の頼りになっているか? もしかして一人で色々と……背負ってないか? そ、その、何でも言ってくれよ?」
彼女は、生徒会長としての目ではなく、あわあわとポンコツモードで僕には尋ねた。
「え、大丈夫ですよ! 京香さんも、マコトさんも、ナオさんも、実咲も。みんな僕の頼れる先輩です。ただ、今は僕のために頑張ってるんです。ほら、僕の志望理由、言いましたよね? 一人で頑張ってみたいんですよ。自分に、自信をつけるために」
僕は安心させるように柔らかい口調でそう言った。京香さんは安心したように頬を緩める。
「……そう、か。それなら良いんだが…な。ふふふ……頼れる先輩かぁ……」
「はい! では今日もお仕事行ってきます!」
「行ってらっしゃい、幸人。頼りにしてるぞ」
そう言って少し嬉しそうに手を振った。
……無論、その日も一睡もしなかった。それがもう何故か苦痛にも感じなかった。
そうして僕は遂に身体に異常が出た。
コーヒーをどれだけ飲んでも酷い睡魔に襲われる。何より授業に集中ができなかった。気づくとぼうっとしている時間が過ぎている。普段通りに歩くだけでも、たまにフラつく。冗談ではない。まだあと3日もあるのだ。負けていられるか。
昼休みに今日の仕事の確認をしていると、さやちゃんに声をかけられた。
「…………その、あのさ。最近すっごい忙しそうだね」
「…………」
「えっと。幸人?」
「……えっ、あっごめん気づかなかった! それで、どうしたの?」
そうして彼女の方を向くと、彼女は僕の顔を見て「えっ」と、声を出した。相当驚いたのだろう。
「幸人、な、何? その隈……! 大丈夫じゃないよね? 何かあったの?」
彼女は心配そうに眉をへにゃりと下げて尋ねた。
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと仕事が忙しいだけ。安心してよ」
「大丈夫……なわけ無いじゃん。ねぇ、そんなに、そんなに生徒会の仕事ってやらなきゃダメなの? なら私も手伝いたいんだけど! ねぇ、もっと私を頼ってよ!」
僕が作り笑顔を見せると、より彼女は深刻そうに僕を問い詰めた。
だが、無理な話である。さやちゃんに手伝ってもらうなんて、絶対にできない。僕はさやちゃんに告白をするために仕事をしているのだ。それで彼女に頼るなんて本末転倒もいい所である。
「…………ごめんね、さやちゃんには絶対に頼れない。……あっ、えと。これね、僕がやりたい仕事なんだ。だから僕が一人でやりたいんだ。だから、ごめんね」
そう言うと。彼女は傷ついたようにとても、とても悲しそうな表情を見せた。心に穴が開いてひゅっと冷たい風が通る。
「……そっか。分かった。ごめんね、仕方ないよね。うん。……うん」
そう言うと、分かりやすく目を逸らして彼女は立ち去った。……僕は、変わらないといけないんだ。
変わらないと。早く変わらないと。頭がぐるぐると回る。気分が悪くなり、吐き気に襲われた。トイレに行き、喉に手を入れて無理やり胃袋の中身を吐き出す。こんなことしている場合では無い。もっともっともっと。努力しないと。
そして放課後、僕がいつも通り京香さんにUSBを手渡すと、彼女は僕を『生徒会長の目』で見た。
「幸人、正直に話せ。お前は何日寝ていない。何日徹夜で仕事をした」
「……4日です。でもまだまだいけます! 大丈夫ですよ、任せて下さい!」
気丈に振る舞う。ズキズキ頭痛に襲われているが、無理やり笑顔を作って見せた。
彼女は、そんな僕を見てキッと怖い顔で瞳を睨み付けた。僕はその目に射抜かれて固まる。彼女は机をダンッ! と叩いた。音が大きく響く。僕は驚いて身体が跳ねた。
「……出て行け。ここには二度と来るな」
「……ま、待って下さい! 何かミスをしましたか!? すぐに訂正します。言ってください!」
そう言うと、彼女はワナワナと悔しそうに震えた。そして、僕にその言葉を突きつけた。
「……出て行け! もうお前に頼む事など何もない。二度も言わせるな!」
彼女は、激昂していた。初めて見た表情だ。僕は彼女を酷く傷つけてしまったのだろう。
でも、わけがわからない。僕は一体なにをしてしまったのだろうか。ゆっくりと、生徒会室の扉を開く。そうして、振り返らずに歩いた。
どれだけ頑張っても、頑張っても。自信なんて付かなかった。
感じたのは、底なしの劣等感。
……そして罪悪感。
きっと、僕は相当彼女を傷つけてしまっただろう。理由は分からないが。きっと僕が何か仕事でミスをしてしまったからだ。
僕は、ふらつく足取りで考える。後頭部が酷く痛い。吐き気もする。
僕はどうしてこんなにも弱いのだろう。僕は、どうしてこんなにも変われないのだろう。じゃあ、どうして。
───僕は、どうして努力なんてしたのだろう。
原点、僕が修行を始めた原点を思い出す。
そう、さやちゃんに事実を突きつけられた時だ。僕が弱いばかりに、彼女に悪く言わせてしまった。
そう、彼女にとって、人に事実を突きつけるという行為は、一番彼女自身を傷つけるのだ。そうして彼女は一人になってしまったというのに。
それなのに僕は、一番やってはいけない方法で彼女を傷つけたのだ。分かってた筈だった。それを一番理解していたつもりだった。
だから、僕は彼女の側を離れた。これ以上彼女を傷つけないように。彼女の傷を抉らないように。彼女に悪く言わせないように。
すると、どうだろう。その後、彼女には友達がどんどん増えた。これはきっと、きっと僕が彼女を縛り付けていたのだ。
やっとのこと理解した。理解せざるを得なかった。僕は最初から彼女にとっての毒でしか無かったことを。
だから、僕は変わろうとしたんだ。
──そうして、やっと思い出す。自分の原点を。
僕は、自分の自由を奪って、自分を痛めつけて。『自分』に取って代わる『誰か』をインストールして上書きしようとしていたのだ。
僕のなりたい理想が無かったのも合点がいく。僕は最初からなりたい物なんて無かった。彼女にとっての毒にならない、違う『誰か』になりたかったんだ。
さやちゃんのことが好きだった。それはもう大好きだった。誰にも負けないくらいに愛していた。
────だが、それ以上に。
変われない、醜い自分のことが嫌いで嫌いで仕方なかった。
その事実をきっと僕には受け止め切れなくて。いつしか自分に言い聞かせた。
……これは修行なのだ。と。彼女に釣り合うように、見合うような人間になるための修行なのだと。
そして、その甘美な己の提案に、容易く僕はそれを信じ込んだのだ。
あまりにも己が滑稽で、笑いが溢れる。止まらない。泣き叫ぶように僕は笑った。
「あはははははははははははははははは!」
「あはははははははははははっ!!」
笑い疲れて、何もかもに疲れ切って。階段に座る。はぁ。とため息を吐くと、突然、強い睡魔に襲われた。当然だ。もう何日も寝てない。
もう、頑張る理由も、何もない。誘惑に負けて、瞼を閉じた。
……それから『僕』が目を醒ますまでは、長い長い時間を要した。
『変わらない僕へ』編 完
次回より、『雪兎は何想う』編です。
良ければどうか応援宜しくお願いします!