14話『思い出のベンチと貴方の手のひら』
「あなたと同じ帰り道【後編】」と合わせています。幸人サイドの気持ちを見たかったら良ければ見てみてください。
私のお誘いに対して、彼はキョトンと目を丸くしては、今度は逆に申し訳なさそうに尋ねた。
「え? いや、勿論! ……っていうか家まで送るつもりだったんだけど……もしかして、嫌?」
……嫌なわけがなかった。もっともっと彼と一緒に居たかったのだ。余りにも幸せで、少し怖くなってしまって手の甲をつねった。温いお風呂に浸かっているような、ふわふわとした安心感を感じる。彼は何を思ったのかあわあわと焦っていたが、それもまた可愛かった。
嬉しすぎて、余りにも幸せで頬が勝手に緩んでしまう。顔を背けて大きく深呼吸をしては、やっぱりにやけちゃって。そのまま答える。
「じゃあそれで……お、お願いします」
と、恥ずかしくて何故か敬語が出てしまったが、彼は少し笑って、言った。
「えっと…じゃあ行こっか」
「うん、行こっ!」
私は気分がそのまま行動に出てしまいがちで、今も明るい気持ちでそのままルンルンと足を出しそうになったが、ふと気がついてゆっくりと歩くスピードを緩めた。
こんな速さで歩いてしまったら、またあっという間に家まで着いてしまう。もっともっと一緒に居たい、なんていじらしい感情が、歩くスピードをゆっくりに抑えた。
彼はそんな小さな歩幅の私に対して何も言わずに、私に合わせてまたゆっくりと歩いてくれた。
……そう言うところも、好きなんだ。彼と一緒にいる時の、ちょっとした気遣いが大好きなのだ。
例えば今、彼は何も言わずに道路側を歩いてくれている。……今思い出したが、これは子供の頃からずっと彼はそうしていた気がする。やっぱり子供の頃から、幸人は変わっていないのだ。私がずっと大好きなままの幸人だ。
そして、もう一つ、懐かしくって幸せだった思い出を思い出した。……この、街灯だ。
何の変哲もない、ただの街灯だ。10メートル間隔で何個も設置されてる中の一つである。なんなら違いすら無いのかも知れない。
だが、私たちにとって、この街灯だけは特別なものになっていた。私はその街灯を指さして言った。
「あっ、ここ! 懐かしいなぁ……」
「うん、捨て猫を拾った場所、だよね?」
そう、この街灯には、『ひろってあげてください』とだけ書きつけられていたダンボールがあった場所であった。
タオルケットの上に子猫がふるえていて、幼い私たちの方を眺めては力なくか弱くにぃ、にぃと懸命に助けを呼んでいた。助けて、助けて! って。
懐かしい、幸人と一生懸命に飼ってあげられる人を訪ねて回ったのは、本当にいい思い出であった。彼のそういう場面での行動力には本当に驚かされた。……すっごい、すっごいカッコよかったのを鮮明に覚えてる。
結局、数日後に、3丁目のおばあちゃんの家に引き取ってもらったのであった。今思い出すまではしっかりと忘れていた。確か、その猫の名前は。
「そうそう、確か名前は……」
「ましろ!」「ニャン太!」
お互いに指を指してハモった。そうそう、『ましろ』である。真っ白なその毛並みと甘えん坊なその態度から、そのまま名付けたのである。『ニャン太』は彼がつけたあだ名で、猫だから、ピンときたって言っていた気がする。ふふ、昔っから本当に幸人は可愛いなぁ。ましろは女の子だよ?
せめて『ニャン子』……いや、それはそれで紛らわしいか。
「あはは! そのネーミングセンスだよ! あぁ、もう本当に懐かしい!」
「だよね! あの時はどっちの名前にするかで、すっごい言い合ったなぁ」
そうそう、どっちの名前を呼んだ方が反応するか。って何回も何回もダンボールの子猫に向かっては「ましろ!」「ニャン太!」「ましろ!」「ニャン太!」「ましろ!」「ニャン太!」
と呼びまくった気がする。眉を下げて、交互にキョロキョロしていたましろの顔は未だに忘れられない。ものすごく困惑していた。
そのような幸せな思い出を懐かしんでは、やはり空白の5年間を恨んだ。
たらればの話は嫌いだけど、やっぱり考えてしまうものである。『もしも』なんてないのに。
もしも、私があの時すぐに謝れていたなら、中学生でも、高校生でも、そうやって一緒に居ることができたのかも知れない。彼と同じ思い出を作ることが出来たかも知れない。なんて。馬鹿馬鹿しい。もう、終わったことなのに。色々な事を考えて、複雑に呟く。
「……いやぁ、本当……懐かしい」
「そうだね、すっごい良い思い出だよ」
……そんな彼の笑顔だけで、私は救われた気がしたんだ。
私のした事が決して簡単に許されるものではない。でも、それでも彼と一緒に居た宝物の日々は、彼にとっても良い思い出だったんだなぁって、考えると、すっごく嬉しかったんだ。
そうしてましろの話を交えて、懐かしかった宝物の日々のお話を彼と咲かせた。ゆっくりと、ゆっくりと歩きながら。
「元気かなぁ、ましろ。おばあちゃん良い人そうだったし、きっと幸せだよね……」
「すっごい大きくなってるかもよ? ほら、おばあちゃんすっごい餌付けしそうじゃない?」
「あはは! 確かに。よくお菓子とか貰ったもんね!」
不安そうな私を励ますように、彼は手で大きな丸を作って、おどけて笑った。おばあちゃんの嬉しそうにお菓子を手渡す笑顔が思い出された。きっとましろは元気だろう。だって、あのおばあちゃんと一緒なんだから。やっぱりそう思えた。
……思い出の公園を目にした時、心臓が鷲掴みにされた感覚に襲われた。罪の意識。久し振りに彼とここに来たのだ。
私が、彼と出会った場所であり、
私が、彼を好きになった場所でもあり。
────私が、彼を突き放した場所だ。
胸がぎゅうと締まる。手のひらを強く握った。俯いて、少しだけここでの彼との幸せな出来事を思い出した。
彼はその公園のベンチを指さして笑った。覚えてるに決まっている。忘れられるはずがない。
「ね、覚えてる? あそこでよく喋ってたよね」
「ふふ、そうだね。保健室の時みたいに、背中さすってくれてたよね、よく覚えてるよ。……本当に、よく覚えてる…っ」
私は、彼の顔を見て、無理やり笑った。『あの時』の彼の気持ちが分かった気がする。こんなに、泣きそうな時に無理に笑うのはつらくて難しくて、苦しい事だったのか。幼い彼に、私はそんなひどい事をさせてしまっていたのか。
そんな事を考えたら、つぅと涙が溢れてこぼれたのが分かった。暖かいそれが頬を伝っては落っこちた。彼はそんな滑稽な泣き虫の私の顔を見ては、真剣に、瞳を覗き込んだ。
願っていたことではあるが、まるで本当に時が止まったように感じた。何秒、何十秒?経ったのかは分からない、だけど、彼は今度は夜空を見上げて、私の涙については何も触れなかった。
……罰、なのだろうか。
そう、感じた。2人はそのまま、何も言わずにまたゆっくりと、ゆっくりと歩き続けた。
久し振りに見たあのベンチは、私にいろんな事を思い出させた。罪悪感、また過去への後悔。それはもちろん感じた。だけど、それ以上に昔の私
がどれだけ彼のことが好きだったかがよく伝わった。
あのベンチは、私が彼を突き放した場所であり、私達が腹を抱えて笑い合った場所でもあり。
彼に、告白された場所でもあった。
そんな、そんな大切な、幸せな事を忘れていた事を思い出して、また涙が出てしまったのだ。
私は、幸人に救われたから好きになったのではない。彼と笑い合って、泣き合って、喧嘩し合って、そうして、そうしてどんどん好きになったのだ。
大切な、大切な思い出。もう、忘れたりしない。
……ふと、目の前には、目印であった『ポスト前』がある事に気がついた。曲がり角だ。彼と、私の。ここでお別れかも知れない、なんて不安から俯いていた顔を上げ、彼を見た。
彼は私を見て、大丈夫だよ、とでも言わんばかりに優しく微笑んだ。そして、私よりほんの少し先に歩いては、私の家の方へ曲がった。また、泣きそうになってしまったが、今度は心からの笑顔で幸人の顔を見ることができた。
そうして私たちはまたゆっくりと歩き出した。私の家まではもうあと少しだった。まだまだ、一緒に居たい。私は幼い頃にこうして一緒に歩いていた事を思い出した。記憶の中の右手には、彼の手の温もりを感じていた。
私は今の幸人の手をちらっと見ては、言った。
「……幸人さ、大きくなったよね。身長とか、さ」
彼は少し嬉しそうに笑って答えた。
「そりゃ、昔に比べたらね」
「ふふ、そうだよね。肩幅とかすっかり男の子って感じになったよね。ほら、手とかもさ」
そう言って私は、手のひらを彼に向けた。合わせろ、と言わんばかりににこっとあざとく笑ってやった。
そして、彼がどこか恥ずかしそうにそれに答えて手を伸ばしては、それがピタッと止まった。今度はどこか難しい事を考えるようにカッコいい顔をして、また私を見つめた。
不意にドキドキしてしまって、彼を見つめ返すと、覚悟を決めた、と彼は私に手を重ねた。
……あったかくて。大きくて。ゴツゴツしてるけどやっぱり優しい手だった。私たちはそうして手を合わせては互いに互いの手の感触を感じていた。
パッと気づいたように彼が焦って言う。
「ご、ごめっ、なんかその感慨に浸ってたっていうか……そのっ!?」
……やだ。
彼のあたたかくて優しい手の感触で抑えられなくなった欲求は、彼に手を離させる事を許さなかった。
ぎゅっと彼の手を握る。子供の時のように、指を重ねて。あぁ、やっぱり安心する。幸人の手、あったかくて、優しい。
……ん、待って、待って待って?
意識が覚醒した。彼を見ると、目は大きく開かれ、口はパクパクしていた。慌てて弁解する。
「ちちち、違うの! これは、そう! 男の子の手って繋いだらどんな感じなのかなぁ? っていうアレだから! きょきょ興味本位だから! 他意は無いからっ!」
彼も私のようにぶんぶんぶんぶんと手を振っては早口で弁解した。顔は真っ赤である。ほんとにごめん。
「だだだだだよねー! そう、実験なら仕方ないよねっ!? うんうん! 僕もすっごい為になったなぁ!? ありがとうね!?」
お互いに耳まで真っ赤に染めて慌てふためいている姿は実に滑稽だった。そして、お互いのそんな姿を見てはぷっと吹き出して、今度は2人で大いに笑い合った。
───なんて、幸せなんだろうって。
……そうして、ついに私の家まで着いてしまった。やっぱり寂しいし、もっと一緒に居たかったけど、いつか終わりは来るのだ。ドアの前で振り返り、私は清々しい気持ちで言った。
「ありがとうね、幸人! 助かったよ!」
「ううん、こちらこそ。色々懐かしかったし、楽しかったよ! ありがとう!」
彼も人懐っこく、嬉しそうに笑った。私の大好きな笑顔だった。きゅうと心臓が捕まれて、やっぱり帰りたくない、もっと一緒に居たい。なんてワガママな気持ちを押しのけて私は言った。
「じゃあ、またね!」
ガチャ。と扉を閉めると。私はダッシュでベッドに飛び込んだ。愛用の枕で顔を覆って、足をジタバタともがいては小さく、呟いた。
「ほんとに、もう……反則だよ! やっぱり、大好きだよぅ……」
彼にずっと言いたかったのに、言えなかったその言葉を吐き出した。できることなら、今すぐ彼に伝えたかった。
自分の右の手のひらを見ては、彼の手の感触を思い出して、羞恥からまたジタバタと足をもがいた。
「ああああ、やっちゃったぁあ!!」
……なんで付き合ってないんだろう