10話『あなたと同じ帰り道』 【前編】
屋上から生徒会室に戻ると、仁坂さんは笑顔で僕たちを出迎えた。
「実咲からちゃんと報告は聞いたよ。お疲れさま、良くやった、小鳥遊、真」
良くやった、なんて少し褒められるだけで心がふわふわした。やっぱりひとつひとつの言葉の重みが違う。ひれ伏したくなった。
仁坂さんは嬉しそうに、少しもどかしそうに僕の方を向いては、言った。
「そ、それで……その、幸人には、これから生徒会に色々と手伝いに来てもらうことになった。その。これから宜しく頼む」
名前で、呼ばれた。これは、生徒会の一員として認めてもらえたという事だ。ゾクゾクと鳥肌が立った。
「は、はい! 全力で頑張りますので、思いっきりこき使って下さい! ここ、こちらこそ宜しくお願いします!」
「幸人、おめでとう。これから色々と宜しくねー?」
「……み、実咲、ありがとう。こちらこそ!」
実咲は椅子に座ってお茶を飲んでいたが、僕の方を向いてニヤニヤと悪く笑ってウインクした。どこかゆーたんのそれと重なる。
きっと『良いように言っといたから、これからしっかりしなよ?』といったところだろう。少し腹が立ったが、感謝しかない。
しかしやはり女の子に向かって下の名前で呼ぶのは少し抵抗がある。早く慣れなければ。
すると、背中を優しく叩かれた。
「良かったじゃんか、幸人! 改めて、これから宜しくなっ!」
「はい! ありがとうございます!」
マコトさんが満面の笑みで言ってくれた。すっごいイケメンだ……。背中に当たる手がとても頼もしい。
これからマコトさんには相当お世話になるだろう。尊敬できる先輩としても、仕事仲間としても。また、自信を付けてもらう師匠としても。
だから僕も期待に応えられるように努力しよう。全力で。
……と、思っていたが、今日のところは良いから。と、帰らされてしまった。
確かに時計を見ると既に下校時刻であった。今から仕事を教えてもらうのも時間がかかり過ぎるのだろう。
外は気づくと薄暗くなっており、部活棟を出ると冷たい風に吹かれる。
「うわぁ、寒っ……」
思わず呟いた。吐く息が白く染められる。今日はゆーたんも部活だろうし、一人で帰ることになるだろう。鞄に入れていたマフラーを巻きつけて一人で校門まで歩くと、ふと見覚えのある人影があった。
「……あれ? さ、さやちゃん?」
一人で誰かを待っていたようで、校門の外でケータイを触っていた。って、こんな時間まで?
「あ、え、ゆ、ゆゆ幸人!?」
「え、そんなに驚く……?」
寒かったのだろうか、相当上擦った声で僕の名前を呼んだ。驚かせてしまって申し訳ない。恐らく姉崎さんのことを待っていたのだろう。大事な用事でもあるのだろうか。
「ご、ごめんね、驚かせちゃったよね。それじゃ、また!」
「ま、待って!」
暗くてあまり見えないが焦った表情で僕を掴んで呼び止めた。
「そ、その。寧々まだ時間かかるみたいだから、その、……一緒に、帰らない?」
何が恐ろしいってその上目遣いである。この距離は流石に分かる。恥ずかしかったのだろうか、赤くなっていた。薄白く見えるその吐息すら煌めいたものに見えてしまう。袖をちょんと掴み、離さない。え、可愛い。
突然訪れた幸福に硬直してしまった僕に、彼女はハッとして袖を離す。ぶんぶんと顔の前で手を振っては弁解するように話した。
「あ、その、ごめん近かったよね!? そ、その、嫌なら良いから、さ」
「や、ぜ、全然! そ、その。僕で良ければ」
ぼそぼそと呟いて応えた。気持ち悪い。何故こういう時に男らしくなれないのか……。自己嫌悪に苦しむ。対して彼女は、ぱぁっと嬉しそうに笑った。……と、思えば少し複雑そうに、不安そうに笑った。
ゆっくりと、ペースを合わせて歩く。外はもう真っ暗で街灯やお店のライトがキラキラと帰路を照らしていた。何の変哲も無いいつも通りの帰り道なのに、綺麗で美しいように感じる。
そんな中、彼女が痺れを切らしたように口を開いた。
「……そ、その。おっけーしたの?」
……? 何の話だろうか。しかし聞き直すのも失礼じゃないかと思い、考える。
そうだ、ゆーたんが生徒会に入ることをクラスに言いふらしたのでは無いだろうか。それがさやちゃんの耳に入ったのだろう。
僕は納得して答える。
「えっと、むしろOKしてもらえた感じ、かな? なんとかね」
彼女は俯いていた顔をガバッと顔を上げ、こちらを向いた。眉がへにゃりとハの字に下がっており、切なそうに、悲しそうにまた下を向いた。
「……そっか。……おめでとう。良かったじゃん」
「う、うん? ありがとう」
明らかにおめでとうのテンションではない。何か嫌なことでもあったのだろうか。こんな時ゆーたんならどうする……? 彼なら、僕が落ち込んだとき、自分の辛かったことを言って笑わせてくれた。よし、それで行こう。
「話が変わるんだけど、実咲にすっごいバカにされてさ、あの悪い笑顔、ゆーたんに似てると思わない? ほら、ちょっと腹立つ感じ!!」
「…………そうだよね、実咲ちゃん可愛いもんね……」
違う、そうじゃない。待って何でだ。どうしてこうなった。何も分からずにあわあわする。仕方ない。正直に尋ねよう。そう、正直こそ一番なのだ。
「……もしかして、なんだけどさ。僕が生徒会に入ったの、なんか嫌だった?」
「…………え? 待って、なんの話?」
さやちゃんがきょとん、といった顔をしてこちらを向いた。……少し泣きそう?目がうるうるしている気がする。いや、それよりも早く誤解を解こう。
「僕は放課後に生徒会のお手伝いをしたいってことで実咲とお願いしに行ったんだけど、それは、ゆーたんから聞いた?」
「え、え?……ええ!?」
予想外、といった風に手で顔を抑えては驚愕の顔を見せる。その後顔を赤く染めては、すこしにやけていた。可愛い。よく分からないけど、誤解が解けたならよかった。
「じゃ、じゃあ、その……幸人は好きな人とかっているの?」
「ま、待って何の話?」
「いいから!」
「え、それは……秘密!」
好きな人の目の前で好きな人がいるだなんて言えない。でも、さやちゃんに嘘はつきたくない。だから秘密という形で言葉を濁した。
まだ僕は変わってないから、告白はできない。いつか、また、伝えるんだ。
───ずっと好きでしたって。
「秘密……ねぇ。わかった。うん! 分かった!」
なぜか嬉しそうに頷く。表情がコロコロと転がって、見ていて楽しい。僕は一息置いて尋ねた。
「……じゃあ、さやちゃんには好きな人いるの?」
「私も、秘密っ! その方が公平でしょ?」
「そうだね、そうしよう」
気づくとゆっくりだった足取りは早くなっており、彼女はルンルンと楽しげに歩いていた。機嫌が直ったようで良かった。
たわい無い、下らない話をしているだけなのに、時間があっという間に感じる。既に目の前にはマッカと駅があった。なんて、なんて幸せな帰り道なんだろう。いっそこのままずっと時が止まってしまえばいいのに。なんて思う。
駅のライトに照らされる彼女の笑顔を見ると、ドキッと心が飛び跳ねた。硬直して目が合うと、さやちゃんは『なーに?』と、嬉しそうに笑った。
さやちゃん目線をお楽しみに。