懺悔室の神父さん
懺悔……それは自らが過去に行ってきた事が罪だと気づいた者が、神仏などに告白する行為。私はこの教会で実に四十年以上、様々な人間の罪の告白を聞いてきた。
罪の告白と言っても、この小さな港街では可愛い物ばかりだが。そう、例えば……どこどこの花瓶を壊してしまっただの、カップルが憎くて水を掛けてしまっただの、教会の壁にラクガキしてしまったなどという懺悔が大半だ。
教会の外へと出て、朝の空気を肺へと送り込む。冷たい空気は私の意識を覚醒させ、新たな一日の到来を知らせてくれる。
「アラン神父、おはようございます」
私が朝の空気を満喫していると、若い漁師が挨拶をしてくる。
この港街では好青年と評判の若者だ。だが私は彼の懺悔も受けている。彼は爽やかな笑顔とは裏腹に、兄の嫁を寝取ったと私に告白してきた。
ちなみにその兄上の子供は実は彼の子供。その事は彼以外に、まだ私とその嫁しか知らない。打ち明けた方がいいのか、と尋ねられた時、私は真実を語る事だけが正しいとは限らないと伝えた。真実を語り謝罪するのは確かに大切だ。
だが今回の場合、それで救われるのは兄の嫁を寝取った彼だけだ。ならばいっそのこと真実は隠し通し、その罪を背負い続け兄とその嫁の為に出来る事をするのだ、と私は伝えた。彼は私の言いつけ通り、自分に入る給金の半分を兄夫婦へと贈り続けている。
「今朝も気持ちのいい朝ですね。漁に出る前に祈りを捧げに参りました」
「それは感心ですな。貴方のような若者がもっと増えてくれればいいのですが」
無論、兄の嫁を寝取る若者が増えればいいと思っているわけではない。神へ祈りを捧げる若者が増えてくれれば、と思っているのだ。
そのまま若者は神へ祈りをささげ、爽やかな笑顔で私に挨拶をすると漁へと出ていく。
さて、私も自分の職を全うせねば……と、その時再び来客が。
「申し訳ない、懺悔室は空いているだろうか」
「あぁ、はい。勿論です」
その人物は全身をマントで覆い、声からして私よりも高齢な老人……だろうか。しかし足取りはしっかりしている。身なりはボロボロで顔も見えないが、微かに見える手はまっさらだ。この港街の人間ならば、皆霜焼けなどでボロボロの手をしている。それは老若男女問わず。勿論私も教会の神父だけでは食っていけない為、漁の手伝いをしばしばしている。
老人を懺悔室へと通し、私は一枚仕切りを隔てた隣の空間へと腰を下ろした。顔は勿論見えない。懺悔しやすい環境を作る為だ。
「では……迷える子羊よ。己の罪を告白しなさい」
私がお決まりのセリフを言うと、老人は少し躊躇いつつも、まずは自分の身分を明かした。
「実は……私はこの世界の神なのですが……」
……いや、迷いすぎだろう、この子羊は。
いきなり何を言い出すのだ。まあしかし……私にそれを否定する事などあり得ない。教会は誰にでも開かれた場所なのだから。
「そうですか。いつもお世話になっております」
「い、いえいえ……とんでもない……そ、それでですね。実は十八年前、私はうっかり……別の世界へ隕石を落としてしまって……」
「それはそれは……神ともあろうものが、とんでもない失態ですな」
「はい……その通りです……。しかも、隕石が落ちたのは……その世界の学び舎で……若者を大量に虐殺してしまって……」
なんて事をしてくれたんだ、この神様は。いや、さすがに妄想だろう。そんな事があっていい筈が無い。
しかし、告白を否定する事は出来ない。今は黙って耳を傾けよう。
「それで……私は神として、その虐殺してしまった若者達を……望む姿に変えてコチラの世界に転生させたのです……」
成程。異世界からの転生か……。
たまに現れる英雄の中には、異世界からやってきた、と主張する者もチラホラ居る。もしかしたら、あれらは神の所業だったのだろうか。
「しかし、今になって……私はそれで正しかったのかと、思わざるを得ない事態に……」
「……? 何かあったのですか?」
「……はい、トルカスタ王国のサラスティア姫君をご存知でしょうか……」
勿論知っている。サラスティア姫君と言えば、それまで小国に過ぎなかったトルカスタ王国を世界でも有数の大国に成長させた偉人だ。しかも驚くべき事に、彼女はまだ十八歳だと言う。その美貌と優れた頭脳で周りの国々を吸収していったというが……確かとんでもない悪女だという噂もあったな。しかし噂は噂だ。サラスティア姫君は美しいと評判のお方。妬み嫉みで悪女と噂されるのは仕方のない事だろう。
「実は……そのサラスティア姫君なんですが、私が隕石で虐殺した若者の一人なんです……」
「……はい? な、なんと……そうでしたか」
「はい……彼女は……いえ、正確には彼なのですが……彼は私にこう言いました。とりあえず美少女で、周りの男や魔物に負けないくらいの強さが欲しいと」
とりあえず美少女……。この神様はそんな望みを叶えてしまったのか。
「その時、私は超忙しかったのです。なにせ隕石を落とした学び舎は、生徒数が三千人近く居るマンモス高校で……事務仕事に追われていた私は、とりあえずと彼の生まれ変わる土地の男達や魔物達より強くなるように設定しました……」
な、なるほど……。まあ超忙しいと仕事が雑になるのは人間も神様も同じか。
「しかし、後になって気づいたんですが……その土地には世界最強と噂される程の英雄と、世界に終末を齎すと言われている最強のドラゴンが住み着いていたのです。つまり……彼はその両方よりも強い赤子に……」
おいおいおいおいおい、適当すぎんだろ。
そんな恐ろしい赤子を生み出してしまったのか、この神様は。
「サラスティア姫君は、その美貌と頭脳で周りの国を吸収したとされていますが……実際は彼が無双しまくったせいで……ぶっちゃけ、まごうこと無き最強の姫君です」
なんという事だ。
サラスティア姫君は……実は脳筋だったという事か。
「私はこれではアカンと……彼と同じように転生させた一人に……彼を暗殺するように命じました……」
酷い神様だ……。
自分で生み出しておいて……。
「その私が暗殺を命じたのは一人の女子生徒です。彼女は転生する際、私に……とりあえず世界中の海を統べる最強の生物になりたいといいました……」
ちょっと待て。
まさかそんな望みも叶えたんじゃ……
「叶えちゃいました……忙しかったんで」
なんて神様だ……。
「しかし、世界の海を統べる存在となった彼女なら、彼を倒す事も出来ると考えたのです。しかし……問題が発生しました」
次はなんだ。
「彼女は生前……まさにサラスティア姫君に生まれ変わった彼に恋をしていたのです。彼の正体を知った彼女は、迷うことなく軍門に下り……彼は世界中の海を手に入れたも同然の状態になってしまったのです……」
なんてこった。
サラスティア姫君は世界中の海をも手に入れていたのか。
まさかこの港街も……その支配下に……。
「私は考えました……どうすればこの事態を収束する事が出来るのかと……。私が直接出向いて倒せば、それはそれで問題になるので……どうにかして転生させた連中で殺りあってくれないかと……」
もはや神様というより魔王に近いような気がするんですが……。
「そうです、魔王です。私は転生させていたのです。魔王になりたいと宣言した若者を」
あんた本当に神様か。
そんなの一番タチ悪い存在ではないか。
「私は本日、その魔王に転生した若者に協力を仰ぎにきたのです。この港町に……」
な、なんだと……。
この港町にそんな存在が……?
「はい……しかし彼は、自身の兄の嫁を寝取るくらいには魔王なんですが……静かな生活が気に入ってしまったようで……」
……待て、まさか……その若者と言うのは……
「あぁ、神父様……どうか私に勇気を……。静かな生活を送っている彼を、混沌に満ち過ぎた戦場へ送り込む勇気を下さい……」
私は一度深呼吸し、自称神様へと……こう告げた。
「全て貴方の責任です。貴方自身でなんとかしなさい」
「あぁっ! そんな殺生な! ぶっちゃけ、もう私が直接出向いても瞬殺されるくらいに強いんです、あの姫君! なにとぞ、なにとぞ……!」
「んな事言われたら余計に彼を巻き込むわけには行かんわ! その……サラスティア姫君へ、貴方から少し慎むよう進言されては如何か。何も倒す事だけが道ではないでしょう」
「はぅぅぅぅ……胃が……胃がキリキリと……」
私の助言を神様は受け止め、お腹を押さえながら教会から出ていく。
一体今の告白は何だったのだ。妄想にしては激しすぎる。
「やれやれ……今日は朝からとんでもない懺悔を聞いてしまった……」
「あの……」
その時、再び教会を訪れる者が。
今度も顔をすっぽりとローブで隠した人物。しかし声や露出した肌を見る限り……女性だろうか。
「懺悔室は、開いていますか?」
「あぁ、はい。勿論です。どうぞ」
私は再び懺悔室へと。
一枚仕切りを隔てた隣の部屋へと入る女性。何やら高そうな……香水の香りが鼻を擽る。
「では……迷える子羊よ、罪を告白なさい」
再びお決まりのセリフを言い放つと、女性は躊躇いがちに……
「……私は、トルカスタ王国の第三王女……サラスティアと申します……」
それを聞いた瞬間、私は自分の心臓が破裂してしまうのではないかというくらいに驚いた。
今まさに時の人、そして何より、先ほど懺悔しに来た自称神様の悩みのタネが目の前に……。
「そ、それはそれは……遠路はるばる……ようこそいらっしゃいました」
「い、いえ……海の中を自由に泳げる友人が居るので……背に乗せてもらい、ここまで来たので……。酔って死にそうでしたが何とか……ウッ……」
海の中を自由に泳げる友人……? それはまさか……
ちなみにトルカスタ王国は海を挟んで遥か西の国。どんな高速船でも数か月はかかるだろう。
「それで……実は私、生まれ変わる前は別の世界に居ました……」
ヤバイ、何がヤバイって……さっきの自称神様と話が一致している。
まさかとは思うが……全て本当の事だったのか? いや、二人が組んで私を驚かそうとしている可能性も……。
「そこの世界はこの世界よりも……平和とは言い難いですが、何不自由なく暮らす事が出来ていました。学校に通い、家に帰れば母が食事を用意してくれていて……姉とたまに喧嘩もして……。退屈な毎日でしたが、今となっては少し、懐かしい幸せがあったと感じます……」
随分まともな事を言う。自称神様から聞いたサラスティア姫君の印象はバリッバリの脳筋だったのだが。
「それで本題なのですが……私は先日……只今絶賛ライバル関係にある、ザスタリス王国を落とそうと訪問した際の事です」
なんと……ザスタリス王国は世界でも一位、二位を争う程の大国。まさかザスタリス王国まで吸収しようと画策しているとは。
「私は……あぁ……とても罪深い事をしてしまいしました……」
なんだ、一体何をしてしまったというのだ、この姫君は。
「私は……前の世界では男でした。その記憶が残ってるせいか、私は美少女なのに美少女大好きなのです。可愛い女の子が大好物なのです。それで……ザスタリス王国の第一王女、アーライア姫君とお会いしたのですが……私、一目惚れしてしまって……」
「な、なるほど。しかしそれは人それぞれというか……恋自体は美しい……」
「いえ、まだ続きがあるのです、神父様」
なんだと。
「……実は、その……アーライア姫君には既にフィアンセが居たんですが……私は、アーライア姫君を手に入れる為、その男を誘惑して……姫君と別れるように仕向けました……」
悪女だ……。あの噂は本当だったのか。
「そして無事にアーライア姫君はフリーに……私は男を廃棄し、姫君を迎えに行きました。しかし、アーライア姫君はフィアンセに裏切られたと……街中の飲食店で大食いチャレンジを……」
「そ、それは……ショックだったんでしょうな……当たり前ですが……」
「はい、反省しています……今ではアーライア姫君はポッチャリ目に……それはそれで可愛いのですが……アーライア姫君には新しいあだ名が国民から付けられてて……」
なんとなく想像は付くが……ポッチャリ目になってしまった姫に付けられるあだ名……
「アーライア姫君は……小太りなハムスター、略して小ハムと……」
「ま、まあ……まだ可愛いあだ名ではないですか。そのように呼ばれるのは国民から慕われている証拠では?」
「はい、そうかもしれません。しかし、彼女が小ハムと呼ばれるようになってから……王宮へボンレスハムが送られてくるように……。姫君はコッチのハムじゃねえよ! とキレています。でもそもそも、姫君が小太りなハムスターなどと呼ばれるようになった原因を作ったのは私なのです……。ポッチャリ姫君の御世話をしている内に、ザスタリス王国の王族達とも仲良くなれましたが……逆に辛いんです! 元々の動機はザスタリス王国も吸収するつもりだったのに、今となっては姫君を太らせて変なあだ名まで付けられてしまって……なんだったら、ザスタリスの王族達は私に姫の代わりやってくんない? とか言ってくるんですよ! もう国奪えるじゃん! 奪っちまえよ! って自分でも思ってるんですが……」
一気に感情を吐き出した為か、深呼吸をしながら落ち着こうとするサラスティア姫君。
さて、こんな懺悔に私は何と言うべきか。正直手に余る。私にどうしろと言うのだ。
「神父様……神は……なんと仰っていらっしゃるのでしょうか……」
それは聞かない方がいい。
あの神は無責任にも程があるというか……。
「な、なら……とりあえず、ダイエットに付き合ってあげるとか……どうでしょうか」
「実はもうそれは実行済みなのです。アーライア姫君と一緒にジョギングを始めたのですが……一分と経たない内にリタイアされてしまうので……」
「……そうですか。ではまずウォーキングから……」
私は何を言っているんだ。
しかし正直頭が混乱して付いて行けない。
「あぁ、神父様……分かりました。なんとか……彼女にコミット出来るよう……努力してみようかと思います」
「コミッ……? あぁ、はい。では……頑張ってください」
今まで自分の無力感を感じる事は幾度となくあった。
だが今回の懺悔以上にそう感じた事は無い……と私は項垂れる。
サラスティア姫君は教会から出ていき、私は正直疲れしばらく長椅子へと座り込んでしまう。
この世界の神様はなんてことをしてくれたのだ。サラスティア姫君を生み出してしまったせいで、アーライア姫君が肥満に悩まされる事に……いや、正直それは悪いがどうでもいい。問題は彼……魔王として転生してきたという彼の方だ。
あの自称神のいう事が本当ならば、彼はいつか魔王としてこの世界に君臨するかもしれない。今は静かな生活が気に入っているようだが、ずっとそうだとは限らない。この港町に飽きてしまえば……一気に世界に終焉を……
「し、神父様! 大変です! 来てください!」
その時、漁師の一人が私のところに駆け寄ってきた。酷く慌てた様子で、顔を真っ青にしている。
私は一体どうしたと漁師の後について走り……目の前の光景に開いた口が塞がらなくなった。
※
『うわーん、引っかかっちゃったよー!』
網にかかった巨大な魔物。ドラゴンのような頭に、巨大な蛇のような体。まさかこれは……伝説のリヴァイアサン……
「あぁ! この子は私の友達です! 銛を討たないで!」
「どけっつってんだろ! お嬢ちゃん!」
その時、その魔物を庇うように手を広げて仁王立ちする先程の女性……サラスティア姫君の姿が。今にも銛を打とうとしている漁師の前に立ちはだかり、友人を守ろうとしている。
「ま、待ちなさい。その方は……トルカスタ王国の第三王女……サラスティア姫君だ(たぶん)」
「え?! し、神父様? んなわけねえ! あの姫君がこんなバケモンと友達なワケ……」
『うわーん、バケモノなんてひどいぃぃぃ』
網にかかった巨大な魔物の嘆きに、サラスティア姫君は歯ぎしりする。
不味い、漁師に友人をバケモノよばわりされて怒り心頭のようだ。もしこの港町で暴れられたら……間違いなく滅びてしまう!
「私の友人に……ナンテコトヲ! 許さない!」
突如としてサラスティア姫君の手から巨大な光の柱が。それは段々と剣のように形成されていき、光が収まった時、サラスティア姫君の手には美しい長剣が握られていた。
「私の友達を……傷つけるなぁ!」
「ひ、ひぃ!」
轟音と共に衝撃波が港町を襲う。剣を一振りしただけでこの衝撃。不味い、全てあの自称神様の言った通りだというのか?
「早く網を解け! じゃないと……こんな町、潰してやるんだから!」
まるで駄々っ子のように剣を振るうサラスティア姫君! 再び嵐のような衝撃が町を襲う。しかし、その剣を素手で受け止める若者が一人。
彼だ。自称神様が魔王として転生させたという……彼だ。
「……お前……川瀬か? その子供っぽい怒り方……全然変わってねえな」
「……?! ま、まさか……お前、後藤……」
あぁ! 二人がついに出会ってしまった! しかも最悪な形で!
このままでは脳筋姫君vs魔王の戦いが……
「ご、後藤!」
「川瀬!」
しかし、私の心配とは裏腹に二人は抱き合い始めた。
な、なんだ? 何が起きている?
「お前ぇ! 一応探したんだぞ! 魔王になるとか言ってたから、てっきりどっかの魔物の集団に居るかと……あちこち走りまわったんだからな!」
あの姫君が魔物の集団を……流石に同情してしまう。あんなのに襲われればどんな魔物もただでは済まないだろうに……。
「悪かったな……どうにも、魔王になりたいとか言ったはいいが……海辺の静かな町での暮らしが気に入っちまって……」
『おぉー、後藤先輩ですか? 私のコレ、はやく解いてくださいーっ』
言われた通り、彼は魔物がかかった網を解いていき開放する。すると港町の住人が何の話をしているんだと騒ぎ始めた。まあ、理解できんだろうから……余計な説明はしないほうが無難だろう。
「後藤……お前、これからどうするんだ? このままここで暮らすのか? 出来る事なら手伝って欲しい事があるんだけど……」
「んー……まあ、親友に言われたら断れねえな……っていうかお前、滅茶苦茶可愛いじゃねえか。ちょっともう一回ハグさせてくれ」
こうして、彼はサラスティア姫君と共に旅に出て行った。
港町は働き盛りの若者が一人居なくなり、寂しそうにする者も居たが……サラスティア姫君の援助により労働力は増え、だんだんと町は大きくなっている。
そして私の教会には……今日も迷える子羊が。
「……神父様……サラスティア姫君と魔王が結託して……もう手がつけられません……私はどうすればいいでしょうか……」
「責任を取る以外に無いでしょうな」
こんな世界だが、割と平和で……静かな時が流れている。
私も今しばらく、この神様の懺悔に付き合ってやろう。