第7話 響蘭高校管弦楽団
俺が音楽室にたどり着いた時には、空や、金髪縦巻きロールを含め、他にも多くの生徒でごった返していた。
「一体何だこりゃ?」
「あ、たく・・・・たっくん。」
「音羽。 こりゃ一体どういうことだ?」
「実は・・・」
「あら、あなたはよく日比野音羽の付き人として来ていた男じゃなくって? そう、名前はたくたっくんと言うのね。」
「んな訳ねえだろ! 俺は北原拓人! 音羽の幼馴染だ! そう言うお前は何なんだよ!」
「あら、あなた幼馴染なのに私のことを知らないのかしら? 私は園部 ユーリア。 日比野音羽のライバルよ。」
「は? ・・・・あ。」
思い出した。
そう言えば音羽から何回か聞かされたことがある。
コンクールでよく会う女の子がいると。
その子もとても上手でいつか私も順位で抜かされちゃうかも、と嬉しそうに言っていた。
なんでもヨーロッパの方のハーフらしく、目の色素が薄いのが特徴だとか。
言われてみれば、彼女の眼はやや青みがかっているようにも見える。
しかし、音羽、それよりももっと特徴的なところがあるだろう・・・。
「で? この騒ぎはなんだ?」
「あなた質問ばかりね。 自分で見つけようと言う気はないのかしら?」
ぐぬぬ。
何も言い返せない。
仕方なく二人の頭の上から音楽室の中をのぞく。
そこに広がっていたのは
「オーケストラ?」
そう、バイオリンをはじめとした弦楽器や、その後ろに管楽器、打楽器がずらりと並び、その中心に一人、指揮者と思しき先生が一人立っていた。
これはオーケストラの並びである。
総勢60人はいそうな大所帯。
見ていると、バイオリンを持って座っていた女子生徒が一人、楽器を置いて前に出てきた。
すらりと伸びた長身に、これまた長くのばされた髪。
顔つきは少々気が強そうではあるが、大人っぽく、かわいい系というより美人系であろうか。
そんな彼女は前に出ると、礼をしてしゃべり始めた。
「えー、皆さん。 本日は私たち、響蘭高校管弦楽団の演奏を聴きに来てくださりありがとうございます。 私はこのオーケストラ部の部長、野田 百合子と言います。 まずは皆さん、ご入学おめでとうございます。 今日から部活動を見学できるということで、初日ですので皆さんに私たちがどのような活動をしているか知ってもらおうと思い、この演奏会を開催することにしました。 本日はごゆっくりお楽しみください。」
部長さんは礼をして自分の席へと戻っていった。
なるほど、つまりここにいる生徒は全員このオーケストラ部の演奏を聴くためにここに集まったということか。
まてよ?
ということは?
「ここに音羽を連れてきた理由って・・・。」
「決まってるでしょう。 日比野音羽は私と一緒にこのオーケストラに入団するのよ。」
最早これは決定事項である、というように言い切る園部。
「ちょ、ちょっと待って! 私はオーケストラなんてしないよ!」
「何を言っているのかしら? あなたほどの腕があってどうしてバイオリンを弾かないという選択肢があって?」
園部は心の底から不思議がっているようだ。
まあしかし、中身は空だし、当の空はもう何年も前にバイオリンはやめている。
理由は俺も知らないが、バイオリンを弾いている姿は全く見ないので、もう一度始めることはないだろう。
空はしどろもどろになりながらも園部の勧誘をかわすために言葉を紡ぐ。
「それは、えと、バイオリンはソロでもできるから! わざわざオーケストラに入ってしなくても、私はソロでやっていくよ! だから、ここのオーケストラ部に入らなくても・・・」
「それはここの演奏を聴いての判断?」
「いや、聴いたことはないけど・・・。 そもそもオケ部あるなんて知らなかったし・・・。」
「そう。 なら聴いてからもう一度考えてごらんなさい。」
そういうと園部は前へと向き直った。
そろそろ演奏が始まるのだ。
空もそれに倣って前を向く。
俺も今までオーケストラの演奏を生で聞くことはなかったが、これでも演奏家の端くれ。
CDなどでクラシックからPOPSまでいろんな曲を聴いてきた。
それなりに耳も肥えているはずで、これから聞く演奏は非常に楽しみだった。
指揮者が棒を振り下ろす。
それと同時に音が鳴り響いた。
その音は高らかに響く。
底抜けの明るさと、疾走感、そしてその裏の悲しみや憎しみ。
演奏会の一番最初の曲として、誰もが知っているこの曲を持ってきたようだ。
ビゼー 歌劇 カルメンより 『闘牛士』
華やかな弦楽器と木管楽器の動きが終わるとやってくる、中間部。
それまでの華やかさとは打って変わった静けさのある旋律。
そして再びテーマがやってきて華やかに一曲目が終了した。
沸き起こる拍手。
俺は自分はある程度音楽に慣れ親しんでおり、学生オケなんて大したことないだろうと高をくくっていた。
しかし、むしろ自分が今まで聞いてきたものが何だったのかというほど、圧倒された。
実際に生の音を聴く。
たったそれだけの違いなのに、CDとは全く違う、臨場感、空気感。
生音でないと感じられないあらゆるものが全身の感覚を刺激する。
「すごい・・・。」
隣で空もぽつりと呟いた。
園部が得意そうな顔でそれに答える。
「ふふん。 すごいでしょう。 ここのオーケストラはコンクールに出場しない代わりに年2回だけある演奏会に全力を注いでいるのだけれど、その実力は県内でも屈指。 ここでオーケストラをしたくて入る子も数人いるくらいなのだけど、日比野音羽。あなたはこのオーケストラが目的でここに入学したのではなくって?」
「いや、そういうわでは・・・。」
「そう。 まあ、なんでもいいのだけれど、このオーケストラに入る価値はわかってもらえたかしら?」
「・・・・。」
空は答えなかった。
その後も演奏会は続く。
ラデツキー行進曲や、シンコペイテッドクロックなど、クラシック初心者でも聞きやすい配慮がされていた。
話によると、オーケストラには多くの人数が必要なためか、もちろん経験者もいるが、やはり楽器を始めてみたい、という初心者の生徒が大半を占めており、この演奏会もそういう生徒を獲得するために行っているようだ。
しかし、初心者が大半といえどこれだけのクオリティの音楽ができることに感動を覚えた。
演奏会の最後に説明があり、今日はこの演奏会が終わった後、少しだけ楽器体験の時間があるらしい。
今後2週間くらいは楽器体験できる期間が続くそうだ。
それを聞くと園部は空の手をつかんで歩き出した。
「ちょっと、次はどこ?!」
「何言ってるの。 楽器体験に決まっているでしょう。 とはいってもあなたも私もバイオリンで決まっているのだから、ちょっと弾かせてもらってすぐに入部届を出しましょう。」
「え!? 私入るなんて一言も・・・。」
と言っている傍から近くでバイオリンを持っていた生徒のところまで行き、引かせてもらえないか交渉し始める園部。
向こうもいきなり来るとは思っていなかったため少し動揺していたが、快く楽器を貸してくれた。
園部がそれを受け取り軽く弾く。
それだけで周りの生徒が一斉に園部の方を向いた。
明らかに初心者とは違う音。
軽く音を出しただけでも分かってしまう実力の差。
周りの生徒の中には嫉妬のような表情を見せる者もいるが、ほとんどが期待のまなざしを向けていた。
楽器を貸してくれた生徒はすごいすごいと言って園部をもてはやす。
ふう、と一息吐きながら園部は楽器を下ろす。
「さ、日比野音羽。この春休みの間練習をサボっていなかったか聞いてあげるわ。 弾きなさい。」
そう言って園部は空にバイオリンを手渡した。
「・・・・。」
それを無言で受け取る空。
しばらくじっとバイオリンを見つめていた。
周りの生徒も期待の目で空を見る。
空はゆっくりとバイオリンを構え、弓を持つ。
そして、一番下の弦、G線に当てて弓を引いた。
透き通るような、綺麗なG線の音だった。
「・・・・ありがとうございました。」
空は楽器を貸してくれた先輩に押し付けると、走って教室を出て行ってしまった。
「音羽!? どうした!?」
「待ちなさい。」
空を追いかけようとした俺に園部が待ったをかける。
俺が振り向くと、園部は何かを考えていたのか、閉じていた瞼をゆっくりと開けて言った。
「ねえ、彼女は本当に日比野音羽?」
心臓が跳ねる。
ばれた?
いや、そんなはずはない。
ばれる要素はなかったはずだ。
空の音は綺麗な音だった。
しかも、一つの音しか弾いていない。
さすがにそれで音の違いを判別できるとは思えなかった。
「当たり前だろう。 急にどうしたんだよ。」
「そう・・・。 いえ、何でもないわ。」
そう言い残して園部も教室を出て行った。
あとに残されたのは今年は大物がいると、キャッキャはしゃぐ生徒たちと、茫然と残された俺だけだった。