第2話 ピアノとの出会い
物心ついた時から俺と音羽は隣にいた。
家も隣。
保育園も一緒。
小学校も、中学校も一緒。
違うクラスになったことは一度もなかった。
最早運命的なものだったのだろう。
俺と音羽はよく周りから冷やかされることが多かった。
しかし、二人ともそんなこと気にしていないというか、そんな小さな時から俺たち二人はほとんど恋人のようで、その冷やかしも別に何とも思わなかった。
お互いに好きだと告白したわでも、付き合ってほしいといったわけでもなく、そもそも恋人ですらなく。
だが、『好き同士』であったことは確かだろう。
お互いに将来は結婚するんだと信じて疑わなかった。
音羽はとても可愛い。
おそらく俺の見てきた中で一番の美少女だろう。
そして、これからも。
今まで告白された回数は数知れず。
しかし、その時のセリフは決まってこうだった。
「ごめんね。私にはたっくんがいるから。」
この言葉のせいで、音羽のことを好きな男たちからの決闘により、何度も死にそうになった。
ピアノを弾くものとして腕だけは絶対に守らねばならず、その状態で喧嘩になるものだから、腕を守りながらでも戦えるようになったし、何よりもちょっとやそっとやびくともしない体になった。
つまり、毎度ぼこぼこにされていた。
その度に音羽が俺の看病をするものだから、俺を狙う輩はどんどんと増えていった。
今考えれば、俺と音羽が付き合っていないという事実そのものも、これを助長していたのかもしれない。
だから、学校一人気のある音羽と一番仲の良い俺は男子からは特に嫌われていた。
その筆頭が空だった。
◆
その日は音羽の発表会の日の前日だった。
8歳になった音羽はその美しさがすでに頭角を表しており、この子は将来美人になる、と近所のおばちゃんたちが噂するくらいだった。
音羽のバイオリンの練習は夕方からだったので、俺と空と音羽は3人で遊んでいた。
「たっくん、明日私バイオリンの発表会があるから聴きに来てほしいな!」
「へー、でも俺音楽全然わかんないや。」
「そうだよ、音ちゃん。こんなやつ来たってどうせ寝てるだけで一つも聞きやしないんだから来たって無駄だよ。」
そのころから空の毒舌は相変わらずだった。
「それでも! 私はたっくんに私の音を聴いてほしいの! ね、お願い! 一度だけで良いから聴きに来てくれない?」
顔の前で両手を合わせ、上目遣いでお願いのポーズをする音羽。
「いや、俺も音羽の好きなもの聞いてみたいし、行くよ。何時?」
「やったー! えっとね、多分私は4時くらいだと思う!」
「えー、来るのかよ! 来なくていいって!」
「そんなこと言って空、本当は来てくれて嬉しいくせに!」
「は!? そんなわけないじゃん!」
「あーあ、私も空くらいバイオリン上手に弾きたいなー!」
「音ちゃんだって上手じゃん! 僕なんかまだまだだよ。」
そうこの頃はまだ空もバイオリンをやっていた。
明日の発表会は音羽も空も出るらしい。
「そっか、じゃあ二人の演奏聞くの楽しみにしてるよ。」
「うん!」
「だから来なくて良いって!」
この後も音羽は楽しそうにバイオリンの話をしていて、空はずっと来るな来るなと言っていた。
「じゃあ、明日の4時にね!」
音羽と空のバイオリンの練習の時間が近づいてきたので、俺たちは分かれた。
次の日、親に頼んでバイオリンの発表会の会場まで連れて行ってもらった。
俺の親と音羽の親は家が隣ということもありとても仲が良く、最初から音羽達の発表会を聴きに行く予定だったらしく、それに俺もついていく形となった。
会場についてしばらくすると、アナウンスと共に発表会が始まった。
最初は俺たちよりも小さい子の発表からで、5番目くらいから空と音羽の演奏が始まる。
しかし、やはり子供で初めて聞くクラシックには耐えられず、数分とせずうつらうつらとし始め、二人目が始まる頃には夢の中であった。
「・・・と。拓人、起きなさい。そろそろよ。」
母ちゃんの声でふと意識を取り戻す。
まだぼんやりする目で前を見る。
寝起きのせいか全然見えない。
仕方がないので薄く目を開けて前を見ると黒い服を着た子が演奏を始めたところだった。
その瞬間俺は雷に打たれた。
これが音楽。
幼心ながら、俺は茫然と前を見ることしかできなかった。
入力される情報は音という耳から入ってくる振動による信号のみ。
なのに、世界が色鮮やかに光り輝いていた。
そう、音楽が見えるのだ。
その色彩と輝きに前が見れない。
完全にその音に作られた世界にトリップしてしまった。
そこに無駄なものは存在しない。
あるのは音によって作られた景色と、空気と、感情と。
その全てに意識を吸い込まれそうなのに、必死に抗おうとする気力すら失せ、引っ張られるままにその世界へと没入していく。
気が付いた時には曲が終わっていた。
まだぼんやりする頭でステージを見ると、もうその子は礼をして立ち去っていくところだった。
これが音羽の音。
人を魅了する『音楽』の力。
そのあとはもう誰の音も聞こえてこない。
俺はほとんど意識のない状態でそのあとの時間を過ごしていた。
「たっくん、どうだった!?」
発表会が終わり、ロビーに出ると控室から出てきた音羽が俺に抱き着いてきた。
黒いドレスがとても似合っていた。
「ああ、すごかった。本当に、すごかった。」
「なんだよ、その感想・・・。」
音羽の後から、黒いスーツを着た空が冷めた目で俺のことを見ていた。
「どうせやっぱり寝てたんだろ。」
「いや、寝てない。」
「そうだよ! 私たっくん見つけちゃったんだよね! なんかやけにぼーっとしてたけどちゃんと起きてたよ!」
まずい、完全にトリップしてたことがばれてる。
「どうだか。じゃあ何がすごかったのか言ってみろよ。」
「なんか、すごく、カラフルだった。音を聴いてるだけなのに、夢を見ているみたいだった。」
「・・・・あっそ。」
どうやら合格だったようだ。
俺は、決めた。
「なあ、音羽。俺もバイオリンしたい。」
「え?! 本当!? 嬉しい!」
「はあ!? お前マジで言ってんのか!?」
「大マジだ。なあ、お前の習ってる先生に頼めないかな?」
「うーん、どうかな?」
「お前なんか門前払いだっつーの!」
「おー、空君、音羽ちゃん。演奏お疲れ様。二人とも本当に良い演奏だったよ。」
「あ、先生!」
そこへ丁度二人のバイオリンの先生がやってきた。
すごく感じの良さそうなおじさんで、空と音羽の二人をまるで孫を見るかのような目で見ている。
「先生、私の友達が先生にバイオリンを習いたいみたいなんですけど!」
「友達?」
そういっておじさんは俺のほうへと目を向ける。
優し気な目だが、何かを見通すようなその眼に俺はブルリと震える。
「音羽ちゃんの言うお友達というのは君のことかい?」
「は、はい! 今日の音羽のバイオリンを聞いて、俺も音楽がしてみたくなりました!」
「そうかそうか。ちょっと手を見せてごらん?」
言われるがままに俺はおじさんに右手を差し出す。
おじさんは俺の手を取るとそっとなでるようにしながらじっと見つめる。
「・・・君は、バイオリンがやりたいのかい?」
「バイオリンがしたい、というか、俺もあんなふうに音楽がしてみたいんです!」
「そうか・・・。君はバイオリンよりもピアノ向きの手をしているね。バイオリンにこだわりがないのであれば僕からはピアノをお勧めするよ。確か日比野さんの奥さんがピアノ教室を開いているはずだから聞いてみると良いと思う。」
「ピアノ・・・。」
「たっくんピアノするの!? じゃあ今度私の伴奏してよ!」
「伴奏?」
「そう! こういう発表会の時とかにバイオリンの後ろでピアノ弾いていた人がいたでしょう? あれが伴奏の人! もしたっくんがピアノ弾けるようになったら一緒にステージに立てるね!」
音羽と一緒にステージに立つ。
その瞬間、俺はピアノに決めていたのだろう。
その日は帰ってから考えます、と伝えたが、その言葉の響きがずっと頭の中で鳴っていた。
それが、俺とピアノの出会いだった。
◆
「・・・と。拓人!」
母ちゃんの声にはっと我に返る。
足元には醤油の瓶が転がっており床を黒く汚していた。
「あれ?俺は・・・・?」
確か母ちゃんが皿を割って、それを片付けようとして立ち上がったところまでは覚えている。
その後・・・
「・・・音羽? 飛行機? あれ、どういうことだ?」
「拓人、落ち着きなさい。あんたが気を失っている間にね、丁度ドイツに行ってたお父さんから連絡があったの。すぐに来なさいって。あんたを連れてね。」
「どういうこと・・・?」
「ドイツ行きの飛行機が墜落したそうよ。それに乗ってた人達の中で偶然日比野さんの家族4人ともお父さんのいる病院に運ばれたらしいわ。お父さんが執刀したらしくて、今何とか時間を作って電話をしてくれたの。」
「そうだ・・・音羽は? 音羽は無事なの!?」
「落ち着きなさい。行ってみれば分かるわ。」
母ちゃんはすごく悲しそうな顔で目をそらした。
俺は急遽ドイツへと旅立った。




