第1話 俺と音羽と空と
創作意欲が高まって書き始めてしまった。
後悔はしていない。
割れんばかりの大喝采の中、ステージでバイオリンを片手に佇む少女。その音はその場にいる誰よりも美しく、誰よりも激しく、誰よりも明るく、誰よりも暗く、誰よりも楽しく、誰よりも悲しく、誰よりも柔らかで、誰よりも固く、誰もよりも感情豊かで、誰よりも色鮮やかであった―
◆
「音羽はいますか?」
「おー、拓ちゃん。いっつも悪いねえ。おーい! 音羽ー! 拓ちゃんもう来てるぞー! 早くおりてこーい!」
『はーい! ちょっと待ってー!』
ドタドタという音とともに階段の向こうから一人の少女が姿を現した。
ややブラウンがかった長い髪を揺らして降りて来たのは俺の幼馴染の日比野 音羽。
家が隣で、小さい時からずっと親ぐるみで仲良くしている。
そのためか、通学はいつも音羽と一緒だ。
そしてもう一人、
「おい、別に毎日来なくて良いって言ってるだろ。音羽には僕がいるんだから、お前は先に一人で行ってろ。」
玄関で音羽よりも先に準備を済ませ、腕を組んで待機し、毎日のように俺に辛辣な言葉をかけてくるこいつは日比野 空。
音羽とは生まれた時間が数分違うせいで誕生日が一日違うだけの、双子の弟である。
音羽と同じややブラウンがかった髪に、大きな瞳。
小柄で、顔も音羽とよく似ているが、性格は音羽と真逆と言って良いほど棘のある、ただのシスコンである。
姉である音羽のことが好きすぎて(性的な意味ではない)、音羽と仲の良い俺を目の敵にしているようだ。
「ごめーん、たっくん。待たせた?」
ウニよりもトゲトゲしい空の言葉は聞こえていないのか、柔らかな笑顔で玄関へやってくる音羽。
俺はこの笑顔が大好きで、この笑顔を見ないと一日が始まった気がしない。
ちなみに、たっくんとは俺、北原 拓人のことである。
小さい時から一緒なので、向こうは俺のことをそんな風に呼んでいる。
「全然。空と仲良く談笑してたから。」
「な、に、が、仲良くだ! 僕はお前のことが大嫌いなんだよ! 一人で勝手に学校行ってろ!」
「もー、空! そうやってすぐ喧嘩しないの! 小さい時から変わらないんだから。おとうさーん! おかあさーん! いってきまーす!」
音羽は家の中へ叫ぶと、行こっかと言って外へ出る。
空はまだぶつぶつと何かを言っているので、無視して音羽の隣に並んだ。
「たっくん、今日もお迎えありがとうございます。もう少ししたら中学校も卒業だね! 早く高校生になりたいなあ。」
今俺たちは中学3年生で、時期は2月。
来月には卒業式が待っており、中学生でいるのももうあと少しだ。
2月になって一層冷えた風が俺たちの間を通り抜ける。
寒さにぶるりと震え、学ランの下に着込んでいたカーディガンを袖から引っ張り出して手を隠す。
吐く息は白く、口から出てすぐ上に登っては消えていく。
まだまだ寒い日が続きそうだ。
「そういえば音羽、今度バイオリンの発表会があるらしいな。聞きに行くよ。頑張れよ。」
「ありがとう! たっくんが見に来てくれるなら、めちゃくちゃがんばるよ!たっくんの方こそピアノの発表会があるんじゃないの?確かお母さんがそう言ってたような・・・?」
「あー、俺、ああいうの苦手なんだよ。伴奏者として出るなら喜んで出るんだけどな・・・」
日比野家は音楽一家で、音羽のお父さんはバイオリン、お母さんはピアノをやっている。
そのためか、音羽もバイオリンをやっており、俺も音羽のお母さんに、ピアノを習っている。
音羽はお父さんに習っているという訳ではなく、近くに住む有名なバイオリニストに習っている。
今度その門下生の発表会があるのだ。
その発表会では生徒達が1人ずつソロ曲を弾いていく。
人によってはピアノ伴奏付きだったりする。
俺はピアノ奏者だが、そういう1人で弾くのがあまり得意でなく、合唱やソロの伴奏の方が好きだった。
そのため、よく発表会を辞退していた。
「えー、もったいないよ。せっかく頑張って練習してるのに! たっくんの音を、もっと皆に聞いてほしいなー!」
「だめだよ。こいつへたくそだから。全然ソロの弾き方ができてない。」
後ろから空がまたも俺に辛辣な言葉を浴びせる。こいつも昔はバイオリンをやっていたらしいが、途中で嫌になってやめたらしい。
今はどうやらスポーツの方が好きなようだ。
空は中学校ではサッカー部に入っており、小柄ながらも素早さを生かしたトリックプレーでレギュラーを勝ち取っていたらしい。
「大丈夫! たっくんはすごいもん! またたっくんのピアノ聞かせてね!」
「・・・あぁ。」
音羽の笑顔で、さっきまで凍えていた体が温かくなっていく。
心臓がトクンと鼓動し、血液が体の端々までいきわたる。特に顔のあたりが暖かくなり、気恥ずかしくて顔を少しだけマフラーに埋めた。
まだまだ二月の風は冷たいが、春は、近い。
◆
観客の盛大な拍手に包まれながら、ステージ上の音羽が礼をする。
俺も大きな拍手を音羽へ送った。
今日は音羽のバイオリンの発表会だ。
中学校の卒業式も終え、音羽が中学生として残す最後のイベントのうちの一つである、この発表会。
曲は『メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲 ホ短調より第1楽章』だ。
超絶技巧もさることながら、情緒あふれる弾き方を要求される、バイオリン協奏曲の名曲である。
それを彼女、音羽は堂々と弾き切った。
音羽の師事するの門下生の中でも、音羽は頭一つ抜きんでていた。
技巧よりも、中学生とは思えない圧倒的な表現力を大きく評価されている。
「すげえ・・・。」
隣に座る空もぼそりとつぶやく。
それも仕方ないほどに音羽の今日の演奏は素晴らしかった。
今度海外のコンクールに出場するらしく、この発表会はその調整も兼ねているらしい。
発表会の全プログラムが終了し、音羽の出待ちのため、ロビーへと出た。
日比野家の面々と共にしばらく待っていると控室の方から音羽がやってきた。
「たっくーん! みんなー!」
赤いドレスに身を包み、少しだけ踵のある赤いヒールを履いた音羽がこちらへ手を振りながらとてとてとは走ってくるのが見えた。
途中、自分のドレスを踏んでしまい、よろけて倒れそうになる。
危ない!と飛び出そうとしたが、音羽はなんとか持ちこたえ、俺のほうを見て恥ずかしそうに微笑みながら、少し顔を赤くしてゆっくりと歩いてきた。
「危ないな・・・。 気をつけろよ。」
「ごめーん。たっくんが見えたから嬉しくってつい・・・。」
「おい、お前、お母さんとお父さんの前だろ。あんまりそういうこと言うなよ。」
音羽のお父さんとお母さんはまあまあなどと言いながらクスクスと笑っていた。
別に俺と音羽は付き合っているわけではない。
だが、おそらく、お互いに一番仲の良い関係だと思っていることは間違いないだろう。
俺は音羽のことが好きだし、音羽も俺のことが好きだ。
もちろん、人としても、一人の異性としても。
「音ちゃん! 今日の演奏めちゃくちゃ良かった! すっごい濃かった!」
「濃かった・・・?」
空はたまにこうやって良くわからないことを言う。
下手をするといかがわしい感じに聞こえてしまうので、それ以上の追及はしなかった。
「空もありがとう。たっくん! どうだった? 今日はたっくんが聴きに来てくれるって知ってたから探しちゃった! そしたらなんと偶然、見つけちゃったんだよね! だから、今日はたっくんのために弾いてみたよ!」
音羽は空の言葉に反応するも、すぐに俺のほうへと向きを変え、がんがん話しかけてくる。
俺も上手かったとか、感動したとか、ありきたりな感想ではあるものの、自分なりに音羽に感想を伝えた。
音羽を俺にとられた空はあからさまに不機嫌な顔をしていた。
あんまりこいつのことを気にしていてもしょうがないので、俺は音羽と話を続けていた。
「それにしても音羽は本当に上手だよな。将来はバイオリニストか?」
「うーん、どうかな? 確かにバイオリンは好きだけど、まだ分かんない。それに、私なんて全然だよ。本当は空の方がセンスあるしね!」
「・・・・そんなことないし。」
空は不機嫌そうに口をとがらせてそっぽを向く。
音羽はいつも空の方がセンスがある、空がバイオリンを続けてたら私なんかじゃ到底追いつけないところまで行ってた、といつも言っている。
「それより音ちゃん! そろそろ戻らないと! 楽屋片付けるらしいよ! 僕ら先戻ってるね!」
空が音羽に片付けを促す。
もちろん、俺から音羽を引き剥がすため、という理由が一番だろう。
「はーい。それじゃあたっくん。またね! 今度会うときは日本に帰ってきてからかな?」
音羽は明日からドイツへ旅立つ。
向こうのコンクールに出場するためだ。
家族全員で行くらしく、1週間くらい観光も兼ねて滞在するらしい。
次に会えるのはドイツから帰ってきてからということになる。
「そうだな。コンクール頑張れよ。」
「うん! じゃあ、しばらく会えなくなるけど、浮気するんじゃないぞ! それじゃ!」
そう言って俺のほうへ近づき、俺の頬へ軽くキスをする。
そのまま身をひるがえして控室の方へ走って行った。
途中また転びかけ、危なっかしい足取りで控室へ向かう。
「な・・・な・・・な・・・!」
固まる空と、赤い顔をした俺を残して。
◆
「拓人ー! いい加減起きなさい!」
一階から俺を呼ぶ母ちゃんの声が聞こえる。
まだ眠い目をこすりながら時計を見ると、8時。
昨日ネットサーフィンしてたら夜更かししてしまったため、この時間でもまだ眠い。
パジャマ姿でお腹をぽりぽりと掻きながら下へおりた。
「早く朝ごはん食べちゃいなさい! あんたは音羽ちゃんがいなくなるとすぐこうなんだから・・・。」
音羽は昨日のうちにドイツへと旅立った。
昨日の夕方に空港まで見送りに行った時もキスをされ、空にぶん殴られた。
まだ頬が痛い気がするが、気のせいということにしてテレビをつける。
今日の朝ご飯はパンとハムエッグか。
やっぱり目玉焼きには醤油だよな、と机に醤油がないか探す。
『・・・一連の連続通り魔事件の犯人は未だ逃走中です。警察は捜査中で、近隣の住民に夜不用意に出歩かないよう注意喚起を行っています。また、・・・』
「かあちゃーん! 醤油どこー!」
「うるっさいわねえ。そこにあるじゃない。あんたから見て牛乳の奥。」
「うお、本当だ。気付かなかった・・・。」
牛乳をどかして醤油を手に取る。残りの量を確認するともうほとんど残っていないが、まあこの目玉焼きを食べるくらいは残ってるかな。
ガシャーン
「うお、母ちゃん何やってんだよ。」
皿を洗っていた母ちゃんがテレビを見たまま皿を滑り落した。
テレビを見ながら皿洗いなんかするからそうなるんだ。
醤油を片手に箒を探しに立ち上がる。
そして、そんな面白いニュースでもやってたのか俺もテレビの方を見た。
からん
俺も持っていた醤油を床にぶちまけてしまう。
床に醤油が広がるが、残り少なかったため、そんなに大事にはならなかった。
だが、今の俺にはそんなこと考える余裕などなかった。
『・・・・繰り返します。今日未明、羽田―ドイツ、ミュンヘン行きの飛行機が墜落事故を起こしました。原因、被害は不明です。現在ドイツからの情報を待っている状況です。この飛行機には・・・・」
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