表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/20

~白い少年~

「……ん?特級の組は、まだ学級活動中なのか?」

 紫と一緒に帰ろうと思い、明は特級教室の手前まで来たのだが、その中にまだ生徒たちが残っている気配を感じ、足を止めた。

 どうやら担任のものらしき声も、うっすらと漏れ聞こえてくる。

(あまり近くで待つのも、盗み聞くようで良くなかろう)

 そう思い、教室から離れながら、たまたま近くを通りかかった女生徒に質問する。

 特級と同じ階にいるということは、おそらく隣の教室の一級の生徒と思われた。

「すまない。知っていたら教えてくれないか。特級の学級活動はまだ終わっていないのだろうか。やけに長いようだが……」

 話しかけられた女生徒は、明の顔を見て一瞬ぎょっとした後、頬を赤らめてややどぎまぎとしながら答えた。

「と……特級の組だけは、学級活動の後に、特別に適正試験をやるんだって。せ、生徒個人に合わせた、授業をするためだって、友達が……」

 察するに、特級にいる友達から聞いた、と言いたいのだろう。

「そうか、ありがとう」

 口元でやや笑みの形を作る程度の、わずかな笑顔で礼を言うと、明は歩き始める。

 後に残された女生徒は、それだけの微笑みでも顔を真っ赤にし、逃げるように足早に去ってしまった。

 そんな女生徒の反応には、明はもちろん気付かない。

 無自覚の歩く女たらし(ただし性別:女)である。


「そんな事情なら、紫から連絡が来ているかもしれないな」

 ここで待っていても仕方あるまいと、下駄箱に向かいながら、明は鞄から『(ふみ)』を取り出した。

 小さな和紙が綺麗に折りたたまれ、結ばれたものである。

 人通りの邪魔にならないよう、通路の端で立ち止まると、明は『文』を開いた。

 明が予想していた通り、紫の『(こう)』がほのかに立ち上る。満月の静かな夜のような、瑞々しくも落ち着いた香りだ。

 久遠時の人間は、香原料を自分好みに調合することで、それぞれが自分特有の香りを持っている。

 『文』より香った『香』から、伝言の差出人が紫であることがうかがえた。

 ついで、和紙に文字が浮かび上がる。

「明へ。私は帰りが遅くなります。先に寮へ戻っていてください。寮でまた会いましょう。紫」

 紫からの言づけだった。

 『文』は、その名の通り手紙の役割を果たす物だが、単なる手紙ではない。

 術式が込められた神具である。

 和紙には記された文字は永久ではなく、表示も消去も自由だ。現に明は、紫からの言づけを確認すると、それを消し、返信を込めた。

「分かった」

 明らしい、端的な一文である。

 そして『文』を元通りたたみ、上着の物入れへとしまう。これで、紫が持っている『文』へ明の返信が届いているはずだ。

(試験が終われば連絡が来るだろう)

 そう思って、連絡が来れば気付くように、『文』は鞄には戻さなかった。

 それから、学生寮へ帰るべく、歩みを再開した。


***


 校庭に出ると、改めて美しい園庭が広がっている。

 木々を吹き抜ける春風のさわやかさと、さまざまな花の香りが心地よかった。

 明は散策するように歩を進めていた。

 ――が、その時。


 ごうっ!

「っ!!」


 突然、これまでにない突風が吹き、明の髪も服もバタバタと舞い上げられ、翻弄(ほんろう)された。

 反射的に、目を閉じる。

 次に目を開けたとき、明は思わず声を上げた。

「!いけない!」

 上着に仕舞っていた(ふみ)が、先ほどの強風で物入れからこぼれ出て、吹き散らされてしまったのだ。

 どのような偶然がはたらいたものか、それほど軽いものではないというのに、文はひらひらと空中を流される。

 明は捕まえようと追いかけたが、しばらく風に漂った文は、よりによって校庭にある噴水の水の中へと落下してしまった。

「これは……、参ったな」

 思わず明も、くしゃりと頭に手を当てる。

 美麗な噴水である。中央に鎮座する、草花や鳥をモチーフにした彫像から、清らかな水がさらさらと流れ落ちている。

 常日頃なら見惚れもしようが、今このときに限ってはその美しさもなにやら恨めしく見えた(噴水にとっては実に理不尽な逆恨みだ)。

 なかなかに大きな噴水である。

 円形に広く水をたたえており、文は中央近くに落ちてしまったので、噴水の外側からではどうしても手が届きそうにない。

 文は別に特別高価であったり、貴重であったりするものではない。一般に広く使われている神具だ。だから別に新しいものを購入しても良いのだが、これまで紫とやり取りをしてきた文を手放すのは、気が進まない。

 まして、神具は水にぬれたからといって(さわ)りのある物でもない。だから、取り戻しさえすれば元通り使えることが分かっているだけに、なおさら惜しかった。

 しかし、あれを取るためには、どう考えても噴水の水の中に踏み入れるしかない。

「そんなことをしたら、間違いなく紫に叱られるな……」

 濡れること自体は自分としてはどうでもよいのだが、紫の怒りはこわい。

(どうしたものか……)

 少しの間思案に暮れていると、


「どうしたの?」


不意に、声をかけられ明は驚き、()()と振り向いた。


 明の斜め後ろに、一人の少年が立っている。明と同じ年頃だろう。

 いかに考え事をしていたとはいえ、これほど近づくまで気付かなかった自分を、明は意外に思った。普段はもう少し気配に敏感なはずなのだが。

 そして、少年の姿を目にして、明は再度驚いた。


 透き通らんばかりの、見事な白髪である。陽の光を受けて、新雪のように煌いている。

 男性にしてはやや長く、耳が隠れる程度まで髪を伸ばしているが、少年のやわらかい容貌にはそれがよく似合っていた。

 色白の肌の中で、柘榴石(ざくろいし)のような真紅の瞳が印象的に光っている。

 色の抜けたような、一種異様な風貌だった。

 それを見て、明は言う。

「珍妙な色彩だが、えらく美しいな、少年。高貴なうさぎみたいだ」

 聞いた少年は、目を丸くして、それから吹き出して笑った。

「ははっ!なに、それ。うさぎって……!うさぎに(とうと)いだの(いや)しいだのがあるの?」

「知らん。なんとなく言ってみただけだ」

「ははは!」

 腹を抱えて笑いころげる。

 しばらくして、笑いすぎてにじんだ涙を指でぬぐいながら、少年は言った。

「はー……、おかしい。外見について、会った瞬間こんなにはっきり言われたのは初めてだよ。しかも美しいなんて、珍しい評価だな。変わってるね、きみ」

「そうだな、変わっているとはよく言われる」

「あっさり認めちゃうし!」

 少年はまた笑う。

 笑ってばかりの少年に、困ったように明は話しかけた。

「私の言うことは、そんなに変か?――あのな、少年。私に何か用があったのではないのか?

急に近くに立っているものだから、驚いたぞ」

 そういうと、ようやく笑いを収めて、少年は思い出したように言った。

「はー……、おかしかった。あ、そうそう。そうだった。いやー、なんだかきみが困っていたみたいだったから、何かあったのかなと思って」

「あ、いかん。そうだった」

 意外な少年の出現に気を取られて忘れていたが、問題は文だ。

 再度噴水に向き直ると、やはり先ほどと変わらず、文は手の届かないあたりに浮いたままだった。

 明はため息をつく。

「やはり、取りに行くしかないか」

 少年は明の視線をたどり、文に目をとめると、得心したように頷いた。

「あそこに浮いてる文、きみの?」

「ああ」

「あれを落としちゃったから、困ってたんだね」

「その通りだ」

「僕が取ってきてあげようか」

「――なに?」


 さらりと言った少年に、明は目をまたたいて振り返った。

 少年はにこにこしながら明を見ている。

「あれ、ないと困るんでしょ?だから、僕が代わりに取ってきてあげようか?って言ってるんだよ」

 突然の申し出に、明は首を傾げて戸惑った。

「いや、初対面の君にそんなことをしてもらうわけにはいかない」

「取ってきてあげたら――代わりに何くれる?」

 少年の返答に、明からぱたりと表情が消えた。

 少年はいたずらっぽく笑っている。

「きみの大切なものを取り戻してあげたら――、代わりに、きみは僕に何をしてくれるのかな?」

 明の反応をうかがうように、くすくすと笑いながら言う。

 それを聞いて、明は。


 おもむろに靴を脱いだ。

 そのまま、靴下も脱ぐ。すらりとした美しい脚が半分以上見える。

「え、ちょっ――」

 突然の行動に驚く少年を尻目に、明は、水をすくって軽く足を流し清めると――


 ばしゃん!


――ためらいなく、噴水に乗り込んでいった。

 そのまま、膝まで水につかって、スカートのすそを濡らさないよう大胆にも持ち上げながら、ばしゃばしゃと噴水を歩く。

 そうして文を拾いあげると、平然とした顔で水をかき分けつつ戻ると、ざばっと水から上がり、地面へと降り立った。

 噴水の神へ、汚したことを詫びる文言を口早に唱えて祈ると、明は鞄からハンカチを取り出し、濡れた脚を拭く。

 そして言った。

「あのな、少年」

「――あ。な、何?」

 あまりに素早い行動に、あっけに取られて見ていた白い少年は、話を振られて慌てて返事をする。

「私はな、人の善意は、むやみやたらに断るべきではない、と考えている。時と場合によっては、ありがたく受けるほうが、その人に敬意と謝意を示すことになると思うからだ。だが――」

 大雑把に脚を拭くと、やや水気が残るのも気にせず靴下を履きなおし、明は少年に向き直った。

「誰かの行動に対し、対価として報酬を支払うなら、それは労働だ」

 少年の目を見て、笑みをひらめかせた。

「私は、同じ学園で学ぶ同輩に、理由もなく労働をさせるくらいなら、泥であろうと自分がかぶった方がましだ」

 そう言って足裏の汚れを払い(石畳なのでさほど汚れてはいない)靴を履きなおすと、

「それではな。縁があったらまた会おう」

そう言って、颯爽と明は去っていった。


「……。かぁっこいー」

 残された少年は、その(いさぎよ)さっぷりに、思わずつぶやいた。

 そしてまた、楽しそうに笑う。

「面白い女の子だったな。縁があったら――か。ぜひ、そうあって欲しいものだね」

 それから、神学院高等部の制服を着た白い少年も、(きびす)を返し、自らの帰途についた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ