~学級活動~
教室の沈黙が、さらに重くなった気がした。
(……え?今、この人なんて言った?)
佐藤はぽかんと口を開けて、神楽と名乗ったその男の人を見つめた。
周りの生徒も、多分、だいたいは自分と似たりよったりの反応をしていると思う。
確かに、耳では聞いた。はっきりと聞こえたし、別に知らない単語もなかった。
それでも、今の言葉は意味が頭に入ってこない。完全に耳を素通りしている。
(えっと……担任?あれ、担任って、学生でもなれるんだっけ)
そんなわけはない。
(まさか、実はかなり年上だったりする、とか……?見た感じ、すごい童顔だけど)
佐藤がぼう然としている間に、凛とした声が響いた。
「失礼、神楽殿。――いや、神楽先生と言うべきなのか?一つ質問してもいいだろうか」
礼儀正しく手を挙げて発言したのは、久遠時明だった。
その言い分に青年はがっくりと肩を落とし、苦虫をかみつぶしたような顔で答える。
「大して年も変わらんお前らに先生と呼ばせるのは、俺としてはまったく不本意なんだがな……。だが、殿よりはましだ。どこのお貴族様なんだ、俺は……。先生でも何でもいいよ。どうぞ。なんだ、質問は」
「その年のことだ。先生は、おいくつだ?確か教員免許は、最高学府での単位の修得が必須のはずだが。かなりお若く見えるが、先生は二十二を超えていらっしゃるのか?」
またしても疲れたように、神楽は片手を頭に当てた。濃い橙色の髪の毛が、くしゃりとかき混ぜられる。
「あのなあ……お前、なんだってそんな格式ばった喋り方なんだ?十五歳ってのは、もっと無邪気なもんじゃないのかよ。いいから楽に喋れ、楽に」
神楽がそう言うと、明は驚いたように目を丸くした。
「私の話し言葉は、格式ばっているか?」
(自覚、なかったのか……)
いかにも意外そうなその言葉に、同級生たちはいっせいに心の中で突っ込みを入れた。
あれが無意識だったとは、どんな育ち方をすればこんな十五歳が育つというのだ。しかもそれが異常だという事に、本人が気付いていないとは。
(ひょっとしてこの子、実はかなり天然なんじゃないだろうな……)
佐藤の中で、久遠時明の立ち位置が、急激に親近感を帯びはじめた。
「そうか。以後、留意しよう。――で、いかがか?」
まったくもって喋り方が何も変わっていない。神楽も提言は諦めたようだった。
ため息をついて、質問に答える。
「……俺の、年齢ね。今年で二十歳になるよ。誕生日がくるまでは、だからまあ、……まだ未成年だな」
「未成年!?」
佐藤はとうとう驚きを声に出してしまった。
叫んだのは他の同級生も同じだ。
次いで、なんだか腹が立ってきた。
「それって……どういうことですか。教員免許も取っていないような、失礼ですけど、言ってみれば未成年が、僕たちの先生になるっていうんですか!――ようやく神学院に入学できたかと思えば、『無級』なんて、番号すらつけられない組に配属され、担任はそれほど年も離れていないような、あなただ、なんて……」
話しているうちに、今度はだんだん悲しくなってくる。
「神学院なんですよ。有名で、能力のある先生方なんて、たくさん……いるでしょう!僕が、この学校に入りたくて、どれだけ努力して、きたか。それなのに、こんな仕打ちは、あんまりです」
だめだ。こんな風に、感情的になってしまうなんて、恥ずかしい。
それでも、一度噴きだした文句は止まってくれない。
「学園は、そんなに僕たちを落ちこぼれだと思っているんですか――。他の組と、同列に並べることも出来ない、教育するにも値しない、って?それなら、最初っから合格なんてさせなければよかったんだ!僕たちを馬鹿にするのも、いい加減にしてくださいよ!」
そこまで叫んだところで、はっと我に返る。
一気に青ざめた。
(ぼ、僕は、入学初日からなんてことを――!!)
いくら若いとはいえ、担任をどなりつけるなんて。
穴があったら入りたい。いや、いっそ逃げたい。
「……そうだよな。いや、お前――えーと、その席だから、佐藤だな?お前の言うことはもっともだよ。あんまりにもお前らに失礼な話だろ。だから俺も反対したんだ。なのに、校長代理のやろ――い、いや、まあ。だから、馬鹿にする気なんて、決してない。それは、分かってくれ」
どんなに怒られるかと冷や汗をながしていた佐藤は、神楽の言葉を聞いて拍子抜けした。
担任は、怒るそぶりもない。いや、むしろ佐藤に同意とばかりに頷いている。
その瞳には、生徒の憤りをいつくしむような色さえある。
「佐藤サン、あなタは一つ、勘違いをしていマス」
ミランのおっとりとした豊かな声が、よりいっそう佐藤を冷静にさせた。
「神楽先生の、襟元を見てくだサイ。あの記章は、教員免許取得者を、示すモノではないデスか?」
「あっ!?」
――言われて初めて気がついた。
本当だ。襟元にはっきりと、教員の、身分証明となる記章が光っている。
「じゃあ、ほんとに、ちゃんとした先生なんですか……?でも、さっきは、まだ十九歳だって……」
混乱する佐藤に、露草が淡々と補足する。
「倭国には、飛び級制度がある」
「!」
「難易度が高いため、採用実例はわずか。でも、皆無でもない。十六歳で神学院最高学府に入学、十九歳で卒業。天つ才と呼ばれた学生の存在は、直近例として記録にある。」
(十六……十六歳で最高学府に入学だって!?)
何なんだ、その化け物は。と佐藤は思った。
「っつーことは、何?もしこの若ぇにーちゃんが、そのご本人様だったとしたら――」
そこで言葉を切り、檜山はにやりと笑った。獲物を見つけた肉食獣のように。
「若造どころか、近年まれに見る、超天才、ってわけだ」
「お前ら、揃いもそろって……。だが、まあ、説明してくれて、手間がはぶけたと思うべきか……」
天才だのと言われても、まったく嬉しくなさそうに眉を寄せ、神楽は小さくつぶやく。
そして、意を決したように姿勢を正すと、朗々と生徒たちに語りかけた。
「今の話の通り、俺はこんなんでも一応れっきとした教員だ。まあ、飛び級なんて特例で取ったもんだし、教員になって一年目……つーか、実習以外で教壇に立つのは、今日が初めてだ。試験的な意味でも、今のところ俺の教員免許はこの学園内に限られたもんだし、お前らが不安に思うのも無理はねえ。――でもな」
瞬間、ぶわっと全身に鳥肌が立った。
神楽から放たれた気迫に、あの檜山ですら、初めて恐れにも似た表情をのぞかせた。
先生の背後に、連なっている数多の神の気配が――そのすさまじい圧力が――感じられる。
「引き受けると決まったからには、全力を尽くす。俺に教えを受けたことを、絶対に後悔はさせない。それをお前らに――約束する」
そういうと、直前までの気配がうそのように、神楽の圧力は霧散した。
「というわけで。おれが担任になったのは、決して学園がお前らを侮ってるからとか、そんなことじゃねえから。授業自体は、それぞれ専門の教師が担当するわけだしな。安心してくれ」
無論、もう佐藤には文句を言う気などなかった。
今の気迫を受けては、何も言えるはずもない。
いや、言う言わないとか、それ以前に。
(むしろ学園は、僕たちを、とことん鍛えあげようとしている――?)
こんな天才を、他でもないこの無級にすえたということは。
そんな風にも思った。
「さて、じゃ、いい加減学級活動らしいことでもするぞ。はじめに自己紹介でもしとくか。定番だが、ま、一応な。必要だろ」
さっさと片付けるぞとばかりに、神楽は名簿らしきものを開きながら言った。
「俺のことは、さっきお前らが説明してくれたからもういいだろ。これからよろしくな。――てことで、ん。五十音順な。まあ、名前と、この学園で何かしたいか、くらいは聞いとくか。」
ん、のところで、最初の生徒を指す。
これまでの態度を見る限り、この担任は、ずいぶんとざっくばらん(というか大雑把というか)な性格のようだった。
そんなこんなで、ぎこちなく、時にふざけて、時に緊張し、ありがちな自己紹介は続き――。
やはり印象に残ったのは、この四人だった。
「どーも。檜山猩っすー。何がしたいかって、んなもん実践だよ実践。とにかく実技、神術、応用!過去の古くっさい記録なんか興味ねーの。やっぱ技術は使ってなんぼっしょ!おれは発明すんの。今までにねーような新しい術式創んの目標だから。てか、創るから。よろしくー」
椅子の後ろ足だけに体重をかけ、ゆらゆらと揺れながら、檜山が言えば、
「幻地露草。学べることを学ぶ」
微動だにせず、露草。
「ミラン・承和・ドゥ・ヨングです。全てのモノに、神を見出すとイウ、この国の神学にとテも興味をもちマシた。もっと、この倭国の文化についテ知りタイ。そウ思い、この学園を受験したのデス。こうシテ、皆サンと同じ組に属シ、共に学ぶコトがデキる。そのコトを、とてモ嬉しく思いマス。これカラ、どうぞよろシクお願いいたしマス」
美しい礼儀作法で、ミラン。
そして。
「久遠時明だ。神学院でしたいことは――」
――颯爽と、
「――神と、仲良くなることだ」
明は笑った。
それを聞いた担任は、不思議な笑みを浮かべて、そうか、と優しく言った。
――一通り自己紹介も終わったあと。
「最後に、一つ話をしておく」
そんな風に、神楽は切り出した。
「実は、な。この無級に配属されたお前らには、共通点がある」
「共通点……?」
佐藤は不思議そうにつぶやいた。
何だろう。てんでばらばらな集まりにしか、思えないけれど――。
少しだけ躊躇した後、神楽ははっきりと言った。
「――それはな。今までの三試の合否判定では、不合格だった生徒たちということだ」
その言葉は、無級生徒の心をひどく抉っていった。
「三試の内、一つ以上、六割に満たなかった試験がある。だが、合計得点で合格圏に達した。それがここにいるお前たちだ」
ざわざわと生徒たちが
「この無級――。最底辺とされるクラスに配属されたことで、落胆した者もいるかもしれない」
口に出されたその言葉に、佐藤は驚いた。
それは――多かれ少なかれ生徒たちが思っていたことではあれど、まさか教員側から、そのことに触れてくるとは思わなかったから。
「すでに周りから陰口をたたかれた者もいるだろう。これからも、いわれなき差別や……蔑視を受ける可能性はある。――でもな」
神楽の語調に、熱がこもる。
「このクラスにいることで、自分が劣った生徒だなんて思ったり、ましてや無級であることを恥ずかしく思う必要など、全く無い」
金茶の瞳が生徒たちを見つめている。
「三試に合格することを、どれだけの数の受験生が望み――、そしてどれほどの受験生が散っていったのか。……お前たちは知っているな?神学院は、三試は、偶然や、多少の才能なんかで通過できるほど、生易しいものなんかじゃない」
真っ直ぐな神楽の言葉は、不思議と生徒の胸に、すうと染み込んできた。
「いいか。他と比べて抜きん出ていようといなかろうと、そんなことは関係ない。今お前たちがここにいるのは、それをつかみ取るだけの努力をしたからだ。欠点があるやつなら、それを補うためにはなおさら、他で人を上回る必要があったはずだ。いいか、努力をすることは誰にでもできるが、それを継続するのは至難の業だ。入学時の順位なんか当てにならん。」
ぼくたちは――、ぼくたちは?
「お前たちは努力の才を持っている。――与えられる環境が同じなら、努力をしたやつほど伸びる。いいか、すでに、枝にたくさんの実をつけている特級のやつらは、それをこの三年間で存分に熟していくだろう。かたやお前たちは、芽だ。土を耕し耕し、何が実るともしれない種をそれでも植え、ようやく双葉を出した小さな芽だ。だが、それが伸びていく畑は、地平線が見えるほどに広がっている」
ぼくたちは……何かを成せるのだろうか。
「数字などでは測れない……これまでの指標とは異なる可能性を秘めた組だ。だからこその無級だ。一級だの二級だの、そんな順位付けに組み込む気ははなからない。それが、この学園が『無級』を創った意図だ。それを覚えておけ。――おれからは、以上だ。今日は、解散!」
最初の学級活動は、そんな風に終わった。
***
放課後、明たち無級生徒が一人残らず帰った後。
神楽は独り、各生徒の資料を見ていた。学級担任に渡される、資料。
そこには各生徒の履歴書と、入学三試における得点、および順位が記載されていた。
『佐藤柴。筆記試験:七十点、面談試験:七十点、実技試験:五十五点。第百四十位/百五十名中』
(実技がやや低いが……、三試でここまで平均的に点を取るのは、平凡どころじゃねえ。上手く育てば、万能選手になるかもしれんな)
ぱらり、ぱらりと、資料をめくっていく。
もともと読んでいた資料だが、最後までめくり終え、改めてため息をついた。
『久遠時明。筆記試験:九十点、面談試験:九十点、実技試験:十点。第百四十七位/百五十名中』
久遠時家令嬢が、下から数えて四位。彼女が彼女でなければ、到底受け入れられない現実だっただろう。周囲にとっても、本人にとっても。
(だがまあ、今日の様子を見る限り、何にも気にしてなさそうだったしな……)
久遠時家には、紫も、養父である鳩羽もついている。久遠時明については、問題ないだろう。
問題は、残りの三人だ。
(どうしろってんだ、こんなもん……)
神楽は、こてん、と机につっぷした。
『幻地露草。筆記試験:百点、面談試験:零点、実技試験:八十五点。第百五十位/百五十名中』
『檜山猩。筆記試験:零点、面談試験:八十五点、実技試験:百点。第百五十位/百五十名中』
『ミラン・承和・ドゥ・ヨング。筆記試験:八十五点、面談試験:百点、実技試験:零点。第百五十位/百五十名中』
三人そろって、同率最下位だった。
しかも、神学院受験の歴史上、数えるほどしか出ていない、百点満点を取りながら。
(新米教師になったばかりの愛弟子に与えるにしちゃあ、少し酷な試練すぎませんか、斑鳩先生……)
目を閉じて、心中で独りごちる。
無論、答える声はなかった。