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無級教室

 人というのは、突っ込みどころが多すぎると、むしろ言葉を失ってしまうらしかった。

 おもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎから一転、教室はあっけにとられたような静けさで満たされている。

 ある者は、入ってきた生徒の風貌の美しさに息を呑み。

 またある者は、扉が開くとほぼ同時に飛んできたであろう氷のつぶてを受け止めた、その反射神経に驚嘆し。

 はたまたある者は、本来人に向けるのはご法度であるはずの術式が、自分めがけて飛んできたと言うのに、気にするのは季節のことなのかとあきれ果て。

 ごく数人は、この侮れない来訪者の実力に興味を抱き、きらりと目を光らせて。


 そんな風に、教室中の視線を一身に集めているというのに、当の本人はそんなことにはまるで気付いても居ない様子で、やや気遣わしげに鞄を見つめている。

「しかし、見事に凍ったものだな。困ったぞ。事前に配布された資料も、筆記用具も、この中だしな。学級活動の時間までに溶けるといいんだが……。いや、だめだな。溶けては水浸しになってしまうか」

 あくまでもマイペースに一人ごちる女生徒に、とうとう耐え切れなくなったように檜山が爆笑した。

「ぶはっ!!ひゃっはは!なん……なんなのあんた。普通、びびったり、誰がこんなことしたんだー!とかって怒ったりすんじゃねーの?それをおめー、自分より筆記用具の心配って……ぶっ!くく……あ、だめだ笑いすぎて腹いてぇー!」

 宣言どおり、お腹をかかえて、椅子から転げ落ちんばかりに身をよじらせる。

 その言葉に、我に返ったように慌てて、ミランが女生徒へと駆け寄った。

「そうデスよ。あなた、大丈夫デスか?どこも、ケガはしていまセンか?――露草さん、あなタも、少し気をつけなけレば……」

 女生徒が無事であることを確認した後、やや眉をひそめて向き直ってきたミランに、さすがに露草もやや気まずそうにそっぽを向いた。

「……的を外した。謝罪する」 

「ちょいまち。的っておれのことかよ」

「他にいない」

「せめて人として扱ってくれよー!」

 椅子の背もたれに頭を乗せ、後ろにのけぞるようにして逆さまに露草を見ながら、檜山はぶーぶーと抗議する。

(こ、この人たちは……)

 佐藤は頭痛がしてきた。だめだ。

 放っておいたらいつまでたってもこの人たちのペースだ。

 状況がまったく進展しない。

 だから佐藤は、勇気を振り絞って来訪者に向かい、まず聞くべきだった質問を口にした。


「あ、の。はじめまして、僕は佐藤(ふし)です。あ……あなたは誰ですか?」


 緋・金・青色の問題児(?)三人は、そういえば名前も聞いていなかった、と今気付いたようなきょとんとした表情で。

 その他大勢の無級生徒たちは、よくぞ聞いてくれた!とばかりに大きく頷いて。

 そして来訪者は――


「ああ。自己紹介が遅れてすまない。私は久遠時(あかり)という。皆とは、これから一年間同じ組だな。どうか、よろしく頼む」


――と、さらりと告げた。


 数瞬の間の後、(どう)、と。教室は上を下への大騒ぎとなった。


***


 突如下の階から聞こえてきた、喧々囂々(けんけんごうごう)のざわめき声に、

「な、なあに?騒々しい組ね」

特級の女生徒たちは、はしたない、とばかりに呆れたように非難した。

 慎ましく座席に腰を下ろし、担任の来訪を待っていた紫は、その騒ぎはおそらく幼馴染が巻き起こしたものであろうと察し、明と同級になった生徒たちの驚愕と動揺を(おもんぱか)って、くすりと小さく笑みをこぼした。


***


「く、く、久遠時家の――ご令嬢!?」

 佐藤は思わず頓狂な声を上げた。

 いや、佐藤のみならず、声を上げたのは他の同級生も同じであったかもしれない。

 何故と言って、来訪者が名乗った名前は、あまりにも特別なものだったからだ。


 倭国において、神学を志す者であれば、たとえ小学の児童であったとしても知らぬ者などない、特別な名前がある。

 『恒河沙(ごうがしゃ)』、『阿僧祇(あそうぎ)』、『那由他(なゆた)』、『不可思議(ふかしぎ)』。

 連綿と連なる系譜の長大さと、神通力の豊かさ。そしてこれまでその血筋から排出してきた巫の質と量から、他の追随を許さぬ名門として名高い、四つの家系。

 そしてその『四家』をすら束ね、紛うことなき倭国の頂点に立つ名家。

 それが久遠時。

 ()()()()を、神と共に生きる家。

 その久遠時家が――久方ぶりに神学院に入学する。

 その噂は、入学前から内定者の間を駆け巡っていた。ある者は戦々恐々と。ある者は、共に張り合うことのできる武者震いに震えながら。

 

 その久遠時家ご令嬢が、今、目の前に居る。


「いや。ご令嬢などと言う大仰な名称はふさわしくない。私は(ゆかり)と違って久遠時の実子ではないからな。元はと言えば、()()()()()だ」

 その言葉に、何人かは驚き、さざめく。

「――現久遠時本家当主、久遠時鳩羽の長女が、紫」

 ただ一人、石を撫でるそよ風ほどにも、感情の揺らぎを感じさせない平坦な声が、その場を凪いだ。

 発言をした露草に、みなの視線が集まる。

「久遠時紫は、本年度入学三試を、受験生総数五百七十一名中、第二位の成績で合格。特級に在籍している」

 露草は辞書を引くように、淡々と事実をそらんじる。

「一方、久遠時鳩羽は十五年前に、一人の女児を養子として迎えている。血筋を重んじる神学関係者において、養子縁組は前代未聞。『四家』は反発したが、鳩羽当主以下、久遠時一族の総員一致による賛成を得て、それは成立した。その女児の名前は開示されていない」

 そこで一度言葉を切り、露草は()、と明を見つめた。

「それが、あなたか」

 さくりと切るような端的な質問に、周りで見ていた佐藤の方が肝の冷える思いがした。一瞬、空気が張り詰める。だが。

「そうだな、それが私だ。捨て子だった私を、鳩羽さんが育ててくださった」

 あっさりと、ご令嬢――いや、明というのだったか――は、是と答えた。

 そのことについては、何一つはばかることはないといった、聞いていたこちらの気が抜けるほどの、泰然とした有様だった。

 そして明は、教室を見回して、はきはきと言う。

「だから、私の久遠時姓は形だけのものだ。なので、皆もそう遠巻きにしないでくれると嬉しい。改めて、これからどうぞよろしくお願いする」

 会釈をするように、軽く頭を下げる。


 冗談ではない。

 いくら形だけとは言っても、その形が問題なのだ。

 本人に自覚はないようだが、久遠時の姓を与えられたということは、強大な久遠時家が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のと同義である。

 血のつながりがなかろうと関係ない。むしろ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、というその事実こそが、充分に久遠時明を特別視するにたる理由となるのである。

 現に同級生たちは、いまだ凍り付いている。

 そう――、幾人かを除けば。


「戻って」

 明の鞄に手をかざし、露草がそうつぶやくと、凍りついた鞄はみるみる溶け出し――というよりは、逆再生をするように氷が小さくなり、ついには元通りの、なんの変哲もない(やや高級感の漂う)鞄へと復元された。

 露草の術式により凝縮されていた水が、()()()()湿()()()()()()()()()()()()()()()()のだろう。

「おや、きみは術式を使えるのか、すごいな。おかげで助かった。礼を言う」

 どうしたものかと憂慮していた、鞄の凍結が解決されて喜ぶ明に、露草は目をそらした。

「……礼には及ばない」

 露草(おまえ)が凍らせたんだから当然だ、と同級生たちは突っ込んだ。心の中で。


 明は座席表を確認すると、これまでの騒動などまるでなかったかのように、泰然として自分の席へ向かった。そこへ。

「あんた、なんか武芸でもやってんの?」

「ん?まあ、護身術程度には、経験はあるが。――きみは?」

 座った明の前の席に、どっかりと腰を下ろして(逆向きに椅子に座り、背もたれを抱え込むようにして上にあごを乗せている)、檜山は馴れ馴れしく話しかけた。実に不敬な姿勢である。

「ああ、わり。(しょう)って呼んで。檜山、猩。おれの名前」

「そうか。ならば、私も明でいい」

「んじゃ明な。いや、さっきの氷、よっく受けられたもんだと思ってさ。あれ、飛んできたの、扉開いてほとんど直後だっただろ?遊びのとばっちりで怪我させるかと思って、こっちはひやひやしたんだぜー」

 心配の()の字も見せていないような顔で、ぬけぬけと言う。

「あれくらいなら、たいした危険はないだろう。鳩羽さんが訓練で繰り出す攻撃に比べたら、何ほどのものでもない」

「……あんたんち、それ、護身術の定義間違ってね?」

 そんな風に、和やかに会話は進む。

 久遠時の名も、この男には何の感慨も与えていないらしい。

 見ていた佐藤は、檜山の態度にも、それを気にする様子もなく受け入れている明にも、衝撃を受けた。平々凡々な一般市民である佐藤の価値観においては、どちらの態度も信じられないことである。

 だが、その様子を見てようやく、教室の皆の緊張感もほぐれはじめた。

 傲岸不遜も、たまには役に立つものだ。


 そしてもう一人、明の自己紹介にさほど動揺を見せていなかった者が、会話に入る。

「お話中、失礼しマス。久遠時サン」

「明だ」

「でハ、明サン。はじめマシて。私は、ミラン・承和(そが)・ドゥ・ヨングと申しマス。高名ナ久遠時の方ト、お会イできテ光栄デス」

 ミランは儀礼作法のお手本のような礼をとると、明に右手を差し出した。

 明は握手に応じると、ミランと目を合わせて言う。

「高名なのは私ではないがな。あなたの礼には、感謝する。こちらこそ、(まろうど)の方と会うことができて光栄だ。ぜひ色々とお話をうかがいたい」

 その応対に、ミランは目をみはった。

 明の態度からは、ミランの外見に動じる様子や、稀人への畏怖・あるいは差別意識を、努めて出すまいと平静を装うような様子は――ミランはこれまで出会った倭国人の中で、そういった素振りを見せない者はほぼ皆無といってよかったが――、一切感じられなかった。

 単に、一人の新たな同級生と知り合い、挨拶を交わした。ただそれだけの、ごく自然な態度だった。

 ミランはこぼれるように笑った。そんな風に、自分を()()()()()としてではなく、一人の人間として接してくれる。そのような人に出会えたことが、心から嬉しかったのだ。

 それは、今まで遠巻きに見ていた同級生(主に女子生徒)ですら思わず見蕩れるほどの、実に魅力的な笑顔だった。

「あなタと同じ組になれたコトを嬉しく思いマス。私も、あなタのコトを知りタイ。これから、どうぞヨロしくお願いしマス」

 握手をする手に、優しく力が込められた。

「ああ。よろしくお願いする」

 ミランのその笑顔にもやはり動じることなく、明は丁重な礼を返すのだった。

 

 そんな風にようやく『無級』の空気も落ち着き、皆それぞれの席に座り始めた頃――。

「――!」

「――!!」

 なにやら性急かつドタバタと入り乱れた足音、そして声をひそめて怒鳴りあう(?)ような、奇妙な騒ぎが廊下から聞こえてきた。

 なにやらそれは、どんどん無級の教室に近づいてきて、そして遂には勢い良く扉を開け、部屋の中へと飛び込んで――正確には押し込まれて――きたのだった。

「――とにかく、この期に及んでお見苦しいですわよ!もう覚悟を決めてくださいませ!!」

「だからそもそも俺は最初から、一言も、承諾なんてしてないんですってば――うわっ!!」

 最後の悲鳴は、押し込まれた青年――かなり若い――が上げたものである。

 つんのめり、危うく倒れかけたところを、数歩たたらを踏んでなんとか踏み止まり、だんっ!と教卓に手をついて停止した。

 青年を後ろから押し込んだ人物はといえば何と――。

斑鳩(いかるが)校長代理!?」

 無級生徒(ほぼ)全員での叫びである。

 ――先ほど入学式の壇上で見たばかりの、斑鳩代理その人だった。

 校長代理が、なぜ無級の教室なんかに――?

「というわけで、後はよろしくお願いいたしますね。――あら、皆様ごきげんよう。ほほ。お見苦しいところをお見せして……失礼いたしましたわ。それでは、私はこれで」

「――ってちょっと本気なんですか校長代理!この状態で放り出す気――」

 バタン。

「…………」

 最後はあからさまに取り繕うような笑顔を生徒に向け、斑鳩校長代理はそそくさと――引きとめようとする青年を閉め出して(この場合は閉め()()()()だろうか)――無常に扉を閉じて去っていった。

 後に残るは、校長代理を引きとめようと片手を伸ばしたままの姿勢で固まる青年のみである。

「……」

「……」

 沈黙が落ちる。

 冷や汗を流す青年。その青年に集中する教室中の視線。

 誰も何も言わない。

 

 ――数瞬の後、諦めたように青年は長いため息を吐いた。

「あー……」

 そして、教壇に立つと、姿勢を改め、覚悟を決めたように正面から生徒たちを見つめた。

 そうしてみると、改めて青年が若いことがうかがえる。十九か二十か、成人しているかどうか微妙なほどの風貌である。

 生徒たちと、それほど年齢が離れては居ない。まだまだ学生をしている年頃だろう。

 さすがに高等部の生徒ではなさそうだが、父兄にしては若すぎる。

 誰もがこの青年は何者だろうと疑問に思っていると――

「最初に言っておくぞ。文句は斑鳩代理に言ってくれ」

――そんな風に、その青年は口火を切った。


「俺の名前は神楽(かぐら)八雲(やくも)。――この一年無級、お前らの、担任だ」

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