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入学式後

「――校長代理は、普通は教頭と言うのではないか?」

 それなりにざわつきはしたものの、滞りなく入学式自体は終了し、講堂から生徒達がぞろぞろと出てくる。この後は学級活動の時間となるため、めいめい自分が組分けされた教室へと向かっていた。

 その中に混じり、人波に乗って歩きながら、明が言う。


「入学式に校長がいないなど、聞いたことがないな」

 皮肉げな様子はなく、単純に思ったことを口に出している、といった語調である。

「教頭は別にいらっしゃるそうですわ。昔父様に聞いたのですが、なんでもこの学園の校長は()()()()()()姿()()()()()()()()()()のだとか……。つまり、斑鳩(いかるが)代理が、実質的な校長の職務をこなされているわけですわね」

「それでは校長は給料泥棒だな」

「……」


 ぴし、っと固まった紫は、明の腕をつかみ、速やかに通路の端へと引きずっていった。驚くべき速さで人々の歩みを邪魔しないところまで移動した後、できる限り声をひそめて叱りつけた。

「よいですか、明!」

「な、なんだ。急に。」

 据わった目をして鋭く指を突きつける紫に、明は気圧されたようにややのけぞった。


「……あなたには、他意はないのですよね。ええ、分かります。私には良く分かっています――けれど。先ほどのような発言は、人が大勢居る場所では控えてくださいませ!どこをどう悪く受け取られるとも限りません。間違えば、校長への侮辱ともとられかねない。よいですか、ここは()()()なのですよ。地元で久遠時の名のもと、自由奔放にのほほんと暮らしていられた今までとは違うのです」

「なにやらさり気なく皮肉を言われた気がするが……」


「――今までとは違うのです。ここでは久遠時の名などそう役には立ちません。生徒は、全国各地から集った優秀な方々ばかりです。たとえその名を知ってはいても、それに遠慮などしてくれないでしょう。むしろ、注目を集める分厄介かもしれません」

 明の一言を聞かなかったことにして――つまり無視して――、紫は懇々と言い(さと)す。


 明はおとなしくそれを聞いてはいたが、一つだけ聞き逃せないとばかりに言った。

「私は久遠時の名を役立てようなどと思ったことはないぞ」

「……ええ、そうですね。それについては、失言でした。謝ります。――ですが、言いたいことはお分かりですか。これから私たちは、学園と寮という限定された空間で、多くの人と接することになります。あなたを良く知らない人は、あなたの発言の一部だけを切り取って、悪意に変換してしまうかもしれない。正直さは美徳ですが、それを常に発揮するのが良しとは限りません」


「校長が本来の職務を行っていないのは事実だろう?」

「はい。ですが、そうであっても、発言するなら時と場所を選んでください。私一人なら、いつでもお聞きします」

 幾分声音を落とし、心配するように語りかける紫。

 その瞳は真実、明の先行きに難がないよう、案じていた。


 それを見て、少しの沈黙の後、明は頷く。

「分かった。たとえ事実であっても、誤解を招くような発言は控えろということだな。――確かに、不必要な軋轢(あつれき)は控えるべきだ」

 ほっとしたように、紫は顔をほころばせた。

「……分かっていただけて、安心しました」

 それまでの空気を一掃し、気を取り直したように、紫は歩みを戻した。


 一年生の教室があるのは、西館である。二人は並んで屋外通路を歩き、西館へ向かう。

 もうすっかりいつもの様子で、明は紫に問いかけた。

「そういえば、斑鳩代理は最初に、耳慣れないことを言っていたな。『神前に』……だったか。あれはなんだ?」

「ああ。あれは、神学院独自の挨拶だそうですよ。何でも、常に神の御前にいるように心持で言動を正すこと――といったような意味だそうですが……。まあ普段、そこまで深い意味を込めて使うことはあまりないようですけれど。形式的なものですわ。『おはようございます』の代わりのような」

「ずいぶんざっくばらんにまとめられたものだ」

 紫の身もふたもない解説に明が苦笑した頃、二人は西館の入り口へと到着した。


 お互いに向き合う。

「ひとまずは、ここでお別れか」

「そうですね。明とは、教室のある階が違いましたから」

「たしか、紫は特級だったな。上位に入るとは思っていたが、実際大したものだ。おめでとう」

「いえ、試験には運の要素もありますし……。でも、ほめていただけて嬉しいですわ。ありがとうございます」

 照れくさそうに微笑む紫に、明は肩をすくめてぼやいた。

「それに比べて私はふがいないな。なんとか合格するのがやっとだった」

「合格は合格です。入学できたことに変わりはありませんわ。……ですけど、まさか三試改定に伴って、新入生については、()()()()()()()()()とは思いませんでしたね」

 口元に手をあて、考え込むようにつぶやく紫。


 高等部は、各学年、四つの組に分かれている。もっとも成績が優秀な集団が特級、それに一級、二級と続き、最も下位が三級となる。

 ――去年までは、そうだった。

「言うにしても『無級』、とはな。数字を与えるにも値しない……という意味だと、多くの者はとらえているようだな」

 本年度から、三級のさらに下に一つの組が新設された。新入生において、三試での獲得点数が()()()だった者たちを集めた組――その名も()()。その所属者一覧の中に、久遠時明の名前があった。


***


 佐藤(ふし)は不安と混乱の極致にいた。

 佐藤は、無級に組分けされた新入生の一人である。

 平凡な家庭に生まれ、平凡な環境で育ち、平凡な人間と成った自分が唯一抱いた夢が、憧れの名門、神学院に通うこと。

 その念願だった神学院高等部合格者に、たとえ所属は最底辺の無級であったとはいえ、どうにかこうにか滑り込むことができた。合格通知をもらった時は天にも昇る気持ちだった。

 だが、入学式を終え、こうして入ってきた教室はといえば――。


 「あっ!ほらまた一人入って来たって!ちわー、あんた名前は?って、おい露草(つゆくさ)っちー。お前も字ばっか追ってないで新顔さんの面でもみてやれって。まー新顔さんはいかにも生徒その(いち)っつー没個性な奴で、見ても覚えられんかもだけどな!ぎゃはは!」

「………………」


 まず飛び込んできたのは、機関銃のような言葉と、燃え盛るような紅だった。

 佐藤の顔を見るなり、挨拶をしたその口で、情け容赦ない酷評までくれた男子生徒は、見事な緋色の髪を持っていた。無造作に長く流したそれは、鮮やかで激しく、どこか俊敏な肉食獣のたてがみを思わせる。

 緋色の男子は、隣席の女生徒の短く青い髪をぐいぐいと引っ張りながら、一人で哄笑している。


 ひっぱられた当の少女――露草と呼ばれた――は、気付いても居ないとばかりに完全に無視して、眼前に解読不能な文字列をびっしりと空中展開している。

 それは論文……?か、何かだろうか。専門用語が頻出しているようで、佐藤には何が書いてあるのかさっぱり理解できない。


 それにしても、彼女が今まさに実行している『投影』は、さほど難解というわけではないが、立派な術式だ。入学時点にして術式を行使できるとは、なまなかなものではない。

(なんでこんな優秀そうな子が、この()()に……?)

 佐藤があっけにとられながら見ていた――呆然として反応もできなかったというのが正しいが――その時。

「えエと、檜山(ヒヤマ)サン……でしょうカ。女性に、ソンナ乱暴は、だめデスよ。女性(フラウ)は大切にするもの、デス」


「んあー?…………。そういうあんたは、どこのどいつ?」

 一人の男子生徒が割って入り、緋色の男子――檜山というようだ――を丁重に(いさ)めた。

 多くの同級生が、騒ぎに対しどうしたものかと遠巻きに見ている中、控えめにではあるが、優雅に、ためらうことなく注意したその生徒は、輝くような濃い金髪と神秘的な灰青(はいあお)の瞳を持っていた。


 それを見て、立て続けの衝撃にいよいよ耐え切れず、佐藤は小さく悲鳴を上げた。

「まっ、――稀人(まれびと)!?」

 途端、ざわっと、少しく教室がさざめいた。

 とっさに、はっ、と佐藤は口に手を当てる。しまった。なんて、ことを。

 皆の動揺を、自分の発言があからさまな形にしてしまった。

(稀人なんて……使うべき単語じゃないのに)


 教室中の視線が集まる中、金髪の生徒は穏やかに佐藤を振り向くと、少しだけ寂しげにした後、それをかき消して、紳士的に微笑んだ。

「ハイ。こちらの国でハ、私はそう呼ばれるようデスね。ですが、私は同級生(マートゥ)には、どうか『ミラン』と呼んでほしい。――『ミラン・承和(そが)・ドゥ・ヨング』。それガ倭国での、私の名前デス」

 あくまで丁寧に、片手を折って一礼する。とても十五歳とは思えない、大人びた仕草が、彼にはとても似合っていた。


 その姿に、佐藤は自分の失言を恥じて真っ赤になり、

「す、すみません!」

と、腰を百八十度に折らんばかりに、勢い良く頭を下げた。

 『稀人(まれびと)』とは、倭国外の人に対する蔑称、差別用語である。いかに驚いたとはいえ、当の本人――しかも、これから同じ組で共に学ぶ学友――の前で口にするなど、常識のある人間のすることではなかった。

(初っ端から何やってるんだ僕は……。ああもうやっぱり僕なんて――)

 恥ずかしさのあまり、顔をあげられずにいると。


「ふうん。俺ってば『(まろうど)』に会うの初めてだわー。瞳、すっげーね!金属みたい。かっけー!」

 弾んだ声が、ふ、とその場の空気を和ませた。

 驚いて顔を上げると、緋色の髪の檜山は、興味を少女からミランに移したらしく、物怖じすることなく近づき、その瞳を覗き込んでいる。


 これまでの言動からは、粗雑なだけの男と見えがちだった檜山だが、ミランに対して、稀人の公的な呼び方である『(まろうど)』という呼称をごく自然に使い、異人種であってもなんら変わりなく接する。

 決して無作法なだけの人間ではないようだと、第一印象を改めた。

 むしろ自分よりよっぽど立派だ、と、佐藤はいたたまれず、なお小さく体をすくませた。


 ミランは少し驚いたように目をみはった後、破願した。

「ありガトウ、ございマス。こちらに来てカラ、ソンナ風に外見をほめられタのは、初めテかもしれまセン。とても嬉しい」

 そう言って、ミランは檜山に右手を差し出す。

 それを見て、檜山は困ったような表情で頭をかいた。

「あ、それ、そっか。あんたらって、挨拶で手握るんだっけ。(わり)い、俺……」

 これまでになく口ごもる檜山に、ミランはああ、と頷き、手を下げた。

「失礼しまシタ。倭国には、初めテ会ウ方との握手の習慣は、あまりナイのでしたネ」

「やー違うんだよ。俺ってちょっと厄介な奴でさー。あんたのためにも、触るのは、ちょっとかんべんな。――てか、俺のことはいーの!それよりあんた、どこから来たわけ?正直稀人なんて御伽噺(おとぎばなし)の中の人間かと思ってたぜ。だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


(うろ)


 抑揚のないその一言に、教室はしんと静まり返った。

 今まで彫像のようにぴくりともしなかった露草が、ミランを見ている。

「倭国を覆う球状結界――『(あま)(くさり)』は強固。でも完璧じゃない。揺らぎ、稀に穴が生じる。それが虚」


 清冽な湧水のような声が、その唇から発された。ひどく端的な文脈で話す。

「虚を落ち、飛来する異界人。それが(まろうど)。これまでの報告例は、十指に満たない。勿論――」

 露草はじっとミランを見据えた。

「――神学院への入学例は皆無。私も見るのは初めて。興味深い」

 露草の言葉が難解だったのか、困ったように首をかしげるミラン。

(そう、そうだよ。客なんて、そう簡単に居るものじゃないんだ。それが、よりにもよって倭国人でも合格が難しい、神学院に入学してきたっていうのか!?)

 再び教室は緊張感に包まれた。が――。


「ずっりー!露草っち、おれらには無反応だったくせに、ミランとは喋って!んだよ、こっちもかまってくれよー。な、没個性君も寂しいよなー」

 再び、それを緩ませた檜山の発言に、佐藤はがっくりと椅子に座り込んだ。

 没個性君ってなんだ。まさか自分のことか。

「ぼくの名前は佐藤(ふし)です!……って、え――?」

 がばっ!と顔を上げて、思わず自己紹介をした時――。

 佐藤は自分の目を疑った。


「あっそ。んじゃ、あんたはこれから()()()()ね。決定!しゃーねーなー。露草っちが反応してくれないから、いたずらしちまおー」

 そう言って、檜山が片手を振った途端、露草の目前で投影されていた文字列が、ぐじゃっと崩れた。

 まるで見えない手にかき混ぜられたかのように、文字の一つ一つがばらばらに、ごちゃ混ぜに、空中にまき散らされる。


「――!!」

 声のない悲鳴を上げたのは、自分か、周りの同級生か。

 露草でさえ目を見開いて驚きを示している。

 冗談ではない。投影というのは、画像を映す術式だ。いわば写真を空中に浮かべているような物である。

 写真自体をゆがめることはそう難しいことではないが、それに写っているものに手を加えるとなれば話は別だ。絵に描いた餅を取り出すようなものだ。

 檜山は他人(つゆくさ)の術式に干渉し、その構成要素にまでさかのぼって、いともたやすく分解して見せたことになる。

 それは、檜山が露草をはるかに上回る異能を有することを示していた。


 ――数秒のち、露草が怒気をあらわにする。

「……よくも、私の書物を」

 左の手のひらを上に向けると、その上に、氷のつぶてがパキパキと生成されていく(それなりに大きい)。

「え、やべ、露草っち、怒った?ほんのお遊びじゃーん。他のやつに当たったら危ねって。な?やめー」

「問題ない。外さない」

「おれに当たっても危ねーよ、その大きさ!」

 と言いつつ楽しげに余裕で逃げ回る檜山に、慌てて露草を止めようと試みるミラン。


 それを見ていたから。だから――。

(ちょ、なに、なんなのこの人たち。みんな同じ新入生だよね?しかもここ、最底辺の生徒が集まる無級だよね!?なんでこんな規格外の人たちがごろごろいるの?僕、これからこの組で無事にやっていけるの!?)


 だから、佐藤は、不安と混乱の極致にいた。


 その時。

「凍れ」

「あ!ばか。マジで投げんなって――」

 がらっ。

「……っ!危ナイ!よけテ!!」

 ――バキィッ!!パキ、ピシ。


「……」


 教室中の生徒たちの視線が、突然開いた扉に集まった。

 正確には、それを開けた人物に。


「……ふむ。なかなか珍妙な歓迎だな。まだ涼むには早い季節だが」

 

 突然飛んできた氷のつぶてを、難なく鞄で受け止めたうえ、凍りついた鞄を見つめながら冷静な顔でそんなことを言い放ったのは。

 一見中性的な美少年に見える、琥珀色の髪の、美貌の少女(スカートをはいていた)だった。

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