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入学式

「――かり。紫?」

 軽く肩を揺すられ、紫ははっと我に返った。

「どうしたんだ?急にぼうっとして」

 気付けば、不思議そうに明が覗き込んでいる。

 どうやら物思いにふけるあまり、いつの間にか足を止めていたらしい。


 慌てて笑顔を浮かべる。

「申し訳ありません。一年前のことを思い出していて……」

 止めていた足を動かし、明と並んで歩く。

「一年前?」

「はい。父様が、三試の制度改定についてお話をした時の」

「ああ」

 明は得心したように破願した。


「あの時は危なかったな。急に受験しろと言われた時は、あやうく話も聞かずに卓を叩き壊すところだった」

「明がいうと冗談に聞こえませんわ……」

「冗談のつもりはないぞ?」

「なお悪いです」


 想いを馳せるように、明は空を見上げる。

「鳩羽さんか。これから三年間は離れて暮らすかと思うと、なにやら感慨深いな。あの広い家に一人で、寂しくはないだろうか」

 神学院高等部は、全寮制である。当然明たちも高等部の寮に在籍する形となり、一週間前に生来住み慣れた久遠時家を出て、学生寮に引っ越して来たところだった。

「大丈夫ですわ。父様のことですから、きっと近所の狐狸妖怪(こりようかい)でもからかって遊んでいるでしょう」

「紫の中での鳩羽さんは、どんなイメージなんだ……」


 と、そこで。歩きながら、明はくるりとあたりを見回した。

「しかし……」

 やや呆れたように肩をすくめる。

「聞いてはいたものの、本当に広いな。この学園は。講堂に辿り着くまでいつまでかかるのか」

 紫も同意とばかり頷く。もっとも、こちらは感嘆の念の方が強いようだった。

「ええ……本当に。学校というよりは、複合施設のような規模ですね。その上、様式がすばらしい」


 敷地内に入って歩くこと数分、二人はまだ入学式会場に辿り着けずにいた。

 正門をくぐって正面――かなり距離がある――に見える本館。その東に、入学式会場となる講堂はあるらしい。


 近づいてきた本館は、神学院の名に恥じぬ豪壮な建物だった。外壁は赤煉瓦を基調に、ゴシック様式に組まれたその要所要所に、白の石材で縁取りと優美な装飾が施されている。屋根は深みのある紺色で、ともすれば派手になりがちな赤壁と組み合わさることで、全体に落ち着きを与えていた。


 本館は他の建物より一段高いところに建てられており、その下側、緑の生垣に両脇を挟まれた石階段を下ったところに、別館がある。講堂の南――つまり本館の南東に建っているのが東館、そして南西にあるのが西館だ。基本となるデザインは本館と同じだが、東館、西館となるにつれて、外壁の赤が減り、白石の部分が増えていた。本館が最も重厚で、西館は白地が多い分、幾分簡素で軽やかな印象である。


 東館と西館に挟まれる部分には、よく整備された屋外体技場。その手前には、柔らかな芝生が続き、その中央に、正門から続く石畳が敷かれている。周囲には庭木や池、草花が美しく配置され、さながら庭園といった趣だ。

 学園案内によれば、他にも屋内体技場、美術・音楽棟、礼拝堂、自然機構学棟や屋内水泳場など、充実した設備が数多くあるようだ。


「さすがは、といったところか……。これからの授業が楽しみだな。色々な経験ができそうだ。――と、ようやく講堂が見えてきたな」

「こちらも、集会のためだけではなさそうな大きさですね。劇場でも兼ねていそうな雰囲気です」

 ちょうど本館の前に通りかかり、どうやら式には余裕をもって到着できそうだと安堵した。

 その時。


「――もうすぐ入学式かしら。見慣れない子達がどんどん講堂に――」

「あそこにいる二人も新入生ではなくて?なんてこと、一人はほとんど異能が感じられな――」

 本館から、ぼそぼそとひそめた声が聞こえた。

 異能という単語に、明も紫もぴくりと反応したが、どうやら自分たちのことを噂されているらしいと察し、振り返らずそ知らぬ顔で歩き続ける。


 こちらの態度に気付いているのかいないのか、ひそひそ話はさらに続く。

「今年の入学生からが、改定三試の受験者なんでしょう?やっぱり、良くないわよ。あんな無能の子、今までの神学院だったら、入学なんてありえないわ」

「とても神通力なんてありそうにないものね……。学園のレベルが落ちなければいいんだけれど」


 二人。おそらく上級生だろう。

 周囲に人は少なく、視線は明を追っており、彼女に向けられた台詞であることは明白だった。

 幼馴染への侮蔑を聞き、紫から不穏な気配がふくれあがる。

 噂話は、三試改定がいかに改悪か、改定以前の上級生はいかに優秀か、異能がいかに大切かということを延々と愚痴り続け、本館を通り過ぎてそれが聞こえなくなる頃には、紫の怒りはほとんど殺気の域に達していた。


 が――。

「ふむ。まあ気持ちは分かるがな。だが、私一人を見て新入生全てを判断してしまうのは、ずいぶん標本数が足りないと思うぞ」

 噂された当の本人である明は、いかにもあっけらかんと言い放ち、紫は気が抜けたようにがっくりと肩を落とした。

「それに、ああいった話は心に留めておくのがいいな。声をひそめてはいたが、どこで人に聞かれないとも限らない。現に私たちは聞いてしまったしな」

「……あれはあえて、私たちに聞かせようと思って、話していたのだと思いますよ」

 無邪気な明の発言に疲れたのか、こめかみに指先をあてて頭痛をこらえるように紫が言うと、明は意外そうに目を丸くした。

「何故だ?私はともかく、もし聞いたのが他の新入生なら、気分を害していたかもしれないぞ?それに発言者の品性も、いささか損ねてしまうと思う」


 それが陰口というものである。

 もはや言葉もない。

 紫は説明を諦めた。

 いずれにせよ、今年の新入生は注目を集めずにはいられない。ならば、明が他人の悪意に無頓着なのは、いいことなのだ。わざわざそれを訂正する必要もない――そんな風に、無理やり自分を納得させた。


「私に力がないのは本当だからな。何を言われようと、神学院に通えるだけで私は充分嬉しい。私が正しく努力して、自分を磨けばいいことだ」

 そう言って、明はそっと紫の肩に触れる。

「――だから、そんなに怒るな」


 紫は驚いた。明を振り仰ぐ。

 明は、安心させるように目を細めて微笑んでいる。

 紫は苦笑した。

(私が動揺したことなんて、お見通しでしたのね……)

 明は本当に、強い。いつだって(わたし)を温かくしてくれる。

 先ほどまで、噂した上級生をいかにして懲らしめようかと、なかなか物騒な手段を考えていた紫だが、明に免じて見逃して差し上げよう。そう思った。

 「分かりました、怒るのはやめます」

 晴れやかに笑い、紫は頷く。

 それでいい、とばかりに明は頷いた。

「それより、早く講堂に行こう。――学園生活のはじまりだ」

「はい」

 いつものしとやかさを取り戻し、紫は軽やかに明の後を追った。

 

***


「――皆様、『神前(しんぜん)に』」

 凛とした声が、講堂を透明に通る。

「倭暦二六七五年。本年度の、新入生の皆様。まずは本学園へのご入学、おめでとうございます。――そして、神学院へ、ようこそいらっしゃいました」

 壇上――やはりちょっとした舞台程度の広さはある――に堂々と、年配の婦人が立っている。


「筆記試験、面談試験、実技試験……。三試への挑戦は、さぞや困難だったことでしょう。得点に関係なく、ここにいらっしゃるあなた方はそれに打ち勝つだけの実力を有し、またその実力を正しく発揮することができた。それは誇るべきであり、秀でた皆様を、新たな仲間としてこの学園に迎えられたことを、とても嬉しく思います」


 白いものは多くなっているが、いまだ滑らかな髪が、波打って肩口まで落ちている。顔には年相応の皺が刻まれてはいるが、品のある美しさは充分に感じられた。若い頃はさぞかし絢爛な美貌を誇っていただろうと伺える。

 襟の詰まった、袖のある長衣に、大振りの胸飾り。藍色の生地は裾になるにしたがって濃い紺色となる。上品かつ威厳を感じさせる、堂々たる佇まいだった。


「神学院高等部は、神学院最高学府に連なる、誇り高き学び舎――。本校は、あなた方に、最高峰の神学知識、そして経験を提供することを約束いたします。それを呑み込み、吸収し糧として、各々自らで、世界を探求する力を構築し、神学(みち)を先へとつないでくださることを、新入生各位に望みます。――無論、学園生活を楽しむこともお忘れなく」

 最後の一言はにっこりと笑いながら言う。とたんに雰囲気がやわらかくなる。(いかめ)しいだけではなく、しゃれっ気も持ち合わせた人だ。


 なんら変哲のない入学式――むしろ、おごそかで希望に満ちた、すばらしい式であったと言えよう。

 最後の一言がなければ。


「以上をもって、ご入学への祝福の挨拶といたします。神学院高等部、校長()()斑鳩(いかるが)(とき)

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