よろず部誕生
一瞬、何を聞いたのか理解できなかった。
いや、一瞬ではない、今ですら、明には聞いた言葉が理解できない。
――今、この女性は何と言った?
「どうしたの。別に跪いてほしいわけではないけど、私と会って、無言で突っ立っている子も珍しいわね」
「すまない……もう一度、言っていただけないだろうか。今、なんと?」
「別に、いいけれど……。だから、私は木花咲耶姫――」
「それは、神様の名前ではなかっただろうか?」
「はあ!? 何を馬鹿なこと言ってるのよ。見て分からないの?」
「見えているから分からないのだ!」
叫ぶ明を、あっけに取られたようにみる木花咲耶姫――と名乗る人物。
「私には神は見えない。今まで、一度も。声を聞いたことすらない! こんなにもはっきりと、私の目に映る貴方が、神であるはずが――」
ない、までは言えなかった。
しなり伸びてきた桜の枝に派手に吹っ飛ばされ、明は地面に落ちた。
「久遠時!」
「久遠時サン!」
檜山らが駆け寄る。
「私への暴言については、それで帳消しにしてあげるわ。何。どういうこと。――貴方、神学院の生徒なんでしょう? 異能ぐらい持ってて当然なんじゃないの」
「三試が改定された。神術の異能の有無は、現在は合否に直結しない」
改定内容を、簡潔に露草が言う。
「合計得点、ね……。そう、そこまで落ちていたの……。あら、ごめんなさい。別に貴方たちを侮辱したわけじゃないのよ。ただの独り言。気にしないで。――それに、その改定のおかげで、ずいぶん面白い子たちも入学しているみたいだし」
そう言って、檜山や露草、ミランに、明――無級組をぐるりと見回す。
枝に打たれた明は、ゆっくりと身を起こした。
大した怪我はない。
仮にあったとしても、今はそんなことはどうでもよかった。
「木花、咲耶姫……?」
「なあに」
「本当に……?」
「まだ殴られたりない?」
「いや……もう充分だ。痛かった。――夢では、ないのだな」
明はふらりと立ち上がると、女性――木花咲耶姫に歩み寄った。
「え、ちょっと――何よ!?」
そして、おもむろに手をとる。
「あ、明、ちゃん!?」
その畏れ多い振る舞いに萌黄が仰天するが、明は無我夢中だった。
「夢では、ないのだな。姿が見える。声が聞こえる。触れることもできる。――こうして話をすることも、できる。木花咲耶姫。私は久遠時明という。お会いできて光栄だ。とても、嬉しい」
頬を上気させ、瞳を輝かせて語りかける。
普段からは考えられない情熱的な振る舞いだった。
「……そんなに久遠時さんの好みだったのかな?」
「……もちろん冗談で言ってんだろーな、網利」
「待ってよ――なにをそんなに喜んでいるの? まさか、神に会うのはこれが初めてとかいうんじゃないでしょうね」
「そのまさかだ」
「本当に!? じゃあ――開放されたのは、私が最初なの?」
「私が最初?」
聞き捨てならない言葉だった。
「待ってくれ、木花咲耶姫。最初、とは――どういうことだ? 貴方の他にも、同じように封印されている神々がいらっしゃるということか?」
覗きこむように迫る明に、木花咲耶姫は一瞬、動揺したような表情を見せた。
それから、嘆息する。
「……いるわよ。他にも。たくさん」
仰天の声が上がる。
「まじで? それって、放っとくとやべーんじゃねーの?」
「桜にこのような異変が起きたのです。他にも害が生じないとは限りません」
「同意。神気の巡りにも、障りが生じる」
自然の理。生命力。物事の進行。
そういった全てのことに、異変が生じかねない。
一人のんびりと、一夜が問いかけた。
「木花咲耶姫、他の神々が封じられている場所、ご存知じゃありませんか?」
姫はそっぽを向く。
「知るわけないでしょう、そんなの。私も今の今まで封じられていたのよ」
「木花咲耶姫!」
「きゃあ!?」
がっしと手を握りしめられ、姫は悲鳴を上げる。
なんといっても神様だ。こんな強引な振る舞いには慣れていない。目を白黒させている。
神様を口説く(?)という珍しい一例となりながら、端正な顔を近づけて明は力説した。
「頼む。何か少しでもわかることがあれば、教えていただけないか。あなたのように、他にも捕らえられている神々がいるのなら、自由にして差し上げたいのだ。――どうか」
心からの言葉だった。
その言葉の、一体何が琴線に触れたものか、姫はじっと明を見つめた。
「……私に聞いても知らないって言ってるでしょう。他の神たちも開放したいのなら、自分たちで探してみればいいじゃない。こんなに面白そうなお仲間たちも、大勢いるのだし」
「それは、もっともなお話なのだが……しかし、私には異能がない。ただ闇雲にさがしても、どれほどお役にたてるかどうか……」
「……。本当にどうしようもない新入生ね。いいわよ。そのくらなら、なんとかしてあげるわ」
「え?」
しゃらん、と。
軽やかな音がして、明の右手首に、金属の腕輪が巻き付いた。
いや――気がついたら、それが、そこにあったというほうが正しい。
ごく細身の、美しい金環だ。桜の花弁が一つ、かたどられている。
「私を外に出してくれた御礼に、祝福を一つ授けましょう。――その腕輪は、私からの祝福の証」
「これは――美しい。それに、とても、軽い――いや、そんなものじゃないな。見えていなければ、つけていることすら忘れそうだ」
「象徴のようなものですからね。あんまり、貴方たちの世界の質量とは関係ないの。――それなら、邪魔になることもないでしょう? それがあれば、貴方にも私たちの姿は見えるわ。声も聞こえる」
木花咲耶姫の言葉に、一瞬ぼう然とした。
「! 本当か!?」
「私の祝福を、あまり甘く見ないでほしいわね。いわばそれは、ごくごく小さな私の一部。それを身に着けている貴方に、仲間の姿が見えないはずはないでしょう」
「……会える……」
右手に揺れる細い腕輪に、壊れ物のように触れる。
「かれらに、会えるのだな。言葉も、交わせる。――なによりのものだ。……本当に、嬉しい。感謝する。ありがとう、木花咲耶姫」
「――感動のあまり、もともと危うかった敬語すら完全にどっかにいっちゃってるね」
「この場面で水をさせるお前ってすげー……」
「賑やかなお仲間さんと一緒に、精々がんばんなさい。いろんな神と縁を結び、関わりを深めるだけ、それは封印を解く力にもつながるでしょう。その腕輪は、器にもなる。蓄えた分だけ、力はその器に満ちるわ。――貴方たちの活躍を祈っているわね」
透通るように、木花咲耶姫の姿が消えていく。
「あ――待ってくれ!」
思わず引きとめようとする明。だが、
「倭国のどこかで、貴方たちをみているわ。それじゃあね、縁があれば、また」
去り際、ぽつりと一言をのこして、木花咲耶姫は空中に解けた。
「――そうそう、私の封印があった場所、もう一度よく見ておくといいかもしれないわね」
そうして今後こそ、木花咲耶姫は姿を消したのだった。
「封印があった場所……?」
残された明たちは、
「この、桜の根元だよな」
「金具が刺さった穴が開いているはずだから――あ、あった。このあたりだよ」
「こ、これは、なん、でしょう……?」
「記号? あるいは……文字、のように見えマスね」
金具でふさがれていた、その下。
あらわになった樹肌には、刻み込むように、なにかが記されていた。
「う……? ひらがなの、『う』、に近いかな」
「『う』ー? ま、読めねーことはねーけど、でもなんかえらくへろへろに書いた感じだよな。線がぐにゃぐにゃーって」
「ひらがなではない。――おそらく、古代の文字」
「ああ……まあ、それはあるかもしれないね。神様の封印をするんだ。使うのは神様の文字、ってことか。――とりあえず、封印された神様をさがすには、これと似たようなものを探せばいいってことかな」
「木花咲耶姫の言葉カラは、そのように考えられマスね」
「――よし。決めた。今からこれを、よろず部の活動目標にしよう」
一夜は笑顔で、きっぱりとそう言った。
「よろず部ー? なんだ、そりゃ」
「あ、そうか。詩籐さん以外は知らなかったね。僭越ながらこの僕は、よろず部の部長を務めさせていただいております」
芝居じみた礼をする。
「文字通り、よろずの事――あらゆる相談事を承ります、っていう部活なんだけど。神様の封印なんてほうっておいたら、どんな困りごとに発展するか分からないからね。まずは神様さがしを第一目標にしても、いいんじゃないかなって。もちろん、別で相談依頼があれば、個別対応するよ」
「――一夜」
「久遠時さん。――ああ、そういえば、久遠時さんとは、現視の能力を手に入れられたら、部員になってくれるって約束をしてたっけ。どう? もっとすごいものを手に入れちゃったみたいだけど――よろず部の、部員になってくれる約束は、果たしてくれる?」
間髪いれず、明は即答した。
「是非もない。こちらからお願いしたいくらいだ。――どうか、一緒に携わらせてほしい」
「もちろん。嬉しいな、これでようやく部員第一号だ」
それを聞きつけて、檜山たちが首を突っ込んでくる。
「なになに。その部活。ちょー楽しそうじゃん。こいつで一人目って、部員足りてねーの?もしかして、申し込んだら、俺も入れたりする?」
「私も、神との邂逅には興味がある。入部を希望する」
「もしよろしければ、私も入部させていただけないでしょうか。微力ながら、お力になりたいのです」
「あれ、なんだか急に大人気だね。久遠時さんを入れて……さん、し。部員、四人も集まっちゃった。これなら、あと一人集まれば、正式に部として申請できるね」
最後に残った萌黄に、視線が集まる。
萌黄は思わぬ注目に涙目になりそうだったが、たどたどしいながらも、はっきりと言った。
「あ、あの……。ごめん、なさい。い、依頼に応えて、もらって、断るのは、本当に、申し訳ないんですけど……。わ、私は、もう、文芸部に、入部してるから……。ごめんなさい……」
「そんな二回も謝らなくても。もう入部してるんなら、しょうがないよ。詩籐さん、気にしないで。――そうなると、あと一人か。まあ、一人くらいなら、そのうち集まるよね。別に急がなくても――」
と、そこへ。
「あ! いたいた、久遠時さん。――え? あれ? 檜山君にミランさん、幻地さんまで。勢ぞろいで、珍しいね。――そうそう、久遠時さん、部活は決まった? 結局、僕まだ決められなくてさ。明日、最後の部活案内をしてくれるみたいなんだ。よかったら一緒に参加しない? ――って、あれ? きゅ、急に僕の手首を握りしめたりして、どうしたの?」
「佐藤、喜べ。部活は決まったぞ。――私たち二人ともな」
「へ!? い、いや、僕は何も――」
「今の時期で決められないんだったら、今更部活案内見たって変わらないよ。佐藤君、って言ったね? 君、今からよろず部ね。よろず部は、何でも屋だから、とりあえず何でもやってね。そういうことで、よろず部のメンバーは決まりだ。みんな、これからよろしく」
「理不尽!?」
佐藤の叫びは置いておいて、何はともあれ。
木花咲耶姫の復活によって、てんぐ巣病の再発もないであろうことが檜山と露草の調べによって分かり、よろず部(仮)の最初の依頼は無事に解決を見た。
同時に、よろず部(仮)は、5人の部員を得て、『よろず部』へと無事に(?)昇格を果たしたのであった。
***
斑鳩校長代理は、全てを見ていた。
部屋に映し出した画面。そこには、明たちよろず部の部員と、神学院の桜を巡る一連の騒動、そして木花咲耶姫との出会いまで、全てを見ていた。
物憂げに黙り込み、それから、おもむろに『声』を誰かにつないだ。
「……斑鳩です。――始まりました。――はい。はい、そうです。一つ目の封印が、解けました。――はい。――わかりました。それでは……」
通話を切り、しばらく無言で思索にふける。
それから、物憂げな表情を引き締め、何食わぬ顔で、いつも通りの職務に戻っていった。




