異変の原因
「まだ終わりじゃない……?どういうことだ、一夜」
怪訝そうに明が尋ねる。
「さっき、幻地さんが言ってたじゃない。病気の進行が早い、異常な早さだって」
「そう。通常の症例とは異なる」
「ほらね。僕も、毎日この桜を見てるわけじゃないけど、さすがに入学式の日は見に来た。その時は思ったんだ、ああ、綺麗な桜だなって」
「そうデスね……私も、桜とはコレほど美しいのかト見蕩れマシた」
「そのときにこんな枝があったら、さすがに気付いたんじゃないかな。――ねえ、幻地さん。病気の枝、ずいぶん細くて混み合ってたけど、あんな状態でも花は咲くのかな?」
「否。感染した枝には通常開花しない」
「!――それは、妙だな。私は入学式の日に思ったぞ、噂通り、桜は満開だな、と」
見事な桜だと、紫と二人で見蕩れたのを覚えている。
「あーそいや俺も思ったわ。ほんとに式の日に合わせて満開に咲くのなーって」
「うん。ということは、その時にはまだ発症してなかったんだ。それから、まだ一月と経ってない。それなのに、こんな樹全体に病気が広がってるのは、どう考えても変だ。転移が早すぎる」
「だから、私がそう言った」
「そう、ここまでは聞いたね。――じゃあ、その先は? いや、それとも前かな」
一夜の口調は、おどけるようにも聞こえる。
「病気の進行が早い……じゃあ、その原因は何なのかな?」
しん、と沈黙が落ちた。
とっさに答えが思いつかなかったのか。
はたまた、原因があるというその発想すらなかったのか。
「――あんたは、なんか原因があるって思ってるわけだ」
「そりゃあそうでしょう。桜に異変があった。これは結果だよ。結果があれば原因がある。簡単な対義語だよね。生じた物事があった――なら、それを発生させたものは? どうかな。皆は気にならない?」
「……例年にナイ特別なコトが起こっているのは確かデスね」
「もし原因があるとすれば、考えたくはないが、再発もあるということか? だとすると、ただ切るだけでは対症療法にすぎないぞ。根本的な解決にはならん」
「げ。こんだけ切ってもまたうにょうにょ生えてくるっての? やだよー俺、毎回こんなことすんの」
「同意。早期解決を望む」
「まず考えられるのは、当然、適切な手入れがされていなかった場合かな。桜も生き物だからね。防虫・防カビ、毎年のお世話がなければ傷みもする。だけどこれは――」
「そ、それは、ないと、思います!」
めずらしく大声を出した萌黄に、視線が集中する。
つっかえながらも、顔を赤くして力説していた。
「こ、この学園の庭、好きで、よく、お花見たり、してて……に、庭師さんとお話したことも、ある。ちょ、ちゃんとした人、だった。この学園の植物を、とても、大切にしてた」
「――うん。僕もこれは考えにくいと思う。だって、ある意味この学園の神気性を象徴する樹でしょう? 神のご加護を、目に見える形で表してくれるものでもある。とっても大切だ。そんな大事なものの、手入れをしないわけがない。必要な対処はされていたと考えたほうが自然だろうね」
ほっとしたように、萌黄から力が抜ける。
「じゃーなに? 手入れがちゃんとされてたってことは、桜自体に問題があるとか?」
「あれ、檜山君、いいことを言ったね。――そう、次に考えられるのは、その場合だよ。人間にたとえたら分かりやすいよね。手洗い・うがい、ちゃんと予防はしてたのに、風邪をひいて悪化しちゃった。そんな時は、その人自身が弱っていて、抵抗力が落ちていたからだ」
「ちょ……っと待ってクダさい。一夜サン、あなたマサカ――」
「おいおい。そりゃーちょっとまずいんじゃねーの……」
「……」
「そ、そんな。も、もしかして……」
ずばりと明が言う。
「この桜自体が弱っているといいたいのか。この神学院を代表する大樹が」
一夜は桜を見上げている。
横顔に白い髪がなびいて、その表情はよく見えない。
「最初からおかしいと思ったんだ。学園のご神木なら、そもそも普通の木の病気なんか寄せ付けるわけがない。本来ならね。――だけど、もし桜自体に問題があったとしたら……何らかの理由でその神気が劇的に衰えていたとしたら。――というか、そんな理由でもない限り、この桜の樹が、カビの蔓延なんて暴挙を許すはずがないんじゃないかな」
「お前は、まるで桜の気持ちが分かるかのように言うのだな」
「神様と話したことがないとは言わないよ。でも、この桜に宿る神様のことは知らないな。――でもさ、一学園生として、学園代表のご神木の神様には、そのくらいは誇り高くいてほしいとは思わない?何の問題もないなら、いつまでも美しい姿をさらしていてよ、ってね」
「――ってもよ。わっかんねーな。俺、なんも感じねーもん。この学園について、神気の衰えなんて、特に感じねーぜ? ――露草っちは、ど?」
「同意。異常は感じない」
「まあ、僕たち一年生に感じ取れるような異変が現れていたら、さすがに先生たちが放っておかないよね。じゃあ、学園全体ではないのかもしれない。少なくとも、この桜の周辺だけ、何らかの原因で神気に歪みが生じていたとしたら……。弱まっていたとしたら?――幻地さん。何か、考えられる可能性はない?」
考える。
あの幻地露草が、即答はせず、空を見つめた。
おそらく、その頭の中では高速で検索が行われているのだろう。
「……」
そして珍しく、ためらいを見せてから、答えを告げた。
「呪い。――呪」
「呪……誰かガ、この桜に呪いをかけてイルというのデスか!?」
「げ、まじで?そんなアホなことするやつ、いんのかよ。ばれたら洒落にならねーぜ」
「も、もし、そうだと、したら、ゆ、許せません!」
怒涛の反論である。
そのくらい、神学院高等部の生徒にとって、この桜は大切な存在であるということだった。
その時。
明はおや、と思った。
ここに来てから、そこそこの時間が経っているというのに、影の位置が変わっていない。
放課後である。そろそろ陽が傾いてもおかしくないのに。
木の手前に落ちている影が少しも動いていない――そう思った。
(いや……そうではない?)
違う。
影の位置は動いている。
日時計のように、時間と共にぐるりと幹の影は動いている。今、奥に見えているあれが樹の影だ。
――では、手前に見えているあの黒い場所は何だ?
「露草。檜山」
「……」
「んー?」
呼ばれて、振り返る二人。
「そこに……何か見えるか?」
「あ?そこってどこよ」
「そこだ。今、私が指差している、その樹の根元に、何か見えないか?」
「あー……だから、どこだよ?」
「見えない」
「見えないのか!?」
愕然とした。
明にははっきりと黒い影が――通常とは異なる、太陽によってできるものとは異なる『陰』が、はっきりとそこに見えている。
いや、最初から見えていたのだ。それを異常な物だと意識していなかっただけで。
だが、二人の同級生は――組でもおそらく一・二位をあらそう神術の能力を持った露草と檜山は――そこに何も見えないという。
明らかに異常だった。
「影が、あるのだ。桜の樹の影とは違う。――黒い闇が、そこの、樹の根元に見える」
「はあ?俺はなにも感じねーぞ。あんた、異能はほとんどないんじゃなかったのかよ」
「ない。本当だ。だから最初は普通の影だと思ったのだ。でも違った。樹の影ではなかった。だから二人に聞いたのだが……何も見えないのか?ではあれはなんだ?あそこに何がある?」
「久遠時さんがここまでいうんだ。みんな、もう少し近くまで行ってみよう。もしかしたら、本当に何か見つかるかもしれない」
ぞろぞろと、樹の根元に集まる。
それでも、皆どことなく見当違いなところを覗き込んでいた。
(あの闇が見えるのは、本当に私だけのようだな)
明は、闇に近づいていった。
嫌な気分がする。あれは……これは、なにか、よくないものだ。
樹の根元に立つと、禍々しさが増した。
「あまり……気持ちのいいものではない、な。皆、すまない。この辺りを、よく見てくれないか」
より陰の濃い部分を指差す。
闇が渦巻くようで、明には木肌を見るのも難しい。
皆で集まって、覗き込む。
しばらくして――。
「見つけた」
露草の声とその指先に、皆の視線が集中する。
そこには。
幹の根元に、刻み込まれた文字らしきものと、それを覆い隠すように穿たれた幾本かの金具があった。




