露草と檜山
「断る」
「うわあ。ここまで愛想のない子、初めて見た」
知恵を貸してくれないか、との明の申し出は、露草にたったの二文字で切って捨てられた。
初対面の一夜が素直に呆れる。
「少し話を聞いてくれるだけでもいいのだが……」
「今日は予約書籍の発売日。読書が優先」
「この学園にとってモ象徴的な桜デス。様子が気にはなりマセんか?」
「ならない。庭師の仕事」
「あ、あの、あの……」
「……」
三人そろっての説得にも――最後の萌黄は何の説得にもなってはいなかったが――取り付く島もない。
すたすたと帰ろうとする露草の通り過ぎざま、一夜がぽつりと言った。
「久遠時家の蔵書――」
ぴたり。
露草の足が止まる。
「ねえ、久遠持さん? 名家の――しかも神学で有名な久遠時家だもの。ご実家には、たくさん蔵書をもってたりするんじゃないの?」
ふいに、明に話が振られる。
「あ?ああ……。言われてみれば、鳩羽さんの書斎には大きな本棚があったし、倉庫にも古い書物がたくさんあったような気がするな」
「結構貴重な本だったりするんじゃないかなあ。なかなか他で読めるものじゃないよねえ」
「――と思うぞ。私が読めないような古い時代のものもあったからな。古文書みたいなものだろう」
「だけど、久遠時の明さんは友達思いだから、桜のお悩み相談の御礼に、幻地さんがどうしてもその本を読んでみたいって言ったら、お礼としてもちろん応じてくれるよね?」
「それは、まあ……鳩羽さんの許可さえとれれば、かまわない。――というか別に礼ではなくとも――もご」
「はい、そこで止めて」
最後は明の口を手でふさぎながら、露草に聞こえないようごく小声で一夜は言った。
そしてにっこりと笑う。
「――と言うことなんだけど。どう?幻地さん、協力してくれないかな?」
「是非もない」
露草が釣れた。
即答だった。
というか、ものすごい食いつきだった。
「久遠時家の書籍への興味が勝ったのデスね……」
「な、なんか、あ、網利、さんって……」
網利一夜、おそるべし。
ミランと萌黄はそう思った。
「? なんだか分からないが、協力してくれるのか。それは助かる」
一人、利用されたことに気付いていない明である。
「早速だが――見ての通り、桜がこんな状態なのだ。樹木のこのような症状に、何か心当たりはないか?」
「――てんぐ巣病」
「……てんぐすびょう?」
四人の声が唱和した。
「てんぐの巣、と書いて、てんぐ巣病。カビの一種による伝染病。開花時期に伝染。――見る限り、かなり重度」
「てんぐの巣、かあ。確かに、この外観。なんだか言い得て妙だね」
「……じゃあ、この桜は病気なのか。対応策はあるのか?」
「感染した枝の切除」
「こ、この、さ、桜を、切っちゃうん、ですか……!?」
萌黄が悲鳴のような声を上げる。
無理もない。神学院の象徴とも言える桜だ。
普段なら、一枝を折ることすら許されるものではない。
「それ以外に解決策はないのか?」
「ない。放置すればさらに伝染するだけ」
きっぱりと露草は言った。
「そうか……」
「デスが、切るといっても、これだけの大樹デス。マシてや、感染シテいると思われる枝は、十を優に超えマス。コレだけの枝、しかも複雑に絡み合った枝を綺麗に切るのハ、切れといわれても難しいかもしれマセん」
「問題ない。適任者を呼ぶ」
そう言うと露草は、『声』を誰かにつないだ。
……しばらくして、応答がある。
『もっしもーし。こちら檜山っすけどー。何、露草っち。また勝負の申し込み?』
あからさまにタラタラとした檜山猩の声だった。
「違う」
『ありゃ、違うん? めずらしー、それ以外でわざわざ声飛ばしてくるなんて。どしたん? 何事?』
「枝の剪定」
『…………は?』
「木の枝を切ってほしい、と言った」
『…………あのー。おれ木こりじゃねーんだけど』
「先日、壊れた窓を私が修復してあげた」
『そりゃあんたが俺に、ぶっ放した術で壊れたんだろ!? そこは素直に自分で直しとけ!』
「切るのは神学院の桜」
『……』
「多分一生一度の機会。――不要?」
『も一回言って。――何を、切るって?』
「神学院の、桜」
『……』
「……」
『……はっはー』
「興味が出た?」
『――よっく俺に声かけてくれたじゃん!今そこにいんの?』
「いる。他にも色々」
『いろいろ? 何だよ、大勢いんのか? まーいいや、とりあえず桜んとこ行くから。後でなー』
そこで『声』は途切れた。
明が意外そうに言う。
「……なんだ。きみたちは、意外と仲がいいのだな」
「違う。勝負中」
「聞いた限りだと、幻地さんが一方的にしかけてる感じだったけどね……。ていうか、窓が壊れるような勝負をしない方がいいんじゃないかな」
「犠牲になったのハ、おそらく私タチ無級の教室デショうか……」
「あ、あの……。い、今の方は、一体……?」
「ああ、萌黄と一夜にとっては初対面になるのか。――檜山猩。おそらく、神術の実力だけならば、特級にいてもおかしくない男だ」
「でも馬鹿」
「露草……。まあ、知識については、そもそも本人に学ぶ気がないようなので、言わずもがなというか、だからこその無級だ」
「ですが、配慮のできる方デス。決して考えナシというわけではありマセん」
「それにしては、えらく嬉々として桜を切りに飛んできそうだったけどね」
「……」
一夜の言葉に、沈黙する無級組であった。
「うわー。なんだこれ。ひっどいことになってんね」
到着した檜山が、桜を見るなり開口一番言った。
「露草によるとな、病気らしいのだ。カビの一種……だったか。それに、感染している枝が、あのようにもじゃもじゃになっていると。それを、全て切り落とす必要があるらしい」
「へー。んで、許可は取ってんの?」
「ん?」
「いや、この桜、学園の持ち物だろ?さすがに勝手に切れねーだろ」
「害になるものを取り除くのだ。問題はないだろう?」
「……そっか。あんた、まともそーに見えてそういう奴だったわ……」
けろりと言ってのける明に、檜山がやや引いている。
「確かに、斑鳩代理にハ話を通しておく必要がアルかもしれマセんね」
「時間がない。病巣の進行が早い」
「さ、桜の、病気が、ど、どんどん、広がってる……って、こと?」
「異常な早さ」
「何?普通じゃありえない早さっていうこと?」
話に入ってきた一夜に、なぜか檜山は視線を止め、しばらく見つめた。
「――あんた、誰?」
「あ、ごめん。自己紹介が遅れたね。一年二組、網利一夜です。よろしく」
そう言う一夜を、怪訝そうに見る。
「二組?……っかしーな。あんたならもっと上の組にいそうだけど」
「え、それって、僕ほめられてるのかな?嬉しいなあ。でも、それを言うなら、きみの方がそうでしょう」
「いや、俺のことはよくて、あんた――」
「時間が惜しいようだ。なに、怒られるなら後でいくらでも怒られてやる。私は病に侵された桜を見るに耐えん。はやく、元の綺麗な姿にしてやりたい」
あくまでも言い張る明である。
「意外と、この中で一番破天荒なのって、久遠時さんなのかもしれないね……」
明に遮られて、話は桜に戻る。
「ま、あんたが怒られてくれるってんなら、いいけどよ。久遠時の名前なら、少しはお目こぼしもらえるかもしんねーし? 後のことは知らねーぜ」
「頼む。やってくれ」
「あいあい、了解っと。んじゃ、いくぜ。――露草っち、カビの名前は?」
「タフリナ。正式には、タフリナ・ウィースネリ」
「りょーかい」
途端、檜山の表情が変わった。
真剣な表情で、中空を見つめる。
「――検索:タフリナ・ウィースネリ。――塩基配列、解析済み。照合完了。――複写。対象:桜樹。該当部を青色表示――」
ぶわっ。
「うわ!?すごい」
「枝が――青く染まった!?」
「カビが存在する部分を、選択した。――私がやるより、早い」
露草が、やや悔しそうに言う。
檜山が、両の手のひらを合わせる。
「――掛巻も畏き風の大神、木の大神に聞食給へと白さく、ここに染め奉りし御桜の数多枝に病魔宿りけるを、切り離し給い、祓い清め給えと恐み恐みも白す――!」
ざわ……バサバサッ。
「っ!?」
「何だ――?風が、急に強く――!」
ごうっ……ざん!
ザザ……ざっ!バキッ……。
「危ない!離れてろ!」
「ひゃう、あ、わわ……」
「青イ枝が――落ちテいく……」
「――風の刃か。なるほどね。狙いも的確だ。ほんとに、無級って面白い……」
風が吹く。
狭く細く、研ぎ澄まされた風が吹く。
その度に、青く染まった枝だけが次々と切り落とされ、地に落ちる。
バサッ……かさ。
最後の一枝が落ち、しん、とした静寂が訪れた。
「終わ、った……?」
「も、もう、起き上がっても、だ、大丈夫、ですかあ……?」
「――切除終了。現状の病巣は隔離」
地面は、切り落とされた桜の枝で小山のような有様だった。
「……っふいー!あー、疲れた!」
どさっ、と檜山が座り込む。
「とりあえず、今んとこ発症してる部分は、これで取れただろー。あとは来年もとりあえず様子見で……あー切り口も防護しといたから、腐ることもないっしょ。俺ってば完璧ー」
「この軽口さえなければ、もっと評価もされようにな……」
ありがたみも何もあったものではない。
明が苦笑する。
「だが、これで、終わったのだな?」
「今年の分はな。細かくカビが散ったとこまでぜーんぶ取り除けたわけじゃねーから、様子見ながら、あと何回かは切る必要があるだろーけど、ま、そこんとこは人の手でじゅーぶんだろ」
「そうか……。助かった。礼を言う、檜山」
「べっつに。俺も新鮮で楽しかったし。役得ーってことで」
貸し借りなし、とでも言うように笑う檜山。
明も目を細めて笑う。
そんな和やかな雰囲気の中、一夜の一声が響いた。
「――いや、まだ終わってないんじゃないかな」




