~よろず部にて~
「…………」
「…………」
まず言った。
「きみは、そうやってずっと誰か来るのを待っていたのか?」
「そういう野暮なところは、やり過ごしてくれると嬉しいんだけどな」
ひょい、とがらくたから飛び降りる。
近づいて来た少年は、やはり、入学式の日に噴水で出会った、あの少年だった。
「よろず部……と言ったか」
「うん。そう。――といっても、正式にはまだ部活じゃないんだけど」
「部活では、ない――?」
少年は再び頷く。
「正式な部として申請するには、部長の他に五人の部員が必要なんだって。部の乱立を避けるために」
「……。それで。今、この部には何人の部員がいるんだ」
「零人」
「零人!?」
「そう。つまり、今は部長のこの僕だけ」
「それは部活とは言わないではないか!」
「うん。だから、部員募集の意味も込めて張り紙を出したんだよね。どう?きみ、よろず部に入らない?」
飄々と話す少年を、明は珍しいものでも見るような目で見た。
「……名前も知らない相手を部活に誘おうというのか」
「あ。そっか。お互い自己紹介もまだだったね」
しまった、というように、ぽんと手を打って言う。
「僕は一年二級、網利一夜」
「……私は久遠時明。一年無級だ」
「そう。よろしく」
相槌はたったそれだけだった。
その二言を言った後は、他にも誰か来ないかなあ、などと言いつつ、出入り口をのぞき見ている。
「……それだけか?」
「それだけって?」
「私の……その、名前や、組に。何か言うことはないのか?」
「何か言ってほしかったの?」
「――っ」
思わず絶句した。
驚きと、次いで、恥ずかしさに襲われた。
いつの間にか、自分の名前を人々が特別視することを、当たり前のように受け入れていたことに気付かされた。
自分はそんな特別な存在ではない、と思っていたはずだったのに。
「久遠時の名前は知ってる。でもきみの事は知らない。だから何も言えることはないかな」
「……そうか」
「無級って、変わった人たちがいっぱいいるらしいね。それは興味があるな」
「……そうだな。変人は多い、かもしれない」
自分がその変人の一人であるとは少しも思っていない明である。
「どうして笑ってるの?」
「ん?」
「きみが。なんだか楽しそうに笑ってる」
言われて、顔に手をやる。たしかに、口元がほころんでいる、かもしれない。
「笑っていたか?」
「うん。かわいかったよ」
「…………その単語は人生で初めて言われた気がするな」
「そう? ふうん」
それきり興味をなくしたように、がらくたをもてあそび始める少年――一夜だったか。
「一年生の部長しかしない、部活か。部員もいないのに、なぜよろず部などしようと思ったのだ?」
「入りたい部活がなかったから」
即座に返ってきた答えに、明は二の句が告げなかった。
「……だから、自分で新しい部活を創ろうというのか?」
「うん。そんなに変かな?一通り部活は見てみたんだけどね。どうも、ぴんとくるのが無かった。――この学園って、向上心がある人が多いんだね。もしくは多趣味かな? 自分の技術を磨く、知識欲を満たす、活動に没頭する――そういう部活はいっぱいあった。でも、どっちかっていうと、僕は自分にはあまり興味が無くてさ。得意なことも無ければ、やりたいことも特に無い。だから一つくらい、他人のための部活があってもいいんじゃないかと思ったんだよ」
「他人の、ため……」
少年は肩をすくめる。
「なんて、大層にいうほど大げさに考えてるわけじゃないよ。ただ、元からある部に入るより、面白そうだなって思っただけ」
「……こんな場所に閉じ込められていてもか」
「あ、そうそう。なんかやったら若い先生の――最初は生徒かと思ったんだけど――神楽とかいう人に言ったらさ、ここだったら使っていないから、部室にしてもばれないだろうって。鍵くれたんだよね」
……ばれないだろうとは。神楽先生のことだ、絶対許可は取っていないな、と明は確信した。
「……部室にするには、まずは片づけから始めねばならんな」
「まあねえ。足の踏み場もないものね、ここ。――って、あれ? その口ぶりだと、きみも協力してくれるみたいな感じだけど?」
「……まだ決めたわけではない。だが、興味はある」
自分の名前ではなく、自分自身を見てくれた少年に。
そして、もう一つ――。
「あの広告の、ことだがな」
「ああ、下駄箱前に貼ってたあれ? それがどうかした?」
「神様、探します。と書いてあった」
「うん。そうだね」
「――本当に、神様でも探してくれるのか?」
これまでとは違う、改まった様子で。
明は真剣に問いかけた。
「んー、まあやってみないと分かんないけど。かの有名な神学院なんだから、神様なんかいくらでも見つかるんじゃない?」
一夜はけろりと言う。
「『現視』の能力を持たない私でも、見つけられるか?」
「え。神様、見えないの? うっそ。久遠時って巫の超名門なんじゃないの? 現視なんて基本中の基本じゃない。きみってもしかして稀な例外か何か?」
「きみは本当にはっきりと物を言うな……」
その点、実は明と似たもの同士なのだが、当の本人は気付かない。
率直な物言いは、不快ではなかった。
「まあ、その通りだ。そんな私でも、神に会いたいと思ってこの神学院に入った。だが、入ったからといってそうそう会えるものでもないと思っていた。そこへ来て、あの張り紙だ。きみが貼ったよろず部の広告は、とても見過ごせなかった。――本当に、探してくれるのか、と」
「そっか。きみにとっては大事な一文だったんだねえ。――ごめん。適当に書いちゃった」
「………………そうか」
「あ、じゃあまずさ、きみが現視の力を得るにはどうすればいいかを考えようよ」
「……は?」
あからさまに落ち込んだ明だったが、次の言葉に顔を上げた。
「今、現視の力がないなら、身につければいいじゃない。それをよろず部で探すことを、依頼にするのはどう?」
「…………いや、しかし。一通りの訓練は、これまでもしてきたぞ。それでも駄目だったのだ」
「これからも駄目だとは限らないよ。せっかくここまで来てくれたんだ。よろず部の、最初の依頼人になってくれてもいいんじゃない?」
「……まだ部ではないのではなかったのか」
「じゃあ、よろず部じゃなくてもいいよ。部活動としてじゃなくてもいい。次期よろず部部長である、この網利一夜に、ご依頼をいただけませんか?」
芝居めいたその言い回しに、明は笑いをもらした。
「やっかいごとの依頼をねだるとは、変わった奴だな」
「たしかに僕は変わってるかもしれないけれど、やっかいごとも考えようによっては面白い遊びになる。――知恵の輪だってそうじゃない。あんなややこしいもの、別に解かなくたっていいのに、解きたくなるし、解ければ嬉しい。達成感も得られる。同じようなものじゃないかな」
今度こそ明は声に出して笑った。
少年の言葉は、いちいち楽しくて仕方が無い。
「私の十五年間の悩みが――たかが、知恵の輪か」
「あ、怒った?」
「いいや。物は言いようだと思っただけだ。なるほど一理あるよ。――私も、挑戦することを楽しむとしよう」
「いいね、その調子。それじゃ、商談成立ってことで。達成報酬は、部員になること、とかでどう?」
「ああ。かまわない」
本当はもう入部してもいいかとも思っていたのだが、そんな風に言った。
――もう少し、一夜の誘いを聞いてみたい。そう思ったのかもしれない。
白い美少年と琥珀の美少女の話がまとまりかけた、その時。
「こ、ここでいい、のかな……。ほんとに、合ってるのかな……」
とん。――とん、とん。
「こ、こんにちは。し、失礼、します……」
控えめなノックの音と共に、おずおずと扉が開いた。
「あ、あのっ。こ、ここで、色々、そ、相談に、乗ってくれるって、聞いて、そ、それで……」
明にも気付かず、うつむいて必死に話そうとする少女。
詩籐萌黄だった。
それを見て。
「――どうやら、正真正銘のご依頼人の登場だ」
一夜は楽しそうに笑って、その小動物のような来訪者を出迎えた。




