邂逅
ちっ、と男は舌打ちした。
「ガキ共が」
通りの向こうのビルの間の路地に、今しも2人の若い娘が数人の若者に引きずり込まれようとしていた。
彼も堅気では無いし相手が同業者ならば見過ごしたかも知れない。
ましてここは何処の縄張り内でもない空白地帯だ。
だがこの所、彼の組の縄張りでも他所でも、素人の少年や学生達の玄人顔負けの性犯罪や強盗事件が多発していて彼等としても迷惑していたのだ。
今時のガキ共は甘やかされた怖いもの知らずで本職のヤクザでさえ一人では危ない事さえある。
やたらと刃物などを振り回し、チェーン、スタンガン、特殊警棒、それどころか拳銃まで持っている奴までいる。
もっとも本物にしろ改造拳銃にしろ、彼らから流れた物も多いのだが。
面倒ではあったが、道を渡りそこに着いた時、すべては終わりかけていた。
彼の思ってもみなかった方向で。
「やめてっ!」
娘の一人がもう一人に縋りついていた。「お願い、死んじゃうわ!」
「大丈夫、殺したりはしない」
もう一人の娘は微笑んだ。
しかし、その足は這って逃げようとする男の頭に蹴りつけ昏倒させている。
その場に立っているのは、もはや2人の娘ばかり。
地に這っている男たちの一人も意識の有る者は無かった。
それがおそろしく異常だと、連れている舎弟共の何人が判っているだろうと彼は思った。
あれだけの時間でスタンガンも使わず大の男何人もの意識を完全に刈り取る事が。
くるり、と娘が彼の方を向いた。
それなりに年季の入ったヤクザの彼が、ぞっと一瞬総毛立った。
怖かったのだ。
何か得体の知れない化け物でも見たような、人間のふりをしている、何やらとんでもなく恐ろしい何かを・・・・。
「おい、姉ちゃんたち」
言いかけた舎弟の一人を慌てて止めると、彼は踵を返した。
「行くぞ」
ただ、そう言って歩き出す彼を舎弟たちは不満げに見たが従った。
組長の懐刀と呼ばれている彼が怖気づくなどあり得なかったし、何か考えがあっての事と思ったのだ。
もしかしたら、ほんの小娘に見えた娘たちがどこかの姐さんかも知れない等と思っている者さえいた。
けれど、実際の彼は全身に冷たい汗をかいていた。
後ろを向いた彼の後頭部にはっきりと突き刺さって来る視線の存在。
振り返りたかったが、全身が強張ったように言う事を聞かなかった。
彼の背後には舎弟達が着いて来ているのだから有り得る筈も無いのだが、すぐ後ろに居るのがあの娘であるような、そんな気すらした。
路地を抜けた途端ふっとその視線が消え、彼は精神的な金縛り状態から解放されたが、後ろを振り向く気はさらさら無かった。
彼の本能があんな物に拘ってはいけないと、悲鳴を上げていたのだ。
彼の親分の組長以外誰も知らない事だったが、彼には霊感があった。
それもかなり強い霊感だ。
組長も初めは信じてはいなかったのだが、彼の胸騒ぎだの、嫌な予感だのが次々的中するので信じざるをえず、今では頼りにするようにさえなっている。
それが、彼の血統による物だと言う事は組長さえ知らなかったが。
彼の実家は地方の小さな神社で父は神主だった。
彼は末っ子で家は兄が継いでいるが、死んだ父は霊力が強い事で有名だったのだ。
上に三人の兄と二人の姉が居て全て神職だった。
そう言う家だったから彼も幼い頃は自分も兄達と同じ道を歩んで行くものと思っていた。
しかし、父が死んだ時、自分一人が彼等とは母が違い自分の母が父と正式な結婚もしていなかったのだと知る事になった。
兄も姉も彼にそんな事など一言も漏らさなかったし、気取られる気配すら見せなかったのだが、親戚たちの口から洩れたのだ。
確かにおかしいとは思っていたのだ。
兄姉とは歳が違い過ぎていた。
すぐ上の姉とでも15も離れている。
さらに、彼の母が10年ばかり前、世間を揺るがす大事件を起こした新興宗教の教祖であったとは。
『兄は霊力の強い子を作りたかったのだ。だが、よりによってあんな女を』
父の弟である叔父はさも汚らわしい物でもあるかのように彼を見た。
父が生きていた頃は毛ほどもそんな態度は見せなかったのに。
もっとも、彼は以前から頼み事をするとき以外めったと寄り付かなかった叔父が大嫌いだった。
いくらニコニコと玩具等の土産を見せられてもだ。
多分その頃から彼は叔父の本性を見抜いていたのかも知れない。
母の事は後に詳しく知った。
大変な霊力とカリスマを持った女性で新興宗教の教祖として周りの者に祭り上げられ、そして教団幹部のやった全ての悪事を被って自殺したのだ。
何一つ言い訳する事も無く。
しかし、その事を知ったのはずっと後の事で、その時はショックと悲しみで訳が分からなくなり、彼は家を飛び出した。
その後はお定まりの転落コースで、高校一年生の世間知らずの行きつく先は知れていた。
もっとも、もっとひどい運命だってあり得たのだから、早々に組長に拾って貰えた彼は運が良かったのかも知れない。
あれから、人の好い兄姉達は彼を懸命に探していたようだったが、一番上の姉の一人を除いて他の兄姉達はたいして霊力は高くなく、その姉の霊力も彼ほどでは無かった。
父はそのために彼を欲しがったのだろう。
ちゃんと修行をしていたなら、父以上の霊能力者になったかもしれないけれど、今さら元に戻りたいとも思わない。
今の暮らしが嫌では無い。
時折妙な空しさを感じないではないが。