別人
「リンちゃん、私今一つ良く判らないんだけど、あいつは自業自得だから余計な事は言わないでおいたけど、リンちゃんあいつに色々言ってたでしょう?
でも、刑事さんは何も聞いて無かったみたいで・・・」
「すまないレイコ、耳の穢れだったな。
レイコに聞かせる心算は無かったのだが、あいつには怒ってもらう必要があったのだ。
あの男が3日ばかり前から付きまとっていたので何とかしなくてはと思っていたんだ」
警察で事情を聞かれて家まで送り届けてもらい、遅い夕食をとっている所だった。
「付きまとっていたって・・・・ええっ、3日も前から?」レイコは驚いた。
いつもリンと一緒に居たのにまったく気付かなかったのだ。
驚きのあまりレイコは自分の質問を忘れかけたがリンはごまかしはしなかった。
「色々と言った言葉は、すぐ傍に居たレイコと真正面に居たあいつにしか聞こえていなかった筈だよ。
そういう喋り方をした。
あの刑事たちに聞こえたのはこうだ。
『わたしは・・・・あなたと・・・・別れた』
だから、一方的に怒って殴りかかったあいつが悪いって事になった」
「うそっ、リンちゃんそんな事言って無かったじゃない」
「言ったよ。他の言葉に混ぜてね」リンはにっこりと笑った。
リンが笑うといつもドキッとしてしまう。
これだからレイコは竜村のレズ発言に反論できなかったのだ。
「あそこの角を曲がった時に気配がしてね、私達に注目している訳では無いからそのまま通り過ぎたんだが、あいつと出会った途端気配の様子が変わった。
どうやらあいつに用があるらしいと判って、気配の様子からヤクザか警察かのどちらかだと思っていた。
まあ、警察だとすぐに判って、それでちょっと挑発して見た」
「ちょっとって、もしもの事があったらどうするの?」
「もしもの事なんて無いさ。
あんな奴が私を殴れるわけ無いし、レイコは必ず守ってやる」
「でも、殴られたじゃない。掠ったぐらいで済んで良かったけど」
「あれはわざとだ。警官に見せる必要があったからで無ければ、私の身に指一本たりとも触れさせるものか」リンはしゃらりとした顔でそう言った。
実は、その時リンは竜村の拳の方向を誘導して壁を殴る方向へ曲げて見せたのだが、そこまでレイコに言う必要は無い。
何か凄い事を聞いたような気がしてレイコはリンが言った、気配で人の居るのを知っただとか、やはり気配で警官だと判っただとか、近くの者か正面の者にしか伝わらない言葉だとかを忘れてしまった。
本当に、完全にリンは別の人格になってしまったのか、とレイコは愕然とした思いにかられていたが、しかしそれでもリンに対する思いが変わらない事にも気付いていた。
いや、一層思いが強くなったような気すらするのだ。
翌日、レイコは実家に呼び戻されていた。
例の竜村の件で警察からの連絡が行ったためだ。
すぐに帰って来ると言って出掛けて行ったのだが、リンはレイコを待たずに外出した。
一人でもうどこにでも出かけられるし、馬無しで凄まじい速さで動く乗り物にもかなり慣れた。
レイコの居ない内に彼女が居ては出来ない事をしようと思っていた。
だが、今一人で歩いていると、いつもレイコが居る場所を気にしている自分に気付く。
捕まってしまったかな、と今さらながらに思った。
一目惚れと言う彼ら一族のどうしよう無い困った病に。
女の身体しか持たない今、そんな病に取りつかれたとしてもどうする事も出来ないと言うのに。
同じ部屋で寝ていても、息が掛かるほど傍に居ても、レイコを肉体的にどうこうしたいとは思ってもみなかったのだが、これが恋だと傍に居ない今良く判る。
リンは空を見上げた。
薄汚れた空。ちょっと遠い物は皆霞んで見えるほど汚れた大気。
字が読めるようになってから様々な本を読んだ。
鈴香はかなり大量の本を持っていたし、学校には図書館と言う物がある。
一見ぬるま湯に浸かっている様に穏やかなこの国。
勿論平和なのは表側だけだし、日常が死と隣り合わせで無い場所はここを含む一部地域だけかも知れないが、それでも人を殺す技術を当たり前のように学ぶ彼自身の世界から見れば信じられない程に平和で便利で豊かな世界。
だが、リンの世界では戦いと言えばどんなに大きな国同士の戦争でも一部地域限定で済むものを、この世界では迂闊に戦いを始めれば世界を巻き込み滅ぼしかねない。
便利な道具など何も無くとも、遠くに行くにも頼れるものは自分の足か馬くらいしか移動手段を持たず、遠い異国の事など何も知らず一生を送る者が大半の彼自身の世界の方がどれほど好ましいかと思う。
もっとも、彼自身の国は大変国際的な視野を持ち、またそれが必要な国でもあったのだが。




