神苗降臨
「……で、何しに来たんです? 神奈子様?」
私はベッドの上で寝そべる彼女に手始めにそう尋ねた。それも、非常に迷惑そうな顔を見せつけるように浮かべながら、突き放すようにそう言った。
しかし、神奈子はそんな私をむしろ面白そうなものを見るような目で見つめて笑うと、体を起こして今度はベッドにあぐらを掻く体勢をとる。
「いや、ほら、アレだよ。うちの神社って参拝客が基本来ないから暇でね。だから早苗をちょっと尾けてみようかと」
「いや、帰ってください」
「えー、そんな事言わずに今からガールズトークでも始めないかー?」
「帰れ」
神様の暇つぶしに私が付き合う道理はない。私は苛立ちを言葉に含ませながらヘラヘラと笑う神奈子にそうストレートに要求をぶつけた。
流石に私の剣幕に気付いたのか、彼女の笑顔が少し引きつったものになっているのがわかる。しかし、それでも尚、彼女は引き下がろうとはしない。突然、思い出したかのように人差し指を立てると、
「ま、まぁ、落ち着けって早苗。そうだ、実はもう一つ用事があったんだよ!」
「用事?」
「そうそう。ほら、私言ったろ? 御賽銭くれたら少しサービスしてやるって」
「……あー、そんな事も言っていたような言っていなかったような」
ぼんやりと守矢神社での彼女との出来事を思い出す。つまり、神奈子はそのサービスとやらをするためだけに私の元にこんな夜中に来たという事だろうか。
随分と律儀な神様だ。律儀、というよりは友達の少ない子がその数少ない友達に異様な執着を見せるのと同じものを感じる。ソースは私だ。
友達が少ない子程友達に対する価値観は大きい。そのため、友達との些細な約束事ですら絶対遵守のもののように感じてしまう。これが神奈子にも当てはまる。
つまりは、数少ない参拝客である私に神奈子は大きな価値観を抱き、私への執着が強くなった結果が今の状況に繋がるというわけだ。
「……それで? 一体何をしてくれるんですか、神奈子様?」
仕方がない。そういう事ならば追い払おうとするだけ無駄だ。むしろ、早々に用事を済ませてもらって丁重にお帰り頂く方が早い。
ようやく、要件に応じる態度を見せた私を見て安心感に包まれた笑顔を浮かべると、神奈子は咳払いを一つして、一変、威厳たっぷりに語り始める。
「うむ、諏訪早苗。お主には私が主神を務める守矢神社への奉仕に見合う徳を与えよう。加えて、お主のほんのささやかな願いを一つ、我が神の御業を持って叶えてしんぜよう!」
「はぁ……そうですか」
「ちょ、テンション低いな! 私がこんな大サービスをしてやろうって持ちかけてんのに! それとも、これでもまだ不足と言うか!?」
「いや、別に不足とかっていうんじゃなくてですね。別に私にとってそれはそこまで魅力的なものという訳でもないんですよ」
徳がどうとか、ささやかな願いを叶えるとか、そんなものは私にとっては些細な事だ。私は現状に十分満足しているのでそこに神徳とやらが加わった所で特にこれまでと大差は無いだろう。
それに、ささやかな願いを叶える、という事ならば――
「まぁ、お前は少し変わった『特質』を持っているようだしね、それもそうか」
「――!? 気付いていたんですか……?」
「ああ、確信を得たのはついさっき。お前が子供達とトランプをしていた時だがね」
「……見ていたんですか」
流石に神様相手にまで隠し事をするつもりはなかったのだが、それでも神奈子に私の秘密を気付かれたという事実は大いに私を狼狽させた。
誰が相手であろうと私は常にこの神奈子が言うところの『特質』が自分以外の誰かに悟られるのを警戒すると共に恐れていた。亜季にすら言っていないもう一つの秘密、それは知れ渡るというだけで私の人生すら左右するかもしれない代物なのだ。
「早苗、あんた人の身でありながら『奇跡』を起こせる力を持っているね?」
「…………」
私は神奈子の問いかけに対し、肯定も否定もしなかった。ただ、それだけで彼女には十分に伝わったらしく、「そうか」と一言呟くと、立ち上がって今度は私の目の前の床に座り何か作業を始める。
その手には先刻、私が子供達とポーカーで遊んでいる時に使っていたトランプが握られている。神奈子はトランプから意図的に五枚を選び、抜き取ると床に表向きに並べていく。
「♦5、♦7、♠2、♣8、♣K。これがあの時のお前の手札だった」
「……そうでしたね。手は役なし(ブタ)、普通なら♦か♣のフラッシュに期待をかけての三枚交換かフォールド(降り)でしょうね」
「だが、お前は降りなかった。しかも一か八かの五枚交換ときたもんだ。最初はお前が子供達のために負けてやるつもりなのかと目を疑った――が」
神奈子は表向きに並べた五枚を再び山札に戻すと、また五枚のカードを選び出して同様に表向きにして並べる。
「お前が引いてきたのは♠10、♠J、♠Q、♠K、♠A。最強のロイヤルストレートフラッシュだ」
「…………」
「こんな事、普通はありえない、まさに『奇跡』。 違うか?」
「……初めてこれに気付いたのはまだ幼稚園児の頃でした」
私は空いたベッドの上にゆっくりと座り込むと、この奇妙な能力について口火を切る事にした。バレてしまったものは仕方ないし、それが神様ならそこまで深刻な問題という訳でもない。
それに、神奈子ならもしかしたら私の力になってくれるかもしれない。
「私は知らない子の輪に自分から入っていくといった事が非常に苦手で、そのせいで幼稚園児ではいつも一人でした。そんな私が唯一他の子達と溶け込めた時間がおやつの時間でした」
「おやつの時間? またなんで?」
「実はおやつの時間に毎回簡単なゲームをやって、それに勝った子はおやつが追加でもらえたんです。ゲーム内容はトランプを一枚ランダムに引いて一番大きい数を持っていた人の勝ちというものだったり、コインの裏表を当てていくものだったり毎日違いましたが、共通しているのはどれも『運』が勝負を左右する事でした」
「……成程、そのゲームでバカ勝ちしたって訳だ」
「はい、ゲームに勝ったらおやつがもらえる上に、皆から賞賛や羨望の言葉が投げかけられ、いつも一人の私もその時だけ人の輪の中心にいる事ができたんです。それが心地良くて、私はゲームに何度も勝ちました。この能力を無意識のうちに発揮して……」
「そうか、大体読めてきたよ。その後に何があったのか」
「ある日、いつものようにゲームで優勝した私に誰かが『ずるい!』と叫びました。その子は毎回おやつをもらっている私の事が気に入らなかったんでしょう。先生達がその子をなだめてくれたのでその場はとりあえず丸く収まりました。でも、その次の日から変化が現れ始めました」
ふと、私は今自分がどんな表情をしているのか気になった。私は一体どんな顔をしてこの話をしているのだろうか。床に座って哀愁を漂わせている神奈子の表情を伺う限りではきっと酷い顔だろう。
人とは不思議なものだ。幸せな記憶よりもトラウマや悪い記憶の方がより鮮明に記憶されるのだから。
「次の日から私は誰からも目を合わせてもらえなくなりました。私がゲームでズルをして勝っていると皆が思い込み始めたんです」
「……でも、別にズルはしてなかったし、そんな証拠も出なかったはずだろ?」
「年端もいかない子供がそんな理屈めいた事で納得するはずないでしょう? それに、何が真実かは関係ないんです。皆がそう言えば、それが虚実でも真実になりかわるんですよ」
「…………」
「その後はもう、予想がつきますよね。弁明すら許されないまま、私はすっかり嫌われ者になってしまいました。先生も頑張って皆に説得を試みてくれたのですが、あの年頃の子が耳を傾けてくれるはずもなく、遂におやつの時間のゲームすら参加させてもらえなくなり、嫌がらせもたくさん受けました。そして、その状況に改善の兆しが見られぬまま私は卒園を迎えてしまったんです」
私の幼稚園の時のアルバムに多人数で写っている写真と笑顔の写真は一枚もない。
誰かが唐突に放った一言。その小さな波紋が波となり、いつしか津波となって私を飲み込んだのだ。私はあの時ようやく自分の異常性について気付いた。そして、同時にそれが人前でむやみに使っていいものでない事も。
普通の人ならばこんな能力を授かれば喜ぶのかもしれない。しかし、私は――
「さっき、神奈子様は願いを一つ叶えてくれると言ってくれましたよね?」
「ああ、言ったな」
「じゃあ、私のこの能力、綺麗さっぱり消し去ってください」
「……早苗」
「もう、二度とあんな思いはしたくないんです。明日の早朝の勝負が終わったら、私を普通の女の子にしてください、お願いします」
私は神奈子に向かって頭を下げた。神奈子は何か言いたげに口元を震わせていたが、それを噛み殺すように唇を噛んだ。
「……わかった。お前のその生まれ持った『奇跡』の能力。消してやろう」
☆
目の前に懐かしい幼稚園の風景が広がっている。
『早苗ちゃん、すごーい! また勝ったんだ!』
『えへへ、運が良かっただけだよ』
『いーなー、早苗ばっかりおやつ貰えてー』
『どうやったら勝てるの? おまじないとか?』
私は皆に囲まれ、その輪の中心で笑っていた。まだ、笑顔があった頃の私だ。
しかし、このすぐ後――
『早苗ちゃん、またズルしておやつ貰ってるー!』
『ち、違うよ! 私、ズルなんてしてない!』
『嘘つけ! ズルでもしなきゃ毎日ゲームで勝てる訳ないだろ!』
『そ、それは……』
今日もまたゲームで勝ってしまった私に皆が敵意むき出しで襲いかかってくる。
私は何度もわざと負けようとしていた。しかし、能力の制御どころか自覚もしていない私はどうしてもこの強運で必ず勝ってしまう。誰もが羨ましがるようなこの能力はむしろ私の逃げ道を閉ざすと共に、立場までもを悪化させ続けていた。
『ほら、やっぱりズルしてるんでしょ! 早苗ちゃん、嘘ついたー! 嘘つきだー』
『ズルもして嘘もつくなんて早苗ちゃんサイテー』
『ち、違うの皆! 私もなんでこんな事になっちゃうのかわからないの! 何故かいつも勝っちゃってて……』
『うわー、更に自慢かよ……本当に最低だな、早苗』
『『かーえーれ! かーえーれ! かーえーれ!』』
うずくまって耳を塞ぐ私を皆が囲んでこぞって罵詈雑言を飛ばし続けていた。
少し前までその輪の中心で笑顔を見せていた私はそこにはいない。いるのは泣きながらうずくまる私だけだ。
不意に場面が唐突に切り替わった。私は教室の隅で膝を抱えて座っている。目の前には園長先生や他の先生達がいて、必死に私に何かを呼びかけている。
しかし、私はかかえた膝に顔を埋めて返事を返そうとしない。
『早苗ちゃん、皆には先生から言ってあげるから、お外で一緒に遊ばない?』
『……グスッ』
『……早苗ちゃん、あのね、しばらくはいつもやってるゲームには参加しない方がいいと思うの。今までずっと早苗ちゃんが勝っちゃってたから他の子達がおやつを貰えていないの。それはちょっと可哀想でしょ? 先生からのお願い!』
『……ちたくて……訳じゃない……!』
『え? なーに、早苗ちゃん?』
『勝ちたくて勝ってる訳じゃないもん! 勝っちゃうんだもん! 勝ちたくなんて……勝ちたくなんてないのに……うわぁぁぁぁん!』
『あー、泣かないで、早苗ちゃん……困ったなー』
この頃の私は既に自分の異常性には気付いていた。でも、そんな事を話したところで信じてくれる訳がない。完全に八方塞がりの状況に立たされた私の精神はもう限界だった。
思えばこの頃が一番辛い時期だった。それでも何故私は卒園を迎える事ができたのだろう。一体何が私の心の支えとなっていたのか――
『――早苗!』
ガバッ!
気付けば私はベッドの上にいた。酷く寝汗をかいており、動悸も荒い。おもむろに時計を見ると、まだ朝の4時を過ぎたところだった。
しかし、何故か異様な目覚めに良さに仕方なく私は起きて身支度を始める事にした。しかし、ベッドから出た瞬間に、顔から床に滴り落ちた水滴を見て私は足を止めた。汗ではない。何故ならその水滴は間違いなく私の目から滴り落ちたものであったからだ。
「なんで私涙なんて流して……」
何か怖い夢でも見ていたのだろうか。目覚めた時から既に夢の記憶はなかった。ただ、目覚める寸前、誰かに自分の名を呼ばれた、それだけは覚えている。
どこかで聞いた事のある声だった。あれは一体誰の声だったか。
「……いや、そんな事考えてる場合じゃない。今日は大切な日なんだから、しっかりしないと」
私は手早く身支度を整えると机の上に広げっぱなしになっていたトランプを束ねて鞄の中にしまうと、食堂に出向き、冷蔵庫から食パンを取りだし、トースターにセットする。
その間にベーコンと卵も取り出し、ベーコンエッグの調理に入る事にした。あまり料理をする方ではないが、美鈴からいくつか簡単な料理は教わっているので最低限の自炊はできるのだ。
誰もいない殺風景な食堂で一人、そうして作ったベーコンエッグをトーストの上に載せて頬張っていると、聞き覚えのある声がどこからか鳴り響いた。
「随分と早い朝食だねぇ、まだ5時にもなってないが?」
「……まだいたんですか、神奈子様」
いつの間にかすぐ隣に神奈子が座って頬杖をつきながら私が朝食をとる姿を見つめていた。私はできるだけ内心の動揺を悟られないように平静を保ちつつ、彼女にうんざりとした声で返答する。
内心では突然、隣に神奈子が現れた事で私は非常に驚いている。トーストを持つ手がまだ微かに震え、脈拍はとんでもない早さだ。幽霊か何かのように全く気配を感じなかった。
怪談でよくある後ろを振り向いたら目の前に幽霊が、という状況の恐ろしさをリアルで体験してしまった感じだ。
「まだいたんですかって……早苗が今日の勝負が終わってからその能力を消して欲しいって言うからこうして付き添っているんじゃないか」
「なるほど、それは失礼しました。でも、まさか学校までついてくる気ですか?」
「大丈夫だよ、普通の人間に私の姿は見えないから」
今から私が勝負をする人も普通の人ではないんだけどなぁ。
私は一抹の不安を抱えながらも、朝食を食べ終えると学校へと向かう事にした。少し早い時間ではあるが、何か行動していないと緊張しておかしくなってしまいそうだった。
大丈夫、私は勝てる! この能力がある限りは絶対に!
道中、私はそれだけを自分に言い聞かせながら落ち着かない足取りで人通りの少ない朝の通学路を一人歩いて行った。
そして、校門の所まで来ると、私は立ち止まって何度か深呼吸し、もう一度気を引き締めてから玄関へと向かった。
「随分と緊張してるねぇ」
「し、仕方ないでしょ! 大切な勝負なんですから!」
神奈子がそんなガチガチの私を見て面白そうに笑っているが、今は彼女に構っている余裕すらない程に緊張が私の体を支配していた。
ひっそりとしていて薄暗い玄関で靴を上履きに履き替えると、ゆっくりと私は1年3組の教室へと向かっていった。現在時刻は5時半を少し過ぎたところでまだ時間には余裕がある上、まだ瑞穂は来てはいないだろう。
教室で椅子に座りながら少し自分を落ち着かせておこうと考えながら教室の扉を開いた私は、そこで完全にフリーズした。
「――あら、随分早いのね。来るのはもう少し後だと思ったのだけれど」
「……守矢さん」
教室の窓際、一番後ろの席。そこには朝日に照らされながら読書をしていた彼女――守矢瑞穂の姿があった。
その状況に不意を突かれた私は一瞬、驚きのあまりフリーズしてしまったのだ。まさか、こんな早い時間から彼女が来ているとは思いもしなかったのだ。さっきよりもさらに激しさを増した心臓の鼓動が聞こえてくる。
「さぁ、少し早いけれど揃ったのだし始めましょうか。異論はないでしょ、諏訪さん?」
「……え? あ、はい!」
参ったなぁ、完全にあがっている。こんな状態でまともにゲームができるのだろうか……。
私は彼女の座る一つ前の席の椅子を借り、とりあえず瑞穂の対面に座る事にした。机の向こうでは不敵な笑みを浮かべた彼女がこちらを見つめている。
しかし、その笑みには友好と言ったものを感じさせるようなものはない。むしろ、負ける気がしないと言った余裕を感じさせる笑みだ。
「で、一体なんのゲームで勝負をするのかしら?」
「……簡単なゲームですよ、これを使った」
そう言って、私は緊張でまだ少し震えている手で鞄からトランプを取り出して机の中心に置く。それを見つめる彼女は特に興味なさげに「ふうん」と一言呟いただけで、私の次の言葉を待っている。
私は少しでも緊張を解すために一度大きく深呼吸をすると、ゲーム内容の説明へと入る。
「今回やるのはテキサスポーカーです」
「テキサスポーカー? 普通のポーカーと何か違うのかしら?」
「普通のポーカーは五枚のカードを持ってそれらを交換して役を競うけど、このテキサスポーカーでは二枚の手札と五枚のコミュニティカードと呼ばれる場札の七枚から五枚を選んで役を競うんです」
「つまり、交換がない上に最終的に自分のハンド(役)を構成するカードの大半が両者に見えているのね」
「そういう事です。後はほとんど普通のポーカーとルールは変わりません。今回はこのおはじきをチップとして十個ずつ持ち、それがなくなるまでゲームを繰り返します」
「……ジョーカーは入っているのかしら?」
「ワイルドカードの役は認めていないので入れていません」
「成程、また質問があればその時に聞くわ。早速始めましょうか」
瑞穂の了承を経て、かくしてポーカー勝負が始まった。机の真ん中に五枚の裏向きの場札が並べられ、向かい合う二人の手に二枚の手札が配られようとしている。
普通のポーカーからこのテキサスポーカーにルールを変えたのには理由がある。一つは自分の手札以外に触れる機会をなくし、山札からのすり替えなどのイカサマを防ぐため。最も、瑞穂がそんな事をするようには思えないが。
そして、もう一つはこの『奇跡』の能力を節約するという理由だ。ここで私が使う『奇跡』の能力を説明しておこう。まず、最初に断っておきたいのは、私の持つ能力はあくまで有限のもので何度もスケールの大きい奇跡を起こせるようなご都合能力ではない。
ドラ●エ風に言うならば、ある奇跡を起こすにはその奇跡に見合ったMPが必要になるのである。スケールの大きい奇跡はMP消費が大きいため一日一回程度しか起こす事はできないが、スケールの小さいものならば、何度も起こす事ができる。例を出して具体的に説明すると、役なし(ブタ)の手札を五枚交換してロイヤルストレートフラッシュを引いてくる程の奇跡は一日に一回が限度だが、コイントスで表を出し続ける程度の奇跡であればおそらく百回は連続でできる。
そこで、このテキサスポーカーである。ドローポーカーが手札五枚であるのに対し、テキサスポーカーの手札は二枚、さらにのカード交換はない。つまり、ドローポーカーでは五枚の手札と交換するカード全てに対しMPを消費していたのが、テキサスポーカーではたった二枚だけになる。
手札と交換するカード全てを『奇跡』で操作するのと、たった二枚を操作するのではどちらの方がMP消費が少ないのかは一目瞭然だろう。
今回の戦い方としては、出来る限り確実に勝つために全ゲームで能力を使っていく方針だった。そのため、MP消費が少なく、何回も『奇跡』の能力を使えるテキサスポーカーを選んだのである。
「それじゃあ、コミュニティカードは並べ終わったから次にそれぞれの手札を配ります」
――ここでMPを消費して『奇跡』を発動!
手札を二枚ずつ配り終えてからおもむろに自分の手札を確認する。手札には既に♠Aと♦Aのペアができてた。
よし! MP消費も少なく抑えられたし、これなら後二十回はいける!
「それじゃあ、まずアンティ(参加料)としてチップを一枚出して、守矢さんから行動宣言をお願いします」
「そうね、ベットしましょうか。これは何枚でもいいのかしら?」
「このゲームではチップがお互い十枚しかないので、ベット、レイズはそれぞれプラス一枚までにしてください。あと、レイズは各ベットラウンドにつきお互い一回までで」
「わかったわ。では一枚ベット」
「コールします」
「……そう」
通常のテキサスポーカーならアンティではなく、ビッグブラインドとスモールブラインドの強制ベットがあるが、それがあるとこの十枚のチップではまるで足りないためこの勝負ではアンティの方を採用する事にしている。
お互いにアンティに加えて、さらにベットされたチップ一枚を互いに置く。これでファーストベットが終了し、同時にコミュニティゾーンから三枚のカードが表向きにされる。
プレイヤーのハンドを左右する運命の三枚は❤A、♣6、♦10。この時点で私の最高ハンドはAのスリーカードとなる。
まるで負ける気がしない。
「それじゃあ、セカンドベットに入ります。次は私から行動宣言していきますね。ベット」
ベット、レイズ共に最大一枚までなので枚数を言う必要はないと判断した私はそれだけ言ってチップをさらに場に一枚置いた。
これでファーストベットから合わせて私から三枚のチップが場に置かれている。
「……レイズ」
瑞穂も強気な姿勢でさらに一枚プラスした二枚の額を置く。これで私がコールすれば互いに四枚のチップを場に出す事になるが、しかし、この手札で降りる手はない。
「さらにレイズ!」
「では、コールね」
セカンドベットが終了し、互いに所有チップの半分、五枚のチップを場に出している。
そして、その終了と同時に裏向きのコミュニティカードからさらに一枚カードが開かれる。開かれたカードは♦K。場のカードはバラバラで完全に手札がハンドの強さを左右する状況になってきている。
実はこのテキサスポーカー。一見、自分の手札二枚と場札五枚からハンドを作る特性上、役が出来やすそうに見えるが、案外そうでもない。大抵ワンペア、ツーペアの勝負が多く、スリーカードがあれば大体の場合は勝てるし、フラッシュ、ストレート系がくればまず負けはない。
そのスリーカードの中でも最強のAのスリーカードを持つ私は現時点ではかなり強気に攻めていい状況と言えるだろう。
それでも尚、降りない瑞穂の動向も気になるところではあるが……。
「最終ラウンドです。守矢さんから行動宣言をお願いします」
「チェック」
「……え?」
「チェックよ。もちろんありでしょう?」
「は、はい、もちろん」
チェックとは、自分の行動宣言を一旦保留にして次の人に順番を回す、いわゆるパスみたいな行動の事である。他の相手の動向を探りたかったり、悩んでいたりする場合に使うが、今まで強気に出ていた彼女が何故今チェックをするのか真意が理解できなかった。
私はもう一度コミュニティカードに目を落とす。五枚あるコミュニティカードのうち、開かれているのは四枚、左から❤A、♣6、♦10、♦Kとなっている。
やはり、大丈夫なはずだ。この場札で私への逆転手が既にできているはずがない。
というのも、私のAのスリーカードの上をゆく役はストレート、フラッシュ、フルハウス、フォーカード、ストレートフラッシュ、ロイヤルストレートフラッシュだ。
まず、ロイヤルストレートフラッシュはありえない。同じマークの10、J、Q、K、Aを揃えるにあたり、可能性があるのは場の♦10と♦Kをつかったもの。しかし、それに必要な♦Aは既に私の手札にあるからだ。
また、他の手役はまだ現時点では確定し得ていないはずだ。フラッシュは場札内で同マークのカードが三枚以上なければならないし、フルハウスとフォーカードは場札で最低ワンペアができていなければならない。問題はストレートだが、これも五枚目を見ない事には確定しているかわからない。
つまり、現時点までで強気に出ている彼女は6、10、Kのどれかのスリーカードもしくはそれ以下の役で勝負しにきているか、ブラフで私を降ろそうとしているかのどちらかだろう。追記するとすれば、ラスト一枚のコミュニティカードに対する神頼みという線もあるが、これは完全に運次第なので考慮するだけ無駄だろう。
それならば、私の行動は決まっている。
「ベットします」
前者の場合でも後者の場合でも変わらない。スリーカード以下で勝負しに来ているのなら私の手は必勝だし、ブラフだとすればなおさら勝負して構わないはずだ。
後者の場合、最後のコミュニティカードで逆転、という展開もあるが、極めて可能性は低いだろう。一番可能性が高そうなものは♦のフラッシュだが、それには自分の手札も二枚とも♦で、かつ最後のコミュニティカードも♦ある必要がある。
「レイズするわ」
「……レイズです」
しかし、尚も彼女は強気にレイズを仕掛けてくる。場にはついに八枚目のチップが私のチップから出ている。
大丈夫、負けるはずがない! これで勝てるはず!
「コールよ。これでようやく勝負成立ね」
「……はい、お互い八枚ずつのチップを賭けて勝負です。まず、五枚目のコミュニティカードをめくります」
めくられたカードは❤8。これでフラッシュ、フルハウス、ストレートフラッシュ、フォーカードの可能性が一気に消えた。残る懸念はストレートのみ。
この場札から考えられるストレートの組み合わせは6、7、8、9、10の一通りのみ。しかも手札は7と9でなければならない。
酷い手だ。もし、私の手札が7と9だったら最初にコミュニティカード❤A、♣6、♦10が開かれた時点で降りている。
5枚目まで粘ってようやく勝負手になる手札。そんなものを持ち続けられるのはブラフをかけていて偶然そうなったか場合か、プレイヤーが予知能力を持っている場合だけだ。
とりあえず、まずはこの勝負は私の勝ちのようだ。
「Aのスリーカードです。守矢さんは?」
「ふふっ」
「どうしたんですか? 急に……笑い出して」
自分の手札を持ったままクスクスと笑う瑞穂に不気味なものを感じながら私は恐る恐る彼女にその理由を問いかける。
教室に入ってからずっと私は同級生のはずの彼女に対し緊張から敬語で喋っており、それを直すタイミングを計っているのだが、彼女の不気味な笑いに気圧されてしまっている私には依然としてそれを直す事は叶わなさそうだ。
「いえ、不思議でね」
「……と、言うと?」
「私は家柄から今までずっと神様に奉仕して育ってきたのだけれども、そのせいかとても運が良くてね。どんな状況でも『運』さえ絡めば最後には必ず勝ってしまうのよ、こんなふうにね」
彼女が落とした二枚の手札が私の目の前に落ちてくる。
♦7と❤9、場札と合わせてストレートが成立している。瑞穂の勝利だった。
「…………嘘でしょ……?」
「それじゃあ、この場のチップは全て持って行っていいのよね?」
半ば放心状態の私を見て勝ち誇ったような笑みを浮かべながら場に出された十六枚のチップを持っていく。
一方、私はいまだ目の前の状況が信じられずにいる。
「……一歩間違えたらもうこのゲームは終わっていたな」
「終わっていた?」
不意に早苗の後ろから重々しく口を開いた神奈子はそう独り言のように呟いた。
私はまだ彼女の言葉の意味がわかっていない。しかし、私が神奈子の言葉を反復したのを聞き、今度は瑞穂が少し驚いた表情で私を見つめる。
「そうよ、ようやく気付いた? この勝負はこの1ゲーム目で終わっていたはずだったのよ。あなたがファーストベットでコールさえしなければね」
「……あ!」
瑞穂の言葉でようやく私は全てを理解した。彼女はこの1ゲーム目で勝負を決めるつもりだったのだ。 このルールではアンティ一枚から始まり、ベットラウンドが三回ある。各ラウンドを最大枚数で終えた場合、場に出されるチップの総計は二十枚となる。つまり、このゲームで両者が持っていたチップは全て場に出され、勝敗が決する事も有り得た、いや、今のゲームがまさにそんな流れだったのだ。
完全に勝負手だと確信して強気に出続けた私にそれでも尚、強気に応え続けた瑞穂の真意はまずそこにあった。
さらに、最後のベットラウンドで行った彼女の不自然なチェック。あれは私に最初にベットさせるためのものだ。万が一、彼女のベットを私が警戒してコールで済ませてしまわないように、場に出るチップが減ってしまわないように、確実にレイズできるよう順番を操作したのだ。
実際には自分の手札に勝利の確信を抱いていた私には彼女の懸念した警戒など微塵もなかった訳だが。
そして、彼女のその計画を図らずも防いだのは最初のベットラウンドでの私の特に意味のない気まぐれな『コール』。あれがなければ今頃チップを全て彼女に奪われ、負けていただろう。
「あなた、手札を見る限り相当『運』を持っているらしいけど、ポーカーが運だけの勝負だとおもっているのなら大間違いよ? むしろ、このチップの駆け引きこそ、ポーカーの本質でしょう?」
完全にしてやられた。もちろん、ポーカーを運だけの勝負などと思った事は一度もない。しかし、今の1ゲーム、私は『奇跡』の能力に溺れていたのだ。この能力に溺れ、相手を見ていなかった。
それが、私の敗因。そう、それはいい。しかし、では彼女の勝因は一体なんだろうか。彼女は確かに勝ったが、それは駆け引きではなく、手札の強さ、すなわちハンドで勝った結果なのだ。
完全なブタで相手のスリーカードやフラッシュの手を降ろさせたというのならそれは駆け引きによる勝利と言えるだろう。しかし、彼女は駆け引きによってより多くのチップを絞り出しただけであり、私を勝負から降ろした訳ではない。勝負を決めたのは彼女の手役であり、勝因はその強運にある。
普通、あの手札が最終的にストレートになるだなんて思うだろうか。彼女は言葉巧みにあたかも勝因が駆け引きのように言って隠そうとしているが、彼女の本当の強さはその強運にあるのだ。
そして、これ程の強運は最早、『奇跡』とほぼ同等と言えるのではないだろうか。
「今頃気付いたか、早苗」
私の心の内を読んだかのように神奈子がそう言って、私の肩に手を乗せて耳元に顔を近づける。
そして、まるで瑞穂に聞こえないように配慮するかのように小声で私に呟く。
「あいつもお前と同じ『奇跡』の能力を持っているのさ」
「――!」
キーンコーンカーンコーン
同時に次の試合のゴングを鳴らすかのように6時を知らせるチャイムが教室中に鳴り響いた。
「……ふふ。さて、そろそろ次のゲームを始めましょうか、諏訪さん?」
冷たい微笑を浮かべながら私に次のゲームを催促する彼女が、私の何倍にも巨大な存在に見えた。
私は彼女に言われ、できるだけゆっくりとカードをまとめ始める。その間になんとか彼女に勝つ方法を考えようと必死で思考するためだ。
だが、思い浮かばない。相手もまさか私と同じように『奇跡』の能力を使えるなんて想像もしていない、まさに想定外の出来事だった。その上、この能力のトラウマもあってあまりこういったゲームに積極的に参加してこなかった私には何よりこういう時の勝負強さが不足している。
一度の負けで完全に思考が停止しかけているのが勝負慣れしていない何よりの証拠だ。
「そういえば、あの三人。千曲さんと斑鳩君と日外君だったかしら? 彼女達はこの勝負を知っていてここに来るという予定はあるの?」
「いや、知らないし来ないはずですけど……それが?」
「いえ、この際あなたを含んだ全員に言っておきたくてね。どうもあなた達は誰もが皆友達を心から望んでいると思い込んでいるようだけれど、勘違いも甚だしいわ」
「なっ……!」
「その一例が私。私があなた達に求めているのは友好関係じゃない。無関心と無関係、それだけよ。行き過ぎた思い込みは頭の中だけにして。勝手な思い込みで他人に迷惑を掛けるものではないわ」
「なっ、なっ……!」
「それに、皆が皆友達を望んでいるって、それはあなたの願望ではないの? 単にあなたが皆と友達になりたいという願望を押し付けている結果ではないの?」
「――っ!」
「こういう思考って友達少ない子とか内向的な子に多いのよね」
「…………い」
「い? 何?」
「言わせておけばぁぁぁぁぁぁぁぁ! ふざけるなぁぁぁぁ!」
遂に私は堪え切れず思い切り感情を爆発させてしまった。大声で叫んだり怒鳴ったりという事を滅多にしないためか、その怒号一つで息を切らして机に両手をついてしまう。
対面に座る瑞穂の顔は依然として無表情を保っており、私の怒号に何か感化されたような様子は一切ない。
ほう、そうですか。いいでしょう、ならば戦争だ!
「はぁ、はぁ……確かに、そうですよ。私は幼稚園の時からほとんど友達と呼べるような存在はいませんでしたし、かなり内向的な性格でしたよ!」
「それなら――」
「でもね! だからこそ、私が、私達が勇気を持って向けたあなたへの好意を! 仲良くなりたいという気持ちを! そんなふうに全否定されるようないわれはないし、そんな事は許さない!」
「許さなかったらどうするの? どちらにせよこの勝負に負ければあなた達は私との関係を一切断つ事を約束してもらっている訳だけど?」
「――っ! あー、私、正直あなたの事最初に見た時からずっと気に食わなかったけど、その理由がようやくわかった。あなたを見てると、昔の自分を見ているようでイライラするんだ」
「な、なんですって……!」
ようやく、今まで涼しい顔を保っていた瑞穂の顔が怒りに歪んでいく。しかし、私の胸中はそれ以上の怒りに包まれている。彼女に多少威圧的な態度をとられた程度で怯むような状態ではないのだ。
むしろ、もっと色々言ってやりたい位だ。いつの間にか、ずっと直せていなかった敬語もすっかりタメ口になっている。
「守矢さんのその全てを達観したような言動とか、友達はいらないとか……全部、一昔前の私そっくりだよ。あの時の、アキに会う前の大馬鹿な私に!」
「言ってくれるわね、諏訪さん。私もあなたの事は一目見た時から気に入らなかったわ。どん臭い上にお人好し、しかも人と話慣れていないで無理しているのが丸わかり……あなた、何もわかってないわ!」
「わかってないのは守矢さんの方だよ! 友達がいらない? 求めているのは無関心と無関係? そんな訳あるか! 誰しも独りは嫌に決まってるでしょ!」
「――!」
ずっと、ぼっちだった私が言うんだから間違いない!
最後のフレーズは声に出した時の自分へのダメージがあまりにも大き過ぎるので心の中だけに留めておく事にする。
再度、深呼吸をして息を整える。今日はどうも朝っぱらから怒鳴りっぱなしでいけない。今までの人生で怒ってここまで大声出したのはいつ以来だろう。こんなふうに自分の想いを正面からぶつけたのはいつ以来だったろう。
ああ、いけない。喋りすぎたせいか酸欠で頭クラクラする。これだから、コミュ障の体は……。
「神奈子様、ちょっと……いいですか?」
「……なんだ?」
目の前に瑞穂がいるにも関わらず、私は後ろにいる瑞穂には見えていない神奈子に振り向かずに声を掛けた。
案の定、瑞穂は唐突な私の意味不明な呟きに目を白黒させている。
全く、ここで神奈子様に普通に話しかけるとか、思考も働かなくなってるのか、私は?
「願いを変更します」
「あ、あの? 諏訪さん? さっきから何を言っているの……?」
「願いを変更ねぇ。構わんよ、言ってみ?」
「じゃあ、遠慮なく……」
私は酸欠から身体が大分回復した事を確認すると、目の前の瑞穂を見つめて言い放つ。
今まではこんな事を願った事はなかった。何故ならこの『奇跡』の能力を使えばそんな願いは簡単に叶えられるし、それよりもむしろこの能力のせいで反感を買う方が怖かった。幼稚園の時のように。
しかし、今目の前には私と同じ能力を持つ人間が、おそらくは似た人生を送り、似通った人生観を持つ人間がいる。
彼女だからこそ、私のこの感情は、願いは湧き上がってきたのだ。
私は彼女に、守矢瑞穂に――――
「勝ちたい!」
これが、私の願い。十数年ぶりに再び湧き上がってきた私の感情。
瑞穂は完全に私の言動についてこれず、最早声すら出ないと言った様子だ。彼女の表情がさっきからずっと意味不明と言いたげな困惑したものになっている。
そして、私の新たな願いを聞いた神奈子はというと、突然、ニヤリと頬を釣り上げたかと思うとこの教室、学校中に響き渡りそうな大声で笑い始めた。
もちろん、私以外の人間には聞こえないためそれに反応するのも私一人だけだ。当然、近くでそんな大声を出されれば誰でも驚いて耳を塞いでしまうだろう。つまり、今回の場合、瑞穂から見れば私はさっきからブツブツとおかしな独り言を呟いていたかと思うと、突然耳を塞いで驚いているまさに文字通りの変人に見える訳である。
一昔前の私なら不登校確実だった。
「はっはっはっ! 私はもうすっかりお前を気に入ってしまったよ、早苗。いいだろう、この件に関しては私も言いたい事があるしねぇ。この勝負、勝たせてやろうじゃないか!」
「それは、ありがたいですけど……でも、次からは近くで大声で叫ぶのはやめて欲し――」
「ただし、早苗、お前には傍観者の立場になってもらうぞ」
「――へ?」
その言葉を最後に、何が起こったのか私の意識は急に遠くなり、為す術なく闇に包まれていった。
しかし、それからコンマ数秒、再び私は意識を取り戻した。感覚としてはうとうとしているうちに一瞬だけ眠りに入ってしまった時の感じと酷似している。おそらく、現実でもそこまで時間は経っていないと思われる。
私が視線を泳がすと、やはりまだ机の上にはトランプが置かれているだけで、チップの変化もない。私が一瞬意識を失ってから本当に数秒しか時間は経っていないようだ。しかし、今の感覚はなんだったのだろうか。神奈子が何か意味の解らない事を言っていたのは憶えているが……。
「……ねぇ、あなた大丈夫? 大丈夫なら取り敢えずカードを配って欲しいのだけど」
ぼーっと考え込んでいると、瑞穂からゲーム進行を催促され、私は今、自分が何をしていたのか改めて思い出した。
そうだ、私は今ポーカー勝負の途中だったのだ。早く次のゲームを始めないと――
「ああ、悪いね。すぐ配るよ」
……あれ? おかしいな、今私声出したっけ?
突然、自分の声が聞こえて、私は驚いてトランプを持った手を止めた……はずだが、何故か私の手はその意に反してカードを配り始めていた。
……え? なんで勝手に私の手は動いているんでしょうか?
『はっはっはっ、驚いたか早苗?』
その声は……神奈子様!?
突如頭の中に直接響くように聞こえてきた声に私は神奈子の姿を探すが、彼女の姿にはどこにも見当たらない。
というか、まず視線が動かせない! さっきから一体どうなっているんだ私の体は!
『落ち着け、早苗。今、お前の体は私が使わせてもらっているんだ。今はお前の意思では動かんよ』
私が使わせてもらってるって……それ私にとり憑いたって事ですか!? 何それ怖い! 返してくださいよ、私の体!
『いや、返すよ? この勝負が終わったらね』
勝負が終わったら? 何でそんな事……はっ! まさか、傍観者っていうのはそういう事ですか!?
『ま、そういう事だ。この勝負は勝たせてやるが、その代わり、ゲームをするのはお前ではなく私だ。お前はおとなしく見ているんだね』
ちょっと、待ってください! 私は神奈子様の手を借りたくてそう願った訳じゃ――
『わかっているさ。まぁ、でも少し私も混ぜろよ。ちょっと、こいつにはお説教をしてやりたいからね』
お説教って……まぁ、そこまで言うなら任せますけど、でもこれはあくまでも私『達』の勝負って事でお願いしますよ。
『お、いいねぇ。私と早苗の共闘か、うん、そうしよう。では、今の状態を早苗と神奈子が一つになった状態という事で≪神苗モード≫(かなえもーど)と名付けよう!』
なんですか、それ。まぁ、何でもいいですけど……。
『よし、じゃあ決まりだ。≪神苗モード≫で早速反撃開始と行こうか!』
私は神奈子の声から意識を私の――神苗モードの体の視覚に集中させ、状況を確認する。
現在はまだコミュニティカードは一枚も開かれておらず、両者には自分の手札のみが見えているのが現状だ。そして、私『達』のチップは残り二枚なのに対し、瑞穂のチップは十八枚。実に相手には自分の九倍の数のチップがあるのだ。
状況は相も変わらず最悪と言えるだろう。ファーストベットに降りるか勝負するかを決めなくてはならない。
そして、それを決める運命の手札は――♦Aと♦4。
コミュニティカードの三枚によってはフラッシュが狙えそうではあるが、そのコミュニティカードを見前に私達は一つの決断をしなければならない。
「それじゃあ、私からアンティを支払って、さらにベットするわ。あなたは?」
来た。当然だが、彼女は勝負を仕掛けた。つまりは、ベットした。私達がコミュニティカードの最初の三枚を見るにはこの勝負を受ける必要がある。そして、それには『オールイン』をするしかない。
オールインとは、意味通り持っている全てのチップを賭ける事である。全チップを場に出す事で、必然的にそれ以上のレイズ、ベットはできないが、代わりにそのプレイヤーはオールインしたチップの枚数に関わらず、それ以降どれだけ場のチップが増えてもそのゲームには最後まで参加する事ができる。つまり、相手のチップ不足を狙った大量ベットで強制的に降ろすという手はこのルール下では使えない。
今の状況で私達が彼女のベットに対しコールするには二枚のチップ、すなわち持っている全てのチップが必要になるため、勝負を受けるなら強制的にオールインをしなければならない。
どうする、手札だけではこれが勝負手なのかどうかは判別できない。かといってこのゲームも降りればアンティ分のチップが減るだけでそれこそ彼女の思う壺だ。
『おいおい、早苗。お前の動揺がこっちにまで伝わってくるんだが?』
突如、また神奈子の声が私の頭の中に響いてくる。どうやら、神苗モードになった事によって互いの精神面がシンクロしているらしい。
しかし、私の動揺を神奈子が感じ取った一方で私の方は彼女からなんの焦りも動揺も感じない。一応神様ではあるみたいだしそういった感情はないのかもしれないが、どうしてこの状況でそんな平静さを保てるのかそれでも私には不思議でならなかった。
『おい、一応神様だとか失礼な思考まで流れ込んできたぞ』
おっと、どうやら思考もシンクロしているらしい。しかし、なんで神奈子様の思考は私には流れ込んでこないのだろう。私だけが神奈子に精神やら思考やらを一方的に盗み見されているようでなんだか納得いかない。それとも、神奈子様は頭の中空っぽで何も考えていないと、そういう事なのか?
『いちいち、何かにつけて失礼なやつだな。別に何も考えていないんじゃなくて、お前に私の思考が流れ込まないようにシャットアウトしているだけだよ』
何それずっこい!
『お前……人間の思考ですら複雑でとんでもない情報量をもっているんだぞ? 私達神はそれ以上だ。そんなのがお前の頭に一気になだれ込んで来てみろ。冗談じゃなく頭パンクして死ぬよ?』
う……じゃあ、いいです。別に神奈子様の思考にも興味ある訳じゃないし。
『いちいち辛辣だなお前は。ま、ここは私に任せておきな。必ず勝つ』
そう言うと、彼女は横に置いてある残り二枚のチップに手を伸ばすと、それを握りこみ、机の中央まで持ってきて空中でその手を開く。
神苗モードの私と瑞穂の間を二枚のチップがぶつかり合いながら落ちていく。
「私は当然、オールインだ」
「ふふ、追い詰められて勝負に出たわね。その選択が命取りにならないといいけど」
「お前こそ、次のセカンドベット、サードベットでは不用意にチップを置きすぎない事だよ。思わぬ大打撃を食らうからねぇ」
以上が表面上では諏訪早苗、実際は八坂神奈子様のお言葉である。
……って、これめちゃくちゃキャラ変わってんじゃん、私! こんなの私じゃないよ!?
『まぁ、中身が私だからなー』
大丈夫ですか!? この神苗モード! 私が普段絶対しないような邪悪な笑みを浮かべて守矢さんと一丁前に挑発し合ってましたよ!?
『まぁ、だから、これは神苗という早苗の中のもう一つの人格という設定にすれば……』
キャラ崩壊にも程がある……!
これからはこの状態の私は神苗と呼称しよう。これが自分だと認めたくないという意を込めて。
しかし、まずはこれで逃げられなくなった。これで瑞穂が降りるか、私のハンドが彼女の上をいかなければ私の負けが確定してしまう。
お願い! 来て! いい感じのコミュニティカード!
「それじゃ、私がコミュニティカードの三枚をめくるわね?」
「ああ、頼む」
瑞穂が裏向きの五枚のコミュニティカードの中から三枚を表にする。最初に提示されたカードは♣6、❤6、♦5。
一応フラッシュの種である♦のカードは一枚混じってはいたが、既に場で6のワンペアができている。これで彼女の手札二枚もペアだった場合、フラッシュよりも上位の役、フルハウスの危険性が出てくる。さらに最悪なのは彼女の手札が二枚とも6だった場合、6のフォーカードが確定し、まず勝ち目はなくなる。
何故、こうも相手に有利そうな展開に……。
『おいおい、やめな早苗。お前、負け犬の思考になってるよ?』
負け犬……? 私の思考が……?
『そうさ、一度大きな負けがこむと人間、段々と負けるのが怖くなってくる。すると、どんな状況でも自分が負けるパターンばっかりを考えるようになる。それが負け犬の思考、勝つ事より負けない事の方に意識が先行しちまっている状態。そんな勝負の仕方じゃ、ここぞって時に動けないし、運だってついて来ないさ』
勝つ事よりも負けない事に意識が先行する……なるほど、確かに私は今負け犬の思考に陥っていましたね。
『そうだ、そんな思考は切り捨てろ。どうせ今の私達の状況は勝ち負け以前に逃げる事すらできないんだからな。腹ぁ括って、勝利さえ貪欲に見つめてりゃいいのさ! そうしていた方が割と運も向いてくるもんさね』
「さぁ、セカンドベットだ。どうする? 万が一の保険もかけてここは最低限のチップだけ置いて流した方がいいんじゃないのか?」
「…………」
ここぞとばかりに神苗が瑞穂を挑発しにかかる。うまい扇動だ。瑞穂のプライドの高さを見抜いた上でチップをより多く引き出そうとしている。
私達がオールインを宣言してしまっている以上、当然の事だが私達からこれ以上のチップはでない。瑞穂がここでレイズをした所でそれは悪戯にチップを消費するだけの行為であり、無意味だ。しかし、私達からすればだからこそ、ここでより多くのチップを瑞穂から奪いたい。
ならば、こちらはチップが出せない代わりに話術で相手のチップを引き出すしかないのだ。
「どうした、守矢? 随分と考え込むじゃないか。手が思ったより良くないのかい?」
「……ふふ、そうかもね――あら、いけない、手が滑ったわ」
不意に、瑞穂の手からその手札の一枚が落ちていった。明らかにわざとだ。そして、神苗の目の前まで落ちて表向きに晒されたそのカードは♦6。
少なくともこれで彼女の手の中で6のスリーカードが確定した事になる。
「あら、いけない。私ったら大事な手札をうっかり一枚落としてしまったわ。悪いけど諏訪さん、取ってくれる?」
「……ほら」
まさか、あえて自分の手札を晒してくるなど思いもしなかった。よっぽど自分の手札に自信がなければ使えない手段だ。神苗の挑発をまさかこんな形で返されてしまえば流石に何も言い返せない。
神苗は♦6を取ってそのまま彼女に手渡そうとした。そこで、さらに瑞穂は新たな行動に出る。
神苗から渡されたカードをあろう事か手札を持った方の手を、しかもその手札を保持したまま伸ばして受け取ったのである。当然、その視界に彼女の残りの手札も晒される事になる。
そして、私は彼女のもう一枚の手札を見て文字通り絶句する事になる。
彼女のもう一枚の手札は♠6。既に彼女の手の中で6のフォーカードが確定していたのである。
「なっ……!」
「あらあら。私ったらついうっかりもう一枚の手札も晒してしまったわね。まぁ、もう逃げられないあなた達には関係のない事だけれども」
「――っ!」
「私はベット、加えてレイズするわ。場にたくさんチップが欲しいんでしょう?」
馬鹿にしたような口調で瑞穂は自分のチップから二枚を場に置く。オールインしている状態の私達は基本的にショー・ダウン(勝負)まで他の行動はできない。
彼女はベットだけでこのベットラウンドを終わらせる事もできるし、さらにレイズをする事もできる。 この状況でレイズをする得などどこにもないのだが。
「お前……!」
「どうしたの? 私のフォーカードを見て言葉もでないのかしら?」
神苗――私の体に憑依している所の神奈子は大きく目を見開いて、信じられないといった表情で絶句していた。そして、それを満足げに見つめて勝ち誇る瑞穂。
やはり、この状況からじゃいくら神奈子様でも……!
しかし、その直後、神苗はとんでもない爆弾発言を投下する。
「お前……そんなクズ手で勝負をかけてきてたのかい……!?」
「……は?」
……は? いやいや、何言ってんですか、神奈子様。フォーカードですよ? フォー・オブ・ア・カインドですよ? ワイルドカードを抜きにしたら序列三番目の強さを誇る正真正銘の勝負手ですよ? それを今クズ手って……?
「いや、だってお前、私はてっきりロイヤルストレートフラッシュでも来てるのかと……いいのか? そんな手じゃ負けが目に見えてるよ?」
「フォーカードが……クズ手? あなた、本当に頭大丈夫なの?」
ぐわぁぁぁ! やめて! 私をそんな目で見ないで守矢さん! 違うんです、今喋っているのは私であって私ではなくてっ! これは決して私の本心では――そうかっ!
ようやく、私は神奈子が何故そんな訳のわからない事を言い始めたのか理解した。これはブラフだ。フォーカードを見てもあえて余裕そうに振る舞う事で彼女に不安を抱かせようとしているのだ。
どう考えてもこの手札からフォーカードと渡り合える手ができるとは考えられない。だから神奈子は瑞穂を降ろす作戦に入ったのだ。そうとしか考えられない。
『いや、違うよ。 私は本心からあいつの手をクズ手と言ったんだ』
もう、ちょっと黙っててくださいよ! 相手は6のフォーカードでこっちは辛うじてフラッシュが見えるか見えないかの手。ここから勝てる確率なんて……。
『お前こそ黙って見ていな、早苗。お前は全くわかっていないな、私が何者なのかを』
……えぇ、どういうこと!?
困惑する私を放って、神苗はセカンドベットの終了と同時に四枚目のコミュニティカードを開く。
「じゃあ、見せつけてやろうじゃないか。『神の奇跡』ってやつを!」
勢いよく開かれたその四枚目のカードは――――