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東方早苗録  作者: かぼちゃ団長
高野の耳裂鹿
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諏訪早苗

 長野県諏訪市。そこに私は住んでいた。

 物心ついた時から私には両親はおらず、この15年間ずっと児童養護施設で育った。

 最初はその事に私は深く悩んだり悲しくなる事もあったが、今はもうそこまで寂しくはない。周りにも同じような子はたくさん居たし、施設で働いている人達が親身に接してくれた事がその心の穴を埋めてくれた。もちろん、完全にとまではいかないが。

 もうこの施設でも私が一番の年長者になってしまった。

 他に居た年上の子達は高校卒業と同時に皆働きに出て、自立していたからだ。

 そして、私も後三年したら同じように施設を出なければならなかった。

 近頃はそんな事ばかり思い悩みながら私は生活していた。

 施設を離れたくない、こんな毎日が永遠に続けばいい。そう思っていた。

 施設の門を抜け、周辺の住宅街を抜ければそこには大きな湖が見える。

 諏訪湖である。諏訪市の他にも岡谷市、諏訪町にまでまたがっている長野最大の湖だ。

 朝方に見るこの湖の風景が私は好きだった。こんな鬱陶しい悩みを全て包み込んでくれるような壮大さがそこにはあったからだ。

 季節は春。東から吹く風が桜吹雪を舞い上げる中、私、諏訪早苗すわさなえは高校一年生の春を迎えていた。

 この諏訪早苗と言う名前は施設に拾われた時、私の着ていた産着に記されていた早苗という文字を名前だと判断し、付けられたものだ。

 残念ながら苗字を示すものは見つかっていないため、施設ではそういう子達の苗字は皆『諏訪』とする事になっている。なので、私も同様に苗字は諏訪とされた。

 苗字に関してはともかく、この早苗という名前自体は私は気に入っていた。何せ、顔も知らぬ両親から唯一もらったものだ。

 我が子を捨てる人達でも親である事には変わりない。それから貰ったものはやはり我が子としては嬉しいものなのである。

 いつものように湖をしばらく見つめてから一礼し、私は元気よくセーラー服とショートカットの黒髪をたなびかせながら学校へと走って行った。


「早苗ちゃーん!」 


 学校へと向かう道すがら、私は同じセーラー服を着た少女に出会う。

 ショートボブの黒髪の一部からアホ毛を生やしている一見小学生に見えなくもない寸胴ボディの彼女は私と同じ15歳、花の女子高生であるが、初見で他人からそう認識された試しはほとんどない。

 そして、彼女が私の名を呼ぶように私も彼女の名を知っていた。


「あ、おはよう! アキ!」


 彼女の名前は千曲亜季ちくまあき中学校の時からの親友であり、私が孤児である事実を知る数少ない人物でもある。

 実は、自分が孤児で施設で生活している事はあまり言わないようにしている。理由は様々だが、小学校の時にその事を軽々と口にした結果、それがイジメに発展した事が一番大きい。

 幸い、担任がその事にいち早く気付き、対処してくれた事で大きな問題にはならなかったが、それ以降私はこの事を絶対に自分から言わない事を決めていた。

 そして、私のもう一つの秘密も……。


「あれー? 早苗ちゃん、春休み中にまた髪切った?」

「ん? うん、ちょっと伸びてきてたし」

「えー!? ちょっとロングにイメチェンしてみなよー。絶対そっちの方が似合うと思うんだけどなぁ」

「えぇ……ロングってなんだか髪のお手入れとか大変そうじゃない? あんまり気がすすまないなぁ」

「折角、綺麗な黒髪なのにもったいない! 彼氏いない歴を今年も更新する気?」

「ち、ちょっと! それを言わないでよ!」


 そんなガールズトークに華を咲かせながら私達は一緒に学校へと向かう。

 その学校に近付くにつれ、次第に同じ学校の女子生徒や男子生徒が増えてくる。

 同時にさっきは遠くから見つめていた諏訪湖が再度その姿を現し始める。平地より高い場所にある施設から見下ろしたものとはまた違い、ここまで近づくと諏訪湖は最早、湖より海に近かった。

 私達の入学する諏訪湖陵高校すわこりょうこうこうは諏訪湖の湖畔に五年前にできた新設校で、その立地と景観の良さから今この辺りで一番注目されている公立高校だ。

 私としては制服がセーラー服と学ランであったのも高評価だった。

 

「セーラー服、学ラン、これこそ青春!」

「え!?」


 一年前、この学校に合格した時にもこんな事を叫んでいた気がする。

 何はともあれ、今日から私も高校一年生。新たな生活、新たな出会いの生まれる一年だ。そして、人生の花形、青春が待っているのだ。


「よしっ!」

「……早苗……ちゃん? どうしたの、さっきから?」


 突然、ガッツポーズを取り始める私を亜季が心配そうな目で見つめていた。

 学校の校門を抜け、玄関に入ると早速新しいクラス内訳の紙が大きく張り出されているのが見えた。

 一年生から三年生まで全てのクラスが張り出されているので玄関は大量の生徒達で賑わっている。


「えーと、あ! 私も早苗ちゃんも同じクラスだよ! やったね!」

「えーと1年3組だね。中学校の時に一緒だった子は皆離れちゃったね」


 名簿には見知らぬ名前ばかりが並んでいる。

 一学年には四クラスが設けられているが、結局そのどれにも私達の見知った名は見当たらなかった。

 むしろこれを機にさらに多くの交友関係が増えると前向きに考えよう。

 この学校は学年が上がるにつれてクラスの階層が下がっていくようになっている。つまり、一年生教室は上り下りが最も大変な三階になる。


「じゃあ、教室行こっか!」


 三階の教室廊下に足を踏み入れるが、廊下を歩いているのは数人でほとんどは教室内に入っているため、廊下には静閑とした空気が漂っている。

 そんな空気の中、亜季と共に教室の前まで来て扉を開いた時、私達はそこに人が居たとは知らず、そのまま正面から衝突、教室から弾き出されるように廊下に尻餅をついてしまう。

 静閑に包まれていた廊下に、私達の尻餅をつく音だけが虚しく響いた。


「――ッ! あ、ごめんなさい。人がいるとは思ってもなくて……」

「いや、こちらこそ悪い! 大丈夫か!?」


 尻餅をついたままの私達に手を差し伸べてくれたのは同じクラスであろう男子生徒だった。

 黒髪の短髪で見るからに爽やか体育会系の男子だ。イメージはサッカー部。しかし、彼が特徴的なのはその顔ではなく、とんでもない長身。軽く私とは頭二つ分以上の差があるのが見て分かる。


「お! ありがとうー。私は大丈夫だよ、こちらこそごめんねー?」

「あ、ありがとう……あの同じクラスの方ですよね?」


 何故かタメ口と敬語が混ざってしまう私。

 こういう時、フレンドリーで明るい性格の亜季が近くにいると非常に助かる。

 私では初対面の相手とあそこまで親しく接する事はできない。


「ああ、俺はこのクラスになった斑鳩湊いかるがみなとだ。これからよろしく」

「私は千曲亜季、私達もこのクラスだよ、よろしくー」

「私は諏訪早苗っていいます。その、よろしく」


 互いに挨拶を交わすと、私達は改めて教室へと入っていった。

 教室内では既に中学校の時の交友関係の名残で集まっているグループと知り合いがおらず、各自、自分の席で携帯をいじっていたり読書をしているグループに分かれていた。

 まぁ、入学初日なんてこんなものだろう。

 ちなみに私達は当然、前者にあたる。

 私達は一旦、自分の席に荷物を置こうと黒板に大きく張り出されている座席表の前に立つ。

 ふと、黒板の端に目を移すと、白チョークで何かメッセージのようなものが書いてあるのを見つけた。


『新入生の諸君、入学おめでとう!  岡谷』


 なんだろう、もしかして担任からのメッセージというやつだろうか。

 そんな事を推測していると、突然真後ろから声が響いた。


「――そこに立っていられると邪魔なのだけれども……」

「え?」


 女性の凛とした声だった。

 私が突然の声に驚きながら声の方向へ顔を向けると、そこには自分と同じセーラー服を優美に着こなし、腰まで届きそうな黒髪をストレートになびかせる美しい少女の姿がそこにはあった。

 日本人形の美しさをそのまま体現したという言い方がよく当てはまる。あるいは大和撫子と表現しようか。

 白く透き通るような肌に長いまつげ、スレンダーなスタイルだが、黒いストッキングの上からでもその脚線美はよく映える。


「あ! ごめんねー、今どけるから!」

「あなたは問題ないわ。小さいから」

「なッ……!」


 自分のコンプレックスに直接攻撃を受けた亜季は小さく「うん」とだけ呟くと、トボトボと自分の席へと向かっていった。

 しかし、私は未だに動かないままだ。

 少女は動かない私に困惑と苛立ちを言葉に含ませながら再度声を掛ける。


「……あの、あなたに言ったのよ?」

「……え、あ! は、はい! すみません、えーと……」


 私はあろう事か彼女に見蕩れ、反応が遅れてしまっていたのだ。 

 二回目に彼女に声を掛けられた所でようやく我に返り、謝りながら慌てて黒板の前から横へと小走りで移動する。

 気付けば、いつの間にか教室内は静まり返っており、クラス中の視線は黒板前の私達――というよりはおそらく少女の方に集中していた。


「私は守矢瑞穂もりやみずほ。これからよろしく。とは言ってもこれ以降の関わりはほとんどないでしょうけど」

「あ、はい……え、と私は諏訪早苗です」


 黒板を見ながら唐突に名乗った瑞穂に私も反射的に名前を名乗り返した。何故か敬語で。

 しかし、それ以上の会話はなく、彼女は自分の席を確認するとクラス中からの視線も意に介さず、席につき、本をを片手に読書を始める。 

 彼女が自分の席に着き、座るという日常的な行動を完了するまでの間、クラス中の視線は全て彼女に釘付けにされていた。

 その圧倒的存在感たるや、やや常軌を逸していると言えるだろう。

 確かに私など足元にも及ばない美女ではある。だが、それだけであれだけの人間の注目を集められるものだろうか。

 それに、私には彼女の愛想に欠けるというか排他的な所が目に付いた。冷徹と言ってもいいだろう。何というか、彼女の目は私だけでなくこの世界全てを達観しているような、そんな目をしていた。

 そして、それが私には無性に気に入らなかった。


「あれが、噂の守矢さんかー! 流石に何か一般人とは格が違うって感じだねー」

「え? アキはあの人の事知ってるの?」


 私の言葉に亜季は信じられないと言わんばかりの表情を見せた。隣の湊まで目を丸くしてこちらを見ている。

 もしかして、彼女は相当な有名人なのだろうか。


「嘘でしょ、早苗ちゃん。守矢さんを知らないの!?」

「逆にアキは知っていたの?」

「守矢っていうのは代々諏訪大社で神長官じんちょうかんという神職を務めていた一族だ」


 亜季と湊に言われ、ようやくそう言われれば聞いた事があるかも知れない程度には思い出してきた。

 しかし、だから何なのか、それだけで何故あそこまでに皆が注目を集めるのかは一向に理解出来なかった。

 

「うーん、それで、その神長官っていうのは何なの?」

「早苗ちゃん……中学校の頃、歴史の授業でやったよ、これ」


 亜季が呆れた顔で私を見ている。

 しかし、わからないものはわからないし、思い出せないものは思い出せないのだ。



キーンコーンカーンコーン


 考え込んでいる間に始業のチャイムが鳴り、私達は話を中断して急いで席に着く事となった。

 結局、守矢瑞穂とは何者なのか。その疑問が大きく私の中で渦巻いていた。


「よし、皆いるな? 今日から君達の担任を受け持つ事になった目黒誠一郎めぐろせいちろうだ! 一年間よろしくな!」


 岡谷じゃないのかよッ!

 チャイムとほぼ同時に入って来たスポーツ刈りの熱血系教師に私は内心で思い切り叫んだ。大半の生徒も同じことを考えているのではないだろうか。私が心の中でツッコんだのとほぼ同じタイミングでクラス全体に驚愕や狼狽した反応が現れていた。

 皆は今こう思っている、では一体あのメッセージを書いた岡谷とは誰なのだろうか、と。

 そんな私の内心がわかるはずもなく、目黒先生は全体を見回して連絡事項の確認に移る。


「えー、君達にはこれから入学式が待っている! 先輩達が総出で君達を歓迎してくれるからな! 嬉しすぎて失神するなよ?」


 いや、しないわ。

 無駄に熱く入学式の意義のようなものを語り始めながら、私達に入学式の行われる体育館への移動を促す目黒先生を前にして少し疲れが出てきた……ような気がする。



 その後、入学式はとどこおりなく、進んだ。

 体育館に出席番号順、男女二列で並びながら入り、最初に先輩達の校歌斉唱による歓迎を受ける。

 その後、全国共通、校長先生の長いお話を軽く聞き流し、最後に生徒会長からの挨拶が終われば入学式は終了である。

 壇上に上がる銀縁メガネを掛けた生徒会長らしき人物を見て、私は眠気と戦いながら式が終わるのをひたすらに待ち続けていた。


「皆さん、入学おめでとう! 生徒会長の岡谷真也おかたにしんやです!」


 岡谷って生徒会長だったのかよッ!

 先の校長先生の話から幾度となく私の意識を奪わんとしていた眠気がその一言で全て飛んでいってしまった。

 他のクラスでもざわめきが起こっているのを見る限り、おそらく一年生の全教室にあのメッセージを残していたのだろう。なんて人騒がせな生徒会長だろうか。

 

「皆さんの教室に書いてきた僕のメッセージは見てくれたかな? 君達も今日からこの学校の生徒です。この学校に来たからにはこの学校での生活を存分に満喫するよう心がけてください。この学校で過ごす三年間の青春を謳歌するためのものがこの学校には全て揃っています! しかし、そこから何を選ぶかは君達の選択に委ねられます。さぁ、皆さん思考してください、一体どのように己の青春を彩っていくのか。君達にはこの三年間、楽しむ事に全力を尽くしてもらいます! そのためのサポートを私を含む生徒会は一切惜しみません。困った事があれば僕に相談しに来てください。皆さんのこの学校で過ごす三年間が生涯の宝となる事を祈って、僕の挨拶とさせて頂きます」


 彼が礼をした途端、体育館中から盛大な拍手が鳴り響く。

 短い挨拶ではあったが、『楽しむ事に全力になれ』とは中々いい言葉じゃないかと私は少し感動していた。やはり、中学校の時とは全然違う、これが高校という場所なのだ。



「くぅ~、岡谷の奴、いい事言うようになったなぁ、本当に! あいつは去年、一昨年と俺が担任を務めていたクラスの生徒でな――」

 

 教室に帰ってくるなり目黒先生が生徒会長の言葉に感動しつつ、思い出話に花を咲かせている姿があった。

 いや、あんたの思い出話とか知らんがな。


「早苗ちゃん、早苗ちゃん!」


 教卓で無駄に熱弁を振るう目黒先生を他所に、隣の席に座っている亜季が私に声を掛ける。見ると、何やら彼女は机の上に置かれていたプリント類の中にあった小冊子を手に持っていた。

 その表紙には『部活動案内』という文字が印刷されていた。


「今日は午前授業だけど、午後から希望者だけ学校に残って部活動の見学ができるみたいだよ! 一緒に見に行こうよ!」

「……あー、えーと、私はいいかな、部活とかは」

「えー、何でー?」


 言葉を濁そうとして濁せていない私に頬を膨らませた亜季が問い詰めにかかる。

 私が部活に入りたくない理由は主に二つだ。

 一つは部活に入る事によって帰宅時間が大きく遅くなる事。もう一つは部活によっては別経費が必要になってくる事だ。

 どちらも私の住む施設に多大な迷惑をかけるという点で遠慮したいのだが、それを亜季に言う勇気が私にはなかった。

 亜季は優しい子だ。中学校の時から一緒だったからわかる。だからこそ、この理由を話せば彼女はきっと私に気を遣って部活に入るのをためらってしまう、というより絶対に入らないだろう。

 私にはそれが申し訳なくていたたまれなかった。

 孤児という私の生まれ持った性質はそういうものなのだ。それを知る人の様々な選択肢を抑圧してしまう。しかもその人が心優しい人であればそうであるほど抑圧が強くなるのだから質が悪い。

 今もこのまま理由を話せば亜季の部活という選択肢を抑圧してしまうだろう。

 「楽しむ事に全力になれ」という岡谷の言葉が脳裏をよぎる。私は楽しめなくていい、だが、せめて亜季にはこの高校生活を楽しんで欲しい。私のために楽しむ事に『手を抜いて』欲しくはないのだ。


「いやぁ、だって私運動とか苦手だし、さ」

「早苗ちゃん、体育得意だったじゃない? それに運動系でなくとも色んな部活あるみたいだよ? もしかしたら気に入るのがあるかも知れないしさ、見るだけ見に行こうよー!」

「うぅ、でも……」

「コラァ! そこ、何を喋ってる!」

「ひゃっ! す、すいません!」


 突然の怒号に狼狽する私ではあったが、図らずも目黒先生がこうして横槍を入れてくれたおかげで一旦、この話を中断する事ができた。

 私は表では反省してそうな表情を見せつつ、内心では目黒先生に感謝し、ほっと安心していた。


「……諏訪、お前反省してるんだろうな?」

「えッ!? は、はい、もちろんです!」

「その割にはなんかホッとしたような顔してたぞ、お前」

「い、いやぁ……気のせいじゃないですかねぇ」


 す、鋭い、この先生……!

 冷や汗をかきながら必死に否定する私から目黒はまぁいいと言って視線を外すと、教卓に手をついて話の続きを始めた。


「さっきも話した通り、明日は身体検査、そして明後日から一年生は一泊二日のオリエンテーション合宿だ! しおりは既に君達の机に置いてあったプリントの中に入っている、各自目を通しておいてくれ! この合宿で、友達百人できるかな!?」


 何で疑問形!? 

 というか、明後日から早速合宿とは初めて知った。

 プリントの束をよく見ると、さっきの部活動案内と同じ位の分厚さの冊子が出てきた。

 

「守屋山オリエンテーション合宿?」

「その通り、今回は守屋山にてキャンプを行う! 男女混合五人一組の班で自炊やイベントに参加してもらうからな! ちなみに、もう班は先生が決めておいたぞ! しおりの最初のページに書いてあるから次の時間、その班ごとに集まってくれな!」


 まぁ、ほとんど初対面の人間ばかりだし、今から自由に班を組んでみろと言われるよりはよっぽど気が楽だ。

 私はしおりの1ページ目を開くと、そこに1班から8班までにクラス内40人の生徒達がランダムに振り分けられていた。


「えーと、私は……1班だ。メンバーは――」

「あ、早苗ちゃん! 一緒だよー! あと、斑鳩君と守矢さんも!」


 おぉ、知り合いだらけだ。守矢さんはちょっと個人的に苦手なんだけどなぁ……

 班の詳細を見て教室内がざわつき始めていた所で終業のチャイムが鳴り響いた。


「よし! じゃあ10分後、次の始業のチャイムが鳴り終わるまでに教室の前から1班、2班と番号順に班ごとまとまって席についていてくれ! あ、机はちゃんとくっつき合わせて五人で話し易い体形にしておくんだぞ! じゃあ、朝倉、挨拶頼む!」

「え? はい……き、起立! 礼!」

「「ありがとうございました!」」


 突然指名された最前列の朝倉という女子の号令で休憩時間に入った。

 しかし、既に教室内では合宿の班ごとに集まってそれぞれ顔合わせを始めているようだ。

 皆の浮き足立った空気が伝わってくる。


「私達も集まったほうがいいかな?」

「うん、そうだよー。どうせ10分後には顔合わせるんだし、今のうちに自己紹介くらいは済ませておこうよ!」

「ねぇ、君、諏訪さんだよねぇ?」


 どこからか眠たそうな声を掛けられ、声の方向へ振り向くと、そこには黒縁メガネの金髪の男子が立っていた。

 背丈は亜季よりも少し高いくらいだろうか、男子としてはかなり低い部類に入るだろう。ダブダブの学ランを着ているため、裾に隠れて両手は見えない。その眠たそうなタレた糸目やほがらかな笑顔からして、温厚な人物であるのは間違いなさそうだが金髪とはまた珍しい。こんな人がクラスにいた事に今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。

 そんな私の視線に気付いたのか、困ったように彼は笑って天然パーマの頭を掻く。


「ああ、これ自毛なんだぁ。誤解されやすいからいつもは黒染めしてくるんだけど、今日は丁度切らしちゃっててさぁ。あ、僕は日外真倉あくびまくら、同じ1班だからよろしくねぇ」


 すごい、眠そうな名前だ。

 何だか揃ってみればキャラの濃い人達ばかりが1班に集まっている気がする。

 若干、合宿に不安を感じながらも私は湊や瑞穂も呼び、教室の窓際に集まっていた。


「えーと、私だけは皆名前を知っているんだよね。改めまして、諏訪早苗です。えーと、取り敢えず次の時間までに自己紹介でも、なんて……」

「ああ、そうだな」

「…………」


 何故か瑞穂のテンションが著しく低かった。

 というか、彼女だけ誰とも目を合わせようとしない。何かあったのだろうか。

 そんな滞った空気を察してくれたのか、亜季が一番に名乗り出て自己紹介を始めてくれた。


「はーい! 私は千曲亜季でーす! この合宿で私の名をこのクラスに轟かせるのが目標! よろしくね!」

「あ、僕は日外真倉です。炊事は結構自信あるんだぁ、頼ってくれていいよぉ。よろしく」

「斑鳩湊だ。力仕事ならなんとか役に立てると思う。よろしく頼む」

「……守矢瑞穂」


 ようやく口を開いたと思えば瑞穂は名前だけを口にすると、後はさも興味がないといったようにだんまりを決め込んでいた。

 その態度からは一切私達と仲良くしようなどという空気は感じ取れない。むしろ、これ以上関わるなという冷ややかな拒絶すら感じ取れる。

 その後も私達は何度か彼女との交流を試みたが、彼女は最低限の応答しか示さぬまま、次の授業の始業を告げるチャイムが鳴ってしまった。


「よーし! 皆班ごとに分かれて座っているな? じゃあ、これから合宿の説明を行うからしおりの3ページを開いてくれ! えー、まず――」


 目黒先生が合宿の要項を説明している間も、私達の班には重い空気が流れ続けていた。とりあえずは彼女、守矢瑞穂をどうにかしない事にはまとまりようがない。彼女の非友好的な態度を何とか改めてもらわなければどうしようもない。しかし、わからない。

 何故、彼女が私達に対し、あのような態度をとるのか。決して敵対的というわけではない、それよりは無関心という感じだ。

 何か、彼女をそうさせている理由がどこかにあるはずだ。それを彼女から聞き出せればいいのだが、目黒先生の話を他所に目の前で読書に勤しむ彼女がそれを簡単に教えてくれるだろうか。


「――というわけだから、これからお前達には班内で夕食のメニューを決めてもらう。その後、明日あるもう一時間でそのレシピの詳細を考えてもらい、俺の許可が下りたら各自解散、材料の買い出しに向かってくれ。じゃ、班内で班長を中心に話し合いを始めてくれ!」


 色々と考えている内に班内活動になってしまった。どうやら班内で夕食のメニューを考えなければならないらしい。とにかくこれは瑞穂と話をするチャンスだ。

 ところで、話を大半聞いていなかったせいか『班長』という初耳の単語が聞こえたのだが、この班の班長は一体誰なのだろうか。


「ほら! 早苗ちゃん! 話し合い始めようよ!」

「え?」


 なんで私に話を振るのかな、アキ? 話し合いは班長を中心にって先生が言っていたじゃないですか。やだなぁー、もぉー


「諏訪班長ー、始めていいよぉー? どうしたのぉー?」

「え……やっぱり、私が班長なの? なんで!?」

「話、聞いてなかったのか、お前。しおりに書かれてる班の名簿で先頭に書いてある人が班長だぞ?」


 私は湊に言われて、慌ててしおりをめくる。そこには案の定、1班の名簿の先頭に私の名前が印字されていた。

 私が嫌いな役割の主な共通点を教えよう。最後に『長』がつく役割だ。委員長、部長、生徒会長、班長などなど何かしらの長という役割だけは私は避けてきた。

 誰かを引っ張っていくなど私には不可能だ。いわゆる、世間一般的に言うところのコミュ障にあたる私が、まともに見ず知らずの人と話せない私が一体どうやって人をまとめ、引っ張る事ができようか。

 しかし、だからと言って班長交代などというのがまかり通るはずもなく、私は冷や汗を流しながらも話し合いを形だけでも始めようと口火を切った。


「え、えーと、それじゃあ、話し合いを始め……ます。とっ、とりあえず夕食は何がいいかな? 守矢さん?」

「……なんで、私に聞くの?」


 読んでいた本を片手で閉じ、瑞穂は怪訝な顔付きで私の方向に顔を向ける。

 静かに向けられる威圧感と班長という立場に、思わず顔が引きつりそうになるが、それでも私は精一杯の笑顔で彼女に返答する。


「い、いや、守矢さん、あまり喋っていなかったし意見を聞きたいなと思って……」

「ないわ。他をあたって頂戴」

「ちょっと! そんな言い方ないじゃない!」


 あまりに愛想のない瑞穂の返答に亜季が声を荒げる。

 しかし、それに動じた様子もなく彼女は亜季を横目で一瞥すると、溜息を一つついて


「関係ないのよ、私には。だって合宿には参加しないもの。だから、あなた達で勝手に話し合って頂戴」


 そう、淡々と言い放った。

 班内は完全に固まっていた。そんな事を言われたらもうどうにも反論できない。合宿に参加しない人間を無理矢理話し合いに参加させるという訳にもいかないし、もうどうしようもなかった。

 結局、私はどうすればいいか分からず、それ以降話は全く進展のないまま、ついに終業のチャイムが教室内に鳴り響いた。



 放課後、差し当たって私達は瑞穂に話を聞きに行く事にした。

 まずは瑞穂が合宿に行かない理由を聞く事がこの不仲を解決する第一歩だと思ったのだ。

 湊、亜季、真倉にそれを提案したところ、亜季と湊からはそこまでする必要があるのかとも言われた。 確かに、私は最初、瑞穂とはあくまで班のメンバーとして仲良くするため、積極的にアプローチを掛けていた。しかし、今は違う。彼女は合宿には出ない。悪い言い方だが、もう私がわざわざ彼女に近づく意味はないと言えるだろう。しかし、私は彼女を放っておく事ができなかったのだ。

 それを口下手なりに必死に伝えたところ、二人ともやれやれといった感じで苦笑いを浮かべつつ、それでも快く協力を約束してくれた。

 そして、今私達は瑞穂の所へ向かい、一緒に部活を見に行かないか誘っている。


「……私は部活に入る気はないから。あなた達で行って来れば?」

「えー、そんな事言わずにさー」


 亜季が何とか説得してみるが、やはり瑞穂は首を横に振るばかりであった。

 その場から去っていった彼女を見て、私は一つの決意を固めていた。

 

「……私、守矢さんを追いかける!」

「え? ちょっと! 早苗ちゃん!?」


 亜季の制止も聞かず、私は走り始めていた。

 正直、一人だけというのは不安、というか絶望的だが、彼女にとっては集団で詰め寄って話を聞くよりは一対一で腹を割って話した方がまだ見込みがあるだろう。彼女の『私達』と話す時の目と今朝、『私』と初めて話した時の目は全く違った。彼女は明らかに集団というものを毛嫌いしている。

 私もそれに関してはよくわかる。だからこそ、気付けた。

 とにかく、私は覚悟を決め、彼女との一対一の話し合いをすべく、彼女を追いかけた。


「アキ達は部活見に行ってて!」

「でも……!」


 その後の亜季の言葉は聞こえなかった。

 私はダッシュで校門を抜け、湊の背中を見つけるとに全速力で走っていく。

 しかし、私の中では見失わずに済んだ安心感より彼に声を掛ける不安感の方が大きい。

 

「ま、待って! 守矢さん!」

「……また、あなた。何か用?」


 息を切らしながら叫ぶ私を見て瑞穂は気だるそうにこちらに向き直る。

 あからさまに迷惑そうな顔を見せる彼女に、それでも私は負けじと向かっていく。

 今日一番の勇気を振り絞って。


「なんで、合宿行かないの……?」

「……あなたには関係ないでしょ?」

「あるよ……だって同じ……班だもの」

「私は合宿には行かないと言ったはずだけれども」

「それでも……守矢さんは1班のメンバーで……わ、私は! 班長だから!」


 改めて言おう、私はコミュ障だ。

 初対面の人とはまともに話せたためしがないし、そんな状況で話術を駆使することもできない。事実、私の声は明らかに震えており、聞くに堪えないレベルだ。

 目の前で瑞穂と数秒間話しているだけで、頭に血が昇ってクラクラし、今にも倒れてしまいそうなくらいに疲労している。

 そんな私が彼女から秘密を聞き出すにはストレートに思った事を飾らずぶつけるしかない。飾った言葉は綺麗だ。しかし、それにはある種の技術が必要なうえ、何よりもその言葉の美しさは仮初で偽物だ。だから心には届き難い。

 しかし、飾らない言葉は違う。思った事をただ言葉にするだけの単純さ故、汚く、悪印象を与える事も多い。しかし、その言葉には気持ちが乗る。そして、その言葉は必ず相手の心に届くのだ。

 本来なら他愛もない世間話から少しずつ言葉を重ね、互いに打ち解けてからプライベートな面に触れていく、というのがこの場合の正攻法なのだろう。

 しかし、そんなに長々とはやってられない。林間学校までは今日を入れて後二日しかないのだから。

 そもそも、そんなに話ができたらコミュ障なんてやってないし!

 ともかく、私は思いの丈というやつを誠心誠意、彼女にぶつけてみる事にしたのだ。その結果、彼女と確執ができてしまったとしても後悔はしない。

 私はできる事を全身全霊でやったのだから、その結果には後悔はしない。


「私は……守矢さんにも合宿に参加して欲しい! 絶対に楽しいと思うから! だから――」

「諏訪さん、『班長』という責任感に囚われてそう言っているのならそれ以上はやめて」

「――!」


 私の言葉を遮り、瑞穂は私を貫くような視線で睨み付けながらそう言った。

 しかし、その表情には怒りだけでなく何か他の感情も紛れ込んでいるように見える。

 これは――


「いい? 人にはね、誰しも踏み込んで欲しくない領域っていうものがあるの。あなたが今土足で踏み込もうとしているのはまさに私のその領域。それ以上は薄っぺらい責任感や偽善じみた感情で入ってこないで、お願いだから……」

「……守矢さん、私は――」

「それでも、どうしても踏み込んでいくというのなら、勝負よ」

「……え?」

「あなたが私と勝負してそれに勝てたのなら話すわ、あなたの知りたい事を」


 私は以前、クラスで馴染めなかった口下手な主人公が、一人のクラスメイトとの「かけっこ」をキッカケに仲良くなった物語を読んだ事がある。

 つまり、人と仲良くなるには三通りあるのだ。

 一つは多くの言葉を交わし、互いを理解し合うパターン、一つは互いに共通の目的や敵を持っているパターン、そして、もう一つは何かで真剣勝負をするパターンだ。

 勝負する、という事は相手とぶつかるという事だ。しかし、例え衝突であっても、それは互いに相手を意識するキッカケとなる。

 そこから自然と相互理解が始まり、絆が生まれるのだ。

 たった今、気付いたが、言葉を交わす時間も勇気もない私が取れる手段はもしかしたらこの方法が最適なのかもしれない。勝てば話を聞けるし負けても多少、瑞穂とは打ち解けて話しやすい雰囲気にはなるのではないだろうか。

 勝っても、負けても、私が得るものは大きい。


「……わかった。じ、じゃあ、今から――」

「その代わり、私が勝ったら今後一切私に関わらないで。あなたと一緒にいる千曲さんと日外君、斑鳩君の三人もね」


 その言葉を聞いて、私は何も言えなくなっていた。

 さっきまでの甘い考えは既に消えた。これは勝負だ。勝てば得て、負ければ失うのだ。その全てを。

 私の手は緊張からくる手汗でぐっしょりと濡れていた。


「それと、場所と時間は指定させてもらうわ。勝負は明日の朝一、6時から私達の教室で。その代わり、勝負の内容とかそのルールとかはあなたが好きに決めてくれていいわ」

「は……はい……わかりました」

「じゃあ、私は行くから」


 そう言って歩き去っていく瑞穂を、私は彼女の姿が見えなくなってからもその方向を延々と見つめていた。

 どれくらい、時間が経ったのか。誰かに後ろから肩を叩かれてようやく私は我に返った。

 後ろには銀縁メガネをかけた真面目そうな男子生徒が不思議そうな顔で私を見つめていた。


「君……大丈夫かい? ずっとそこに立ってボーっとしてたけど」

「あ……生徒会長さん!?」


 私の目の前にいたのは入学式で壇上に上がっていた岡谷生徒会長だった。

 驚く私に彼は優しく笑うとゆっくりとした口調で私に話しかけてきた。


「君は新入生だね? こんな所で何を?」

「え? 何で私が新入生だって……」

「ああ、全校生徒の顔と名前は記憶しているからね。君の名前ももちろん知ってるよ、諏訪早苗さん」

「えぇ!?」


 名前を呼ばれて更に驚愕を露わにする私を見て岡谷は笑っている。

 一方の私は突然、上級生――しかも生徒会長に話しかけられ、どう対応すればいいのかわからずに混乱していた。


「悩み事なら相談に乗るよ?」

「え……あの、えと……」


 こんな時にもっとスラスラと言葉が出てくれば良いのにとこうなる度に思う。私に亜季の半分の話術でもあればきっとこんな事にはならなかった。

 きっと、瑞穂とももっと利口な解決法があったのだろう。しかし、今更とやかく言っても、ましてやこの生徒会長に相談しても仕方がない。

 もう、約束してしまったのだから。


「……取り敢えず、落ち着ける場所に移動しようか」


 ますます思いつめた顔になっていく私を不意に岡谷が手を握って強引に引っ張っていく。

 私は岡谷のその行動に困惑しながらも黙ってついて行っていた。何故か、私の手を引く彼に一種の安心感のようなものを感じたからだ。

 しばらく細い小道を歩いていった所で、少し広い通りに出た私は目の前に広がる寂れた神社に視線がいった。

 背の高い木々に囲まれているその社に人影はなく、古めかしい空気と風に揺れる木々のざわめきだけがそこにあった。

 もう長いことこの諏訪市を練り歩いているが、こんな神社があったとはちっとも知らなかった。


「ここは守矢神社と言ってね。古くからある神社らしいんだけど、あまり人には知られていないから人も来ない。僕が一人になりたい時とかによく来る場所なんだ」

「守矢神社……」

「まぁ、寂れてはいるけど不思議と居心地はいい場所なんだ。好きなだけいるといいよ」


 そう言っていつの間に買ってきたのか、ジュースの缶を一本、神社を見回していた私に渡す。

 確かに彼の言った通り、不思議と居心地がいい。

 穏やかな日差しを浴びた境内に腰掛け、時折木々の隙間から入ってくる心地よい風を受けてると、心が和やかになっていく。


「生徒会長さん……岡谷先輩、ありがとうございます」

「いや、困っている生徒を助けるのは生徒会長として当然さ。帰り道はわかるかい?」

「あ、はい。大丈夫です」

「そうか、それは良かった」


 そう言うと、岡谷は自分の缶ジュースを飲み干し、神社から出ていく。

 きっと私に気を回して一人にしてくれたのだろう。


「あの、ジュース……」

「いいよ、僕のおごりだ。その代わり、さっさと君の抱えている悩みは解消してしまうんだよ? 君達にはこの学園生活を楽しむ義務があるんだからね」


 そう言うと、サラサラの髪を風に揺らして、岡谷は立ち去っていった。

 岡谷の姿が見えなくなると、私は空の賽銭箱の隣に座り、ジュースを一口飲むと空を見上げる。

 今日は雲一つない快晴、まだ15時を回る位のこの時間帯は程よい暖かさでまさに春日といった感じである。

 しばらく、私は瑞穂との勝負の事について考えていた。思ってもいない大勝負に発展してしまった訳だが、まだ逃げ道は残されている。私がこの勝負から降りればいいのだ。

 瑞穂の出した条件はあくまでも「勝負に勝ったら」という話だ。勝負をそもそもしないならば、互いの条件が満たされる事はない。

 まぁ、当然そんな屁理屈を通せば、私は本格的に彼女との関係の一切を断たれるだろうが、亜季や真倉を無理矢理彼女と引き離すという事もなくなる。

 しかし、私は――――


「私は、守矢さんが一体何を抱えているのか知りたい。そうじゃないと、私達は真の意味で仲良くなれない気がする」


 勝負を受ける。そう決心した私は早速施設に帰ろうと立ち上がる。

 あまり大した事はできないだろうが、少しでも勝てるように、せめて綿密にルールを作らなければならない。


「おいおい、神社に来て賽銭もなしかい?」

「あ、そうだった」


 私は慌てて賽銭箱の前に戻り、財布の中から五円玉を取り出して投げ入れる。

 確かに、この神社の静かで落ち着いた雰囲気のおかげで落ち込んでいた私の心が前向きになったのかもしれない。

 そう言った感謝と湊や瑞穂、亜季や真倉との縁が続くよう願い、五円玉を賽銭に選んだ。

 そして、手を合わせた後、私はようやく不審な点に気付く。

 あれ? 今の声って……どこから?


「なんだ、五円玉か。賽銭はケチると徳がないよ」


 再度、同じ声が境内に響いた。

 今度はよく聞いていたので音の出処はすぐわかった。この真上、社の屋根からだ。

 私が駆け足で屋根の上が見える位置まで移動すると、屋根の上で足を組んで寝転がっている女性がいるのが見えた。

 その女性は屋根を見上げる私の姿を横目で捉えると、起き上がって屋根の上に堂々と立ち上がった。

 紫がかった青髪がサイドに広がったボリュームのあるセミロングに、冠のような注連縄が乗っている。

 服装は見た事もない独特のものをしており、上着は赤い半袖で袖口が留め具で留めてあり、その半袖の下から更にゆったりとした白い長袖が伸びている。

 下半身は濃い青紫のようなロングスカートで裾は赤く、花模様が描かれていた。

 しかし、それ以上に彼女が奇異な点は背中に付いている巨大な注連縄である。注連縄には複数の紙垂が伸び、風が吹くたびに音を立てて揺れる。

 彼女はその赤眼を向けてニヤリと笑うと、瞬時にその姿は消えた。


「え! あれ? あの人は……?」

「ここだよ」

「――!」


 いつの間にか彼女は私の後ろに立っていた。

 私はその時、初めて彼女が人間でない事を悟った。

 境内の空気が明らかに変わり、急に神社を吹く風が強さを増し始めたような気がした。


「……あなたは、誰ですか?」

「名を尋ねる時は自分から名乗り始めるもんだ」

「は、はい……私は諏訪早苗といいます」

「ほう、諏訪早苗……まぁ、いいか。私はこの守矢神社に住まう神霊、八坂神奈子だ」

「え? 神霊?」


 彼女は少し得意げにそう名乗って腕を組む。

 神霊というからにはどうやら神らしいが、こんなフランクな感じの神様がいるのだろうか。威厳たっぷりに名乗ってたけど私と同じ所まで降りて目線合わせちゃってるし。

 神が人と同じ目線で話するというのは如何なものだろうか。


「それで? お前は何しにここに来たんだ?」

「え、あの、私は生徒会長にここに連れてきてもらって……」

「生徒会長? ああ、あのろくに賽銭も入れん癖にこの神社に時折たむろうあの男か」


 どうやら岡谷の事も知っていたらしい。あるいは、岡谷以外に参拝客がいないから見当がついたのか。

 八坂神奈子と名乗った神は頭を掻くと、岡谷の話から話を戻す。


「それで? 何で賽銭を入れたんだ? 願いがあったんだろう?」

「あ、まぁ、お願いはあったんですけど……むしろ感謝の念の方が大きいというか」

「感謝、か……ま、どっちでもいいや。しかし、それにしちゃ五円玉とは少し寂しくないかい?」

「え? ご縁と五円をかけたんですけど……ダメでしたか?」

「ま、駄目ってことはないけどね。五円玉とご縁の言葉遊びはあくまでゲン担ぎみたいなもんさ。実益は伴わないし、何せ徳がない」

「得がない? さっきもそう言ってましたけど……」


 私がそう言うと、神奈子は首を横に大きく振る。

 

「ああ、違う違う。お前、損得の『得』で脳内変換してるだろ。私が言ってるのは神徳の『徳』だよ」 

「……ええと、それで徳がないっていうのは?」

「いいかい? 賽銭ってのは人がその神への信仰の度合いを形で示すために作ったものだ。賽銭という以上、その度合いは金額で左右する。その金額が下から二番目の五円玉とあっちゃ、神も神徳を与えられんのさ」

「神様は賽銭の大きさで徳を与えているんですか!? 賄賂じゃないですか、それ!」

「いや、信仰に見合ったものを与えてるだけさ。ギブアンドテイクだよ」


 こうして話していると益々神様に見えなくなってくる。

 神様が横文字とか平然と使っているのを見ると私の中の神様の高貴なイメージにヒビが入っていくようで頭が痛い。

 私のそんな呆れた様子も意に介さず、神奈子は尚も話を続けた。


「徳っていうのは普段は善行を積む事で増えていく訳だ。それを神々が見て、それに見合うだけの幸福をその人間に招き入れたりするのさ。でも、神社に住まう神への信仰によっても同様に徳が積まれる。ボーナスポイントみたいなもんさね。まぁ、神徳はその神様の信仰度合によって大きさが変わるから過度な期待はできんがね」

「へぇ、その人間の世界をゲームみたいに表現するその視点だけは神様っぽいですね」

「ありがとうよ」


 私の嫌味にも気付かないのか、それともわかっていて流しているのか。

 神奈子は依然として飄々と私の前で腕を組んで仁王立ちで話しを続けた。

 ……そろそろ、帰りたいなぁ。


「――だから、五円ぽっちじゃ信仰度合が低すぎて神徳を発動できないんだよ。札をだしな、今時の女子高生はそれくらい持ってるんだろう? 出せよ、野口英世せんえんさつを」

「仮にも神様がチンピラまがいの事を始めないでくださいよ……もう」

「おい、ちょっとジャンプしてみなさいよ」

「それでわかるのって小銭持ってるかどうかですよ? てゆうか、いつの時代のチンピラですか!」

「ま、とりあえず百円くらいは入れておくれよ。久々の参拝客なんでね、ちょっとサービスするよ?」


 その後、5分程神奈子に詰め寄られ、最終的に私は百円玉を一枚、賽銭箱に投げ入れる事となった。

 神奈子はその賽銭箱の中身を確認してご満悦のようだ。

 もう、帰ろう。疲れた。


「それじゃあ、八坂様。私はこれで」

「ああ、また来いよ、早苗~」


 神様に名前呼びで見送られるという、前代未聞の体験をした私はその有り難みに一切浸れぬまま帰路についた。

 気付けば、もう夕方になっている。学校は正午前位に終わったはずが結局は夕方帰宅とは。美鈴みすずさんには何と説明しようか。


「あら、早苗。おかえり」

「あ、えと……ただいま」


 私の住んでいる児童養護施設、『ミシャクジ園』の園長、そして同時に私の育て親でもある女性、金刺美鈴かなさしみすずがこっそりと私が門をくぐり抜けたタイミングで入口から出てきた。

 口はニコニコ笑っているが、目が笑っていない。


「……それで、早苗。今日は午前授業じゃなかった? お昼は確か帰ってきてから食べるって言っていたわよね?」

「う……ごめんなさい」


 私が頭を深く下げるのを見て、腰まで伸ばしたストレートヘアーをかき上げるように頭を掻くと、一つ大きな溜息を漏らし、また施設の中へと戻っていく。

 私が恐る恐る彼女様子を伺っていると、再度美鈴がこちらに向き直って親指を立て、施設の方向を指して室内に入るよう促す。


「ほら、さっさと中入るよ。お腹空いてんでしょう?」

「……うん!」


 私は満面の笑みで彼女の方へと走って行った。

 何かの拳法だかをやっているらしく、四十代を迎えようとするにも関わらず、彼女の肌には未だハリとツヤが潤沢に残り、所作の一つ一つには洗練さが垣間見え、まるで老いを感じさせない。

 目つきの悪さから一見、不良に見られがちではあるが、職業柄面倒見のいいその性格も相まって、彼女を知る人間は彼女を『姉御』と呼んでいる。

 私にとっては姉、というよりは母という感じなのだが。

 なにせ、施設の前に捨てられていた私を最初に見つけたのは彼女であり、同時に当時の園長から私の世話を任されたのも彼女だ。

 この16年間、最も私と時間を共にした人間、それが彼女だった。私にとって一番特別な存在なのである。


「今日の晩御飯なに? 美鈴さん?」

「ん? ハンバーグ。さっさと着替えて食堂に来な。皆も早苗を待ってるんだから」

「うん、1分で着替えてくる」


 私は駆け足で施設の二階の自分の部屋へと向かう。

 この施設は大きい事もあり、最大百人の受け入れが可能になっている。そのため、施設の子供には一人一人に個室が与えられているのである。

 もちろん、風呂やキッチンなどはなく、4畳程度の小部屋ではあるが、さして私物もないためそこまで手狭には感じない。

 私はベッドの上に制服を脱ぎ捨て私服に着替え終えると早々に一階の食堂に駆け込んだ。

 中には数名の子供と二人の職員、そして美鈴がいた。

 この施設内で生活している児童は現在5人だ。

 皆私よりもかなり年下で小学生だ。親に捨てられたり家庭内暴力で引き取られたなどここにいる理由は様々だが、そんな境遇の中、彼らは楽しそうに笑っていた。

 辛い事も楽しい事も真の意味で共有できる仲間がここにはいるからだった。人には話せない私達の持つ傷を癒せるのは同じ境遇を持つ人間だ。だから、私達がお互いに助け合っていく事でゆっくりとその心の傷は癒されていく。

 この光景はまさにその賜物と言えるものだろう。

 同じ絶望を与えられた者同士が互いを励まし合い、それを乗り越えていく。それがこのミシャクジ園の方針であり、理想だった。

 私は自分を見て笑顔を見せるその子達に同様に満面の笑みを見せる事で応え、テーブルにつく。


「よし、皆揃ったな。それじゃ、手を合わせていただきます」

「「いただきまーす!」」

 

 手を合わせて大きな声でいただきますを済ませると子供達が一斉に皿に乗ったハンバーグを美味しそうに頬張り始めた。

 きっとお腹を空かせながらも一心に私の帰りを待ってくれていたのだろう。


「早苗、どうだこの光景を見て」

「……本当に反省してます」

「今度からは気をつけろよ、早苗」


 小声で横に座っていた美鈴が私に笑いながらデコピンをいれる。

 昔から彼女がよくやっていた説教の所作の一つだ。いつも説教が終わって私がしっかり反省した様子を見届けるとこうやってデコピンを最後にいれるのだ。

 つまりは一種の赦しのサインのようなものであった。


「ねーねー! 早苗ねーちゃん! 学校どうだった?」

「あ! 私も聞きたい! おねえちゃん、学校のお話してー!」


 早速私に学校の話をねだる子供達に私は苦笑いを浮かべる。

 まさか、初日から同じクラスの女子と喧嘩になったとは言えない。


「えーとね、明日の朝にクラスメイトの一人とゲームする約束したの」

「へー! 早苗ねーちゃん、友達できたんだー! 良かったー!」

「私達、おねえちゃんがちゃんとクラスに馴染めるか心配で学校でも神様にお祈りしてたの」  


 次々と子供達の天真爛漫故の容赦ない言葉が私の心に突き刺さっていく。

 隣では美鈴が手で口を抑えてそっぽを向きながら笑いをこらえている姿が見える。

 心配してくれるのはありがたいけど、なんか私は悲しくなったよ。


「え、えー、やだなぁ皆、私はちゃんと友達作ってるよ? 林間学校でももっと作る予定だし……」

「だって早苗ねーちゃん、知らない人と話せないし」

「宅配の受け取りの時もお顔真っ赤になっちゃうもんね!」 

「もう! いらん事言わなくていいの!」


 私はその後子供達との楽しい夕食を終えると一旦部屋に戻り、勉強机の引き出しからある物を取り出すと、今度は私達のような施設で住んでいる子が主に自由時間に集う多目的室へと足を運んだ。

 部屋はかなり広めで、室内には絵本から小説まで様々な本が入っている本棚や知育系の遊び道具が常備されている。

 個室は基本的には睡眠のための部屋であり、私を含む施設に住む者の憩いの場はこの多目的室なのである。


「あ! 早苗ねーちゃん! 遊ぼ!」


 私が部屋に入った事に気付くやいなや一目散に集まってくる子供達。

 本当になんて愛らしいのだろうか。


「よし! 皆、今夜はこれで遊ぼうか!」

「あ! トランプ!」


 私がポケットから取り出したのは一組のトランプだった。

 ケースはなく、トランプはゴム紐で結んである。

 かなり古いもので、所々に数多のキズや汚れが見えるが私が持つ数少ない私物であり、宝物の一つだ。 

「これでポーカーをやらない?」

「うん! やるー!」

「私もー!」


 特に不満気な声も上がらずに了承してくれる子供達に笑いかけて、私はゴム紐を取り、慣れた手つきでカードを切り始める。

 これから私が行おうとしているのは残念ながら純粋に子供達と楽しく遊ぶ事だけではない。

 私はこれから明日の勝負のリハーサルを行うつもりなのである。

 明日、必ず湊に勝つために。


「よし、じゃあ皆にカード配るよ」


 私はシャッフルを終えると、子供達に5枚ずつカードを裏向きで配っていく。

 その後、おもちゃ箱からおはじきを取り出し、それもまた一人10枚ずつになるように配っていく。これがいわゆるチップの代わりになる。

 明日の勝負でもこれを同じようにやるつもりだ。


「それじゃ、私が親になるからそこから左回りにアンティのおはじき1枚、と行動宣言をしていってね」

「ベット! おはじき2枚!」

「えー、私フォールドぉ……」

「レイズだぜ! プラス1枚!」

「コールよ!」

「僕もフォールド……」

「皆とりあえず行動宣言したね。うーん、じゃ、私はコールかな」


 そう言って、私はアンティとして払うおはじき1枚に加え、レイズされたおはじき3枚を自分の目の前に置く。

 私達のやっているのはドローポーカーという部類のポーカーで、配られたトランプ5枚で役を作るものだ。

 最初に全プレイヤーはアンティ、つまりは参加料としてチップを出し、その後、自分の手札や相手の様子を探りつつ、最初の行動を決めていく。

 ベットは賭け金を上乗せする事、レイズはベットされた賭け金にさらに上乗せする事、コールはベットまたはレイズされた賭け金と同じだけ場に出す事、フォールドはアンティだけ場に出して勝負から降りる事である。

 この場合、最初のベットからレイズによって賭け金が上がっているため、最初にベットした人は再度そのレイズ額にコールするか、更にレイズするか、はたまたフォールドするか決めなければならない。


「よし、コールだ!」

「これでまず一巡終了だね。カード交換するからまたさっきと同じ順で交換するカードを出していって」

「俺は一枚!」

「俺は三枚だぜ!」

「私も三枚」


 一巡目を終えて勝負に参加しているプレイヤーは手札から不要カードを捨て、その枚数分山札から新しいカードを交感する事が可能である。

 子供達は裏向きに手札から不要カードを出し、私はその枚数分だけそれぞれ新しいカードを配る。

 そして、同じくまだ勝負を降りていない私も同様に不要カードを選び始める。

 それじゃあ、明日のリハーサルいってみますか!


「私、全部交換ね」

「え! 早苗ねーちゃんそんな手で勝負に乗ってきたのかよ! 大丈夫ー?」

「ふふ、見てなさい。私には奇跡の力があるのよ……っと!」


 手札全てを裏向きにして出し、山札の上から5枚、新たにカードを引いてくる。

 さっきの私の手札は決して悪かったわけではない。Jと5のツーペアでマークもハートも揃っていたのでツーペアで止まらず、フラッシュやフルハウスまで見える良い手札だった。

 しかし、私はあえてこれを捨て、試すのだ。私が明日勝てるかどうか、それがこの新たに引いた5枚で決まる。

 私は思い切って運命の5枚に目を通すと、その結果が顔にでないよう取り繕いながらゲーム進行を始める。


「はーい、じゃあ勝負に参加している人は同じように行動宣言していってね」

「うーん、ベット! プラス2枚だ!」

「なら俺はコールかな……」

「私もー」


 この時点で賭け金は5枚、これに私がコールかフォールドすれば、勝負となる。お互いの手札を見せて役を競い、その中で最も高い役を作っていた人が場に出たチップを総取りできるルールだ。

 しかし、私は――


「……オールイン」

「「え!?」」


 他の子供達は全員驚いて私の方を呆然と見つめる。

 オールインとは、自分の持っているチップを全て掛ける行為である。オールインを行った瞬間、もうレイズはできず、他のプレイヤーはそれに対し、コール(勝負)かフォールド(降りる)かしか選べない。

 もちろんオールインを宣言したプレイヤーは何もできない。あとは、他のプレイヤーがそれを受けるか降りるかを見守るしかない。

 現在、早苗は全てのチップを場に出している。最初に配られたチップの枚数は皆同じなので、これにコールするには同様にオールインを行う必要がある。


「……でも、5枚交換からのオールインってブラフだよ、絶対! コール!」

「うーん、フォールド」

「私は、受けるわ! コール!」

「ほう、二人も残ったかぁ」


 私のオールインに狼狽は示したものの怖気付いた様子はなく、二人が私とチップ総賭けの勝負をする事となった。

 これで勝負成立である。残った私達三人は互いの手札を見せて残った中で誰が一番高い手を作っているか確認するのである。


「じゃあ、手札は一斉に開くよ? せーの!」



「ふぅ、これで明日の準備は大丈夫っと。美鈴さんにも明日朝早く出るの言ったし、明日の持ち物も確認したし、後は寝るだけかな!」

 

 部屋に戻った私は22時を回る前に準備を整え、早めに休もうとしていた。

 しかし、パジャマに着替え、シャワーを浴びてきた私を自室でとんでもないものが待ち構えていた。


「おぉ、早苗! お邪魔してるよ」

「八坂様!?」 


 昼間、守矢神社で出会った八坂神奈子が私のベッドで寝そべり、唖然とする私を満面の笑みで迎え入れた。

 ……神様って、暇なの?

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