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「しっかし、確かにこりゃ、ロザーにもラジェにも言えないな」

「当たり前だろ。リョーゼのことは秘密なんだし」

「ああ、そういう意味もあったのか」

「は?」


 首を傾げて、オリバム。ロウヴェルはにやりと笑って言った。


「いや、ロザーはともかく、ラジェに『呪われたからお屋敷辞めました』なんて言ったら、とことんバカにされるんじゃないかと」

「お前それ、ラジェの前で言ってみろよ」


 人のことどういう目で見ているのと、激高すること間違いない。機嫌が直るまでどのくらい掛かるのかと思うと、気が遠くなりそうだ。

 ロウヴェルは肩をすくめた。


「そんな勇気はないが、世の中にはラジェみたいな美人に鼻で笑われたいって奴もいるし、お前も案外、新しい世界が拓けるんじゃないか?」

「これ以上俺を知らない世界の迷子にするな」


 全力で断ると、ロウヴェルは大声で笑った。


「でもなあ、オリバム。今さらだが、別にお屋敷を出てこなくても良かったんじゃないか? あれだけのお屋敷なんだ、伯爵の血縁の見えないところでいくらでも働けただろ」

「それは……そうかもしれないんだけど、万が一ってことあるし……」


 あの時は、もう伯爵家には仕えられないんだと、悲劇の主人公気分だったと思う。今考えれば、ただ怖くて逃げ出しただけだった。自分が知らない間に誰かを傷つけることと、自分の知らない自分が存在すると言うことが、怖かった。


『なにも出て行くことはないのに』


 誰の声だったのかは今でもわからない。背中にかけられた優しい声に振り返らずに屋敷を出てきてしまった。踏みとどまっていたら、別の解決方法が見つかっただろうか。


「まあ、お前も気持ちも少しはわかるけどな。――これでだいたいのところはわかったよな?」


 言葉の後半を、ロウヴェルは家の中に向かって声をかけた。振り向きそうになるオリバムの頭を、直前でがっちりと押さえつける。


「なんでもない。気にするな」

「気にするなって、そこに誰かいるんじゃないのか? そういえばルーは――」

「誰もいないんだ。これ以上暴れたくなかったら、そう言うことにしておけ」


 オリバムはようやく悟った。そこにルーセントがいると感づいただけで、心の奥がざわつく。


(落ち着け。誰もいない、ここにはロウしかいない)


 目を閉じて、自分に言い聞かせる。繰り返して、ようやく心が静まると急に空腹を感じた。そういえば、ロウヴェルも空腹だったはずだ。

 オリバムは荷物を引き寄せて、中から食料を取り出す。パンとチーズが、塊で残っていた。切り分けようとナイフを持つとき、ロウヴェルがじっと見ているのに気づいた。また暴れ出さないか、気にしているのだろう。


「ロウ、これ持ってって中で食べてこいよ」

「ああ、そういや腹が減ってたんだ。ありがとな」


 少し多めに切り分けてやると、ロウヴェルはさらに手を出した。


「なんだ? あとは小麦とか塩しかないぞ」

「なんでそんな物までもってきてるんだよ。そうじゃなくて、ナイフ貸してくれ」


 ナイフを渡すと、ロウヴェルは家の中に入った。オリバムはその時点で背を向け、残った小麦と塩をどうすべきか考えながら堅くなったパンとチーズを咀嚼することに全力を傾けた。


「なあ、オリバム。結局お前、何を探しに来たんだ?」

「え?」


 疲れた顎を水で休めていると、ロウヴェルが問いかけてきた。


「いや、お前占い師のばあさんに『探せば、ある』って言われたから、ここに来たんだよな? 何を探すつもりだったんだ?」


 話しづらいので、ロウヴェルはオリバムの隣に戻ってきた。パンとチーズは綺麗に腹に収まったようだ。オリバムはもう一口、水を飲んだ。


「前にロウが言ってたよな。呪いを解くには掛けた本人が解くか、掛けた本人以上の実力の持ち主が返すことだって」

「ああ。それで呪いを掛けた奴を探しに来たのか? お前一人来たところで、『実力』なんてわからないだろ」


 呆れたように、ロウヴェル。オリバムは言葉に詰まった。


「だってまさかロウがリョーゼのこと知ってるなんて思いも寄らないし、一人で来るしかないだろ」

「それはそうだが、呪いを解ける奴を探してやってるんだ、一緒に頼めばいいことだろ」

「頼むにしても、どこで呪われたのかって説明できないじゃないか。俺だってなあ、誰かに丸投げしたいよ。たまたま目についたからってだけで呪われてる俺の身にもなれってんだ!」


『探せば、ある』――それならば、呪いを自力で解く方法もあるかもしれない。うまくいけば元通り、屋敷勤めに戻れるかもしれない。そんな一縷の望みを持っていたのだ。甘い考えであることは重々承知だ。


「あー、はいはい。わかったから、そういじけるなよ。用事ついでだ、一緒に探してやるから」

「ついでかよ」


 むかついたので、オリバムはそっぽを向く。どうせ俺のことなんて、と拗ねる心の端で疑問がわいた。


(ついで……そういえばロウは何しにここに来たんだっけ)


「オリバム、例のキーワード、もっかい言ってくれ」


 疑問は声にならずに消えた。オリバムはの頭の中は占い師の言葉を思いだすので精一杯だ。


「え、っと……『二つに分かれたもの』、『過去の栄光』、『神秘の存在』」

「んで、『探せば、ある』か。ここ以外におかしな場所に行ってなけりゃ、『二つに分かれたもの』と『過去の栄光』は、双子の若様とこのリョーゼの街のことで間違いないだろうな」

「こんな街が他にもごろごろしてるわけ無いだろ」

「まあな」


 ロウヴェルはそれににやりと笑っただけだった。まさか、と一人ぞっとするオリバムを置いて、ロウヴェルは話を戻す。


「とすると、残りの『神秘の存在』が問題か。この街そのものが神秘と言えばそうかもしれないが――なにか心当たりはないか?」


 ロウヴェルは、家の中に向かって問いを投げる。オリバムが慌てて顔を背けると、玄関の陰から手が出てきて、ちょいちょいと手招きした。

 ロウヴェルは立ち上がって家の中に入る。ぼそぼそと話し声がした。


(気のせい気のせい)


 オリバムは耳を両手でふさいだ。ここは無人の街で、自分とロウヴェルの他には誰もいないのだ。声のように聞こえるのは、単なる風の音なのだ。間違いない。

 やがてロウヴェルが出てきた。どこから持ってきたのか、女性物のスカーフを持っていた。


「オリバム、お前これで目隠ししろ」

「これ、どっから持ってきたんだ」

「家の中をあさったら出てきた」

「他人の物かよ。勝手に、いいのかよ」

「どうせ持ち主はいないんだ。つべこべ言ってないで早くしろ」


 オリバムは仕方なくスカーフで自分の目を覆った。生地は薄手で光は入ってくるが、透けて見えることはない。頭の後ろで結び目を作ると、ずれないか確かめる。


「いいぞ」

「手を貸せ。引いてやるから、転ぶなよ」


 ロウヴェルに片手を預けると、足音が二人分聞こえた。


(気のせい気のせい!)


 ロウヴェルが軽く引っ張ったので、オリバムは歩き出した。視力を塞いだことで、一つ一つの音が大きく聞こえるようになった気がする。もう一人分の足音は、自分の足音が響いているだけの勘違いだ。


「なあ、どこに行くんだ?」

「『神秘の存在』のところだとさ。その先、少し右に避けろ。くぼんでる」


 ロウヴェルは急がず慌てず、確実にオリバムを導いていった。段差や溝があるときには、一度立ち止まって、どのくらいの歩幅が必要なのかまで教えてくれる。


(中に、入った)


 扉の開く音がした後、足音の反響が大きくなった。それまでとは空気の匂いも違う。微かに香の匂いも混じっているように思えた。


「オリバム、ここから下り階段だ」

「まだ目隠ししたままか?」

「まだだ。ここに壁があるから、伝いながらゆっくり降りろ」


 オリバムは言われた通り、壁に両手をついて横向きで一段ずつ降りていった。壁は石壁で、ひんやりしていた。


「なんか、寒くないか?」

「そうだな。少し冷えるな」


 壁だけでなく、空気も少しずつ冷えていった。最後に階段を下りきったときに湿り気を感じて、オリバムは首を傾げた。


「なあ、また噴水でもあるのか?」

「水ってところだけはあってるな」


 ロウヴェルは苦笑した。足音が一つ、そっとオリバムの後ろに離れていくのを聞いた。


「目隠しをとってもいいぞ」

「……いいのか?」


 オリバムはちょっとだけ躊躇って、ゆっくりと結び目をほどいた。スカーフを取り払って顔を上げると、思いがけない光景が広がった。


「湖……?」


 蒼い水が、視界一杯に広がる。水面は穏やかで、水面に波紋が浮かんでは消える。

 オリバムは視線を上に動かした。そこには天井があった。ごつごつした岩の天井は、なぜか全体がほんのり輝いていて、この空間全体を明るく照らしている。時折、岩を伝った滴が湖に吸い込まれると、その水音は霊妙な響きになった。


『神秘の存在』


 キーワードが心ですっと溶けていく。確信が生まれた。同時に、オリバムは首を傾げた。


(三つ揃ったけど……あとは何を探せば良いんだ?)


 足下は石畳が敷いてあったが、人一人分の幅ほどだけで、あとはむき出しの地面のままだった。振り返るなと怒られたので推測するしかないが、階段を下りてからここまで一本道が造られているのだろう。湖畔にはボートの類は見えないので、行って戻るだけの道らしい。


「ここって、地下、なのか?」

「リョーゼの地下に隠された湖だそうだ」

「隠された?」


 そもそも街に入ることすら難しいのに、さらに隠さなくてもいいだろうと思う。

 もう少し前に進めと言われて、オリバムは湖の縁まで歩いた。


「――トゥランダ。いるかい?」


 背後から響く声に、オリバムの身体は緊張した。冷や汗がにじんで、息が苦しくなった来る。


(だめだ、やめろ……!)


 隣にいるはずのロウヴェルに救いを求める。が、ロウヴェルはじっと湖の方を見つめているだけだ。

 背後から足音が近づいてくる。

 オリバムは必死に自分の身体を押さえようとした。赤茶色のぼさぼさの髪が横を通り過ぎた。


(ルー……!)


 オリバムの身体の中がざわりと騒ぐ。もう限界だった。再びロウヴェルが止めてくれることを強く祈る。その時。


「――おやめなさい」


 凛とした声が響いた。

 ぱしん、と、何かに撲たれたような衝撃が走って、オリバムはその場に膝をついた。動けない。見えない腕に、押さえつけられているようだ。


(止めて、くれた?)


 苦しいのは自分の意志でない何かが暴れようとしているから。自分の意志でない何かがそれを押さえようとしているから。オリバムの意志では、何一つ自由にならない。


「刻は動いています。過去を咎めることはできません」


 諭すような声に続いて、うめき声が響く。呪詛のようにも、すすり泣きのようにも聞こえる。


「わかりませんか。刻は動いています。誰にでも、何にでも、必ず終わりが来るのです。そのことを私たちはあの日に思い知ったのではありませんか? 思い出したのであれば、愚かしい真似はやめて、去りなさい」

「――っ!」


 厳しい口調で言い放つ声に貫かれたように、オリバムの身体に再び衝撃が走りぬけた。

 同時に、ああ、とも、おお、ともつかないうめき声が湖中に反響する。空気大きく震え、壁や天井にぶつかっては跳ね返る。得体の知れない圧力に、オリバムは耐えることしかできない。

 うめき声と圧力が限界に達するかと思えたとき、いきなりそれは終わった。

 静寂が再び訪れた。オリバムの荒い息づかいだけが、その静けさを壊している。


「オリバム、大丈夫?」


 温かい手が肩に触れた。見なくてもわかる。ルーセントだ。


(だめだ……!)


 とっさに離れようとしたオリバムを、ルーセントが笑って止めた。


「もう平気だろ?」

「え?」


 オリバムは自分の両手を見た。

 手が、思い通りに動く。手だけじゃなく、足も、他も全部、オリバムの思う通りにだけ動いた。もう一度ルーセントの顔を見る。懐かしさだけが、わき上がってくる。おかしな命令は、響いてこない。


「呪いが……解けた?」

「そんな大層なものではなかったのよ」


 涼やかな声に、オリバムは顔を上げた。透き通るような水色の瞳と出会って、戸惑う。湖そのものが歩いてきたのかと思った。


「こちらの管理不行き届きで迷惑をかけてしまったようで、本当にごめんなさいね」

「はあ、あの、いえ、そんな、別に」


 そんなことよりもオリバムは訊きたかった。

 あなたは今、湖の上を歩いてきませんでしたか?


「もう大丈夫ね。後遺症も何もないはずよ」


 オリバムの顔をのぞき込んだのは、湖ではなく一人の女性だった。長い黒髪はさらさらと腰まで流れ、古風なドレスを身にまとっていた。銀糸で織られているのか、湖の光を反射して神々しいばかりだ。ほっそりした面に浮かんでいる笑顔はあどけなく見えるが、湖のような目が、経てきた年月の深みを感じさせる。

 どうやらこの女性が、オリバムの苦しみを取り去ってくれたらしいと気づくのに、そんなにかからなかった。何か言わなくてはと、唇をなめてようやく出た言葉が、


「幽霊……?」


 我ながら情けなくなった。

 女性は気を悪くした様子もなく、くすっと笑っただけだった。


「幽霊と言われれば、そうなのかしら。私はトゥランダ」


 初めましてと言われて、オリバムも慌てて立ち上がって自己紹介する。それからおそるおそる、尋ねてみる。


「あの、俺の呪いを解いてくれたんですか?」


 トゥランダは頷いた。


「あの人達には外に干渉する身体が無いから、あなたの身体を無断で借りていたようなの。もう干渉できないようにしたから、安心してちょうだい」

「そう、ですか。よかった。ありがとうございます」


 これでもう、誰かを殺めてしまうことにおびえなくて済む。そう思った途端、体中から力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。


「オリバム、ほんとに大丈夫なのか?」

「大丈夫。ちょっと気が抜けただけだから」


 ルーセントの慌てた声にも、笑ってこたえられる。それだけのことが、本当に嬉しかった。


「はは……本当に、探したらあったよ、呪いを解く方法」


 占いなんてと、バカにしたままで終わらせないで良かった。ラジェッタの勝ち誇る笑顔が目に浮かぶようだ。またこれで頭が上がらなくなってしまうが、そんなのは自業自得だ。


(本当に、みんな俺のこと思ってくれてたんだよな)


 人の好意はきちんと受け取っておくものだと、オリバムはこの日しっかりと心に刻んだのだった。

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