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一難去らずにまた一難。がんばれ、オリバム君。そんな気持ちで書いてます、ええ、本当です。
先客は、一人の少年だった。オリバムよりいくつか年下に見える。六人掛けのテーブルの一角に陣取って、かじりかけのパンを持っていた。いったいどこで何をしていたのか、ぼさぼさの赤茶色の髪には蜘蛛の巣が絡まっていて、それがいっそう、緊張感を台無しにしている。
「えーと」
少年は困ったように、空いている席を指した。
「……座る?」
「その前に。お前は誰だ?」
ロウヴェルが冷静に尋ねると、少年は急いでパンを食べてから、パンくずをはらって立ち上がった。蜘蛛の巣はそのままだ。
「お前らこそ、何者だよ。ここはふらっと入ってこれるような所じゃないぞ」
「ふらっと入ってこれるような所じゃないことを知ってるってことは――」
ロウヴェルは少年を上から下まで眺め回した。
身につけているシャツやズボンはあちこち汚れてはいるが、上質の生地が使われている。椅子の背にかけてあるのは、丈夫なショコバ織りのマントで、これも庶民階級なら無理をしないと買えない代物だ。その横には剣が立てかけてあるが、これは実用一点張りで特に目立った点はない。武器には疎いので、ロウヴェルには判断が付かない。ただ、少年が、じわじわと剣に向かって手を伸ばしていることだけはしっかりと見ておく。
「察するに、キベラ伯爵家に縁のある人間だな」
ぎくっと、少年の動きが止まる。
ロウヴェルは確信した笑みを浮かべた。
「当たりか。そうすると年格好からいって、お前さん、伯爵家の双子の一人だな」
さすがに双子のどちらかまでは解らなかった。オリバムならわかるだろうと振り返ると、
「……どうした、オリバム」
オリバムは硬直していた。
「オリバムだって?」
少年は一歩前に出た。期待と不安の入り交じった顔で、問いかける。
「ほんとにオリバムなのか? どうしてここに……そうか、アミが一緒なんだな」
「おい、オリバム、どうした」
「……」
二人が呼びかける中、オリバムは何かを堪えるように地面を見つめ、両手を震えるほどに握りしめている。顔色は真っ青で、脂汗もにじんでいた。
「だ、めだ……」
「オリバム?」
近寄ろうとした少年を、ロウヴェルは押しとどめた。
ぎくしゃくと、オリバムは動き出した。俯いたまま、ぎこちない動きで荷袋を開け、ナイフを取り出す。
「おまえそれ――」
ナイフをどうするつもりか、ロウヴェルが問いかけるより早く。
「どけぇぇーーーっ!」
オリバムはロウヴェルを突き飛ばして突進した。刃先は真っ直ぐに少年の胸を狙っていた。
「オリバム!?」
驚きつつも、少年の身のこなしは素早かった。とっさにテーブルの反対側に回る。ナイフが空を切る音に冷や汗がにじむ。
「オリバム、止めろ、どうしたんだ!」
ロウヴェルが叫ぶ。オリバムは、再びナイフを振り上げて少年に襲いかかる。その目に、すでに正気の光はない。テーブルを挟んで、命がけの鬼ごっこが始まる。
「……なんなんだよ、いきなり」
オリバムの眼中に入っていないことをいいことに、ロウヴェルは懐から小さな薬包を取り出した。包みを一度開いてから、すぐに握りつぶすようにして丸める。ナイフを振り回しているオリバムの動きを見定め、タイミングをつかんで投げつけた。
「ぅぶっ!?」
「息を止めてろ!」
叫んで、ロウヴェルは外に飛び出す。
薬包は狙いどおりにオリバムの横っ面に当たり、包みから粉が飛び散った。
部屋の隅に追いつめられていた少年は、とっさに鼻と口を袖で覆った。
「うっ……」
ただ一人、オリバムは飛散した粉を目一杯吸い込んだ。むせ混んだ直後、もがくようにして膝をつき、ばったりと倒れ込んだ。
「脅かしやがって」
室内が静かになると、ロウヴェルは片手で鼻と口を押さえたまま戻ってきた。倒れたオリバムからやすやすとナイフを取り上げる。部屋の隅に立ち尽くす少年に、外に出ろと手振りで示した。
「オリバムは……大丈夫なのか」
深呼吸してから、少年は戸口の横から中を覗き込んだ。オリバムはぴくりとも動かない。
「眠らせただけだから心配ない」
反対側の戸口で、ロウヴェルも深呼吸を繰り返していた。
「ちょっとばかり、薬が多かったかもしれないが、多分大丈夫だ」
「たぶん!? それ――」
詰め寄ろうとした少年は、よろけてロウヴェルに体当たりしそうになった。男に抱きつかれても困るので、ロウヴェルはさっと避けて、けれども少年の腕を掴んで地面とぶつかるのは阻止してやった。
「少し吸い込んだな。深呼吸を繰り返せばいい」
「お前、あんなものをいつも持ち歩いてるのか?」
ロウヴェルの助言通り、深呼吸を繰り返して、少年。
あんなものと言われて、ロウヴェルは肩をすくめた。
「俺は善良な薬屋なんだ。護身用に即効性の睡眠薬くらい持っててもいいだろ」
少年は眉を顰めた。
「薬屋? お前まさか、おかしな薬をかがせてアミとオリバムに無理矢理ここに案内させたんじゃないだろうな!」
険しい顔で詰め寄ってくる少年に、ロウヴェルは凶悪な笑顔で答えた。
「あーのーなー。今さっき、お前に刃物を振り回してたのは誰だ? それを止めたのは誰なのか、ちゃんと憶えてますか、おぼっちゃま」
「エルバイム=ルーセントだ。おぼっちゃじゃない」
むっとして言い返した少年――エルバイム=ルーセントは、すぐに態度を改めて非礼を詫びた。
「そう、だったな。助けてもらったのに、すまない。言いがかりだった」
素直な態度に、逆にロウヴェルの方が面食らった。
「まあ、混乱してるのはお互い様だしな」
気まずさをごまかすように、ロウヴェルはルーセントの頭から蜘蛛の巣をはらってやった。ルーセントはそれで初めて、自分がほこりだらけなのに気づいて、ぱたぱたと袖や裾をはらい始めた。
「念のために訊くが、襲われる理由は思いつくか?」
「そんなもの、あるものか。オリバムと僕らは十年近くも一緒に育ったんだぞ。そりゃあ、勝手に出て行ったことは少しは恨んでいるかもしれないけど……」
最後の方は力ない呟きになる。
ロウヴェルはルーセントを見下ろした。そういえばオリバムは、この少年を追いかけてリョーゼに迷い込んだと言っていなかったか。
「その辺の家庭の事情はどうでもいいが、少なくとも、オリバムの奴がいきなり刃物を振り回すなんてありえないんだがな」
「それは、僕もそう思う」
ルーセントも力強く同意した。
「となると、本人に訊くしかないか」
オリバムはまだ家の中で伸びている。戻ろうとするロウヴェルを、ルーセントが止める。
「その前に訊きたいことがある。お前は何者なんだ、薬屋。どうしてこんなところにいるのか、教えてもらいたい」
「あんたが伯爵家の若様なら、オリバムから聞いたこと無いか? プラティに薬屋の知り合いがいるって話」
「プラティの薬屋の……」
何かを思い出そうとするように、ルーセントは眉間に皺を寄せた。
「……前に咳止めを調合してくれた薬屋のロウって、お前のことか?」
「メーギルで湿疹ができるって言うから、調合するの大変だったんだぞ、あれは」
にやりとして、ロウヴェル。ルーセントの表情は和らいだが、かといってすべての警戒を解いたわけではなかった。
「そうか。あの時は本当に助かった。礼を言う。それはそれとして、ロウヴェルはこんな所で何してるんだ? そもそも、どうやってここに?」
「ロウで構わない。オリバムがここに入りたいって言うから道案内してやったんだよ」
経緯をかなり端折って答えると、ルーセントは案の定、首を傾げた。
「オリバムがここに? お前が案内? あれ、アミはいないのか?」
「待て待て。細かい話は後だ。そろそろオリバムを引っ張り出す。引っ張り出したら、おぼっちゃまは中に隠れててくれ」
「え? 隠れる?」
きょとんとするルーセントに、ロウヴェルはオリバムを指した。
「念のため、な」
オリバムは明らかにルーセントを狙っていた。目を覚まして、同じ凶行に及ばないとは限らない。
「……オリバムはどうしちゃったんだ」
「それも聞いといてやるよ。そっちに回って、足を持ってくれ」
二人がかりでオリバムを家の外に連れ出すと、ルーセントは家の中に潜んだ。ドアは開け放したままにしておく。ロウヴェルはこちらからルーセントの姿が見えないことを確認してから、オリバムを起こしにかかった。
「オリバム、おい、起きろよ」
少々乱暴に揺さぶると、やがてオリバムは目を覚ました。ぼんやりと、ロウヴェルを見つめ返す。
「ロウ……」
「俺のことはわかるみたいだな。起きられるか?」
「う、なんか気持ち悪い……」
ゆっくりと上半身を起こして、オリバムは頭を押さえた。どうしてこんな所に寝ているのか考えて――記憶が、細切れに蘇る。ルーセントの顔と、自分の手のナイフ。そこまでしか覚えていない。まさか、と震えが走った。
「ロウ! 俺、俺は……ルーに何をした?」
「安心しろ。何もしてない。ナイフを持って飛びかかったけど、俺が止めた」
「止めた? 本当か? 本当なんだな?」
「見てみろ。どこにも死体も無いし、血も流れてないだろ。いや、まだ動くな。ここからでも見えるだろ」
開け放たれたドアの中は、最初に見たときのままだ。テーブルに陣取っていた少年の姿だけがない。
(よかった……でもルーはどこに行ったんだ)
ルーセントのことを考えたとき、頭の奥がずきりと痛んだ。
「そうすると、あれは騙りでもなくて、間違いなくエルバイム=ルーセントなんだな。お前、仕えていた相手に刃物振り回すなんて、どういうことなんだ?」
「うん……」
オリバムは沈んだ顔で俯いた。しかしもう今さら隠しておくことは出来ない。腹をくくって、吐き出した。
「ロウ、俺……呪われてるんだ」
「それならとっくに知ってるぞ」
「いや、そうじゃなくて……あのおっさんに引っかけられる前に、俺はここで、リョーゼで呪いにかけられたんだ」
「なんだって?」
開け放しのドアが、ぎい、と鳴る。オリバムは振り返ったが、家の中は無人だ。
ぐいっと、ロウヴェルに首を戻される。
「よそ見するな。――なんでそれを早く言わないんだ」
「言えるかよ! それに、普段は何でもないんだ。キベラ伯爵家の人間を前にしたときだけ、訳がわからなくなっちまうんだ」
「伯爵家の人間だけ? 順を追って話してみろ。何がなんだか、わけがわからん」
「俺だってそうだよ」
両膝に顔を突っ伏して、オリバムはため息をついた。どうしてこんなことになったのか、何度考えてもわからない。わからないから――逃げ出したのだ。
「ちょうど先月のことだよ。伯爵様がそろそろ二人とも王宮に出るようにって話したらしいんだ」
らしい、というのは、オリバムはその場にいなかったからだ。父から話を聞いた二人は、そのままオリバムに話してくれたのだ。
「アミの方は問題なかったんだけど、ルーの方が、ものすごく嫌がって」
「なんだ、親元離れるのが嫌だったのか。まだお子ちゃまだもんな」
揶揄するように、ロウヴェル。ぎぃ、とまた家の戸が鳴る。振り返るオリバムに気にするなと言って、先を促した。
「ルーの言い分としては、本当に治めるべきはリョーゼなんだから、王宮に勤める必要なんか無いだろうって」
「リョーゼの領主なんて、王宮だって知らないだろ。表向きは立派な伯爵様の跡取りなんだからちゃんと励めよ」
「うん、でもルーは、それなら自分は最初からリョーゼを選ぶって」
「飛び出したって、そういうことか」
オリバムは頷く。伯爵もアミディームも放っておくようにと言っていたのだが、オリバムはルーセントを追いかけた。
「とりあえず、どこに行くのかだけでも知っておこうと思って」
「追いかけてみたら、リョーゼだったって訳か」
「うん、ただあの時はまだ、こんな街があるなんて知らなかったから」
荒れ地の中で、つかず離れず追いかけるのは難しかった。それでも見失わないように歩き続けていくうちに、地面が変わったことに気づいたのが最初だった。
「気づいたらでかい街の中にいたから、全く訳がわからなくて。しかも誰もいないし、ルーのことも見失っちゃって、泣きそうだったよ」
ルーセントの名を呼び、誰も出てこない家々の戸を叩き、目に付く通りを片端から走り回って、最後には動けなくなってうずくまるしかなかった。このまま巨大な街の中に飲み込まれていくような恐怖に必死に耐えるしかなかった。
「どのくらい経ったのか全然わからないんだけど、声が聞こえたんだ」
耳を傾けてはいけない声だった――
*
『――そこで何をしている』
疲れ果てたオリバムが膝を抱えて座り込んでいたのは、本棚がずらりと並ぶ一室だった。本棚の影にいたオリバムは、慌てて立ち上がった。もしかしたら助かるかもしれない。
『ここはもう人が来るべき街ではない。早々に立ち去れ』
「あの、そうしたいんですけど、迷っちゃったみたいで。出口を教えてもらえませんか」
声の主の姿は見えなかった。オリバムはゆっくり歩いて、声の主を捜した。
『出口?』
声の調子が、ほんの少し変わっていた。しかしオリバムにはどうでもいいことだった。一刻も早く、このおかしな場所から立ち去りたかった。
「そうです。俺、リョーゼの荒れ野を歩いてただけで、どうやってこんな所に来たのかわからなくて、ここがどこなのかもわからないんです」
どうしてかはわからない。けれども、ルーセントのことを隠しておくべきだと思った。
『荒れ野、か。そんな風になってしまっているのか』
声に、憤りが加わった。
『世界の中心とも呼ばれたリョーゼが、荒れ野とは! キベラの愚行の結果がこれか!』
「キベラ? 伯爵様が何をしたというんだ」
聞き捨てならない台詞だった。確かにリョーゼの荒れ地はキベラ伯爵領だが、伯爵がどうにかして荒れ地にしたわけではない。
沈黙が落ちた。
『――お前は、キベラの一族を知っているのか?』
「この辺に住む人間なら誰でも知ってるだろ」
少しずつ、オリバムは移動した。どうやってこの部屋に入り込んだのかは曖昧だが、向こうに扉があるのはわかっている。気取られないように、じりじりと足を動かす。この場からは逃げ出した方が良いと、心の中でガンガン警鐘が鳴っている。
『――お前は出口が知りたいと言ったな』
相手が猫なで声に変わったとき、オリバムは走り出した。
『教えてやろう。代わりに――我らの願いを叶えてくれ』
*
「――そこで俺の記憶はぷっつりと途切れてて」
次に気づいたときには、プラティの伯爵家の屋敷の自室だった。荒れ野の端で倒れているところを発見されて運ばれ、そのまま五日も目を覚まさなかったということだった。
オリバムはぎゅっと両手を握りしめる。
「でも、そんなことは問題じゃなかったんだ」
「なんとなく予想がついたぞ」
けだるげに、ロウヴェルは髪をかき上げた。
「お屋敷でさっきみたいに暴れたんだな?」
オリバムは頷いた。何度思い出しても、情けないの一言に尽きる。
「心配して来てくれたアミの顔を見た途端、わけがわからなくなった。ダメだってわかってるのに、身体が言うことを聞かなくて。最後にはキベラの一族を根絶やしにしろって、それだけが聞こえるんだ」
「根絶やし、か。自分のことを棚に上げて、よく言う」
「え」
ロウヴェルは空を見上げていた。その口元に浮かんでいるのは、嘲笑だ。
「知ってたか? ここは昔、自称『優秀な魔法使い』が調子に乗ったあげく、世界中を荒れ地にしてしまうような間違いを起こしたところだったんだ」
オリバムは首を横に振った。そこまで詳しい話は聞いたことがない。
「そのとき領主だったキベラ一族が、それを食い止めるためにリョーゼの街を人の住む世界から切り離し、残った魔法使い達で過ちを正そうとした。結果として、街の見張りを務めるキベラ一族以外の魔法使いは全員死んだ。そいつらの恨み辛みが、まだここにはだいぶ残っている」
「……ロウ」
オリバムがそっと呼びかけると、ロウヴェルは、もう元通りの、少し小馬鹿にしたような笑みを向けてきた。
「まあ、何にしてもお前はそういう残りカスみたいのに、たまたま目をつけられたってことだな」
「……また、それか」
理不尽な世の中に怒る気力も無く、オリバムはがっくりと項垂れた。




