3
きっとこれはこれは夢なんだ。
全部悪い夢なんだ。
朝になれば目が覚めて、悪い夢を見ていたんだと胸をなで下ろすんだ。
「……」
ふと気づくと、周りが明るい。
ゆっくりと目を開く。いつもどおり、小さな窓から明るい日が差し込んでいる。いつもどおり、鳥の声と、人の足音が、さわさわと耳をくすぐる。
「……夢? ほんとに?」
どこまでが夢でどこからが現実なのか。起きあがってぼんやり部屋の中を見回していると、ノックの音がした。
「オリバム。入るぞ」
返事をする前に扉がわずかに開いて、ロザーの顔がのぞいた。
「起きれらるのか? 具合はどうなんだ?」
「具合?」
何の話だろうと首を傾げる。ロザーは扉を全開にして入り込んでくると、心配そうに顔をのぞき込んでくる。
「昨日、ロウが診てくれたんじゃなかったのか?」
「昨日……? ああ、そっか、ロウが来たよな……」
途端に、記憶がまとめて蘇る。オリバムはサイドテーブルに目をやった。夕べのまま、椀と紙がおいてある。紙には何も書かれていない。黒い染みもない。
(やっぱ、夢……?)
ほっとした。
そういえば熱もあったようだし、そのせいで悪夢を見たのかもしれない。
「なにか薬でも貰ったのか?」
ロザーが椀に視線をやる。オリバムは首を横に振った。
「かもしれない。よく憶えてないんだけど無理矢理飲まされたのかもしれない」
「無理矢理?」
「ああ。おかげで変な夢見たよ。俺に呪いがかかってるとか言われてさ、その証拠にこうしたら紙が黒くなるとかいう変な夢でさ」
オリバムは笑いながら椀の中に指をつっこむと、横の紙の上にぬれた指を置いた。
ぞわりと、指の先から黒い染みが広がった。
「……」
「……」
ロザーが眉をひそめた。
「オリバム、お前手を洗わないで寝たのか」
咎めるような口調だった。
「ロザー……」
オリバムは泣きたい気分だった。
「俺、死ぬかもしれない」
「そう言うことを言う奴に限って長生きするもんだ」
呆れたように言って、ロザーは手ぬぐいを放り投げた。椀を取り上げると、まだぼんやりしているオリバムの背中を叩いた。
「寝ぼけてないで、顔洗ってこいよ。店でロウが待ってるぞ」
「!」
オリバムは弾かれたようにベッドから飛び出すと、顔も洗わずに店に向かった。
早朝の店内は神聖ともいえる静寂に支配されている。一瞬、無人かと思ったが、ロウヴェルはカウンター席に座って静寂の中にとけ込んでいた。
「ロウ!」
ロウヴェルが振り返るより早く、オリバムは詰め寄った。
「俺の呪いって何だ!」
ロウヴェルの前には湯気の立ち上るカップが一つ置かれていた。そのカップから悠然と一口飲んで、ロウヴェルは試すようにオリバムを見つめ返した。
「やっと信じる気になったか」
「……どういう意味だ?」
聞き返すと、ロウヴェルは肩をすくめた。
「これだもんな。夕べ俺が教えてやったのに、『これは夢だ』って、ぶつぶつ言ってそのまま寝ちまったのは誰だよ」
「……」
記憶に無いが、どうやらそう言うことだったらしい。
「俺も聞きたいな。呪いってのはどういうことだ?」
ロザーが戻ってきた。手には椀と紙を持っていた。静かにロウヴェルの前にそれらを置く。
ロウヴェルは二人の顔を交互に見つめた。ロザーもオリバムも、じっと動かずにロウヴェルの言葉を待っている。
「この水の中にはな、レジメアの粉を入れた。レジメアってのは、知ってるな?」
椀の中の水を指でかき回す。水はただ、指の動いたとおりに揺れるだけだ。
「魔よけになる木だよな?」
神殿や、墓地によく植えられる木だ。土地を浄化するために植えられ、咲き誇る花は神と死者に捧げられ、枝や葉は魔除けのお守りとなる。
実際に魔物だの怪物だのがレジメアを恐れて逃げていくところを見たわけではないが、街一番の薬屋が持ち出してくるならばその効果はあるということなのだろう。
オリバムは試しにもう一度、椀に指を入れてみた。それから、指を紙の上に。
「……」
再び、水は黒く濁った。オリバムも真っ暗になった。
「手が汚れてるわけじゃないみたいだな」
のぞきこんで、ロザーは淡々と言う。
「これが、オリバムが呪われてる証拠なのか?」
「まあ、そんなところだ」
「そうか。わかった。まだ必要か?」
ロウヴェルが首を横に振ると、ロザーは椀を取り上げて厨房に回った。流しに水を捨てて椀を洗い、それからカップを二つ、棚から下ろす。竈でふつふつと沸いているヤカンからお湯を注いで、熱いベイラム茶をいれる。オリバムの分と自分の分。それからロウヴェルに、おかわりをもう一杯。
「ほら。熱いぞ」
オリバムはカップを受け取った。まだ揺れている茶の表面を見つめながら、ぽつりと言った。
「呪いってなんだ? 俺は……死んで墓荒らしの化け物になるのか?」
子供の頃に聞かされた、死体を掘り起こして人形のように動かす悪い魔法使いや魔物の出てくる昔話が、次々と思い出される。
「――むかしむかし、北の大陸にノムロークという大きな国がありました」
ロウヴェルは答える代わりに、語り始めた。オリバムとロザーは黙って耳を傾ける。
「ノムロークは元々は小さな国でしたが、周りの国を次々と攻め滅ぼしてどんどん大きくなりました。その戦争で一番の手柄を立てたのが、国王直属の騎士団でした。シャスタデン、すなわち『王に誓いを立てし者』と呼ばれた彼らは、不死の体を持っていたので、どの国の勇者も勝てなかったのでした」
「……その話、どこかで聞いたことがある」
どこで聞いたんだろう――記憶を掘り返そうとして、失敗した。
「いてっ!」
ロウヴェルは指先でオリバムの額をはたく。ぺしっ、といい音がした。
「思い出さなくていいから話を聞け」
とっさに十は言い返してやりたいことがあったが、オリバムはぐっと堪えた。そう、忍耐は技量だ。ロウヴェルは満足そうに続きを語り始める。
「シャスタデン騎士団に守られた王は、次々と他国を征服していきました。やがて北の大陸全土がノムロークのものとなろうとしたとき、最後まで抵抗していた小国が、シャスタデン騎士団の秘密を暴きました。実は騎士団は不死ではなく、ある呪いを受けて命を長らえていたのでした。呪いを解いたとき、ノムロークには生きている人間は一人もいませんでした。こうして、ノムロークは滅んだのでした」
「生きている人間がいなかった……?」
不死を持っていながら、最後には誰も生き残れない国。矛盾した結末に首を傾げる友人たちに、ロウヴェルは肩をすくめただけだ。
「本当かどうかは実際にみたわけじゃないからな。ただ、この方法なら、そう言う結末はあり得る。――騎士団は不死だったわけじゃなく、呪法によって命の身代わりを立てていただけだったんだ」
「命の、身代わりって?」
「そのまんまだ。例えば、俺がシャスタデンだったとする。俺が心臓に剣を突き立てられても、実際に血を吹き出して死ぬのは身代わりの呪いを受けている人間だ」
「それ……まさか!」
思わず身を乗り出すオリバムにロウヴェルはうなずいた。
「やっと気づいたか」
「つまり、オリバムにそれと同じ呪いがかかっているわけだな?」
ロザーが唸る。
「それも……身代わりになる方の」
「ご名答」
カップの底に残ったお茶を飲み干して、ロウヴェルはオリバムに向き直った。
「これで答えは出たよな?」
「俺にかけられた呪いってのが、何なのかはわかった」
硬い表情で、オリバム。さっきから急に誰かに心臓を握られているような気がして落ち着かない。
「じゃあ俺は……あのベートって奴の身代わりになって……死ぬのか……?」
「そいつが無事ならお前は何の支障もなく、今まで通りの生活を送れるさ。ただ、騙して『シャスタデンの契約』までした奴が、残りの人生をおとなしく送ってくれるとは思えないがな」
何の慰めにもならないことを言う。
オリバムは背中にどっかりと荷物を落とされたかのように、突っ伏した。
「……なんで、俺なんだ?」
「それを訊かれても困るが、そうだな、敢えて言うなら、ある程度読み書きができて、しかも自分の名前が書けたからだろうな」
「そんなことで」
人に恨まれるような人生を送ったわけでもなく、むしろ覚えたことを役立てるつもりで始めた商売が、いきなり見も知らない他人から呪われることになるなんてあんまりだ。
「理不尽だ! こんな世の中は絶対間違ってる!」
「おちつけ。間違ってるのは世の中じゃなくてとりあえずベートって奴だ」
冷静に、ロザーが諭す。
「……確かに、あの程度のをのさばらせておくのも間違いっちゃあ、間違いだよな……」
「ロウ? なんだって?」
ロウヴェルの呟きは低くて、よく聞き取れなかった。怪訝そうなオリバムに、ロウヴェルはかぶりを振ってみせた。
「いや、なんでもない。それよりオリバム、別にベートの奴が刺されても、お前がすぐに死ぬってわけでもない」
「どういうことだ?」
「『シャスタデンの契約』は複数の身代わりを対象にできる。ノムロークの騎士団もそうやって不死になることができた」
何度刃をその身に受けても、決して倒れることのない不死の騎士。つまりそれは、刃を受けるたびに、身代わりの命が消えていったことを示す。
「俺の他にも身代わりがいるってことか?」
「間違いないだろうな。『シャスタデンの契約』は身代わりをたくさん作れるってところがポイントだ。ちなみにどの順番に身代わりが選ばれるのかは決まっていない。だからオリバムが一番かもしれないし、最後かもしれない」
「……あんまり心強い話でもないな」
けれども、ほんのちょっぴり、気持ちが軽くなったことは事実だ。
「まあ、呪いなんかにかかってる時点で終わってるしな」
持ち上がった気分をロウヴェルがまた突き落とす。
「好きでかかってるわけじゃねえよ!」
「オリバム、怒る相手が違うだろ。ロウはわざわざ説明に来てくれたんだ」
カウンター越しに大きな手がオリバムの顔を塞ぐ。その手を払って、オリバムはぶっきらぼうに言った。
「……ありがとよ」
「どういたしまして」
わざとらしく丁寧にロウヴェルは答えた。
「んで、これからどうする?」
「どう、って……」
悩むまでもない。オリバムは改めてロウヴェルに向き直る。
「ロウ、お前そこまで詳しいんなら、呪いの解き方も教えてくれよ」
「普通はそうくるよな。昔から呪法はいろいろあるけどな、解き方は二つしかない。かけた本人が解くこと、もしくはかけた本人より力の上回る奴が呪いを返すこと」
「ロウは、呪いをかえせないのか?」
すがるような想いで訊いてみたが、ロウヴェルは首を横に振った。
「ただの薬屋に無茶なこと言うなよ」
がっくりするオリバムに代わって、ロザーが訊く。
「とすると……ベートを捕まえなきゃいけないのか」
「だが捕まえたところで解呪してくれそうにもないだろうな」
いたずら小僧を捕まえるのとは訳が異なる。げんこつ一つで素直に言うことを聞くとは思えない。
「そうすると、ベート以上の魔術師を探す方が早いのか?」
「可能性としてはそっちのが高いだろうな。ただ、ベートがどの程度なのか知らないからなあ」
「そのなんとかの契約ってのが使えるかどうかで計れないのか?」
「一概には言えないな。向き不向きってのもあるし」
どこまでも他人事の気楽な会話にしか聞こえず、オリバムの機嫌は傾く一方だった。
「他人事だと思ってお前ら。だいたいロザー、魔法使いなんてのが、どこにいるのか知ってるのかよ」
噂話やおとぎ話の中ではよく聞くが、実際にオリバムは魔法使いに出会ったことはない。噂話の大半も自称魔法使いのまがい物ばかりだ。国王の元には今でも何人かの魔法使いが仕えているという話も聞くが、確かめる術はない。
「――カルナトレハ」
ややあって、ロザーは言った。
あっけにとられたオリバムだったが、ロザーが真面目なのを見て取ると怒るに怒れず、深いため息をついた。
「あのな、ロザー、人が簡単にいけないところを言われてもな」
確かにそこならば、魔術師は揃っている。それこそオリバムにかけられた呪いを解くことなど朝飯前の魔術師がいるに違いない。
ただし、辿り着けたなら、だ。
カルナトレハ。
この世界で魔術を修める者が目指す最高峰の都の名前だ。『真理』を備えた者だけが住まうことを許されると言われる、伝説の都の名前でもある。おとぎ話と何ら変わらない。
「簡単にいけないだけで、絶対にいけないわけじゃない」
開店の支度をしながら、ロザーは淡々と言う。
「だとしても、魔法使いだってなかなかいけないってところに、俺みたいな普通の人間がいけるわけないだろ」
なあ、ロウ――同意を求めようとして振り返ると、そこには驚いた表情のまま固まっているロウヴェルがいた。
「カルナトレハ……まさか……」
「ロウまでどうしたんだよ。おーい、ロウ、聞こえるか?」
肩をつかんで少々乱暴に揺さぶると、ようやく目の焦点がオリバムに合った。
「しっかりしてくれよ。カルナトレハがどうしたんだよ。まさかロウ、道を知ってるとか言うのか?」
「ああ……いや、道は知らない。誰も知らないんだ。カルナトレハに住んでる奴だって知らない」
うわごとのような答えに、オリバムは顔をしかめる。
「そりゃ、どういうことだ? 住んでるのに道がわからないってどういうことだよ。まだ寝ぼけてるのか?」
「都に至る道は無数にあるけど、道が敷かれている訳じゃないんだ」
厨房から出てきたロザーが割って入った。ますます混乱した様子のオリバムをロウヴェルから引き離して、言い聞かせるように言う。
「落ち着け。今はそんなことどうでもいいだろう?」
「え、そりゃあ、まあ……」
もう少し詳しく聞いてみたい気もしたが、言い出せる雰囲気ではない。
「……ロザー、水をくれないか」
夢から覚めたような顔のロウヴェルをじっと見てから、ロザーは水を汲みにまた厨房に戻る。コップに注いで渡してやると、ロウヴェルは一息で飲み干した。
「ありがとよ。すっきりした。おかげで一つわかったことがある」
コップをカウンターに置いたときには、いつものロウヴェルだった。
「ベートの目的はカルナトレハだ。魔術師なら必ずそこを目指す。ただし、道のりは険しい。それこそ命がいくつあっても足りないくらいにな」
「だから……身代わりか!」
「たぶんな。ベートが魔術師だと仮定してだが……まあ、『シャスタデンの契約』が使えるんだから、魔術師なんだろうな」
「なんなんだよ! 『真理』を目指すんなら、ひっそりと静かに一人でやれ! 善良な市民な迷惑かけるな!」
ロウヴェルの言葉の半分も聞かずに、オリバムはやり場のない怒りを吐き散らしていた。
やれやれと、肩をすくめてロザーとロウヴェルは顔を見合わせる。
「で、ロウ」
さんざんわめき散らしておいてから、オリバムは改めてロウヴェルに尋ねた。
「それでもやっぱり呪いを解く方法はわかんないのか?」
「だから、ただの薬屋に無茶を言うなと言ってるだろうが」
「そこをなんとか」
「なんともならん。今のとこ、俺にできることは」
必死にすがりつくオリバムを引きはがして、ロウヴェルは言った。
「知り合いの魔術師に手紙を書いてやることだけだ」
ぱっとオリバムの顔が輝く。
「そういうことは早く言えよ! あ、俺が書いてやろうか?」
「代筆なんかいるかよ。連絡が取れるまでは大人しくしてろよ」
「大人しく待ってればいいのか?」
「他にできること無いだろ。ああ、なんだったら俺に毎日メシを届けに来てくれ」
「ちゃんと食いに来い」
唸るようなロザーの声に、ロウヴェルは肩をすくめて立ち上がった。
「ちぇ。そんじゃ、俺は戻るな」
「頼むな、ロウ」
捨てられた子犬のようなオリバムの視線を背中に受けて、ロウヴェルは店を出て行った。




