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 プラティの街は、フールラング王国の南端に位置する。

 街の北側はなだらかな丘陵地帯、南に行けば王国を南北に縦断するルディム河の河口からアレシ海に出る。肥沃な土地に実りは多く、海と川は豊かで毎日のように作物や海産物が街に届けられる。だがプラティの街はこれらを独占するのではなく、集めて各地に送り出すのが大きな役割だった。中心から離れた田舎の都市だが、実際には南部地域の中心であり、王国の貯蔵庫でもある。それゆえ国王も、領主のキベラ伯爵には一歩譲るところがあるという話だ。


「まあ、あたしとしては、おいしいご飯の素がいっぱい集まってるっていうくらいの話でいいんだけどね」


 昼下がり、ロザーの店でオリバムは一人の少女と遅い昼食をとっていた。背中まで届く髪は、こめかみの一房にビーズのついた飾りひもを編み込んでいる以外は簡単にひとくくりでまとめられていた。オリバムと同じ黒髪だが、手入れが行き届いている。つややかな髪は、光の加減次第で深い紫の光沢を放っていた。瞳は同じように、紫がかった黒。黙って立っていれば神秘的な雰囲気を醸し出すだろうに、目の前で、恥じらいもなく次々と皿を空にしていく様子を見ては夢もロマンもない。


「で、ラジェッタ」


 とっくに食べ終えていたオリバムは、頬杖をついて少女を半眼で見つめた。


「そんないまさらの歴史を聞かせるためにわざわざ来たのか?」


 ラジェッタも幼なじみだ。初めて会ったときは人形みたいに可愛らしくて、頼りなげに見えたものだった。しかしつきあいを重ねていくにつれ、外見と中身は必ずしも一致しないものなんだと実感していた。本人曰く「最初くらいは猫かぶるわよ」とのことなので、勝手に夢見ていた方が負けなのである。


 子供の頃は毎日のように顔をつきあわせていたが、それぞれ働くようになってからは滅多に会えなくなっていた。そのラジェッタが今朝急にやってきて、話があるから昼は食べずに待っててと言うから待っててやれば、やってきたのは昼食時をはるかに回ってからだった。ロザーに食事を頼んで何の話かと身構えていても、ラジェッタが話すのは近所に住んでる家族がまとめて風邪を引いたとか、毎日見かける野良猫が最近なついてくれたとか、他愛のないおしゃべりだった。

 最初こそ、あいづちの一つも打っていたオリバムだったが、最後には面倒になってぼんやりと頬杖をついて、おしゃべりが終わるのを待っていたというわけだ。


「まっさか。そんなわけないじゃない」


 口の中のものを飲み込んで、ラジェッタはとんでもないと言わんばかりの表情だ。


「どこかの開店休業な代筆屋みたいにひまじゃないわよ」

「……」


 オリバムは水を飲んでぐっと堪えた。ここでへたに反論しては、開店休業であることを認めてしまうことになる。忍耐とは高度な技量であると、どこかの偉い人も言っていた。


 ラジェッタは最後の一皿を綺麗にすると、横に押しのけて改めてオリバムと向き合った。


「ごちそうさまでした。あたしは食事中は世間話をするってことに決めてるの」

「そりゃあ、けっこうな習慣だな」


 不機嫌な答えにもまったく気にした様子もなく、ラジェッタは上機嫌で言った。


「それでここから本題なんだけど、簡単に言っちゃうと、オリバム、あんたの代わりに宣伝してきてあげましょうかっていうことよ」

「……話の前後がぜんっぜん、繋がらないんだが?」


 こめかみを押さえて、オリバム。そもそもその一言を聞くために、長々とおしゃべりにつきあわなければならなかった理由は何だろう。

 ラジェッタはラジェッタで、オリバムの理解の悪さを嘆くそぶりをする。


「オリバム、あたしの仕事は知ってるでしょ?」

「あくどい仲買人の手下」


 即答すると、手元にフォークが刺さった。


「誰がよ! それにセスラナさんはあくどい仲買人なんかじゃないわ!」

「ラジェ……フォーク……」

「いいこと。セスラナさんは正当に組合の承認をもらってる仲買人なの! それに正当な値段でまっとうな取引しかしてないわよ!」


 プラティには様々な市場がある。食品、衣類、装飾品、嗜好品、日用品から調度品まで多種多様だ。市場はそれぞれ組合が管理しており、それらは個人販売が認められる定期市以外は、組合の承認を得た仲買人が購入して卸売りするのだ。

 ラジェッタはそんな仲買人の一人、セスラナという女性仲買人の助手として働いている。王国内でも女性の仲買人は数少なく、ラジェッタはセスラナのような仲買人になることを目標にしていた。

 オリバムが「あくどい」と表現したのは、仲買人の一般的なイメージが、『安く買った品物を高く売りつけてくる』というものだからだ。セスラナが実際にどんな商売をしているのかは知らない。


「わかったよ、悪かった。それでその仲買人と俺の仕事と何の関係があるんだよ」


 ラジェッタはフォークを引き抜いて、何事もなかったかのように座り直した。


「あのね、代筆屋なんて街の外から来てる人に宣伝しないと何の意味もないでしょ。街の中の知り合いに声かけたって、効果なんかほとんどないわ」


 噛んで含めるような物言いに、オリバムは内心で降参していた。

 仮に読み書きできなくとも、同じ街中に住んでいる者同士なら直接で向くとか、誰かに伝言を頼めば済む。手紙を出す必要はないのだ。手紙を出す必要があるのは、街の外、読み書きを習う機会もなく、農村から出稼ぎに出てくる人間だ。

 そのことは重々承知していたが、プラティで生まれ育ったオリバムには、街の外の人間とのつきあいは皆無に等しい。開店から三週間経っても客が一人きり――手を怪我した雑貨屋の主人に代わってサインしてやっただけ――という現実に、行き詰まりを感じてはいた。

 そう言う意味では、街の内外の小売り商人と接触のあるラジェッタに頼んだ方が、宣伝効果は高いのは間違いない。

 間違いないのだが。


「んで、その宣伝代にいくらふっかけるつもりなんだ? いっとくけど金はないぞ。開店休業の身だからな」


 開き直って言い切ると、ラジェッタはわざとらしく驚いて見せた。


「あたしが友達からお金を取る? そんなことするわけないじゃない。友人の成功のために心ばかりの援助をしようって言ってるだけなのに、そんな風に勘ぐるなんて、ひどい」

「泣き真似してもごまかされないからな」


 きっぱりというと、ラジェッタは顔を覆っていた両手をぱっとはずした。涙のあとは、どこにもない。


「オリバムってば、つまんなーい」

「つまらなくてけっこうだ」


 で、と先を促すと、ラジェッタは今度は真面目に話した。


「宣伝費は要らないわよ。小売り商人さんはセスラナさんのお客さんだし、あたしが話したところで効果があるかどうかは、実はよくわからないから。ただ――代わりに教えてちょうだい」

「なにを?」


 ラジェッタの真剣な表情に、オリバムは思わずひるむ。


「オリバム、あんた、なんでお屋敷をクビになったの。伯爵様のお屋敷であんなによくしてもらってたっていうのに、なにがあったのよ」

「よし、ラジェッタ。この話はここまでだ。心配してくれてありがとうな。ちゃんと自分の食った分は払っていけよ。それじゃあな」


 覚えたセリフを言うように、オリバムはラジェッタの顔を見もせずに席を立つと、食堂の奥の席に引っ込んでいった。ロザーに仮の営業場所として貸してもらっている席だ。


「オリバム!」


 追って席を立つラジェッタの肩を、大きな手が押さえた。


「ラジェ。食い逃げか?」


 ロザーだった。ラジェッタが反駁する前に、ぼそりと続ける。


「俺にも何があったのか言わない。こないだロウも来て話したんだが、やっぱり話さなかった」


 今一人、親しい友人の名を聞いて、ラジェッタの表情に戸惑いが浮かぶ。自分一人が仲間はずれにされていると、そう思いこんでいたのだ。


「もう……ほんとに何があったのよ」

「わからん。だがそのことを誰かに言うつもりは全くないようだし、根に持っているようでもない。お屋敷のことはすっぱり諦めて別の道に進もうとしてるんだから、それでいいんじゃないか?」

「ロザー……あんた物わかりがよすぎるわ」


 そうか? とロザー。

 ラジェッタは肩をすくめると、財布を取り出した。肩に置かれたロザーの手を取って小銭を厚い手のひらの上に置いた。


「多いぞ?」

「どうせツケがたまってるだろうから、今日の分くらいは払ってあげるわ。おいしかったわ、またくるわね」


 もう一度だけ、もの言いたげな視線でオリバムを見てから、ラジェッタは出て行った。幼なじみを見送って、ロザーはオリバムがふてくされてる席の横に立った。


「なんだ?」


 オリバムが尋ねると同時に、盆と布巾を目の前に置く。


「テーブルを片づけておけよ」


 先ほどまでラジェッタと座っていた席を指す。オリバムはため息をつきながら、立ち上がって盆を持った。


「人使いの荒い奴だなあ」

「文句があるなら、さっさと稼げるようになるんだな」


 身も蓋もないことを言って、ロザーは厨房に戻っていった。

 ぶつくさ言いながらテーブルの上の食器を片づけて洗い場に持って行くと、再びロザーに呼び止められた。


「なんだよ、今度は洗えって言うのか?」

「それでもいいが、先にロウの所に飯を届けに行ってくれ」

「ロウのとこに? なんだよ、寝込んでるのか?」

「そうじゃない。たまに手が離せなくなるとき、頼まれる」

「手が離せないって、何やってんだあいつ」

「真面目に働いてるんだろ。ほら、これを頼む」


 ロザーは布巾で覆った盆を手渡した。まだ暖かい。布巾をそっと持ち上げて中をのぞいてみると、詰め物をした肉、野菜の煮物、暖めたパンのいい香りがオリバムの顔を一なでしていった。


「ふーん……なあ、ロザー」


 盆を受け取って、オリバムは奇妙な顔をした。


「なんだ」

「手が離せないのにロウの奴、どうやって出前を頼みに来たんだよ」

「近所の子供が使いにくるんだよ」


 簡単に種明かしして、ロザーはオリバムを追い立てた。


「冷めないうちに届けてこい」


 代金もらうのを忘れるなよ――念を押すロザーに、オリバムは適当に返事をして店を出た。


(子どもの使いか、俺は)


 自分で食べたものの代金も払えないようじゃ、子どもと同類でも仕方ないかもしれない――自分で入れたつっこみに傷ついて、オリバムよろけながら通りを歩いた。


 ロザーの店のある裏通りから一度にぎやかな表通りに出て、北に進んで三つ目の角を曲がった先に、目指す家はあった。歩き慣れた道に、懐かしい記憶がいくつも重なる。

 角を曲がった途端、オリバムは立て続けに三回くしゃみをした。ここにくるといつもそうだ。


「ロウ、いるか。いるよな、メシもってきてやったぞ」


 出前を頼んだくらいなのだから在宅に間違いないと、オリバムは遠慮なくドアを開けて中に入り込んだ。

 ドアを開けるとまず目に飛び込んでくるのは、ずらりと並んだ薬瓶と薬箱の列だ。正面の壁一面が棚になっていて、棚板の上から下までぎっしりと並んでいる。部屋の真ん中には古いテーブルと椅子が数脚。オリバムは勝手にそのテーブルの上に盆を置いて家の主が出てくるのを待った。


(いっつも違う匂いなんだが、絶対に『薬の匂い』なんだよな)


 それも当然で、ここは薬屋だった。オリバムの鼻を毎回刺激する香りも、ずらりと並ぶ薬のどれかなのだろう。


「なんだ、オリバムじゃないか」


 奥の部屋に通じる戸が開いて、ようやく家主である、薬屋のロウヴェルが現れた。ふわふわの金髪は近所に住む年頃の女性の嫉妬の的だが、今はなにやらツンとする匂いの茶色い粉がまだらに降りかかっている。緑柱石のような眼は、玄関口に立っているオリバムを見て、驚いたように瞠られていた。そんな表情をすると、ひどく幼く見えるということに気づいて、オリバムはふと思う。


(そういえばロウの年齢って聞いたことないな)


 ロウヴェルとのつきあいは、つい二年くらい前からだ。プラティの街に前例がないほどの酷い流行病が蔓延った時にロウヴェルは街の外からやってきた。見かけと言動からして五つ以上は年上だと思っているが、正確に聞いた記憶がなかった。


「ついにあきらめてロザーのところで働くことにしたのか」

 テーブルの上に置かれた盆を見て、にやりと意地の悪そうな笑みを浮かべる。こういう表情をしてこそロウだと、オリバムはこめかみをひくつかせた。出会ったときは誠実そうな人柄だと思ったのに、ラジェッタ同様に猫を被っていたのがとてもよくわかる。


「残念ながらハズレだ。飢え死にしそうな知り合いに同情してわざわざ運んできてやったんだよ」


 感謝しろとばかりにふんぞり返ってやる。

 ロウヴェルは布巾を取って、早速煮物からつまみ始めた。


「うん、うまい。どうせ飯を食わせてやる代わりに手伝えっていわれたんだろ」


 オリバムは努めて平然とした表情で聞き流した。心の中では言い返す台詞を猛スピードで検索中だったが、見つける前にロウヴェルが言った。


「オリバム、いくらだ」

「へ?」


 ぽかんとしたオリバムは、はっと我に返った。


「あ、あー、代金な。確か十五エケだったかな……」

「頼りない配達人だな」


 言いながらロウヴェルはポケットを探る。財布が見つからないらしく、ちょっと待ってろと言い置いて、もといた部屋に戻る。がたがたと、何かを引っかき回す音が響く間、オリバムは勝手に椅子に座って待つことにした。


(それにしてもたくさんあるもんだ)


 見るとはなしに、棚に並ぶ薬をぼんやり眺めていると、


「……オリバム?」


 ロウヴェルが戻ってきた。振り向くと、一瞬だけ、こわばった表情が見えた。オリバムと目が合うと、なぜかほっとしたような顔をした。怪訝に思う間もなく、片手が突き出される。


「ほら、ちゃんと持って帰れよ。途中で転んで落としたりするなよ」

「落とすかよ! じゃあな!」


 言い捨てて、オリバムはばたんとドアを閉めた。


「……」


 閉じた扉の前で、ロウヴェルはしばらく佇んでいた。それから、オリバムがさっきまで眺めていたあたりの薬を片端から調べていく。

 栄養剤、消毒剤、染み抜き、あせもの薬――どれもただの薬だ。害のない、決して人をあやめられるような成分が入っているわけではない。

 ふっと力が抜けて、ロウヴェルは椅子に腰を下ろした。


「気の回しすぎか」


 ここしばらく、目を離せない薬を作り続けていたから、疲れたんだろう。もしかしたら、単に光の加減だったに違いない。――ほんの一瞬でも、オリバムが思い詰めたような表情をしていたように見えたなんて。

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