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「――ここですか」


 イーセイが指した方向に進んでまもなくだった。

 リリディムが足を止めて呟いた。釣られて、全員が足を止める。


「え」


 思わず一歩下がって、オリバムは何度も瞬きをした。

 目の前に、巨大な石の壁が立っていた。表面はぼろぼろで、所々に修理の後もある。相当の年月がた経っているようだ。壁に沿って視線をあげていくと、かなり大きい建物だと言うことがわかる。


「いつの間に……」

「最初からあったんですよ」


 壁の表面を撫でながら、リリディム。ぽろぽろと、崩れた壁材が落ちていく。


「こちらはリョーゼと違って、単に見えないように囲ってあるだけのようですね」

「リョーゼとどう違うんです?」

「あちらは、簡単に入り込めないように空間ごとずらしてあるんですよ」

「はあ……なるほど……」


 さっぱり意味がわからない。こっそりルーセントに救いを求めると、安心しろと肩を叩かれた。


「実は僕もわかってないんだ」


 わからなくても困ることはないからと、細かいことは伝えられていないという。代々、おおらかな性格の領主が受け継いできたようだ。


「いつまでも眺めてても仕方ないだろう。入り口を探そう」


 ガレスは壁沿いに歩き出した。他にも建物がいくつかあったが、どれも飾り気が全くない。壁と屋根と入り口があるだけの箱形の建物ばかりだ。オリバムはすぐ横を見上げた。これも作りは同じようだ。ただし、大きさがほかの建物の数倍はある。

 角を二回曲がった先で、どっしりとした鉄製の扉を見つけた。ガレスが試しに押してみるが、動かない。


「ちょっと失礼」


 リリディムが場所を替わり、何かを呟きながら引いてみた。扉は音もなく開いた。


「引く扉だったようです」

「いや、その前に鍵が掛かってたんじゃないのか?」


 ルーセントの問いに、リリディムは頷いて手を払った。灰のようなものが、ぱらぱらと落ちた。


「仕掛けが三つほどありました。以前にあったものをそのまま使っているようです」


 どんな仕掛けだったのか、尋ねる前にリリディムは中に入っていった。

 扉から一歩入ると、広い空間だった。二階はなく、天井が高い。突き当たりと両端に扉が見える。


「さて、どうしますか?」


 リリディムはガレスを振り返る。

 ガレスはぐるりと見回して、感心したように首を振っている。


「かなり残っているな。できればこのまま傷をつけずに調査に入りたいものだ」

「カルナトレハでも、おそらくそう期待していることでしょう」

「相手がどう出るかはわからないか」

「手荒なまねはしたくありませんね。なにしろあちらは『シャスタデンの契約』の主でもありますし」

「そうだな……いや、待てよ。シャスタデンか」


 ガレスが考え込んでしまった隙に、オリバムは問いかけた。


「あの、すみません、その前にここにベートがいるってわかってるんですか?」


 建物は他にもいくつもあった。一番大きいところから順番に確かめていくのだとばかり思っていたのだが、魔術師たちのやりとりを聞いていると、どうも違うようだ。


「おそらく。ハゥルライズを持って行ったのなら、ここしかないはずです。文献によれば、ハゥルライズを使って耐えられる建物はここだけでしたから」

「ハゥルライズの実験場ってことですか?」

「厳密には違いますが、そう考えてもらって構いません」

「問題は、建物は耐えられても術者が耐えられないという点だ」


 思考の海から帰還したガレスは、オリバムとルーセントをじっと見た。


「ベートとやらが身代わりを必要としていた理由がわかった。無謀をやめさせるのに、少しばかり手を貸してもらいたいのだが」


 リリディムが苦い顔をする中、ガレスはルーセントとオリバムに手順を説明した――。


 *


 コツコツと、石を削る音が響く。

 天井の高い長方形の空間は全く飾り気が無く、必要に応じて置かれた様々な道具が点在していた。部屋の中心には、リョーゼの地下にあったような台座があり、ハゥルライズが収められていた。水の中に浸かっていた時とは異なり、神秘的な雰囲気は欠片もない。本当に、ただのゆで卵がぽつんと置かれているようにしか見えない。


「まだできあがらないのか」


 苛立ったように問いかけたのは、ベートだった。人の良さそうな商人顔を脱ぎ捨てて、尊大な態度で台座の周りをうろうろと歩き回っている。


「手入れが悪いのは俺のせいじゃないだろ。こっちは忙しいんだ。ごちゃごちゃ言う暇があるなら、塗料の用意でも――」


 床の上に這いつくばっていたのは、ロウヴェルその人だった。なぜか片手に金槌を、もう一方の手にはノミを持っていた。


「そこ、下書きしてあるんだから踏むなよ!」


 ベートは慌てて足を引っ込めて、忌々しそうに舌打ちした。

 台座の周辺の床の上には、一面に複雑な模様が刻まれていた。しかし、所々がかすれて見えなくなっている。時間の経過による劣化もあるだろうが、部分的にそぎ落とされたようになくなっている所の方が多い。ロウヴェルはベートに言われて、消えた部分に炭で下書きをして、ノミで削っているところだった。


「だったらこちらから削ればいいだろう!」

「ここから削れって行ったのはあんただろ。どっちにしろそこは削った後でも踏むな!」

「じゃあ道が開いたらどこを歩けと言うんだ!」

「――台座から三身ほど西に」


 ベートは振り返った。知らない顔がそこにあった。


「誰だ? いつの間にそこにいる」

「勝手に入り込んですみません。私はリリディムと申しまして、そこにいるロウヴェルの知り合いです。おもしろいものを見せてくれるというので、やってきました」


 立て板に水。

 リリディムはにこやかに真実と虚構を織り交ぜて流した。ベートが何か言うより早く、つかつかと歩み寄って床の魔法陣を眺める。


「これはすごい。確かここで行われていた最高位の実験でしたね。幻の研究と言われていた『真理を得る者の道』。世界のありとあらゆる『真理』を神の如く操れるようになれるという夢のような技が目の前で見られるなんて、すばらしい」

「お前……部外者にそんなことまで話したのか」


 ベートがロウヴェルを睨む。リリディムは慌てて割って入った。


「ロウヴェルを責めないでください。私が無理矢理聞き出したんです。決して邪魔はしませんからぜひとも協力させてください」


 熱心に頼み込むリリディムをベートは試すように上から下まで見つめていたが、やがて頷いた。


「……いいだろう。手伝うなら見せてやろう」

「本当ですか。ありがとうございます」


 喜ぶリリディムに、ベートは部屋の隅に置いてあったテーブルの上から二枚の紙を取り上げた。


「ここに書いてある文字を、こっちに書き写してくれ」

「おや、それなら打ってつけの助手がいるんです。すぐに呼びますよ――さ、入ってきなさい」


 リリディムは開いたままの扉に向かって呼びかけた。


「お呼びですか」


 入ってきたのは、オリバムだった。真っ直ぐにリリディムの前まで歩いてくると、ベートに向かってお辞儀をする。


「お久しぶりです。俺の仕事は役に立ちましたか?」

「お前は……」


 ベートはオリバムを凝視した。見覚えがある、くらいの記憶はあるようだ。

 オリバムは大きく息を吸った。


「プラティの代筆屋です。あの時は過分なお代をいただいてしまったので、お返しに来ました」

「返す……?」

「ええ、お返しします。歯を食いしばってお受け取りやがれっ!」


 次の瞬間、オリバムの右ストレートがきれいに決まった。

 ベートはよろけて、背中から倒れ込む。寸前でテーブルの端を掴んだが、テーブルごとひっくり返った。


「死にたくないから、ちゃんと手加減はしてやったからな」


 オリバムが吐き捨てるように言う。実際、それ以上殴りつけないよう、自分で自分の手を押さえている状態だ。

 ベートはうめきながら体を起こす。ルーセントが台座に向かって走って行くのを見ると、恐ろしい勢いで跳ね起きた。


「これは返してもらうよ」

「それに触るな!」


 しゃにむに奪おうとするベートをルーセントは軽やかに躱して、もう一度床の上に転がす。そこにロウヴェルが飛びかかった。


「おい、ちよっと押さえてくれ!」


 ルーセントとオリバムがベートを押さえつけている間に、ロウヴェルは懐を探って小瓶を取り出し、ほっと息をついた。


「後は好きにしていいぞ」

「好きにしないでくださいね」


 リリディムが急いでベートに近寄り、左肩に何かを書くような仕草をした。ベートは手負いの獣のように歯を剥いていたが、やがて意識を失った。


「やーれやれ。やっと終わった」


 ロウヴェルは小瓶をポケットにしまうと、その場にあぐらをかいて全員を指さした。


「遅すぎだ、お前たち。時間稼ぐのも必死だったぞ」

「情報が不確定すぎる上に少なすぎましたよ、同士ロウヴェル」


 リリディムが不機嫌に答えると、ルーセントも騒ぎ立てた。


「そもそも、お前がハゥルライズを持ち出したりしなければこんなことにならなかっただろ!」

「あ、領主殿、それはどうやら全部、オリバムを救うためだったようですので、大目に見てあげてください」

「え? そうなのか?」

「私も判ったのは、今さっきですけれどね。もう少しヒントをいただければ早めに参上できたんですが」


 リリディムは少々恨めしそうに言う。


「あれ以上ヒントを残したら、こいつにもばれるだろ。そっちの到着がもっと早けりゃ、あの場で呪いを解いて、こんなややこしいことにはしなくて済んだって話もあるぞ」

「わかりました、すべて私の責任です」


 リリディムが素直に敗北を認めると、ロウヴェルは、まだきょとんとしているルーセントに向かって言った。


「お坊ちゃま、その石、ちょっとばかりそっちのやつに貸してもらえませんかね」

「ルーセントだ」


 むっとしながらも、ルーセントはハゥルライズをリリディムに渡そうとする。


「いえ、これに関しては私よりも適任がいますからそちらに」

「まだこき使う気か?」


 最後に入ってきたガレスは、ロウヴェルとしばし見つめ合った。


「お互い、会うのは初めてだな。ガレスだ」


 名を聞いて、ロウヴェルは目を丸くした。


「あんた、いや、あなたがあの錬金術師の?」

「なんだ。そうと知ってて巻き込んだんだと思ってたぞ」

「いや、まあ、ハゥルライズが絡めば、絶対出てくるとは踏んでたけど、こんなに早くとは……」

「ガレス師まで計算のうちですか?」


 咎めるようにリリディムに、ロウヴェルはにやりと笑って返す。


「こいつちの呪いだけならカルナトレハの誰でも大丈夫だろうが、そいつの狙いがハゥルライズだったからな」

「じゃ、本当に、裏切ったわけじゃなくて……」


 じわじわと見えてきた真実に、オリバムは力が抜けそうだった。

 ロウヴェルは心底嫌そうな顔をした。


「何が悲しくて、こんなイカれた奴に丸め込まれなきゃならないんだよ」

「そうなんだけど……うん、俺のためにごめん……」


 結局、ロウヴェルは呪いを解くためにあれこれ手を回してくれていただけだった。確かにこれなら、大人しくロザーの店で待っていればよかったのかもしれない。


「『契約の証』は、これか」


 ガレスは横たわったままのベートの胸元を開けると、首のすぐ下のあたりに鈍色の石のようなものがあった。鎖や紐の類いはどこにもなく、直接身体に埋め込まれているかのように見える。

 ガレスは片手にハゥルライズを持ち、もう片方の手でその石に触れた。

 次の瞬間、石はいきなり弾け飛んだ。

 同時に、オリバムはどこからか清涼な風が吹き抜けていく感覚を味わった。身体の奥にあった重りが、さらさらと崩れて運び去られていくような感覚だ。


「契約は破棄された」

「呪いを……解いてくれたんですか?」


 ガレスは頷いた。安堵感が、オリバムの胸の内いっぱいに広がった。ロウヴェルを見ると、いつもどおり、得意げな表情でこちらを見ていた。言いたいことがいろいろあったが、結局言葉になったのは、たった一言だけだった。


「ありがとな」

「間に合ってよかったぜ」


 ロウヴェルは満足そうに笑った。

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