12
「私の話ですか?」
湖面を優雅に歩いて、トゥランダはガレスの前に立った。
「オリバムにリョーゼの話をしていたところだったんだ」
「そういうことでしたか」
トゥランダはオリバムに楽しげな視線を向けた。
「ガレスの話は聞きやすいでしょう?」
オリバムは頷いた。
「ロザーの親父さんだとは思えないくらいに」
「……あれはそんなに口べただったか?」
最後にあったのはいつだったろうと、ガレスは遠くを見る。
「そんなに長く帰ってないんですか」
少々咎めるように言うと、ガレスは口の中でもごもご言ってごまかした。
「話を戻そうか。トゥランダの話だったな。うん。不調和の連鎖は止められたが、問題がもう一つ残っていたところだ」
別に問い詰めるつもりはなかったので、オリバムは大人しく耳を傾けた。
不調和の連鎖を止めて生き残った魔術師たちには、休む間もなかった。人は誘惑に屈しやすく、自分だけは勝利を掴めるという夢を抱きがちだ。冷静な第三者からすれば馬鹿げた行動だが、そのおかげで幾つもの危険な試みが行われて、先人の犠牲と勝利の後に切り開かれた道を後続が進むことができる。人の進歩はこの繰り返しだが、さすがに犠牲の中に世界そのものを入れるわけにはいかない。
「議論の末に、ハゥルライズは壊すことになった。残っていれば、自分だけは成功すると思いこむ者が現れるのは間違い無いからね。だがまあ、それも簡単にいかなかった」
数え切れないほどの『真理』を操作し、あるいは書き換えて作られた石は、破壊することも難しかった。そもそも、時間の流れすら変えられてしまったものに、いったいどんな手段が有効なのか見当もつけられない。
ガレスはまた足下から小石を拾い上げた。
「例えば、この石を壊そうとするならどうする?」
「他の大きな石を叩きつけるとか、ハンマーで叩くとか」
「そう。その石よりも硬いものが当たれば石を壊せる。当たった時間と欠ける時間が同じだからだ」
それは当たり前のことじゃないかとオリバムが首を傾げる前に、ガレスは言った。
「ハゥルライズはそうじゃない。ハンマーで叩いたとしても、当たった時間と欠ける時間が一致しないんだ。今叩いても、石が叩かれたと反応するのが十年後だった、といったらわかるかな」
「わかるようなわからないような……とにかく壊れにくい、長生きな石ってことでいいですか?」
「うん、そんなところだ」
どんなに長生きでも、存在する以上は破壊することは可能だ。その『真理』を書き換えなくてよかったと、魔術師たちは心から安堵しただろう。確かな足がかりを得て、生き残った者は知恵を振り絞り、または壊すための何かを求めて世界中を探し回った。
「そして見つけたのが、あれだよ」
ガレスは天井を指した。
偶然だろうか、ハゥルライズが最もよく採れる辺境に、それは存在した。
虚空水。
魔術師たちはその水をそう名付けた。虚空水は一定の魔力を加えれば、万物を壊すことが可能だった。固体を液体に変える、あるいは微少な粒に砕くといったような形を変えることではない。全てのものが持っている『真理』を壊す。しかも、他の『真理』の調和を乱さずに、だ。
「ハゥルライズと虚空水は、元々、対の存在だったという説もあった。自然も世界も、人と同じように自らを癒す力は備わっているそうだからな」
虚空水も、ハゥルライズと同様に、自然界には極微量にしか存在しなかった。自然のものを一年かき集めても手のひら一杯分にも満たないが、同じ轍を踏むわけにはいかない。無理に大量に作るのではなく、自然に作られるのと同じ条件を整えて、調和を壊さないよう、自然と同じだけの生成量になるように準備した。
念には念を入れて、地下に巨大な湖を作って隔離した。万が一にも、消し去られた『真理』が他に与える影響を少なくするためにだ。
こうして準備は整った。ハゥルライズはそこで少しずつ操られた『真理』を壊され、無害な石となって崩れていく。
懸念されたのは、数千年の時を内包するハゥルライズを壊すのにどれほどの時間がかかるかという点だった。
「壊れるまで数千年かかるってことですか?」
「極端な話をすればそうだ。凝縮された時間軸さえ壊れれば、数日とか、数年とか、数十年で済んでしまう可能性もあるが、複雑に絡まった中から特定の『真理』だけを壊すということはできなかったようだ」
『真理』を操れる石の行く末を、時と運に任せるというのも皮肉な話だった。
だが当時のリョーゼの人々にはそれを嗤う余裕もなかった。
最盛期に比べて、リョーゼはかなり衰退していた。街の富を全て錬金術につぎ込んでいたのだから、当然と言えば当然だ。蓄えのある住人は早々に見限って街を去った。残っているのはどこにも行くあてのない者ばかり。住人の数も魔術師の数も減る一方の状態では、いずれは街を維持していくのも難しくなる。
街の行く末については、魔術師だけに任せておくわけにはいかなかった。街の誕生の時から、リョーゼは選出された八人の代表で治められていた。当時の代表の一人がミグラム・キベラ、キベラ家の先祖だった。
「街は二つのことを決定した。一つは、リョーゼに集められた知識を引き継ぐ新たな街を作り上げること。ただしリョーゼのように誰にでも門を開くのではなく、厳選した人材のみを受け入れること。もう一つは、リョーゼの街を人の目から隠すこと。同時にハゥルライズの消滅の時まで守護者をおいて見守らせること」
それは事実上、リョーゼの終わりだった。最後の代表者となった彼らは、有終の美を飾るべく奔走した。魔術とは何の関わりもない住人たちの受け入れ先を探し、新たな魔術都市――都市になるかどうかは疑問だが――の建設に取りかかった。
魔術師たちに劣らず、代表者たちは優秀だった。計画は滞りなく進み、最後に魔術師たちの振り分けだけが残った。
「振り分ける?」
「そう。リョーゼに残るものと、新しい街に向かう者を、ね」
「ここに、残るって……」
オリバムは無人の街を思い出した。誰かが住んでいたような気配すら残っていなかったと思う。
「リョーゼに最後まで残っていた人が亡くなったのは、おおよそ八十年前です」
顔に浮かんだ疑問を読み取って、トゥランダが教えてくれた。
「その人は、他の人たちもだけど、ここに残されることを恨んでたとか……?」
「いたと思う。いない方がおかしいかもしれない」
答えたのはルーセントだった。オリバムと目が合うと、ごめんと小さく謝った。
「最後の人選をしたのがミグラム・キベラだと言われているから、あいつのせいだと恨んでいた奴は多いはずだよ」
死してなおその想いは残り、オリバムに取り憑いたというわけだ。
「でもそんなの……もともとは自分たちが引き起こしたことじゃないか」
「逆恨みというのはそんなもんだ」
ガレスは簡単に流して、話を続けた。
「さて、リョーゼの魔術師は八十年前に死んだ。しかしまだハゥルライズは存在する。街はこうして隠したが、万端の備えをするならば、ハゥルライズが壊れるまで番人を置くべきだ」
ちょうど君の話が始まるところだった――ガレスの言葉が、ようやくわかった。オリバムはトゥランダを見た。トゥランダは微笑んだ。
「私がその番人です」
「トゥランダはここでここでハゥルライズが壊れるのを見守るために、残った魔術師たちに作られた。魔術師が作った魔術師だな。彼女以上の魔術師はそうないだろう」
作品を評価するように、ガレスは淡々と語る。
オリバムはトゥランダを振り返った。
「ずっとここに?」
「ええ。ここで作られて、たぶんここで消滅するわ」
生まれるとも死ぬとも言わなかった。普通の生き物とは違うと言うことか。その線引きが、オリバムの胸を締め付けた。
「同じようにキベラ家はリョーゼが最後を迎えるときまで、領主であり続けることになった。もちろん、これは代表者会議での取り決めだから、関係者以外は誰も知らない。この国の王ですら知らないことだ。これでだいたいの疑問は解けたかな?」
「おおよそのところは掴めたと思います」
オリバムはガレスの話を反芻してみた。いくつか細かな疑問点はあるが、今取り上げることでもない。
それならと、ガレスは立ち上がってズボンの埃をはらった。
「それじゃ、そちらは何か付け足すことはあるかい?」
問いは、トゥランダに向けたものではなかった。ルーセントでもオリバムでもなく、別の方向に向いていた。
「――何もありません。実にすばらしい歴史物語でした」
拍手をしながら現れたのは、中年の男だった。銀の髪は短く切りそろえられ、一同を見る表情は穏やかだ。長いマントと長いローブを身につけた出で立ちは、物語に出てくる魔術師のようだったが、オリバムとルーセントが唖然としたのはそんなことではない。
「どこから……?」
「いつのまに……?」
男は橋の真ん中辺りに立っていたのだ。オリバムたちは、ずっと男が立っていた方を向いて座っていたのに、男は、まるでカーテンの陰から現れるようにいきなり出てきたのだ。
「トゥランダ、あの人も知り合いか?」
ルーセントが気を取り直して尋ねると、トゥランダは小首を傾げた。
「直接お会いするのは初めてですわ。ですがあの方はカルナトレハからのお客様なので、ここにお通ししました」
「カルナトレハ!?」
ルーセントとオリバムは同時に声を上げた。
二人が驚いている間に男は橋を渡りきった。オリバムとルーセントの顔を交互に眺めて、首を傾げる。
「次代の領主がいらっしゃると聞いたのだが、どなたかな?」
「それなら、僕だ」
ルーセントは慌てて威厳をかき集めて、男の前に一歩出た。男は微笑すると、一礼した。
「初めてお目にかかります。私はカルナトレハにて魔術を修めんとする同士の一人、リリディムと申します。どうぞお見知りおきを」
リリディムと名乗った男は、貴族並みの優雅な物腰を披露した。ルーセントも負けじと胸を張る。
「こちらこそ、初にお目にかかる。僕は次代領主の一人、エルバイム=ルーセント・キベラだ。今一人の次代領主と共に、よろしくお願いする。これは僕の従者でオリバム。そちらは――」
ルーセントが紹介しようとすると、リリディムは穏やかに笑って首を横に振った。
「こちらの方についてはご紹介いただくには及びません。カルナトレハが認めた、ただ一人の錬金術師ガレス師でいらっしゃいますね」
「錬金……って、えっ?」
オリバムとルーセントの注目を浴びたガレスは、少しばかり困ったような顔をした。
「ただの偏屈が、いつの間にそんなに有名になったものやら」
「若い同士の間では、英雄的存在ですよ」
まんざらお世辞でもない口調に、ガレスは肩を丸めた。それで話を打ち切るつもりだったが、オリバムとルーセントが問い詰めるような視線を向け続けるので、しぶしぶと白状する。
「そんな目で見ないでくれ。黙っていたことは謝るが、誰もそんなことは聞かなかっただろう?」
「トゥランダの知り合いだと言っていたから、特に聞かなかっただけだ」
「ただの通りすがりだとは思ってなかったけど、魔術師、しかも錬金術師ってのはどういうことです。リョーゼはそれを捨てたんじゃなかったんですか!」
「いえ、リョーゼは錬金術を捨ててはいません。過去の過ちを繰り返さないように制限はかけましたが」
慌てたようにリリディムが割って入る。やれやれと、ガレスはため息をつく。
「カルナトレハに移された書物にはかなり欠落があるんだ。それで無理矢理許可を貰ってここに出入りさせてもらっているわけだ」
「もしかしてリョーゼが作った街っていうのが、カルナトレハなんですか?」
「言わなかったかな」
「言ってません!」
オリバムに言下に否定されて、ガレスは縮こまった。そうやっていると、伝説の都で英雄視されているような人物とは思えなかった。
「ロザーはこのことを知ってるんですか?」
「いや。エリシャにも何も言わなかったが、あれは勘のいい女だったから、ふらふらと出歩く亭主の正体にうすうす気づいていたのかもしれないな」
勘がいいのは、息子も同じかもしれませんよと、オリバムは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。呪いを解く手段を相談しているときに、カルナトレハの名を真っ先にあげたのはロザーだった。
「ガレス師には、我々では手に負えない事態を収めていただいておりましたので、ご家族の皆様にはご心配をおかけしました」
「おかげで今回はとうとう行方不明扱いだ。長くかかった上に、寄り道までしてしまったからな。いい加減家に帰るとするよ。妻の墓参りもしなくては」
立ち去ろうとするガレスを、リリディムが引き留めた。
「お待ちください、ガレス師。奥様のことは存じ上げませんでした。心よりお悔やみ申し上げます。ですがその前に、長より再び依頼がございますので」
丁寧だが、有無を言わせない口調に、ガレスはいやいや足を止めた。
「今度はなんだ」
「ハゥルライズは実験場に向かいました。急ぎ向かい、取り戻していただきたく存じます。微力ながら私も手伝うようにと、言いつかっております」
ガレスは眉を顰めた。
「耳が早いな。ハゥルライズが取られたのは今さっきのことだぞ」
ルーセントがきっと眉をつり上げてリリディムをにらみつけた。
「まさか、お前最初からずっとそこで見てたんじゃないだろうな!」
「とんでもありません。私がここに来たのは、ガレス師の歴史物語が始まった辺りからです」
それだって十分立派な盗み聞きじゃないか?――険悪な空気を察知して、リリディムは急いで付け加えた。
「連絡があったんです。同士ロウヴェルから。本当です」
「ロウが?」
「どうして! 持ち去った張本人じゃないか!」
「どうして、と言われましても」
ますます窮地に追い込まれたリリディムだった。
「私にはハゥルライズが持ち去られて実験場に向かったとしか……まさかロウヴェルが持って行っただなんて聞いてませんでしたし」
「持って行った張本人がそんなこというわけないだろ。だとしたら、罠に決まってるじゃないか!」
頭ごなしに怒鳴るルーセントを、オリバムが押さえた。
「ルー、ちょっと待って。リリディムさん、いま、『同士ロウヴェル』って言いましたよね?」
リリディムはほっとしたように頷いた。
「ええ、ロウヴェルもカルナトレハの同士でした。今は、追放の身となっていますが」
「追放だって?」
リリディムがそれになんと答えるか悩んでいる間に、ガレスが呟く。
「そうか、あれがロウヴェルだったのか」
「ロウを見たんですか?」
「丁度、リョーゼから出て行くところだったな。私はここに入るところだったから、入れ違いだね。ずいぶん変わった気配の人だとは思ったが、そうか、灯りをつけているのか」
「詳しい経緯はわかりませんが、同士ロウヴェルが本当にハゥルライズを持ち去ったとするなら、何か考えがあってのことだと思います」
「考えがあろうと無かろうと、あいつはトゥランダを傷つけたんだぞ!」
「領主様、私なら何ともありませんから」
トゥランダが宥めると、ルーセントはしぶしぶ握った拳を開く。
やれやれと、ガレスはため息をついた。
「いいだろう。準備をする時間くらいはあるんだろう?」
残念ながら、とリリディムは首を横に振った。
「物が物ですので、できるだけ速やかにお願いしたいのです」
「相変わらず、人使いの荒い奴だ」
「私はただのメッセンジャーですのでご容赦を」
ガレスは不満そうに唸っただけだ。
「リリディム、僕も行く」
断られることなどあり得ないという調子で、ルーセントが宣言した。リリディムは困惑顔になる。
「ハゥルライズが動いた以上、領主殿には安全な所にいていただきたいと思いますが」
「それなら気にするな。領主はもう一人いる。僕らは双子なんだ。それにオリバムもいるから大丈夫だ」
「えっ!」
唐突に名前を呼ばれたオリバムは、しかしルーセントの信じ切った笑顔に、否定の言葉を飲み込むしかなかった。呪いもとりあえず一つは解けたことだし、ルーセントと二人、プラティに帰って大人しく待っていようと思っていたなんて、この笑顔の前では口が裂けても言えない。
リリディムはなおも考えていたが、てこでも動きそうにないルーセントの顔を見て諦めたようだ。
「判りました。領主殿と従者殿は私が責任を持ってお預かりします」
「よろしく頼む」
ルーセントは言って、オリバムを振り返った。
「よかったな、オリバム。直接ロウに文句を言いにいけるぞ」
「そ、そうですね」
オリバムは頷いたが、かなりぎこちなかった。不自然さを隠すつもりで、急いでリリディムに尋ねる。
「それで、その実験場っていうのは、どこにあるんですか」
「それなんですが、わからないのです」
時間が止まったかのような空白の後に、リリディムは申し訳なさそうにトゥランダを見上げた。
「リョーゼが危険な魔法実験を行った実験場が街の外にあったそうなんですが、どこにあるのかわかる地図の場所など、ご存じありませんか?」
オリバムは確信した。
天井から落ちる水滴の響きがやたらと大きく聞こえたのは、きっと自分だけじゃない。




