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「これに手を入れて無傷だったというのか」
ガレスはトゥランダと同じ事を呟いた。やはりアレは危険な水だったのだ。オリバムはルーセントを放さなかった自分を良くやったと褒めてやった。もちろん、心の中でこっそりと。
「ガレス」
ルーセントがガレスの腕をつかんだ。顔色が悪い。
「ハゥルライズはもうここにない。本当にトゥランダは気を失っているだけなのか? もしかしたら」
「若様。トゥランダは別にハゥルライズと繋がっているわけじゃない」
ガレスはルーセントの手に手を重ねて、なだめるように叩いた。ルーセントは俯く。
「それはわかっている。でも湖はハゥルライズのためにあるんだ」
「同じ事だよ。むしろ湖はハゥルライズの対称にあると言ってもいい」
「……あのぅ」
話しかけるには相当の勇気が必要だったが、このままだと完全に取り残されそうだったので、オリバムはおずおずと話に割り込んだ。
「すみません、俺、まったく話がわからないんですけど……」
気を殺がれたガレスとルーセントの視線が痛い。せめて場を和ませようと笑顔を作ってみる。頬が引きつっているのが自分でも判った。
ガレスが思い出したように首を傾げた。
「そもそも、オリバム、君はリョーゼとどんな関係があるんだね?」
「全く関係ないと思います」
これだけは自信を持って言えた。
ガレスはルーセントを見た。双子の片割れは、困ったように頬を掻く。
「オリバムは僕の従者だったんだ。それで、いろいろあって、偶然にここに入り込んだらしいんだ」
その際にリョーゼの幽霊に呪われたこと、その呪いをロウヴェルと共に解きに来たことも、ついでに話した。最後まで聞いたガレスが、次にオリバムに向けた視線は、珍獣を見るときのそれだった。
「その類の迷子はたまにいるらしいと聞くが、ほんとうにいたんだな」
「……そんなに珍しいですか」
「ロザーが大笑いするのと同じくらい珍しいな」
「そんなに!?」
「それでわかるのか……?」
怪訝そうなルーセントに、オリバムとガレスは、同時に頷いた。
「それはさておくとして……そうすると、ハゥルライズのことも何も知らないのか」
「ぜんっぜん、知りません」
「知らないのか、そうか」
ガレスは思案顔でルーセントを見た。ルーセントは頷いた。
「もしよければ話してやってほしい。リョーゼのこともトゥランダのことも、僕より詳しそうだ」
それに、とルーセントは真顔でガレスを見た。
「トゥランダがいない以上、あなたがどういった人物なのか僕自身で判断しなければならない。あなたの話を聞いて、僕があなたのことを判断する」
ガレスは意表を突かれた様子だった。口の端に笑みを乗せて、その場に腰を下ろした。
「そうまで言われたら話さないわけにはいかないな」
オリバムとルーセントも腰を下ろすのを見て、ガレスは語り始めた。
「昔はリョーゼもよくある街の一つだった。今のプラティを見れば判ると思うが、この辺は当時から土地が豊かで、みな、暮らしに不自由はなかったと思う。その代わりに盗賊や強盗に狙われやすくてね。防衛策の一つとして魔法を頼ったのが始まりだったらしい」
街を守るために魔術師たちを厚遇した結果、リョーゼは次第に様相を変えていった。手段でしかなかった魔術が、目的と置き換わっていった。街の防衛は魔術の具現化の一つに過ぎず、魔術を学び修めるために魔術師たちが集まり始めたのだ。
「様々な方法で、様々な魔術が研究された。今の魔法大系を整えたと言っても良いだろう。そして彼らは自分たちの魔術の集大成として、世界を形作る『真理』を解き明かすべく研究を始めた」
「それを解き明かすと、どうなるんですか?」
オリバムの素朴な疑問に、ガレスは頭を振った。
「何も。いや、何も変わらないはず、だったんだ。いろいろ思惑はあっただろうが、突き詰めれば知識欲が彼らを突き動かしたと行っていいだろう。知らないことを残らず知りたいと思っただけだった。当時のリョーゼはそれが可能だった。そうしてリョーゼの魔術師たちは世界の『真理』を探して、見つけ出したんだ」
世界の『真理』に到達した魔術師たちは、それで満足はしなかった。魔術と同じように、『真理』を自らの手で操る方法を求めて、さらに深く研究を重ねた。
「あの、そんなものを簡単に動かせるんですか?」
「簡単ではないね。リョーゼの始まりからそこまで、百年単位で物事は進んでいる。志半ばで役目手を終えていった人は数え切れないくらいいたよ。その積み重ねの果てに、魔術師たちはその方法も見つけてしまったんだよ」
錬金術。
魔術師たちは『真理』を動かす方法をそう呼んだ。『真理』を書き換える、と表現することもあった。どちらにしても、『真理』の決まり事の中でしか使えない通常の魔術と異なり、『真理』を操る錬金術は、神に近づく力を秘めていた。
ただし、制限が一つだけあった。
錬金術にはハゥルライズという石が必要だった。これに魔力を注ぐことによって『真理』を操るのだが、ハゥルライズは自然界では極微量にしか生成されなかった。
「ハゥルライズ?」
オリバムは空になった台座を見上げた。
「そう。ハゥルライズだ。魔術師たちは世界中を探し回った」
世界中からかき集めても、その量は片手に乗るほど。それだけでも世界をひっくり返すくらいのことはたやすい。それでも。
「足りなかったんですか」
「足りない、と思ったんだろう」
自然界に少ししかないのならば、自分たちの手で作り出せばいい。小さい物しかないのならば、大きく作ればいい。魔術師たちの欲望に応えるように研究は進み、人工のハゥルライズは形成された。
「あれは、作られた物だったんだ」
皮を剥いたゆで卵のような石を作るまでに、おおよそ十年かかったと聞いて、オリバムさらに驚いた。
「十年しかかからなかった、というべきかもれしない。ハゥルライズの生成法を解き明かすのに五年、作り上げるのにさらに五年。しかしね、実際には、錬金術によって時の流れすらねじ曲げて作られているんだ。あれは下手したら数千年分の時がかけられている」
ハゥルライズの完成に驚喜した魔術師たちは、早速、試みた。人工のハゥルライズは、自然の極小のものとは比べものにならない効果を発揮した。世界を掌握した、神さえ彼らに屈したのだと、誰もが舞い上がった。
「だが、そううまく行かないのが世の中だね。運命、とでもいうのかな。こればかりは操れなかったらしい」
最初の発動直後に、異変を感じ取れたのは幸いだった。
世界を形作る『真理』は、無数の『真理』の組み合わせから成っている。その組み合わせは、互いに潰し合わないように、まさに神の采配によっておかれていた。
残念ながらリョーゼの魔術師たちは、所詮は人だった。人工のハゥルライズによる、たった一度の『真理』の操作は、世界中の『真理』の調和に乱れを起こした。
「丁度こんな風に」
ガレスは足下から小石を拾って湖に向かって投げた。小石は放物線を描いて湖に落ち、いくつも波紋を描いて湖面を乱した。
小石を投げただけの波紋と違い、調和の乱れは、次々と他の乱れを呼んだ。それはまだ目に見えないところで起きていたが、だからといって放っておいていいことではない。しかし魔術師たちはこの時点ではまだ、高を括っていた。乱れたのなら、元に戻せばいい。我々は『真理』を書き直せるのだからと。
しかし結果は、惨憺たるものだった。へたくそな継ぎを当てただけに過ぎず、それどころか無理に繕ったことで、新たな不調和を生み出してしまったのだ。
綻びは繕いを招き、繕いは別の不調和を生んで複数の綻びとなる。いずれは繕う手も足りなくなると気づいたとき、人々は恐怖した。
「それってそんなに恐ろしいことなんですか?」
何がそんなに大変なのか、オリバムにはぴんと来ない。ガレスは困ったようにオリバムを見つめ返した。
「この世界にあるものは全てそこに存在する『真理』を持っているんだよ。君がここにいることも、湖がここにあることもね。その『真理』が乱れたら、君はここにいるのに姿が見えなかったり、頭はここにあっても身体は別の所にあるといったことになりかねない」
オリバムが目を丸くした以上に、魔術師たちは慌てた。
世界の調和がとれなくなれば、必然的に世界は形を保てなくなる。そうなれば死でもなく、永遠の混沌が訪れるのだ。魔術師たちは自分たちが『真理』を垣間見ただけで、手に入れたわけではないことに、やっと気づいた。
「まあ、気づいただけでもよかったんだよ」
今更嘆いても仕方ない。元に戻せないのならば、せめて不調和の連鎖を止めなければならない。これにはハゥルライズを作り上げた時以上の力が傾けられた。そのおかげで、どうにか不調和の連鎖は断ち切ることができたが、終わってみれば大半の魔術師たちが命を落とすという惨憺たる結末だった。
「……高い代償を払ったんですね」
「そうだな。しかしもう一つ問題が残っていた」
ガレスは、水だけが入っている台座を指先でこつこつと叩いた。
そのとき、まるでノックに応えるように、空気がふわりと動いた。
三人が振り向くと同時に、水面が揺れ、つむじ風が舞った後には人の姿が現れた。
「トゥランダ!」
ルーセントが立ち上がって叫んだ。とっさにオリバムが止めなかったら、また湖に入り込むところだった。
瞬き一つする間に、トゥランダが現れた。長い黒髪の一筋も損なわれることないまま、水面に立って恭しくお辞儀をした。
「ただいま戻りました。お見苦しいところをお目にかけ、申し訳ありません、領主」
感極まったルーセントは、ただただ首を振りばかりだった。顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうだ。
「お久しぶりです、ガレス」
ガレスは片手をあげただけで挨拶をすませると、オリバムの肩を叩いた。
「久しぶりだね。ちょうどいま、君の話が始まるところだったんだ、トゥランダ」




