プロローグ ~開店準備中~
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『代筆・代読 いたします オリバム』
できあがった小さな看板を二度三度とじっくり眺めて、オリバムは納得したように頷いた。
「まあ、こんなもんだな」
指先から肘までの長さの板きれに、手書きしただけの粗末な看板だが、無いよりはマシだ。自作という点だけでも、再出発にふさわしい気がしてくるから不思議だ。
「ロザー、これ、表にかけさせてくれよ」
オリバムが今いるのは、裏通りにある大衆食堂だ。主人は幼なじみのロザー。オリバムが黒髪黒眼、どちらかといえば優男風であるのと対照的に、ロザーの方は明るい茶色の髪に青い目、いかめしい顔つきの上に愛想も無い。口も重たい方なので接客商売には向かないはずだが、味が命の食堂ならではなのだろう、客足がやんだことはない。
「何を始めたのかと思えば……」
ロザーは手作りの看板を一瞥しただけで、厨房の奥に引っ込んでしまった。今は朝と昼の中間くらいの中途半端な時間ゆえ、客は一人もいないが今日の料理の下ごしらえをしているのでロザーは忙しいのだ。
「感想くらい言えよな」
ダメとは言われなかったので、オリバムは店の表の柱に、勝手に看板を取り付け始めた。数歩下がって具合を見る。古びた柱に粗末な板きれの組み合わせは、お世辞にも目立つと言えない。柱と同化していると言っても過言ではない。きっとそこに看板があると言われなければわからない。
「……あんまり目立って客を横取りするのも悪いし、このくらいがちょうど良いよな、うん」
「横取りするほど来るのかよ」
厨房から出てきて、ロザー。声に呆れが混じっている。掃除に使った汚れた水の入ったバケツを、ひしゃくと共にオリバムに突き出す。
「なんだよこれ」
「ただで場所を貸してやるんだ。水まきくらいしろ」
「ああ、そういうことか。はいはい」
オリバムは素直にバケツを受け取って、人通りのない店の前に水をまき始めた。一応、居候の自覚はある。
「なあロザー、仮にだけどさ、客が大勢来たら順番待ちなんだし、そんときは注文して待つ奴もいるかもしれないだろ? とすると店の売り上げに貢献できるんだし、一石二鳥だと思わないか?」
厨房に戻りかけたロザーは、振り返って不審そうに看板を見やる。
「オリバム、俺はな、ずっと疑問に思ってることがあるんだが」
「おう?」
「――おおい、ロザー!」
横手から名前を呼ばれて、ロザーは開いた口を閉ざした。大通りから中年の男がよろよろと走ってくる。中肉中背のどこにでもいる感じの男だが、くたびれた帽子で酒屋の店員のエルクだと一目でわかった。
「ふう、悪い、遅くなった」
エルクは帽子を取って一息つくと、口早に納品が遅くなった理由を謝罪を述べた。その間、ロザーが発した言葉は「わかった」の一言きりだ。もう少しなんかいってやれよとオリバムは思ったが、エルクは慣れているようで、すぐに納品に取りかかった。酒樽を運ぶ馬車は食堂の前の道に入れないので、エルク本人と酒屋の人足二人の三人がかりで担いで往復する。
「ところであんた、どっかで見たことあるな。悪い、名前が出てこないんだが」
最後の一樽を運び終えて、エルクは手ぬぐいを取り出して汗を拭いた。店先でぼんやりしていたオリバムは、自分のことだと気づくのにしばらくかかった。
「あー、面と向かって話すのは初めてだよな。オリバムっていうんだ。ここの店主の幼なじみだ」
「オリバム? ああ、伯爵様のお屋敷で働いてるとかいう友達って、あんたのことか?」
エルクの言葉に、オリバムは苦笑するしかない。
「今はこっちを始めたんだ」
看板を指す。エルクは指先を視線で追って、肩をすくめた。
「悪いな、俺は字が読めないんだよ」
オリバムが固まっている間に、エルクはロザーから代金を受け取って、慌ただしく去っていった。
埃っぽくなった通りに水をまきながら、オリバムは幼なじみに話しかけた。幾分、暗い声で。
「なあ、ロザー。さっきお前が言いかけたこと、わかった気がする」
「そうか」
オリバムが始めたのは代筆屋だ。読み書きできない人の代わりに読み書きをする商売だ。
オリバムが掲げた看板を読める人間は、客にならない。
オリバムの客になる人間は、看板が読めない。
つまりこの看板は、ここにあるだけで何の役にも立っていない。
看板を作る間、ロザーが怪訝そうな視線を投げていた理由がようやくわかった。
オリバムは、どうやっても役に立たないものを必死に作って、満足して見せびらかしていたわけだ。
「……まあ、あれだ」
オリバムはバケツの残りの水を通りにぶちまけると、しばらくそのまま遠くを見ていた。続く言葉を探しているらしい。ロザーは辛抱強く待ってやった。良い幼なじみだ。
「えーと……あれだ、俺、知り合いのところに顔だしてくるわ」
オリバムはぎこちなく笑って、ロザーにバケツを返した。




