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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普墺戦争外伝・Lissa
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リッサ海戦(二)

 7月20日、1043。

 ペルサーノ大将が「アフォンダトーレ」へ移乗した直後、ヴァッカ少将の旗艦「プリンチペ・カリニャーノ」は敵の第1戦隊までおよそ550mとなったところで砲撃を開始しました。これを合図に後続艦も次々に発砲し、辺りはたちまち砲煙の黒い渦が満ちあふれます。この近距離で密集隊形を取るオーストリア艦隊に向け発射したものですから、ほぼ全弾、何かしらの形で着弾し被害が発生しました。負けじとオーストリア側も発砲し、ここにリッサ海戦が始まったのです。


 この最初の砲撃はオーストリア第1戦隊の右翼中央にいた装甲フリゲート「ドラッヘ」の艦橋にも着弾、艦長のハインリヒ・フォン・モル大佐は一発の砲弾に直撃されてこの海戦最初の戦死者となってしまいました。ドラッヘでは艦橋で生き残った少壮のヴィプレヒト大尉が指揮を代わり、後に副長のマッツォウ中佐が代理艦長となるまで立派に指揮を採り続けました。


挿絵(By みてみん)


 こうして戦闘が始まると、互いに距離が近いので狙うまでもない連続射撃となり、双方合わせて12、3艦がなりふり構わず全力で砲撃を繰り返すので、周囲の海上はたちまち砲煙に包まれてしまいます。全速力で体当たりを狙う艦の煙突からは石炭燃焼の煤煙がもくもくと流れ、これも視界を黒く覆い尽くしてしまう原因でした。


 テゲトフの第1戦隊は左翼を先行させつつ、次第にヤジリ型から横列へと変化し、そのまま最大戦速で黒煙の只中へ突進して行きました。正に猪突猛進といった形でしたが、残念ながら先述のようにイタリアの艦列はヴァッカ戦隊後尾の「アンコナ」と、今やディ・ブルノ戦隊旗艦と呼ぶべき「レ・ディタリア」まで間隔が1キロ余り開いていたので、テゲトフの第1戦隊はこの隙間にすっぽりとはまってしまい、敵艦列を通過してしまいます。


 テゲトフは初回の突撃が空振りに終わり、敵艦列を突き抜けるや、旗艦艦長ステルネック大佐へ直ちに右転回し至近の目標に突撃せよ、と命じます。既に第一戦隊各艦は事前にテゲトフから命じられた通り、あくまで近くの敵を追い回し突撃を敢行しようと反転し、今度は右翼となった「カイザー・マックス」「ザラマンダー」「ハプスブルク」の3艦はヴァッカ戦隊を追い、左翼になった「プリンツ・オイゲン」「ドラッヘ」は後続するリボッティ戦隊を狙い取舵を切るのでした。


 この時ディ・ブルノ大佐は続けて突進して来るオーストリア第2戦隊に対し衝角攻撃を加えるべく、後続の「パレストロ」を従えて転回しようと試みますが、たちまち南の第1戦隊と北の第2戦隊から猛烈な挟み撃ちの斉射を受けてしまいました。


 この1055辺りに発生した砲撃戦が、この海戦中最も熾烈なものとなります。

 装甲艦、木造艦の区別なく敵味方の砲弾が炸裂し、その鉄と煙、炎の嵐の中、砲撃と砲煙を縫って敵艦に体当たりを狙うもの、最大戦速で煙を盛大に吐き出しながら走り砲撃を続けるもの、敵の衝角攻撃を軽快にかわして舷を接して通り過ぎる敵に対し猛烈な片舷斉射を喰らわせるもの、甲板や舷側には次々と穴が開き、血塗られた艦橋では士官が息絶え、砲員は砲煙で真っ黒になりながら次々と弾丸を装填し、負傷者の叫び声は砲声にかき消されます。

 こうしてリッサ島沖は、実に凄惨な海戦の場となったのでした。

 

 この互いに舷を接しほとんど拳銃の射程で砲撃を繰り返せば、いかに装甲艦といえど被害は連続します。これでは60年前の大海戦と変わりなく、十年前のロシアでの戦い(クリミア戦争)で登場した近代海軍の様々な新機軸、すなわち装甲艦、蒸気ボイラーエンジン、そしてスクリュー推進に新式後装旋条砲といった新しい艦船の型が現れても未だ戦法はネルソン当時とあまり変化のない旧来のまま、という過渡期の戦いとなるのでした。


 目の前で自分を狙う砲門が黒い穴をのぞかせれば、誰もがパニックに襲われそうになるものです。しかし乱戦のなか、錬成がなっていないと言われていたイタリアの水兵も皆、任務に集中し互角に戦うのでした。

 砲煙と煙突からの黒煙で、濃霧の中と変わらない状況では同士討ちが発生しそうです。しかし、イタリア側装甲艦が濃い灰色、オーストリア側装甲艦が明るい灰色を基調とした塗装、その海軍旗はイタリアには緑色があり、オーストリアは赤の面積が大きいという特徴もあって、敵味方の判別はまるで国際Aマッチのユニフォームのように容易だったのは双方にとり幸いでした。


 ようやく敵味方の装甲艦が離れ始めると、大型木造艦を率いるオーストリア第2戦隊指揮官ペッツ大佐は敵の第3列、リボッティ戦隊の先リッサ島のすぐ沖合に、敵の木造艦隊が集合しているのを発見します。ペッツ大佐はこの木造艦隊に決戦を挑むべく、まずは目前に迫ったリボッティ戦隊に衝角攻撃を仕掛け突破しようと、自ら艦長を務めるオーストリア海軍唯一の戦列艦「カイザー」の針路をやや左に修正します。


 「カイザー」は昔ながらの二列砲甲板に旧式の60ポンドと30ポンド前装滑腔砲を片舷36門、艦尾に18門備え、接近戦ともなれば砲弾投射量はせいぜい総数十数門の装甲艦も及ばず、侮れぬものがあります。

 この、クリミア戦争中に建造された「最後の」戦列艦「カイザー」始め、世界一周で有名となった「ノヴァラ」、ヘルゴラント沖海戦(いみじくもこの海戦は木造艦同士最後の海戦となります)でデンマーク海軍とやり合った「シュワルツェンベルク」と「ラデツキー」など、どれも一時代前の木造艦は、オーストリア海軍中勇猛果敢さでは右に出る者がない恐れを知らぬ闘士ペッツ大佐に率いられ、躊躇わずに敵装甲艦めがけ突進するのでした。

 

 また、とるに足らぬと思われたオーストリアの第3戦隊、先頭を行く砲艦「フム」のルートヴィヒ・エーバーレ艦長を指揮官とした小型木造艦船の集団もこの時果敢に右へ舵を切り、戦場から離れて先を行くヴァッカ戦隊の3隻に対し「T字」にもって行こうとします。

 艦は小粒で砲もせいぜい6門止まりの小型艦も10隻以上集まれば40門となり、その多くは新型の15センチ(24ポンド)後装旋条砲を装備しています。一致団結して同時に片舷斉射をすれば3隻の装甲艦も恐れるに足らず、派手に黒煙をまき散らしながら、小型砲艦たちはまるでスズメバチに立ち向かうミツバチにも似て、果敢に敵の針路前へ突き進もうとしました。

 ところが、ここで味方第2戦隊が敵リボッティ戦隊と激突し、ペッツ大佐の「カイザー」がリボッティ大佐の「レ・ディ・ポルトガロ」に衝角攻撃を仕掛けて逆に艦首を損傷、前艢を倒し煙突を失うという事態(後述)となり、これを見た砲艦の一部(フム始め4隻)が隊列を抜け、臨機に第2戦隊を助けるべく南へと進みました。これで第3戦隊はリボッティ戦隊と戦うもの、そのままヴァッカ戦隊に襲撃をかけるもの、それぞれ艦長の自己判断で戦うこととなりました。


 その頃、戦場の中心ではペルサーノ提督が叫びながら命令を下していました。

 新鋭艦「アフォンダトーレ」は敵、味方艦の間を縫うようにして突き進み、行き会う敵に手当たり次第自慢の300ポンドアームストロング砲を見舞い、また衝角攻撃を仕掛けますが、長細い艦形が邪魔をして舵の利きが悪く、敵は簡単に舵を切ってアフォンダトーレをするりするりとかわしてしまいました。ペルサーノはジタンダ踏んで悔しがりますが、それよりも一向に命令が実行されない事の方が重大です。とはいえ、この乱戦となっては統一指揮も困難で、下手に艦隊運動の命令など下せば敵に隙を突かれ衝角の犠牲が出るやも知れません。この時間帯では敵のテゲトフ提督も全体に命令など出す野暮はせず、艦長各人の勇気と技量に賭けていましたから、案外ペルサーノの命令が無視されたことはイタリア艦隊にとって大した事ではなかったのかも知れません。

 

 一方、イタリア艦隊の後衛を勤めるアントニオ・リボッティ大佐は、敵の第2列(ペッツ戦隊)が針路を西に寄せ始めるのを見ると、敵の狙いが自分の後方に集まっているアルビニ戦隊にある、と正確に見抜き、味方木造艦を救うべく戦隊の針路をやや左、ペッツ戦隊に向き合う形に変更します。

 リボッティはテゲトフが艦隊の中央に突進した時、針路を北西から北北東への転針中だったので敵が味方艦列を突破して自身の右側に突破したのを知りませんでした。大佐の右手(南東)は風で流される砲煙と煙突からの煤煙で見通しが利かず、テゲトフたちはこの自然と発生した「煙幕」の中に潜む形となっていました。

 もしリボッティがペッツ戦隊に対抗せず、それを避ける方向(右・面舵)を取っていたら、テゲトフ第1戦隊の左翼「プリンツ・オイゲン」「ドラッヘ」の目前にのこのこと出てしまい、闘志あふれるオーストリア艦がこれを見ようものなら必ずや衝角攻撃を決行したことでしょう。この後の展開を見ても分かる通り、木造艦ではなく装甲艦からの衝角攻撃は桁違いに危険です。

 リボッティがペッツ戦隊に対抗して変針したことは、後に彼と戦隊を救うことになったのです。


 いずれにせよ、これによりリボッティ戦隊はペッツ戦隊と激突します。

 リボッティ戦隊は正式には旗艦「レ・ディ・ポルトガロ」と「レジーナ・マリア・ピア」の装甲艦2隻ですが、この時点で他に2隻の装甲艦がその指揮下にあったと言えます。

 まずは「サン・マルティノ」で、ペルサーノ直卒戦隊の三番艦として「パレストロ」の後に付いていたこの艦は、停船を命じられた後ディ・ブルノ戦隊となったはずですが、艦長のロベルテ大佐はこれを事前に聞かされず命令もされずにいて、突然突進して来たオーストリア装甲艦との戦闘に巻き込まれ、その後 仲間の2艦からはぐれてしまい、後ろから来た「レ・ディ・ポルトガロ」に従うことにしたのです。

 もう1隻はコミサ湾から駆け付けた装甲砲艦「ヴァレーゼ」で、「レジーナ・マリア・ピア」の後ろを少し離れて付いて来ました。


 対するペッツ戦隊は、戦列艦の旗艦「カイザー」を先頭に敵前でヤジリ型から縦列に隊形を変えて艦の間隔をぎりぎりに詰め、旗艦の直後から「ノヴァラ」「エルツヘルツォーク・フリードリヒ」「ラデツキー」「アドリア」「シュワルツェンベルク」「ドナウ」の順で突進します。しかし「ドナウ」はボイラーエンジンが不調で出力が上がらず遅れ始め、逆に「ノヴァラ」は機関が快調で張り切ったのか「カイザー」よりもやや先に出てしまいます。


 このオーストリア木造艦対イタリア装甲艦の戦いも激しいものとなりました。

 ペッツ戦隊はその通報先導艦「カイゼリン・エリザベート」を旗艦後方に加えて装甲艦に向かいました。ここでリボッティ戦隊も一斉に砲門を開き、激しい砲撃戦となります。イタリア側の砲撃は先頭を走る「カイザー」に集中します。

 すると東からペルサーノの「アフェンダトーレ」が突進し、斜めに敵艦列を横切ると、その300ポンド砲を連続発射しました。わずかの間その艦列に砲撃を繰り返した後、突然舵を切って「カイザー」の左舷に出て砲撃を仕掛けます。砲弾は木造の舷側を突き破り艦内で破裂し砲員を殺傷しますが、最も痛かったのは操舵所を直撃した一発で、これは砲1門を破壊、舵手6名を殺傷し同時に「カイザー」は舵輪と羅針盤、エンジンテレグラフ(機関速力通信機)を粉砕されてしまい、以降、操舵・機関運転指示が困難となりました。


 この直後「アフォンダトーレ」は「カイザー」に向けて突進し、衝角攻撃を掛けたのです。

 しかし操舵が困難となったはずの「カイザー」は巧みにこれをかわし、逆に舷側を並べると片舷斉射を二回行い、「アフォンダトーレ」は甲板を掃射され、マストの索具や甲板備品を吹き飛ばされてしまいました。この二回の砲撃後「アフォンダトーレ」は離れて行きました。


 この「アフォンダトーレ」が「カイザー」と闘っている間にもリボッティ戦隊はペッツ戦隊に対し盛んに砲撃を行っており、反対側の半舷で「アフォンダトーレ」に斉射を浴びせていた「カイザー」に対しても砲撃を行いました。しかし被害は「カイザー」の両隣にいた「ノヴァラ」や「フリードリヒ」「エリザベート」の3艦に多発します。

 「ノヴァラ」では不運な一発が艦橋にいた艦長エリック・フォン・クリント大佐に当たり、オーストリア側二人目の艦長戦死を記録してしまいました。「フリードリヒ」は喫水線下に一発の砲弾が貫通し、たちまち海水が流入しましたが、蒸気ポンプを作動して排水し事なきを得ます。


 リボッティ大佐は「レ・ディ・ポルトガロ」をこれら木造艦に向かわせ、衝角攻撃を狙いました。まずは大きな「カイザー」が狙われます。

 その「カイザー」ですが、先ほどの操舵所被弾で老獪な舵手を何名かと舵輪を失い、人手不足の舵手たちは艦長の命令通りに舵を操ろうと、多くの水兵の手を借りて太い舵索に取り付き、号令と合図で引いたり離したり、部下の技量を信じたペッツ大佐も絶妙なタイミングで指示を出し、ぎりぎりの所で敵の「刃」を左舷へとやり過ごすのです。

 ところが「カイザー」の後方両隣にいた「フリードリヒ」「エリザベート」の2隻は、旗艦の陰から突然現れた敵の装甲艦を避ける間がなく、即座に目標をこの2艦に変更したように見える敵艦の突進から見るに、間もなくどちらかの艦が鋼鉄の衝角を舷側に受けてしまうに違いありませんでした。


 これを見たペッツ大佐は瞬時に命令を下します。

「本艦これより衝角攻撃!目標、前方の『レ・ディタリア』級。取舵!」

 ペッツの命じるまま、ハンデを背負った舵手たち、水兵たちはまたもや見事に舵を取り「カイザー」は軽妙な動きを見せました。

「機関全速発揮!前進!」

 機関速力通信機も破壊されています。艦長の指示は伝声管を通じ下層甲板へ、リレーされて機関室へと伝達され、命令は人伝えとは思えぬほど素早く実行されました。

 時に1100。時代遅れの大型木造艦「カイザー」はその大きさ、重さのみを武器に鋼鉄の敵艦めがけ体当たりすべく突進するのでした。


挿絵(By みてみん)

アントン・フォン・ペッツ

カール・ヴィプレヒト(1838~1881)

オーストリア=ハンガリー帝国海軍士官、というより世界史では北極探検家として名を残します。リッサ海戦では装甲艦「ドラッヘ」の航海士として乗組み、海戦冒頭に艦長が戦死すると直ちに指揮を代わり、副長が駆け付けるまで艦を見事に操ります。1872から74年にかけて北極圏を探検し73年、スピッツベルゲン島の東で多くの島嶼を発見し、皇帝の名を頂いてフランツ・ヨーゼフ諸島と名付けました。

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