リッサ島攻防戦(中)
さて、リッサ海上のペルサーノ提督は、サン・ゲオルク湾への装甲艦突入を沿岸とその背後のコスモ・アンドレア高地に点在する砲台群により阻まれ、既に夜を目前にしてこの日は上陸を断念せざるを得ませんでした。せめてもの勝利の証が欲しいペルサーノは最後に港から離れた砲台を壊滅させることにして、艦隊の全力で一つの砲台を攻撃することとしました。
ペルサーノは全力砲撃の目標を「ウェリントン」砲台と定めます。たった6門しかない大砲によりこの日最も激しく長時間に渡って抵抗を続けたからであり、翌日も攻撃を考えるならここに沈黙してもらうのが一番です。
1700、ペルサーノ艦隊装甲艦の全力攻撃が始まりました。装甲艦はウェリントン砲台を半円に囲んで集中砲火を繰り返します。オーストリア側も負けじとベンディンク砲台とツェッパリーナ砲台も対岸の西から援助の砲撃を繰り返しました。
イタリア艦全力の砲撃はすさまじいものがありましたが、砲台との高度差のため多くの砲弾は砲台を越え付近の森林に着弾し、爆風で木々は倒され、方々で発火して山火事を起こしていました。しかし砲台自体の被害は少なく、砲兵の士気は高くイタリア艦隊に負けじと応射を繰り返すのです。
この砲撃戦も2時間を越え、1900となったところでイタリア艦は砲撃を止め、多くは湾から出て行きました。これはペルサーノ提督が砲撃の効果が薄いと感じ、また、長時間の砲撃で水兵の疲弊が激しいことなどを案じたために「砲撃中止・艦隊集合」を命じたからでした。
ただ、ヴァッカ戦隊だけはウェリントン砲台の前でなおも粘り、激しい砲撃を続けました。ウェリントン砲台は変わり果て外壁は崩れて穴が開き、特に北側の壁面では深刻な破孔が開き、砲台の石壁は崩壊寸前となったのです。とは言え大砲自体は無傷で砲撃を続けており、ヴァッカ提督も遂に諦めて2000、その戦隊は転回しサン・ゲオルク湾を出て行ったのでした。
2030、日の落ちたリッサ島沖合8海里にイタリア艦隊が集合します。この島が見える場所で投錨し、艦隊は補給と修繕、そして休息に入りました。
2200にはレシナよりサンドーリ戦隊が帰って来ました。
旗艦へ報告に来艦したサンドーリ中佐は、リッサへの海底電信線を切断する直前にザーラより電信が入り「オーストリア艦隊がリッサ救援にやって来る予定」との通信を受けた、と情報を伝えました。
しかしペルサーノはこれを信じず、「これは我らの敢闘精神を挫くための敵の謀略」と決めつけてしまいます。
ペルサーノは夜更けに指揮官会議を招集し、翌日もリッサを攻撃し今度こそカロベル湾に上陸する、と伝えました。これに対し上陸部隊の指揮官モナーレ大佐を始め砲兵隊長、工兵隊長も異議を唱え、間もなく増援もやって来るので、それを待つべきだ、と主張するのでした。
この後、「エットーレ・フェラモスカ」に対しこの日の戦闘と状況報告のためアンコナへ帰ることが命じられ、深夜、この外輪推進コルベットは艦隊を離れて行きました。
リッサ島では夜を徹して復旧工事と補給が行われます。イタリア艦隊の砲撃は長時間に渡る激しいものでしたが、損害は許容される範囲でした。確かに弾薬庫が爆発した「シュミット」砲台の被害は深刻で復旧には時間が掛るものでしたが、その他の砲台はその三分の二の大砲が使用可能で残り、防壁や堡塁も一部崩れたり穴が開いたものの砲台の維持は可能でした。しかし、サン・ゲオルク湾岸の各砲台の復旧工事は0000を待たねば開始出来なかったのです。
これはイタリアの一艦が東隣にあるストンチカ湾の直ぐ外まで迫り、嫌がらせにウェリントン砲台を狙って砲撃を続けたからで、日付が変わりイタリア艦が去った後、彼らはようやく作業を開始することが可能となったのです。
さて、この18日のリッサ島攻撃はペルサーノ提督にとって不完全燃焼の戦いでした。敵の砲台を痛めつけ、一つの砲台を使用不能に、他の砲台にも損害を与えはしましたが、未だ手強い存在として彼の前に立ちはだかっているのです。
提督は眠れぬこの夜、思い悩んだあげくの果てに、詳細な敵情も分からぬ土地に上陸するというリスクは、果たして賭けるだけの価値があるだろうかと迷い始め、結局、増援の兵力を待つしかあるまい、と結論しました。
夜が明ける直前、ペルサーノ提督はアルビニ、ヴァッカの両提督を旗艦に呼び、「本日、艦隊は再びリッサ島諸砲台への攻撃を続行するが、海兵部隊の上陸は延期し陸戦隊は別命あるまで待機とする」と告げました。二人の将官は拝命すると直ちに自らの旗艦へ戻り、出撃準備を命じるのでした。
19日0700。アルビニ、ヴァッカの両戦隊はサン・ゲオルク湾に現れ、ゲオルグ砲台始めその付近の砲台への砲撃を再開しました。アルビニ中将はウェリントン砲台を目標に砲撃を命じると皮肉交じりに「これは射撃演習だな」とつぶやくのです。
昨日あれほど激しく戦った各砲台は、今日は緩慢な砲撃でこれに応じます。昨日の損害と疲労が隠し切れなかったと言えますが、弾薬を節約するために無駄撃ちをしないという意味も含んでいました。しかし戦意旺盛なツェッパリーナ、ベンティンクの両砲台は今日も盛んに撃ち返すのでした。
この砲撃は僅か一時間で中断します。イタリア艦隊の装甲艦からなるヴァッカ戦隊は北西に転回し、木造艦からなるアルビニ戦隊は海岸沿いに西、コミサ方面へと去ったのです。
ところがオーストリア側がほっとしたのも束の間、アルビニ戦隊は0930再び来襲し、今度はノヴァポスタ湾(サン・ゲオルク湾の西、カロベル港の北西/ゲオルク砲台から北西へ2キロ)からゲオルク砲台の左側を狙って砲撃を開始したのです。
このゲオルク砲台はリッサで最も古く最も強力な砲台で、その火薬庫には50トン前後の火薬が備蓄されています。砲台は湾に向かって強固な壁が築かれており、反対の山側には石で固めた木の壁しかありません。このまま「裏口」から砲撃を続けられたら危険極まりないところで、イタリア艦隊は正に敵の弱点を突いた訳でした。しかし、イタリア側はそれに気付かなかったらしく、1100には砲撃が止み、またもや中途半端な攻撃で去って行ったのでした。
さて、アルビニ戦隊がゲオルク砲台を砲撃している最中の1000、ペルサーノ提督が待ち続けた待望の援軍が到着します。
汽帆走フリゲート「プリンチペ・ウンベルト」「カルロ・アルベルト」、外輪推進コルベット「ゴヴェルノロ」の3隻で、海軍大臣から命じられナポリから駆け付けた増援です。それぞれ数百名の陸戦用兵員を乗せており、これで陸戦用の兵員は2,600名となりました。
また、これに少し遅れて乾舷の低い特異な形をした装甲艦が姿を現します。ペルサーノがあれほど待ち望んだ装甲砲塔艦「アフォンダトーレ」でした。
ペルサーノはこれを見るや急に気が大きくなったのか、オーストリア艦隊が来るとの噂はあるが、これに惑わされて躊躇すべきではない、として、今こそ進撃する時とばかり命令を下すのでした。
「非装甲艦である汽帆走フリゲート7隻とコルベット4隻はこれに砲艦3隻を加えアルビニ中将が指揮を取りカロベル港付近より急ぎ陸戦部隊を上陸させること」
「装甲艦『テリビーレ』『ヴァレーゼ』はコミサ湾にてその砲台を攻撃し、守備隊をこの地に拘束すること」
「『フォルミダビーレ』はサン・ゲオルク港に突入し未だ砲撃を続ける砲台を壊滅すること」
「ヴァッカ少将は『プリンチペ・カリニャーノ』『カステルフィダルド』『アンコナ』の3装甲フリゲートで『フォルミダビーレ』に続きサン・ゲオルク港へ突入、砲台を攻撃せよ」
「『レ・ディ・ポルトガロ』『パレストロ』の2装甲艦はリボッティ大佐の指揮でウェリントン砲台を攻撃せよ」
「『レ・ディタリア』『サン・マルティノ』『レジーナ・マリア・ピア』の3装甲フリゲートは艦隊司令官直卒でサン・ゲオルク湾西側砲台がアルビニ戦隊の上陸を妨害するのを防ぎ、これを撃滅する」
一旦島から離れて命令を待っていた各戦隊は、この命令を受領すると再び転回し、それぞれの目標に向かいました。
1630、まずはコミサ湾で砲撃が開始されます。
最初の目標は湾の北にあるマグナレニ砲台で、この砲撃には命令された装甲艦2艦の他にリボッティ大佐の2装甲艦が加わり、更にアルビニ戦隊の内、6隻の木造艦も参戦しました。この辺り、命令をアバウトに実行するイタリア艦隊ですが、合計10隻に及ぶ砲撃も、昨日と同じく撃ち上げるのでは中々当たらず、アルビニ戦隊の6艦は目標をコミサの港に変え、急速に陸へ接近しようとしますが、ここで南側のペルリク山砲台が砲撃を開始、木造艦は被弾を恐れ、中々陸地に近付けず、30分を経過した後に諦めて湾を出、本来の目標であるカロベル湾へと向かったのです。
その後、リボッティ大佐もサン・ゲオルク湾へ向かい、コミサ湾に残った『テリビーレ』『ヴァレーゼ』の装甲艦2艦はその後2時間も砲撃を続けますが、マグナレニ、ペルリク山両砲台とも損害はほとんどなく、上陸はないと判断し安心したオーストリア駐屯部隊本営は砲台の護衛を次第に激戦続くサン・ゲオルク湾に転用し、わずか40名ばかりとなっていたのです。
しかし、サン・ゲオルク湾の砲撃戦は昨日と同じく激しく厳しいものでした。
コミサで砲撃が始まったのとほぼ同じ頃、「フォルミダビーレ」は命令通りサン・ゲオルク港に突入、ゲオルク砲台としばらく砲撃戦を闘った後に移動し、マムーラ砲台と戦い始めました。ペルサーノは直ちに新鋭艦「アフォンダトーレ」を投入してこれに追随させ、その300ポンドアームストロング砲が火を噴きました。提督は「レ・ディタリア」以下2隻の装甲フリゲートを直卒し、1700、湾口から砲撃戦に加わりました。オーストリア側はツェッパリーナ、ベンティンク、ウェリントンと次々に応射を始め、砲撃は再び最高潮を迎えたのでした。




