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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普墺戦争外伝・Lissa
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テゲトフ艦隊出撃す

 ようやくのことでアンコナを出航したペルサーノ艦隊は、8日夜から9日朝まで一晩かけてアドリア海を横切り、ダルマチアのロシン(現クロアチア・ロシニ)島が見える海域までやって来ます。ここで北に変針すればテゲトフ艦隊のいるファザナまであと少し。ところがペルサーノはここで反転、アンコナ方面へ逆戻りしてしまい、1400には再びアンコナの沖合に停泊しました。

 これはアンコナに残した一隻を待つとの理由で、だったら何故敵地が見える場所まで出掛けたのか、どうも首を傾げる行動です。

 結局、翌日まで遊弋しますが待ち「艦」来たらず。諦めたペルサーノは再びダルマチア海岸に向け艦隊を進ませるのでした。


 この日(10日)はまず、ダルマチア諸島中程にある細長く北西から南東に延びるグロッサ(ドゥギ)島に20海里まで近付き、そのまま島々を左舷に見ながら南下し、リッサ(ヴィス)島まで25海里まで近付いた後転回してアドリア海の中程まで進むと、この海面で艦隊運動と信号訓練、そして砲術訓練を行いました。しかし発砲はせず、操作のみの訓練に徹しています。


 この海域はイタリア半島やダルマチア諸島からも遠く離れ陸地からの望見は不可能で、艦隊はこの「誰にも邪魔されない海域」でなんと丸二日間訓練に勤しむのです。その後敵艦を見ることもなく、これ以上敵地も母国も見ることがなかった艦隊は13日早朝、アンコナ沖に現れたのでした。


 実はペルサーノ艦隊が洋上にいる間、2隻の船が近くを航行し艦隊を見ています。両方ともオーストリア船籍の商船で、一隻はオーストリアン・ロイド社所属の汽帆船、もう一隻は正真正銘無動力の帆船でした。

 交戦相手国の船は、例え商船といえども警告した上で臨検し拿捕したり、抵抗したり逃げようとすれば沈めることが可能ですし、そうすることが海軍の義務と言えます。ところがイタリア艦隊はこの2隻に対し停船を命じるでも警告の砲撃を行うでもなく、信号旗を揚げて「敵はどこにありや?」と寝ぼけたような問いかけをしたと言います。2隻の商船は冷や汗ものでしたがこれを無視してさっさと通過し無事に目的地へたどり着いた、というのですから驚きでした。


 もうここまで来るとデプレティス海軍大臣もペルサーノに慣れてきたのか先手を打って、10、11日の両日アンコナの港湾長官に同じ電信を送り、いつ何時艦隊が帰って来ても直ちに石炭燃料の補給が行えるよう準備しておくように、と命じていました。そしてペルサーノ提督宛に、給炭が終わったら直ちに出撃し命令を実行せよ、との電令を発しています。


 ところが、ペルサーノ提督は事ここに至っても難色を示すのです。

 彼いわく、艦隊訓練を行ったところ全くもって艦隊の練度は「なっておらず」、いくらオーストリア艦隊に「勝たなくてもいいから追い払え」という命令でも実行するのは難しいと感じた、というのでした。

 また、艦隊の装備もようやく間に合わせただけなので、いくら装甲艦の数で勝り、大砲の質で勝ろうとも、訓練の行き届いていそうなオーストリア艦隊に対し、五分五分としても怪しい、と部下の能力を疑うのです。

 新鋭艦アフォンダトーレを待ちたい、との意見まで蒸し返し始めたペルサーノに対し、下は国民の不満の声、上は国王に至る政府の声に押された形のデプレティス海軍大臣は「罷免」の二文字を胸に自ら乗り出し、15日早朝、アンコナへとやって来ました。

 

 海軍大臣はまず艦隊参謀長のデ・アミコ大佐を呼び付け、「艦隊がリッサ(ヴィス)島を攻撃するという案に意見は?」と問います。

 問責されるのでは、と冷や汗ものの参謀長は意外な問いかけにほっとして答えました。

「休戦協定締結も間近と思える今、ヴェネチアやポーラを攻撃するにはいろいろと面倒が多く、成功の可能性も低いと思います。至急どこかで戦績を上げたいのなら、確かにリッサは最も有望でしょう」


 デプレティスとしても最早時間はなくこの艦隊、この人選で戦うしかありません。限られた選択枝のなかで、確実と思える目標を短時間で攻撃し勝利を得るしかないのです。

 そのなかでリッサ島は有望に思えました。ダルマチア諸島でも南端にあり、アドリア海の入り口を管制する位置にあるリッサ。重要な場所ですがオーストリアにとっては帝国の南端でもあり、艦隊のいるファザナ、ポーラからも離れています。数日前にペルサーノが近海で3日間もうろうろしていたのにオーストリア艦隊も現れませんでした。これなら島を攻略するだけで、形なりにもダルマチアに楔を打ち、アドリア海の入り口を押さえた、と講和会議で主張出来ます。

 大臣はヴァッカ少将も呼ぶと同じ問いを繰り返し、提督もリッサ攻撃に賛成しました。


 ここまで「外堀」を埋めたデプレティスはようやくペルサーノを呼び出して、

「リッサ島攻撃を艦隊に命ずるがいかがか?」

 と尋ねました。ペルサーノも既に部下が大臣に丸めこまれたことを知り、ここで拒否すれば不名誉な更迭が待っているのを意識して話を合わせ、

「もし4、5千名の上陸部隊を艦隊に配属し、これで島に上陸すれば可能でしょう」

 と答えるのでした。

 デプレティス大臣は直ちに電信で上陸兵の手配を大本営に要求しました。


 返信は素早くやって来ます。ヴェネト攻撃の前線、フェラーラに置かれた大本営から参謀長ラ・マルモラ大将名義の電文が到着したのです。

 それによると、国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の意向としてはこれ以上海軍作戦の遅延を許さず、海軍が要請した上陸部隊は1,500名を許可された、これに1,500名を追加し、上陸部隊はフォンタナ少将に預けてアンコナへ送るので、翌日部隊が到着したら直ちにリッサへ出撃せよ、と命じていたのです。

挿絵(By みてみん)

ラ・マルモラ

 これにより、ペルサーノ艦隊は翌日16日、遂に決戦の場へと赴くことになったのでした。


 さて、オーストリアの動きを見てみましょう。


 第2回のアドリア巡航を終えた翌日の9日、テゲトフ少将は全艦長を旗艦「フェルディナンド・マックス」に召集し会議を開きます。会議の内容は知られていませんが、近付く決戦に向け戦術を確認し、質疑を受けたものと思われます。

 また、この時に出たものではありませんがテゲトフは有名な自身のモットー、「木の艦隊(自艦隊の装甲艦の少なさを例えたもの)は鉄の心によって敵を打ち破ることが出来る」を繰り返し語り、揺るぎない士気と強い必勝の信念を訴えたものと思われます。

 この日艦隊は順次砲撃訓練を行い、ボイラーや機器類の点検、清掃に時間を掛けています。


 翌10日の午後と夜間の二回、「敵艦船およそ20隻、リッサ沖20ないし25海里に見ゆ」との報告が艦隊に届きます。追ってダルマチアのザーラ(ザダル)から「敵艦16隻、イソラとグロッサ両島近海にあり」との報告も届きました。艦隊は警戒を強めますが、その後は何事もなく時間だけが過ぎて行きました。

 また、ケーニヒグレーツ敗戦の余波はこのダルマチアまで及び、ウィーンからの命令で離島や遠隔地に駐屯していた「第4大隊」(オーストリア陸軍の連隊は4個大隊制でしたが、4番目の大隊を切り離して守備隊や別働任務を与えるのが常でした)をトリエステに、又はザーラへと運ぶこととなり、12から17日にかけてダルマチア駐屯軍に配属されている旧式帆走フリゲート「ヴェネチア」(1,577t砲10門)外輪汽船「クルタトネ」(803t砲4門)「フィウメ」(430t砲2門)「エジット」(不明)と、テゲトフが送り出した艦隊付き輸送外輪汽船「サンタルチア」(1,443t砲6門)「ブルカン」(720t砲2門)の以上6隻で各地の部隊を回収、彼らはイタリアから妨害されることもなく無事に目的地へ将兵を運ぶことに成功しています。


 14日朝には正体不明の装甲フリゲートがポーラに近付くとの警報があり、「ハプスブルク」「カイザー・マックス」の2艦が偵察に出ますが、近付いて来たのはトリエステからアドリア海に戻った英国艦「エンタープライズ」で、悠々と彼らの前を通り過ぎて行きました。多分、テゲトフ艦隊の様子を覗き見しに来たのでしょう。

 また、16日0430にはアドリア海北部を偵察していた「ドラッヘ」が三色旗を掲げる船を視認、近付くと今度は本物のフランス艦で装甲フリゲート「プロヴァンス」でした。これはフランスの講和斡旋が進み、ヴェネトが一旦フランスに預けられることとなったため、ヴェネチアに赴く途中とのことでした。

 

 艦隊には既に11日、ヴェネトがイタリアの手に渡る条件で講和が進められているとの情報が流れています。これは不穏な事態を招きかねない状況で、憂慮したテゲトフはアルブレヒト大将に対し、「もしヴェネト地方がイタリアの手に渡ったら艦隊に所属するヴェネト出身将兵800名を放免しヴェネトへ送り返したいがどうか」と質問しました。

 アルブレヒト親王は直ちに返信し、「ヴェネトは未だ割譲されずオーストリア領で変わらないのだから、艦隊には何も手を加えることはない」ときっぱりと答えます。テゲトフは艦隊命令を出してこれを布告し、戦友が敵味方に別れてしまうのではないかと動揺していた水兵たちもこれで落ち着きを取り戻し、士気は一層高まるのでした。

 

 17日、緊張が続くものの敵の動きがなく、訓練と整備に汗を流してきたテゲトフ艦隊に、ついに敵の動きが伝わります。

 まず、リッサ島の駐屯司令部から「英国国旗を掲げた一隻、島を偵察しまた南西に去れり」との報告が入りました。テゲトフは例の「エンタープライズ」がそんな遠くまで出かけたのか、と訝りますが、翌18日、再びリッサより続けざまに2通の電信が届くのです。

 0830。「旗を揚げない軍艦一隻、北西より20海里に迫る」

 0920。「軍艦10隻、北西より来たり、フランス国旗を掲げ、島より15海里まで迫る」

 テゲトフはこの至急報に素早く反応し、これを直ちにウィーンの大本営とゲルツ(トリエステの北西にあるゴリツィア)に本営を構えていた南軍代理司令官マローシッチ中将に転送します。電文には加えて「これは我が艦隊を南へおびき出す作戦かも知れず、この情報だけでは艦隊を動かすのは得策と言えないが、もしこれ以上の動きがあれば艦隊はどうすればいいのか指示を願う」とありました。


 この返事を待つ間にもリッサからは次々に入電しました。

1010。「既報の艦船、なおも北西方向に停留し旗を掲げない。警戒を要す」

1145。「既報の艦船はリッサに向けて動き出した。今、その距離は10海里となる。攻撃迫る」

 さらにザーラからもリッサよりの報告として、

「12隻の艦船、コミサ(コミジャ/リッサ島西部の町)を襲撃する。ルーマニア国旗を掲げている」


 テゲトフは1420、この電文もウィーンのアルブレヒト親王、そして南軍司令部へ転信し、加えて

「私は尚も以前の意見を変えませんが、艦隊はどうするか指示を願います」

 同時にリッサ島司令部に宛てて、

「敵艦の種類を直ちに知らせて欲しい。敵艦の種類によって敵の本攻撃か否かが分かる」

 と問い合わせました。

 この間、リッサからは報告が続き、

1240。「リッサ(ヴィス島東部の町)攻撃さる」

1315。「リッサ付近の砲戦は今も盛んだが味方の損害は極めて少ない」

 これから午後、続々と情報が入って来ます。

「装甲艦10隻と汽船3隻になる敵は、サン・ゲオルク港(リッサ町の港)に入った」

「1600、イタリア砲艦リッサの対岸レッシナ島レッシナ(フヴァル)へ襲来、水兵が上陸し部落を占領した」

「リッサとレッシナ間の海底電信線切断される」

「1900、サン・ゲオルク港の北東に汽船14隻、また北西に汽船6隻が集合しつつあり」

「1920。敵艦船、我が砲の射程外に去り、また徐々に北西方向へ後退しつつあり」


 テゲトフは悩みます。敵が艦隊でリッサを攻撃したのは確かですが、敵の狙いが本当にリッサなのか、それともこれはオトリで他に目的があるのか定かではありません。ここで釣られてリッサに向かうと、不意打ちでザーラやポーラ、フィウメ、トリエステなどの要地が襲撃されるやも知れません。ここは我慢、とせっかちに艦隊を動かすことはしませんでした。


 すると2120発信の南軍司令部からの電信が2300、艦隊司令部に届きました。これはテゲトフが再三発した「艦隊はいかがすべきか」との問いに対する待望の回答だったのです。

「艦隊は決して分かれて行動してはならない。一つにまとまってイストリア及びトリエステ海岸への攻撃に対処すべきと考える」


 確かにウィーンへ兵力を差し出して半減以下となり、ポー川方面から北上するイタリア軍の攻撃に苦戦中の南軍としてはそうでしょう。テゲトフも一度はその通りだ、と考え、この日は就寝しますが、翌19日朝、ダルマチア駐屯軍から二通の電信が届き、それによると、

「リッサ島再び攻撃さる」

「敵の艦隊はリッサ島周辺を離れず、他の方面へ向かう気配なし」

 これに重なるようにしてザーラからも入電し、

「本日0700、再びリッサ付近で戦闘が発生した。砲撃音が対岸から盛んに聞き取れる。それ以前の0500、イタリア艦22隻クルツォラ(コルチュラ)島とリッサ島の間を北上するのが見え、別の1艦が南南西に進路を取り進むのを見た」


 テゲトフ提督は遂にここで決断します。リッサ島は敵艦隊の全力攻撃にさらされており、敵の狙いはリッサ占領にある、艦隊は全力でリッサ救出に向かう、と。


 提督はウィーンと南軍に向けて「艦隊はリッサに向かわんとす。至急是非の回答を願わん」と電信し、1030「艦長旗艦に集合」を命じ、ここで艦長たちに提督の決断を伝えます。その15分後には「全艦機関全力発揮」を命じました。

 艦隊の諸艦は競うように罐に石炭を放り込み、ボイラーを焚きます。蒸気が満ちてエンジンが動いた艦より順次抜錨し、ゆっくりと港外へ出るのでした。

 艦隊付き汽船「ブルカン」「サンタルチア」「トリエステ」の3隻は一足先に港を出ると8キロ南のポーラ港へ急ぎ入港、ここで帰り分の艦隊燃料用の石炭千トンを大至急搭載し始めました。また、非武装偵察船の「シュタディオン」は別命を受け、ブリオニ海岸堡塁にこの日1400まで留まって、それまでに届いた電信を集め艦隊を追うこととなります。

 その内にウィーンのアルブレヒト親王から回答が届き、

「提督の見立てに任せる。進撃してよろしい。但し、敵の示威行動に欺かれてリッサに至ること無きよう」

 この訓令が届いた時には、ほぼ過半数の艦が港外へ出ていました。遅れる艦を叱咤しながら待つと、この間もダルマチア方面から次々と電信が入り、敵の攻撃は示威行動ではなく本格的な攻撃であるとの確証が得られたのです。

 1200には旗艦「フェルディナンド・マックス」が港外へ出て、1315、全艦港外に集合していよいよ出撃となりました。

 

 旗艦の水兵は整列し、操帆員は登檣礼を行い、甲板員は国歌を斉唱し、総艦から沸き上がる歓声に包まれる中、勇躍テゲトフ艦隊は出撃するのでした。



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