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プロシア参謀本部~モルトケの功罪  作者: 小田中 慎
普墺戦争外伝・Lissa
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イタリア艦隊アンコナに逼塞す

 イタリアの艦隊司令官ペルサーノ大将は22日、19隻からなる艦隊を率いてタラント軍港を発すると半島のアドリア海沿岸をなめるように沿って移動し、25日にイタリア海軍のアドリア海根拠地アンコナ軍港に入りました。実に平均時速5海里(5ノット。約9キロ強)という恐ろしく遅い速度だったのです。

 ジョギングのスピードでようやくアンコナに入ったペルサーノ提督は、海軍省に対し次々と要求を発しました。

 やれ性能の良い望遠鏡が必要だ、やれ快速の偵察艦を用意しろ、やれ新式の「アームストロング砲」をもっと装備したい、やれもっと装甲フリゲートを送れ、等々。

 確かにイタリア海軍は人員も艦も未だきちんと仕上がってはいない状態で、戦争はまことに悪い時期に発生しました。艦隊の各艦は当時イギリス海軍が「斬新過ぎて時期早尚」とし本国ではこれ以上配備中止、輸出に回った新式の後装ライフル砲「アームストロング砲」を購入して一部に配備していたり、旧式の前装滑腔砲を後装旋条(ライフル)砲に換装している最中で、この時も装甲艦「レ・ディタリア」「パレストロ」「ヴァレーゼ」の三艦は砲の取り付けが終わらず主砲がないままアンコナにやって来て、はるばる陸路をやって来た技官によりアンコナにて取り付けが行われる始末でした。

 それにしてもペルサーノ提督は前日の24日に「クストーザ」で何が起きたのか知らなかったのでしょうか?そんなはずはないのですが、自国陸軍の大敗直後に「われ関せず」と物資を要求出来る提督の独善には驚きです。

 イタリア海軍省はそんなペルサーノの要求に眉をひそめますが、これ以上オーストリア相手に装甲艦は必要を認めないが、それ以外の物資は必要なら手配しようと応答しました。

挿絵(By みてみん)

ペルサーノ提督

 27日にテゲトフ艦隊が湾口に現れた時のペルサーノ艦隊は、新型砲の取り付け作業は一艦だけしか終わっておらず、他の艦も石炭の積載をのんべんだらりと行う艦、修繕箇所に全く手が着けられていない艦などだらしない艦ばかりでした。

 0400過ぎに哨戒艦「エスプロラトール」があわてて港内に逃げ帰り「敵艦隊港外に見ゆ」と伝えるとペルサーノ提督は自ら戦闘準備の信号ピストルを空高く打ち上げ、艦隊に命じました。

 しかしこれを見ても艦隊はのんびりとしたもので、全艦戦闘準備が出来たのは二時間を過ぎた後。そして敵がいる間にボイラーが暖まって出航準備が出来たのは装甲フリゲートの「レジーナ・マリア・ピア」「サン・マルティノ」「プリンチペ・カリニャーノ」「カステルフィダルド」の四隻のみ。この内三隻が港口まで出て威嚇、にらみ合いの後悠々テゲトフは去って行ったのです。


 このふがいない出来事の直後、ペルサーノは指揮官会議を開き、次席のジョヴァンニ・ヴァッカ少将、参謀長エドアルド・デ・アミコ大佐、装甲フリゲート「プリンチペ・カリニャーノ」艦長のヤウク大佐らを丸め込んで、この度の「海戦」は装甲艦三隻の主砲換装が終了していなかったので大事をとってオーストリア艦隊を追わなかったのだ、と結論付けてしてしまいます。更に海軍省への報告では、「ここで整備未了のまま敵艦隊を追っても我に利はなく、また敵は我が艦隊の姿を見るやポーラ(プーラ)方向へ一目散に逃げてしまったため追ったとしても間に合わなかった」と酷い嘘の報告をしています。


 この後もペルサーノは艦隊を出動させることなく、また単艦や小戦隊などを組んで偵察や示威行動をさせることもなく、なんと10日間もアンコナで停留するのです。理由は「艦隊は未だ出撃準備ならず」で、各艦は砲の交換を続けたり、修理を行ったり、食料・燃料などの積み込みに異常に時間をかけたりと、これは指揮官以下艦隊の全員が「時間稼ぎをしている間に戦争が有利に進み、このまま出撃しないで済むのなら」と思っているのでは?と疑われても止むを得ない行動です。

 こんな最低の士気漂う艦隊ですが、それを支援する政府・海軍省はまじめに行動して、この停滞の期間中も頼まれた資材が到着し、増援の艦(汽帆装フリゲート「ヴィットリオ・エマニュエーレ」など5隻)が入港しています。


 7月5日にはフランス皇帝ナポレオン三世が講和仲裁に乗り出したことが公表され、一気に戦争は終盤を迎えてしまいます。この間、イタリア海軍はなにもしなかったに等しく、全くいいところはありませんでした。


 逆にテゲトフのオーストリア艦隊はこの間、何をしていたのでしょうか?


 警戒態勢を取っていた艦隊に28日夕、ブリオニ海岸堡塁(ファザナ沖に浮かぶブリユン島にありました)より至急信号が入ります。

「三色旗(フランス)の装甲フリゲート1隻15海里先に見ゆ」

 フランスは中立国ですがこの前の戦争(第2次イタリア独立戦争)では敵、しかもあの抜け目ないナポレオン三世の国です。油断禁物でテゲトフは直ちに「カイザー・マックス」「ドン・ファン・デ・アウストリア」を偵察に出航させました。


 この装甲艦2隻は「フランス艦」を公海上で発見、するとこの艦は「ユニオンジャック」を掲揚していたのです(三色旗とユニオンジャックは昔から見間違えられることが多く逸話も沢山あります)。これは中立国イギリス海軍の装甲フリゲート「エンタープライズ」で1864年に完成し、18cmアームストロング砲を搭載した新鋭艦です。この「伊墺戦争」を観察するために派遣され、イタリアのアンコナ港にいましたが、戦闘が近付いたと半分強制的に退去を薦められ出航し、今度はちゃっかり敵方のオーストリア・トリエステ港に向かう、とのことが確認されました。2隻の艦長たちは眉をひそめながらもこれを認めると、直ちに母港へ引き返したのでした。


 翌29日には「プリンツ・オイゲン」が出航しヴェネチア沖にある砂州に造られたマラモッコ港へ向かい、ここで艦隊用の石炭運搬船と合流、これを護衛して引き返し30日にファザナへ戻って来ましたがその間、北アドリア海には疑わしき艦船は発見出来ませんでした。


 同日、ダルマチア総督のフランツ・フィリポヴィック中将(墺北軍の同姓将軍の2歳年下の弟です)より入電し、「敵艦隊は尚もアンコナにおり、ロイド会社の汽船は以降アンコナ入港を禁止された」とのことでした。

 ロイド汽船会社は当時の世界的貿易船運用会社で現在では船舶保険で有名です。オーストリアにも関連会社があり、当時は無害と思われる商船から見聞された情報がどんどん入って来たものです。それによると、27日以降敵艦隊は更に4隻(実際は5隻)を加えたとのことで、テゲトフは遠からず敵はオーストリア艦隊を壊滅させるために襲来するに違いない、と考えるのでした。


 この29日頃からオーストリア艦隊は一大海戦に備え準備を整えます。木造船は火災に備えて無用な延焼物を降ろし、重量物を撤去して少しでも速度が出せるようにしました。暗号簿を新たに作成し、これを7月4日から運用します。

 この4日には木造スクリューフリゲート「ノヴァラ」がやって来ます。この艦はオーストリアで初めて世界一周航海を成功させた艦(1857から59年にかけて)で、海軍育成に心血を注いだ皇帝の弟、現メキシコ皇帝マクシミリアン1世をメキシコへ運んだ艦でもあります。開戦時にちょうど大修理中で、この度トリエステの工廠ドックによる突貫工事が完成し駆けつけたものでした。


 7月6日。テゲトフは艦隊を出航させ艦隊運動の訓練を行います。彼はそのまま艦隊をアドリア海を南西へ進ませ、なんと1400にはアンコナ港の背後にそびえる山々が望見出来る位置まで進出するのです。敵イタリア艦隊はオーストリア艦隊の大胆な行動に気付いたのか気付かなかったのか分かりませんでしたが、出て来ることはありませんでした。

 提督は緊張して敵の本土を眺めていた航海士たちに、敵の本拠地背後の山と自艦との距離を測量させます。これは若い士官の胆力を鍛えるとともに士気を高める憎いばかりのパフォーマンスでした。


 艦隊はそのまま隊列を組んで転回しファザナへ帰投しました。ちなみにアドリア海は波が小さな内海で、アンコナとファザナは百五十キロ離れているに過ぎません。艦隊が港に帰り着いた時には既に夜で、港は真っ暗になっていましたが、テゲトフは港湾長に命じて浮標に点火させ、これは夜間の入港訓練にもなり、艦隊は全艦無事に投錨するのでした。

 こうしてテゲトフ二回目のアドリア海巡航も無事に完了したのでした。


 さて、イタリア王国の方は5日のナポレオン三世講和斡旋のニュース以来大変な騒ぎになっていました。


 イタリア国王を補佐するベッチーノ・リカソーリ首相は開戦以来プロシアから「ダルマチア」や「ヴェネト」を攻略するよう圧力を受けていました。しかも「クストーザの戦い」では出鼻を挫かれ、チロル方面でも英雄ガルバルディが義勇軍を引き連れ張り切っていましたが苦戦が伝えられています。

 リカソーリとしては何としても「勝利」が欲しかったのですが、残された頼みの綱の「ペルサーノ艦隊」がどうも情けないことになっていたのです。

 リカソーリはアゴスティノ・デプレティス海軍大臣に問い質しますが、デプレティス大臣にしても本当のところ、ペルサーノ艦隊がどうなっているのか、わかりません。

挿絵(By みてみん)

リカソーリ

 海軍大臣はペルサーノ提督に宛て幾度も書簡を送り、出撃を促しましたが、その都度、準備が出来ていないやら、補給品が足りないやら、難癖をつけられ、その代わりに「もし出撃準備が出来たなら、テゲトフの艦隊を封じ込めイストリアとダルマチア海岸に猛烈な艦砲射撃を加える」などとイタリア人らしく熱く勇ましい戦いへの想いを綴って来ていたのです。


 しかし5日、講和の話し合いが現実味を帯びて来るとさすがに海軍大臣も焦り始めます。このまま成果なく戦争が終わればイタリアはヴェネトしか手に入れられず、それはどう転んでも手に入る「獲物」で、その先、イストリアやダルマチアまで手に入れたいイタリア王国政府の思惑は脆くも崩れ去ってしまうのです。


 デプレティス海軍大臣は直ちにペルサーノへ命令しました。

「事態は切迫し、艦隊は急ぎ出航準備を完了せよ。増援のカルロ・アルベルト、プリンチペ・ウンベルト(以上汽帆装フリゲート)、ゴヴェルノロ(外輪コルヴェット)の3艦は既にナポリを出港し、アフォンダトーレ(完成したばかりの新鋭装甲砲塔艦)には至急艤装を完了すべしと命じている。艦隊は後何日で、また、何隻で出撃出来るか直ちに応答せよ」

 新鋭の新方式装甲艦、旋回砲塔2基に25.4cm鋼鉄後装旋条砲・アームストロング300ポンド単装砲を搭載したアフォンダトーレはイギリスで製造され、回航されて6月28日ジブラルタルを通過、地中海に入りこの5日、ナポリに入港したばかりです。出来立てほやほやの艦を戦場に急がせるこの無茶ぶりを見ても、デプレティス大臣の焦りが伺えるというものです。

挿絵(By みてみん)

アゴスティノ・デプレティス

 更に大臣は返事も待たず連発して電信を打ちました。

「フランス皇帝から仲裁があろうがなかろうが、戦争は続く予定である。必勝の策を持ち一戦を行うことが必要となる。準備を最速で行うように」


 ペルサーノ提督は答えます。

「艦隊は出撃を望まれれば準備は出来ています。ただし、完全に砲を装填し砲架を備えるというのならもう2日ほど頂きたい。他は特にないが、本官は6月8日以来、正式な命令を受けていないため、詳細なる作戦命令を授けて頂きたいのですが」

 

 デプレティス大臣は直ちに返信しました。

「艦隊は今夜直ちに出撃し海上において他の準備ならざる艦を待つべし。以上至急実行せよ」


 ところが翌6日になっても艦隊は出航していません。ペルサーノは6日になってデプレティスに返信し、

「敵の艦隊が陸の堡塁砲台に守られていてもこれを攻撃すべきでしょうか?やはり新鋭艦であるアフォンダトーレの完成を待つべきではないでしょうか?閣下の洞察するところにお任せいたしますが、我が艦隊はただ戦うだけでよいのか、戦って必ず勝たねばならないのかの判断をして頂きたいのです」


 全く驚愕の返信で、これには海軍大臣閣下も開いた口が閉じなかったのではないかと思ってしまいます。デプレティス大臣は怒りに顔が真っ赤となったでしょうが、心を落ち着かせた後(7日)、長い命令を発するのです。


「第1。ペルサーノ提督は直ちに敵を海上に求め、かつ6月8日に発した命令に従って敵艦隊と決戦をすべし。

 第2。敵の艦隊がポーラから出ないか、又は我が艦隊に追われポーラに逃げ込むかとなった場合、ペルサーノ提督は十分な数の艦船でポーラを封鎖せよ。その際、ポーラ及びファザナ砲台からの距離に気を付けて射程外にいること。

 第3。この海戦の主旨は第一にオーストリア艦隊からアドリア海全ての制海権を得ることにある。敵艦隊の壊滅はその主旨ではないので、敵艦隊を見たらこれを追い、これと戦い、これを退ければそれでよい。あるいは敵が逃げても一つの港に閉じ込め、再び海上に現れなければ任務は完了である」


 これではまるで海軍幼年学校の少年水兵に教えているようなものです。

 一国の海軍大臣がその国の最高艦隊司令長官にこんななさけない命令をせざるを得ないとは、本当に同情するものなのです。


 とにかくこれで逃げ場のなくなったペルサーノ提督は、7月8日1800、修理が終わらず出撃が出来ない一艦を残し、全ての艦でアンコナ港を出撃するのでした。


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