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ニコルスブルク仮講和条約(一)

 1862年7月のこと。駐仏プロシア大使のビスマルクはロンドンで開催されていた万国博覧会に出席するためドーヴァーを渡り、英国首相パーマストン卿を表敬訪問し外相ラッセル卿と会談しました。

 このイギリス訪問中、駐英ロシア大使の晩餐会に招待されたビスマルクは、イギリス野党の有力政治家と出会います。ビスマルクは少し赤ら顔で声を強めながら親しげにこう言います。

「私が宰相となったら断固軍制改革をやり遂げ、軍を強化した後にオーストリアを懲らしめてドイツ連邦を解体し、プロシアが支配する新しい連邦を作るんだがなぁ」

 これはビスマルクがよく使う、酒の席などで心情を吐露し、まさかそんなことはないだろうと相手を安心させる、というお得意の手だったのです。

 しかし、煙に巻いてやったぞ、とほくそ笑みながらそこを離れたビスマルクの背中に鋭い視線を向けていたその政治家は、隣にいた親友にこう囁いたのです。

「我々が政権を奪取したら十分に気を付けなくてはなるまい。あのドイツ人はさっき言ったことを寸分違わず実行しようと考えているからね」

 この英国保守党院内総務の名はベンジャミン・ディズレーリ。ユダヤ人ながら後に英国首相となる男でした。


 あれから4年。ビスマルクは正にディズレーリの予言通りの道を歩んでいました。


 1866年7月4日。プロシアはオーストリアに依頼されたフランスから休戦と和議のあっせんを申し入れられたため、プロシアが交渉する相手はオーストリアではなくフランスとなり、宰相のビスマルクはずる賢い野心家で抜け目ないナポレオン三世と話し合わざるを得なくなりました。


 プロシア政府首班のビスマルクとしては、まず国王と軍の意向を確認しますが、大義上、普墺戦争はドイツ連邦内の「内戦」であり(イタリアとオーストリアの戦いはまた別の戦争)、外国であるフランスの和議あっせんは拒絶するに足る理由がありました。

 まずはこれで時間稼ぎをし、数日の間国王・軍・政府の三者で今後をどうするかを話し合うこととなります。


 先述の通り、ビスマルクはこの普墺戦争をドイツ統一のための第一歩としか考えていません。彼の目指すオーストリアを除いてドイツを統一する「小ドイツ主義」を実行するのであれば、オーストリアに引っ込んでいて頂くだけで良く、逆に「一つのドイツ」最大の敵となるであろうフランスと近々戦う必要性が生じるに違いない、と考えていました。

 もし対仏戦ともなれば後背の憂いを取り除く必要があり、プロシアの後背とはロシア、そしてオーストリアとなりますから、この二つの国から暗黙の了承、少なくとも中立を得なければ隣人から背中にナイフを突きつけられることになりかねず、おちおちフランスと戦うことなど出来ません。プロシアがそんな四面楚歌の状態では、ドイツの統一もナポレオン三世のちょっかいで簡単に潰されてしまうでしょう。

 ビスマルクは何としてもオーストリアと手打ちをし、しかもそれは後腐れのない恨みを買わないものでなければならなかったのです。


 一方、プロシア国王ヴィルヘルム1世はすっかりのぼせ上がっていました。

 この二百年ほど、事ある毎にプロシアの前に立ちふさがるオーストリア=ハプスブルグ家と、ナポレオン戦争後ウィーン会議の結果、国土の半分をプロシアに奪い取られ未だに復讐の念を持っているだろうザクセン王国。この仇敵を、国王は自ら率いた国軍で敗退させ勝利を得たのです。

 憎きザクセンは占領しました。後はオーストリア首都ウィーンへの入城です。

 ヴィルヘルム1世は自分が堂々とウィーンへ入城し、若造のフランツ=ヨーゼフ1世に頭を下げさせたい、そんな願望で目がくらんでいたのでした。


 しかしここで宰相が難色を示しました。

 プロシアの目的はオーストリアやザクセンの壊滅ではなくドイツの統一、現在の同盟国イタリアが成し遂げた一つの王国(ここではプロシア)による全土の併合にある、とビスマルクは主張します。

 オーストリアやザクセンを屈辱の降伏まで追いこんでしまうと、その恨みによって常に気を付けねばならない敵国となる。それだけは絶対に避けたい。講和はオーストリアが追い込まれた証拠であり、これだけで戦争目的は達成されている。そのため講和に応じてウィーン進軍を停止するよう主張しました。


 一方、軍を代表して参謀総長はこれに真っ向から反対しました。

 軍の士気はかつてないほど上がっており、勝利に酔いしれる20万の軍勢が疲れた体に鞭打ってウィーンへと進撃しているので、これを止めるのは軍人としてもとても無理であろう。モルトケ大将は怜悧な態度でビスマルクに対しました。当然ながら国王もビスマルクの即時講和案を不機嫌に一蹴しようとします。


 ビスマルクは国王・軍共にのぼせ上がっている現状では何を説いてもだめ、後付けで丸め込もうと考え、9日に国王、軍と協議した際に出た仮に講和をするとして望む条件案からオーストリア、ザクセン、南部の諸邦に対する領土要求を削り、国王と軍には「取りあえず講和するということだけは先に進めておかないと」などと言って同意させ、11日、配下の外務省に命じフランス外務省と密談させ、ビスマルク手直しによる講和条件をナポレオン三世へと伝えたのです。


 ナポレオン三世は自国の安全と自身の地位安泰のため、出来る限りドイツを今のまま、分裂し対立した状態のままにしておきたかったので普墺戦争を陰ながら煽り、普墺両国が徹底的に戦って戦後も憎しみ合う不倶戴天の敵となるのを望んでいました。ビスマルクはその心理を読み、ナポレオン三世が口を出し辛くなるような条件を知らせたのでした。


 まず、ナポレオン三世が脅威と感じるようなドイツの急激な統一を避けて、既にプロシアになびいているか、対立していてもプロシアに囲まれ、きっかけさえあれば簡単に併合されてしまうような北部諸邦の支配権だけ要求して、バイエルンやヴェルテンブルクなど強力な南部諸邦は独立させたまま、プロシアに対抗したければ「南部連邦」を作ってもいいとする。

 これにはナポレオン三世も南北対立が起きる可能性を秘めているので賛成します。

 更にオーストリアに対しての領土要求は一切しないで、戦費弁済(いわゆる賠償金)も儀礼程度という実に甘い戦勝国条件を提示しました。

 これにはオーストリアが飛び付くはずであり、このまま講和に進めば全ての関連国家(もちろんプロシアに併合されるハノーファーやヘッセンなどは別)が「ほっと胸をなで下ろし」て「プロシアに内心感謝」するでしょう。

 このビスマルクによる講和の筋書きはその先、ドイツの完全統一へと進みやすくするための布石だったのです。


 ナポレオン三世はこの「ビスマルク案」から何か漁夫の利を得られないか検討しますが、この提案自体が既にオーストリアに対し非常に寛大なものだったため、普墺双方に納得して貰えるフランスが有利となる付加条件など思いつかず、ここは講和仲介者としての名誉と国際社会での存在強化を追い、利益の回収は個々の協議で行おうと考えます。講和条件は、ほとんどビスマルク案のままオーストリアへ通達されたのでした。


 これを受けたオーストリアは、この条件を慎重に吟味しますが、あっけないほどの寛大な条件にまずは胸をなで下ろしました。

 オーストリアが陰で糸引く連邦の解体と、プロシアの北部ドイツ集約は悔しく脅威ではありますが、首都まで迫られた割に領土要求はなく、政体も維持され政治介入もないとなれば、ここは素直に従うべきだろう。ウィーン宮廷と政府はそう判断すると、ザクセン王国の領土を安泰にするという追加条件でこれを受け入れる、とナポレオン三世に通告しました。

 

 この結果、軍事休戦協定の方も急がれ、22日正午から休戦が始まったのです。


 さあ、実際に講和会談が始まるとなると、その前にプロシアの内部で激しい論戦が起こります。

 ビスマルクはまず軍部を納得させなくてはなりません。休戦したものの、いつでもウィーンを攻撃出来る状態まで進んだプロシア軍は、講和会談が決裂したのなら直ちに戦闘を再開出来るよう後方からの補給や武器、馬などのメンテナンスを急がせていました。

 ビスマルクが戦う相手はモルトケです。軍の長老たちや野戦指揮官たちには何を言っても無駄です。軍の中で最も理性を保ち陰から影響を及ぼせる男はモルトケをおいて他にはいません。

 

 ビスマルクは滔々と自説を説き、要点を述べます。モルトケは政治と一定の距離を保とうとし、軍を国家(国王)の執行機関と位置付け政治化を防いだ男でしたが、この普墺戦争時は未だその権力は弱く、国王の名の下に命令を下すことで立場を高めていました。

 ビスマルクの寛大な講和案を聞いたモルトケは、軍の戦略としては敵の首都を陥落させ国の主(皇帝や国王、政府など)を保護してのみ戦争目的が達せられる、と軍事論からも反論します。ここで首都を見逃したらみすみす敵に復活のチャンスを与えてしまうだろう、と。

 ところがビスマルクは「オーストリアは当分の間プロシアの敵でなく味方として重要なパートナーとなるでしょう」と答えます。

「なぜなら彼の国の内政は混乱続きで安定せず、領域内での民族対立は押さえ難いレベルにまで至っているからです。この戦争は内政問題を抱える老帝国の弱さを図らずも露呈しました。今後しばらくは外交攻勢など掛けられるはずもありません。プロシアの本当の敵は、この国内に民族独立問題を抱えた老帝国でなく、ペテン師的外交と国内振興を成功させている危険な皇帝を抱える新しい帝国です。国内の火消しに忙しいとはいえ、オーストリアは大国です。新帝国との決戦には老帝国の支持が絶対に必要となります」

 ビスマルクの説明にモルトケはじっくり構えて聞き入るのでした。


 この話し合いの結果、最終的にモルトケもビスマルクの政治「戦略」を理解して支持を表明し、軍内部の説得に奔走しました。

「ウィーンを占領してもオーストリアは降伏しないだろう。政府と軍は広大なハンガリーやバルカンへ後退し、地方を祖国奪還の総力戦にかき立てて戦争を続ける。プロシアは既に補給が限界に近く、後方では占領地住民による反乱が始まっている。後備はその鎮圧に奔走した挙げ句、前線に補充はなく、正面戦力は足りないままとなるだろう。そんな時にフランスが介入したらどうなるか。プロシアがぐずぐずしていたら二正面作戦に追い立てられ、勝てた戦争が敗北に終わる可能性が出てくる」

 モルトケはそう説いて回り、軍を鎮め長老や高級指揮官たちの説得に当たったのでした。


 そして残ったのは最大の障壁、国王ヴィルヘルム1世でした。


 ヴィルヘルム1世はオーストリアとザクセンこそ戦争の主犯と考え、正義において罰さなくてはならないとの考えを固持していました。その心中には兄や父が国王時代にこの二ヶ国と何度も摩擦を起こしていて、プロシアが連邦内で大人しくせざるを得なくなった「オルミュッツの屈辱」など、プロシアに対する過去の「悪行」をもここで償って貰おうとの心情があったものと思われます。

 国王はこの二ヶ国に領土を割譲させ、多額の賠償金を支払わせようともくろんだのでした。

 

 ビスマルクは最初、「理詰め」で国王に迫りました。

「オーストリアはドイツから締め出されたとしても、ヨーロッパというチェスボードの上では強力な駒であり続けるでしょう。そんな状態のオーストリアから領土や多額の賠償金をせしめたら、オーストリアは反プロシアの同士を募って反抗し、それは我が国に深刻な打撃となるでしょう」


 オーストリアはナポレオン三世に対し、オーストリア帝国とそしてその忠実な同盟国ザクセン王国の領土を保全することを和議開始の条件としていました。ナポレオン三世もこの点を強調し、ビスマルクに領土要求を行わぬよう釘を差していました。それに明確な返事こそしませんでしたがビスマルクも両国の領土など眼中にはなかったのです。 

「オーストリアとザクセンが募る反普同盟なるものには間違いなくフランスが参加し、デンマークやスウェーデンすら参加する可能性があります。更に恐ろしいのはクリミア戦争以降バルカン半島で仲違いを続けるロシアと同盟を結ばれてしまったら、プロシアは四面楚歌となりそんな状態ではたとえドイツの盟主となっても将来は暗いものとなりましょう」

 

 しかしヴィルヘルム1世は納得しません。

「オーストリアとザクセンは許すことが出来ないプロシアの敵である。その王家存続は保証するが、この千載一遇の機会に手痛い教訓を与えねば将来痛恨の種になるに違いない」


 国王は特にザクセンがオーストリアをそそのかしこの戦争に至ったのではないかと疑っており、この両国の領土を出来るだけ奪ってしまいたかったのです。


 ビスマルクは「ここで退くことがプロシアに明るい未来を保証します。オーストリアとザクセンは王の寛大な措置に感謝し、プロシア南部は安泰となります」などと反論した後で、ザクセン以外の北ドイツで敵となった諸邦を全て併合することを提案します。

 このことは以前ナポレオン三世も密談で許可している(ビアリッツの密約)し、今度の和議条約案でも「マイン川以北の新連邦」という表現でハノーファー王家やヘッセン選帝侯家などの君主家を廃絶しプロシアに併合することを暗黙の内に了承しています、として国王の領土欲求を満たそうとしました。


 ところがヴィルヘルム1世は意外にもこれには否定的でした。

 なぜなら国王はバリバリの軍人気質であると同時に「王権神授説」の信者であり、血統を重んじる正統主義者だったので、小さな邦領といえども何百年も続く君主を断絶させるという考えには猛反対だったのです。

 国王は犯人であるオーストリアとザクセンが無罪で許され、それを仕方なく「見て見ぬ振りをしただけ」の小邦や不利を承知で「名誉ある戦いを選んだ」ハノーファーのような北ドイツ諸侯が併合・王家断絶という罰を受けるという「正義」に反する決着がどうしても納得出来なかったのです。


 ビスマルクは「オーストリアが納得する条件でなければ間違いなくフランスや場合によってはロシア、イギリスの強力な介入を受け、戦争は続いてプロシアは弱体化し、得られたはずのものまで失ってしまいます」と泣き面で乞願しますが、激怒した国王は執務室から宰相を追い出すのでした。


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