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ブルーメナウの戦い(前)

 7月17日。墺北軍の後退を指揮するベネデック元帥はワーグ(ヴァーフ)渓谷に入ったこの一両日、後退の行軍列が敵に脅かされなかったことで北軍に対し次の訓令を流し、これは18日に行軍の列に達しました。


「スロヴァキアに入って後に敵の妨害はなくなり、行軍が楽に行われるようになったので、北軍は20日を目処に全軍休息日とし、同時に武器資材の調査と補修・補給、兵員の補充・行軍に耐えられない者の排除などに充てること。軍紀・秩序を保つことに最大限留意すること。この後、敵との決戦が予想されるので、この安穏の時間を利用して英気を養い、再び決戦に臨む覚悟をすること」


 しかし、戦況と敵・普軍は北軍の復活を待ってはくれませんでした。


 普第一軍はベネデックの機動で当初、マルヒ川に沿った形で行軍を続けましたが、17と19両日モルトケ参謀総長の命令によりウィーン前面のフロリッツドルフ橋頭堡と対峙し展開することとなり、その一番西側を行軍していた第2軍団(第3・4師団)の左翼に連なるため第3軍団(第5・6師団)がマルヒ川の西河畔で集合し、第2軍団と並ぶためにマルヒ川を離れ南西へと進みました。


 一方、マルヒ川東岸スロヴァキア側を南下したのは第8師団です。


 ルンデンブルク(プジェツラフ)からマルヒ川を渡河しその東岸に移ったホルン中将の第8師団は、そのままスロヴァキア領に入りマルヒ川に沿って南下、マラツカ(マラツキ)を経て20日にスタンプフェン(スツパヴァ)に達します。

 彼らには19日にモルトケよりプレスツブルク(ブラチスラヴァ)を急襲し、東からやって来るであろう墺北軍の後退を妨害するため、その市街地・近郊を流れるマルヒ川の橋梁を破壊する任務が与えられていたのです。


 墺大本営のアルブレヒト親王も、この普軍別動支隊の機動を心配していました。

 ドナウ川を最終防衛線とする墺軍の首都防衛体制は着々と進行し、フロリッツドルフ付近には強力な堡塁や砲台に掩蔽壕が作られ、既にウィーンの北東側には二個軍団(第3、10)の歩兵と四個師団の騎兵が展開して、ウィーン南方からは墺南軍の二個軍団(第5、9)がはるばるヴェネトから行軍し、フロリッツドルフ橋頭堡に割り当てられた陣地に入ろうとしていました。

 しかし、その東側プレスツブルクまでの防衛は未だ弱体で、後備兵部隊がいくつかと騎兵の斥候、そしてモンデール旅団しかありませんでした。

 そしてここに北からマルヒ川に沿って強力な敵が迫っていることは逐一偵察斥候から報告が上がっていたのです。

 

 アルブレヒト親王は今後の展開を示唆するため、16日、ベネデックに充てて書簡を送ります。これは17日になりベネデックの手に渡りました。それによると、

「敵は貴官(ベネデック)のドナウ川に向かう機動を妨害するために動いている。敵がマルヒ川の東岸に当たるゲーディング(ホドニーン)を占領した意は、この後マルヒ東岸に沿ってプレスツブルクを目指し、貴官の東進を防ぐことにあるのは間違いのないところに思う。

 貴官は敵との接触を避けてスロヴァキア中央部を進むとのことだが、別々に行動している貴官指揮下の五軍団(第1、2、4、6、8)を一つにし、積極的に敵と戦えば、北軍は敵の妨害を排除してドナウ川に展開する我が首都防衛線に達することが出来るものと信じている」

 一応自分より上の階級であるベネデックに対して命令の形は取っていませんが、これは正しくベネデック元帥に対しもっと積極的に行動せよと命じているに等しい文面でした。


 ベネデックは20日に休むとの命令を達した後だけに、ばつの悪い思いだったでしょうが、まずは第2軍団に対し電信で次の命令を下します。

「第2軍団はザクセン軍騎兵と共に22日にはプレスツブルクに至るよう行軍速度を上げること。可能ならば一個旅団を付近の停車場から列車に乗せて先行させ、大至急プレスツブルクに至ることが望ましい」

 ベネデックは同時に「本官の本意は、敵の急速な南下に備えるために第2軍団をしてプレスツブルクを防衛することにある」との書簡を副官に持たせて第2軍団長カール・グラーフ・ツーン・ウント・ホーヘンシュタウフェン中将へと送りました。


 これを受けた第2軍団は行軍速度を上げ、20日、トルナウ(トルナヴァ)に至ると列車を用意し、まずはヘンリケッツ旅団をプレスツブルクに送り出しました。先行した第9猟兵大隊と工兵中隊はこの20日夕方に現地へ到着し、追って馬車を用立てた旅団本隊が深夜プレスツブルクに入ります。


 この日、アルブレヒト親王から「猟兵二個大隊でモンデール旅団が布陣する東側の山地(カルパチア山脈の西端)を警戒せよ」との命令が届き、翌21日、ツーン軍団長はトーム、ヴェルテンブルク両旅団から第2、20の猟兵大隊を引き抜き、これを第20猟兵大隊長ペーテルス大佐に統合指揮させ鉄道でプレスツブルクへ送ります。

 第2軍団の本隊は21日遅くにプレスツブルクへ至りました。


 同じ頃、第4軍団も別命を受け、北方や西方からワーグ渓谷に侵入されぬよう防備を固めます。


 19日、第4軍団長大公ヨーゼフ・カール・ルートヴィヒ・フォン・エスターライヒ中将は北軍工兵長ピドル大佐と共に精力的に行動し、ミガヴァ(ミヤヴァ)とクライナ(クライネ)の中間に当たるボボリン(ポドリーン/いずれもピエシュチャニ北西15から25キロ余)を防衛の中心として陣地を構築し始めました。

 この防御用工事は軍団の全力と北軍の工兵部隊、そして現地の工夫によって行われ、23日までに砲台と堡塁が完成し、モラヴィアからワーグ渓谷に侵入する敵を食い止める強力な拠点となりました。


 一方、20日に普・第8師団が到着したスタンプフェンの村に翌21日、オーストリア領のマルヒェックからマルヒ川の浅瀬を渡ってフランセキー将軍の第7師団がやって来ます。

 同日、ハーン将軍の第2騎兵師団もフランセキー将軍の指揮下に加わるよう命じられ、第7師団に代わってマルヒェック周辺に展開しました。

 この第7、8師団と第2騎兵師団が第4軍団を構成することになります(前節参照)。ザクセンに転出したホルン将軍に代わり、第8師団長には第15旅団長で「ポドルの戦い」の勝者、ボーズ少将が就任しました。

 今や本国でも『シュウィープ森の猛者』として喧伝され始めたフランセキー将軍率いる第7、第8師団を中核とする軍団は、追ってマルヒ西岸を南下して来た第一軍直轄砲兵の一部を加え、戦闘員3万強の有力な別動支隊となったのです。

 

 ここで7月21日時点での普墺両軍の配置(ドイツ西方、イタリア、ハンガリー方面や要塞守備を除く)を簡単にさらっておきます。


 墺軍はアルブレヒト親王の指揮下でドナウ右岸クレムス(・アン・デア・ドナウ)からハインブルク(・アン・デア・ドナウ)に至る間及びフロリッツドルフ橋頭堡に移動中を含め四個軍団(第3、5、9、10)と騎兵四個師団(第1軽、予備第1、2、3)そしてザクセン歩兵第1師団が展開しウィーン防衛線を築いています(戦闘員およそ15万)。

 スロヴァキア内ワーグ渓谷では三個軍団(第1、6、8)とザクセン歩兵第2師団、墺第2軽騎兵師団がプレスツブルクへ急進中、その援護として、ワーグ渓谷の北西から西にかけて二個軍団(第2、4)と一個旅団(モンデール)そしてザクセン騎兵師団が陣を敷くために奮闘中でした。


 一方の普軍は、本隊として歩兵十個師団(第3、4、5、6、11、14、15、16、近1、近2)、騎兵師団一個(第1)がマルヒ川西岸からツァーヤ川とルッス川の間でフロリッツドルフ橋頭堡に対陣(戦闘員およそ13万)し、その左翼(東)では歩兵二個師団(第7、8)騎兵一個師団(第2)がマルヒ川東岸シュタンプフェンと西岸マルヒェック付近にあり、プレスツブルクを目指していました。

 歩兵二個師団(第9、10)騎兵一個師団強(ハルトマン師と第二軍騎兵)はマルヒ川上流のストラツスニッツ(ストラージュニツェ/モラヴィア領)とスカリック(スカリカ/スロヴァキア領)の間をワーグ渓谷目指して南下中、墺北軍を追っています。

 その北では歩兵二個師団(第1、2)がオルミュッツ要塞の監視にあり、更に北では歩兵一個師団(第12)がボヘミア南部二要塞(ケーニヒグレーツ、ヨセフシュタット)の監視にありました。

 他に予備軍団の二個歩兵師団はローゼンベルク師団がパルドゥヴィッツに、ベントハイム師団がプラーグにあり、本軍と合流するため南下に備え準備を急いでいます。

 また独立部隊のうち、クノーベルスドルフ少将支隊はシュレジエンから来た一個連隊(第63連隊)を加えて旅団規模となり、ホーヘンシュタット(ザーブルジェ/モラヴィア領)でモラヴィア占領地に睨みを利かしていました。

 もうひとつの独立部隊である旅団規模のストルベルク少将支隊は、墺軍守備隊が籠城中のクラコウ要塞を牽制しながらオーヴェル=シュレジエン(現在のポーランド・シロンスク県)を南西に進み、戦争が長期化した場合にハンガリー首都ブダペストへ向かう攻勢発起点とするため、テッシェン公国(墺軍司令官アルブレヒト親王の国)を占領しました。


 このようにドナウを挟んで普墺合わせて30万近くの将兵がにらみ合う中、そのドナウ川とマルヒ川が合流するプレスツブルクの北、ブルーメナウ(ラマチ)の村は、この戦争における墺軍最後の戦闘地として戦史に名を残すこととなるのです。


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