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フロリッツドルフ橋頭堡を目指して

 墺軍の集成騎兵軍団は8日に北軍から分割されると長駆ウィーン目指して行軍し、その間、主に普エルベ軍前衛部隊に幾度も接触されます。

 戦い自体は小さいとは言え、気の滅入るような後退戦を数多く繰り返しましたが、遂にそれも終わる時が来ました。


 7月16日。軽騎兵第1師団の前衛、フラトリクセヴィックス旅団は、墺大本営が用意したウィーン市街の野営地、プラーター公園に到着しました。

 この旅団を最初として騎兵軍団は続々とドナウを渡河してウィーン郊外に到着し、墺軍司令官アルブレヒト親王が構築を急がせているドナウ川を背後にした正に背水の陣、ウィーン防衛の『フロリッツドルフ橋頭堡』の一角を成すことになります。この日は前衛に続いて軽騎兵第1師団が野営地に至りました。


 17日。普エルベ軍は大本営からの命令通り進路を南西に取りながらドナウ川を目指してオーストリア領内を進撃し、その先鋒の一部であるフォン・バッハ大佐率いる支隊(歩兵一個大隊と騎兵二個中隊、砲2門)はフロリッツドルフの北北東24キロにあるガウネルスドルフ(ガウヴァインシュタル)に達し、ここで陣を敷いていた墺騎兵軍団・予備騎兵第1師団の後衛、第4胸甲騎兵連隊と接触、戦闘が始まりました。この戦いは小戦力同士の「いざこざ」とはいえ5時間にも及び、最後は墺軍が普軍を押さえ切り、普軍は退却に転じます。犠牲者は普軍に1名でした。


 18日。墺軍の予備騎兵三個師団は全てプラーター公園野営地に至ります。

 騎兵たちは六月下旬からの果てしない長駆行軍と戦いの連続に疲れ果てており、自国の首都まで来た安心感も相まって直ぐには防衛の用を成さない状態でしたが、数日間の休養で見違えるようになります。

 24日には全ての騎兵が防衛線に差配され、モラヴィアから騎兵たちを無事ウィーンに連れ帰るという大任を見事に成し遂げた集成騎兵軍団は解散されました。

 軍団長のホルシュタイン公、予備騎兵第1師団長のソルムス将軍はそれぞれ元の師団長、旅団長に復帰します。この世界に名高い東欧騎兵の伝統を受け継ぐ墺軍のエリートたちは、首都防衛とケーニヒグレーツの雪辱を固く心に誓うのでした。


 一方の普軍大本営は17日、皇太子の第二軍から墺北軍がマルヒ川西岸を南下せず、東岸を南下してスロヴァキア領に入りつつあることを知らされます。

 ベネデックがウィーンへの最短距離であるルンデンブルク(プジェツラフ)を見捨てたことで再び普軍の行軍に混乱が生じました。

 モルトケは直ちに作戦を練り直し、この日各軍へ次の命令を発しました。


『我が普軍はドナウ川に到達することを第1の行軍目的とする。しかし最終の目標がウィーンとなるかプレスツブルク(ブラチスラヴァ)となるかは現在のところ定かではない。

 エルベ軍はブリュン=ウィーン街道を進み続けること。

 第一軍はマルヒ川の両岸に沿って南下、その間の諸橋を占領すること。橋が破壊されている場合はこれを修理すること。また、敵のウィーンまたはプレスツブルクへの行軍を発見した場合は直ちに攻撃し、敵の後退を妨害すること。

 第二軍はオルミュッツ監視の部隊以外、全軍ニコルスブルク=ルンデンブルク間に集合し、先発するエルベ軍・第一軍を追って南進すること。

 第一軍・エルベ軍は両軍の連絡を密に取り合て並進し、ドナウ川に近付く辺りで進撃速度を緩めて第二軍が追いつくのを待つこと。

 万が一敵が積極的に撃って出て、ウィーンやプレスツブルクからやって来た場合、全軍集中して敵に対抗し、各軍特に前衛を強化して事に当たること。

 エルベ軍は明日18日、ヴィルファースドルフ(ミステルバッハ北東5キロ)に集まり以降の命令を待て。

 第一軍は一個師団を選びマルヒ川を南下させ諸橋を占領、プレスツブルク近郊まで進撃すること。その後は占領した橋の状態により命令する。 参謀総長モルトケ』


 しかしこの命令は伝達が遅れて17日中には届かず、各軍はそれぞれ前日の行動を続行し、普大本営の目論見より位置が東にずれてしまったため、この17日発令の命令実行は困難となってしまいました。


 エルベ軍だけは前述の通りバッハ支隊がガウヴァインシュタルで敵と交戦、後退したものの、軍の集合地に指定されたヴィルファースドルフは落とします。

 第一軍はマルヒ川沿いに墺北軍がやって来るものと信じて南下し、プリンツェンドルフ(・アン・デア・ツァーヤ)とホーエナウ(・アン・デア・マルヒ)までの線上に達しました。

 同じ頃、第二軍の近衛と第6の二個軍団はブリュン市街に入城します。


 明けて18日、普大本営は前進してニコルスブルクに至り、国王はその城館に司令部を構えました。


 現在はミクロフと呼ばれるこの街はモラヴィア=オーストリア境界にあり、20世紀初頭まではカソリック巡礼の聖地として、またユダヤ人が数多く居住する地区として有名でした。

 ミクロフの城館は最初13世紀に建てられ、その地理的な位置とユダヤ人居住区にあることで歴史に翻弄され、幾度も戦災や天災による破壊と再建を繰り返し、18世紀には火災による焼失後バロック様式で再建され、これが普墺戦争当時の姿でした。しかし当時の建物も第二次大戦末期、ユダヤ人の多く住んでいた町と共にドイツ軍により破壊されてしまいます。

 現在の美しい姿は戦後復元されたもので、ヴィルヘルム1世とビスマルクが激論を戦わせた王の執務室などが忠実に再現されているそうです。


 同18日、第一軍の本営はホーエナウに進み、部隊はマルヒ川に沿って更にオーストリア=スロヴァキア境界線を南へ下りました。

 第二軍は墺北軍を追ってモラヴィア=スロヴァキア境界の山岳地帯からスロヴァキア側の渓谷へ侵入しつつあり、第一軍の東に並ぶ形が出来つつありました。


 19日。普大本営は第一軍にスロヴァキアのマラツカ(マラツキ)とオーストリアのガウネルスドルフを結ぶ線上で停止するよう命じた後、改めて第一、第二、エルベの各軍に対し以下の命令を発します。


『大本営の意図は、最終的に全軍がルッス川(ヴァイデン川支流)河畔に集中することにある。

 エルベ軍はヴォルカースドルフ(・イム・ヴァインフィーアテル)付近、第一軍はドイチュ=ヴァーグラム付近、第二軍は予備となりシェーンキルヘン(ゲンゼルンドルフ北西4キロ)付近に、それぞれ集中する事を望む。

 この戦線を構築し、現在フロリッツドルフ橋頭堡にいる15万の墺軍が出撃する場合に備えるべし。敵が動かない場合は、フロリッツドルフ周辺に偵察を行った後に橋頭堡を攻撃するか、またはウィーンに対して監視の一個軍団を編成し残りの全軍で墺北軍が向かっていると思われるプレスツブルクに向かうか、どちらかの作戦を行うので留意せよ。

 本日(19日)既に目的地に達している部隊、即ち第2軍団(第3、4師団)、第6師団、騎兵軍団及び各部隊前衛は、明日20日ヴァイデン川沿いのガウネルスドルフ=ヴァイケンドルフの線まで進み、後続部隊の到着を待つこと。同時にその前方に斥候を出し、警戒を怠ることがないようにすべし。

 第一軍はプレスツブルク近郊に対し奇襲を行い、その地にあるマルヒ川の各橋梁を破壊すること。また、後方の警戒としてホリク(ホリッチ)に残留する第5師団は彼の地の情勢を見てこれを召還すること。

 第二軍は、近衛と第6の両軍団をルンデンブルクあるいはニコルスブルクを経て前進させ、エルベ・第一両軍の後背に到達させること。第5軍団も数日以内にこれを追うよう調整し、後を追うこと。

 第一予備軍団も形勢に従いプラーグ、パルドゥヴィッツより前線へ進むことが望ましい。 参謀総長モルトケ』


 翌20日には遙か北方ザクセン王国首都ドレスデンからプラーグを経てパルドゥヴィッツ、ブリュン、そしてルンデンブルクに至るボヘミア=モラヴィア鉄道本線の補修、そして一部新設が完成しました。

 これで物資の補給と後方よりの人員補充が格段に改善された普軍は、さっそくドレスデンでフロリッツドルフ橋頭堡攻撃用に待機していた12ポンド野砲50門を前線に向け送り出しました。


 この20日、モルトケの命令通りエルベ軍と第一軍の本隊(第2、第3軍団)はヴァイデン川のラインに到達しました。第一軍の前衛はドイツェ=ヴァーグラム近郊に達します。

 ウィーンの北東15キロにあるヴァーグラムはナポレオン戦争の「バグラムの戦い」として有名な会戦地です。この会戦は奇しくも、墺軍司令官アルブレヒト親王の父で当時の墺軍総司令官カール大公最後の戦いで、1809年、大公はこの地でナポレオンのフランス軍に破れ責任を取り引退、墺帝国はフランスに屈服したのでした。

 

 同じ20日、スロヴァキアへ南下した墺北軍を追う第5軍団はアルトスタット(スタレー・ムニェスト)からウンガリッシュ=フラデシュ(ウヘルスケー・フラジシュチェ)に到達し、第5軍団の指揮下に入った第二軍の騎兵軍団(ハルトマン騎兵師団を中核とする第二軍の騎兵を集成した応急部隊)はオストラ(オストロ)に至ります。その上級司令部である第二軍本営はアイスグリューヴ(レドニツェ)まで前進しました。第一軍に追随するよう命じられた近衛・第6の軍団はオーストリア境界に達します。


 21日は第一軍とエルベ軍にとっては待機の日となり、前日に到達したドナウ川を遙かに望むヴァイデン河畔に止まりました。ただ独り第5師団は命令により留まっていたホリッチから転進、マルヒ川右岸シュティルフリートからオラースドルフ付近で第6師団に追い付き、再び第3軍団を組みました。

 このヴァイデン川に陣を敷いた部隊は国王が親率する「決戦の時」まで待機を命じられ、敵の奇襲に対応するため警戒態勢に入りました。


 この21日、シュタンプフェン(スツパヴァ/マルヒェックのスロヴァキア側マルク川対岸)では第7師団が第8師団に追い付いて第4軍団となり、先任士官で第8師団長のホルン将軍がザクセン占領軍の実働部隊を率いる司令官へ転出したため、第7師団長のフランセキー将軍は両師団に軍直轄砲兵の一部とハーン将軍の騎兵第2師団をも統率する第4軍団長となりました。

 第二軍の各部隊もスローペースですが南下を続け、その先頭はヴァーフ渓谷の入り口で一昨日まで第5師団のいたホリッチに入ります。

 

 こうして普軍はフロリッツドルフ橋頭堡を右翼に睨みつつマルヒ川の両岸を制しながら南下を続け、後数日でマルヒ川がドナウ川に合流するプラスツブルク郊外に達しその渡し場や橋梁を奪う勢いでした。


 ところで、墺北軍は一体どこに行ったのでしょうか?

 17日から21日にかけて、墺北軍は自軍の輜重部隊を先にマルヒ川の遙か東、普軍から行軍差一日ほど離れたスロヴァキア中央、ヴァーフ川が作る渓谷の隘路をひたすら南進していました。彼らはテルナウ(トルナヴァ/ブラチスラヴァ北東45キロ)に達したならば川沿いに大きく時計回りに旋回してプレスツブルクを目指すことになっていました。

 そのプレスツブルク到着は24から27日になりそうな気配で、ベネデックの本営は20日、ようやくのことで「小さなローマ」と呼ばれる美しいテルナウの町に到着しています。


 つまりこの20日前後でマルヒ川沿いを南下する普第一軍の前に立ちはだかる部隊はマルヒェック近郊のマルヒ川沿岸に陣取るモンデール旅団ただ独りだけだったのです。


 しかもモンデール旅団は、非常に損耗が激しい状態へと陥っていたのです。

 この戦争で勇名を馳せたガブレンツ将軍麾下の第10軍団で、あのトラテナウ戦以来常に先鋒を勤めて来たモンデール旅団はこの時、定員の6700名に対し士官123名、兵員4464名と、将兵共におよそ三割の定員割れを起こしていて、配備されていた将兵の内訳も、その半数以上が補充の後備兵や新兵だったのです。


 遡ること17日。墺大本営はフリードリヒ・モンデール大佐に対し、マルヒェック鉄道橋、ノイドルフ大木橋の両橋梁を破壊しブルーメナウ(ラマッチ/ブラチスラヴァの北西郊外)に後退、多方面に斥候を出して警戒せよ、と命じています。

 これに対しモンデール大佐は斥候騎兵が足りないので二、三個中隊の騎兵増援を求め、結果19日に槍騎兵第9『メンスドルフ伯爵』連隊がプレスツドルフより到着し、大佐の指揮下に入り斥候に、砲兵護衛にと活躍し始めます。


 破壊を命じられた二つの橋は18日朝、プレスツブルクから派遣された工兵の手で爆薬が仕掛けられ、マルヒ川に落とされる手筈が整いますが、この時、マルヒ川は水量が減り始め所々に浅瀬が出来ていて、橋が無くとも軽装の歩兵なら自力で渡河出来る状態になっており、破壊は無駄と考えた大佐はウィーンのアルブレヒト親王に破壊の猶予を求めます。しかし親王は頑なまでに即座の破壊を求め、大佐も従って両橋は18日夕方破壊されました。

 ほぼ同時刻に旅団はブルーメナウ近郊に移動し布陣、野営を始めています。この地で旅団は補充を受け、少しでも疲労を回復しようと兵士たちは体を横たえるのでした。


 19日、普軍はマラツカ(マラツキ)を占領し、マルヒェックにも侵入してそこにいた墺軍の哨兵を駆逐しました。またモンデール大佐の下には、落とされたアンゲルンの橋を普軍工兵が修理し始め、その付近、これも徹底的に破壊したデュルンクルートの渡船場も整備し始めた、との騎兵斥候報告も上がってきます。

 大佐はいよいよ敵のプレスツブルクに向けての機動が始まったと見て、敵が予想以上に早く襲ってくれば補充と休息がままならない現在の旅団戦力では阻止することが困難と考え、プレスツブルクに向けて増援の要請を行いました。


 プレスツブルクの地区駐在司令官、フォン・アースバース少将は大佐の要請を受けるや積極的に動き、手元にあった槍騎兵連隊二個、予備砲兵四個中隊(定数より少ない16門)、更にプレスツブルクに入りつつあった墺北軍の補充兵1200名にこの後行われるであろう戦闘後に備えたモンデール旅団用の補充兵600名を付けて送り出しました。


 しかし、やって来た補充兵や後備兵の質は最悪で、それを見抜いたモンデール大佐は大いに落胆します。大佐は役に立ちそうな二個の槍騎兵連隊(第2『シュヴァルツェンベルク』連隊と第6『フランツ=ヨーゼフ皇帝』連隊)だけを受領し、自部隊用の補充兵を含め足手まといになりそうなそれ以外の部隊をアースバース将軍の下へ送り返すのでした。

 


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