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アルブレヒト親王、総司令官に就任す

 普軍が敗走する墺北軍を追い切れず、オルミュッツの要塞付近に取り逃がしたのは、当然ながらケーニヒグレーツの勝者である彼らの側にも大きな損害があったこと、戦闘による兵士たちの疲弊と弾薬・糧食の補給を必要としたため、進撃を停止するしかなかったのが最大の理由ですが、補給態勢・通信連絡・そして軍内部の事情も大きな理由として上げられます。


 ボヘミアの最南部にあたるケーニヒグレーツに進撃する直前までは、普軍の補給は順調に行われ、鉄道を活用し大量の物資がゼクセン領内やボヘミアの東側に伸びるシュレジエン地方からボヘミアとの国境付近までスムーズに輸送され蓄積されて、前線までの数十キロを荷馬車などで輸送されて行きました。

 ボヘミア領内にも鉄道はありましたが、戦場付近ではその路線はわずかで、墺軍の撤退により当然ながら各地で破壊されており、また主要な路線は全てプラーグ方面から南側に伸びていて、今回の戦場となったその北東や東には鉄路はほんの数本しか存在しませんでした。

 普の軍部と政府はボヘミアの首府、プラーグとザクセン王国のドレスデンとを結ぶ路線の強化を墺側が図るよう、かなり以前から外交工作を行っていましたが、部分開通していたこの路線も戦中は分断されて普軍が利用するまでには至りません。


 モルトケは開戦前からこの状態を憂いており、開戦後にはボヘミアの占領地に素早く路線を設置し、また既成路線の複線化を急がせようとしましたが、優秀なプロシア鉄道省の労力と技術をもってしてもわずか数週間で百キロ以上の鉄路延伸など不可能でした。

 また、エルベ川に沿って敷設されていた路線の復旧や増設も、普軍の急速な移動に追いつくことが出来ず、補給状態は既にギッチンの戦い辺りから悪化していました。


 ボヘミアの北部、普軍の占領地の主な街道は南へ向かう輜重の一大縦列で埋まり、ただでさえ少ない街道も野戦部隊の往来や補充人員の戦地向け行軍に優先順位があったため常に渋滞し、物資の輸送は滞り始めていました。

 また、プロシア国内も民需の運行を邪魔しないようにスケジュールを定めていた参謀本部の鉄道部が臨戦態勢によって軍需を優先し、また、戦前まではダイヤを的確に定めていた主任運行官がボヘミア行きの貨物列車を優先したため、6月末頃からプロシア国内でも鉄道の運行は麻痺状態に近いものとなってしまいました。


 ケーニヒグレーツの大会戦により物資弾薬の前線備蓄は底を突き、野戦部隊は一昔前の現地調達で物資の補給を賄うしかありませんでした。これによってボヘミアの人々の艱難辛苦は増し、普軍は敵地住民の反抗に備えるため後備の兵力を増強せねばならず、全線への補充兵の移送も必要数を充足することが難しい状態に陥り始めます。


 電信の活用も敵地では制限が多く、プロシア国内より圧倒的にインフラ整備の遅れたボヘミアでは既設電信線もわずかで、鉄路と同じく各地で寸断され、その復旧も新設も戦場の急速な南下に対応出来ず、ギッチン戦後はほとんど前線への通信連絡は騎馬伝令や郵便輸送に頼るしかありませんでした。


 また、戦前あれだけ訓練し頭に叩き込んだはずの「参謀本部主導」「委任命令」方式の戦術も、いざ実戦に臨んだ指揮官たちが疑心暗鬼に陥ってモルトケの戦略を理解せず、慎重な行動や命令無視が横行し満足な結果を生み出すことが出来ませんでした。

 これにはモルトケが腐心した参謀本部の非政治化や匿名性が逆効果となって現れ、モルトケ自身、世間では無名で軍部内においても野戦で名をなした訳では無かったため、ある師団長はモルトケを知らず、命令書にある国王御名の添署名にある「モルトケ」の名を見て自らの参謀長に「このモルトケとは一体誰だ」と尋ねた、という逸話が残る程度の存在だったこと*(注)も理由として上げられるでしょう。


 普軍が墺軍に対し圧倒的な戦いを見せたのは、将兵自体の戦闘能力や単一民族中心の軍隊、ドライゼ銃やクルップ後装砲などの新兵器活用が主な理由であり、モルトケが重視していた「参謀本部主導」「電信・鉄道の活用」などの新機軸は、この普墺戦争においては最初の動員時に効果を発揮しただけで終わった、と言っても過言ではないと思われます。


 ケーニヒグレーツ後の普軍が、それまでの進撃の勢いを保持出来ず、逃げる墺軍より相当遅い進撃となったのには以上の理由があったのでした。


 この補給線が伸び切り麻痺した状態で更に南下を続ける普軍に対し、墺軍も反抗に転ずるかと言えばそうではなく、すっかりやる気を失ったベネデックに率いられた北軍は、自分たちの首都とは逆方向にある要塞へ逃げ込むだけでした。このまま手を拱いていては、普軍のウィーン進撃が現実味を帯びてしまいます。


 墺帝国首都ウィーンの陥落は即ち帝国の崩壊を意味しかねません。この数年、ボスニアやクロアチア、イタリア辺境などで内紛が相次ぎ、自由主義者や民族主義者の目立っています。元よりハンガリーでは独立を求める声が大きく、次第に無視出来なくなりつつある状況にありました。

 また、ハンガリーの東に国境を接するルーマニア公国は虎視眈々とトランシルバニアを始めとする国境地帯を狙っており、万が一の場合は住民の反抗も考えられるハンガリー東部に展開する墺東軍からは兵力を抽出出来ません。


 帝国の現状維持には休戦交渉と講和に託するしか手がなかったのです。 

 しかしフランスが仲裁に乗り出したのも、建前から言えばおかしな話です。

 普墺両国ともこの戦いは「ドイツ連邦」というひとつの国家連合内での「内紛」であり諸外国の介入は内政干渉に当たる、として開戦前両国とも諸外国に対し表面上は中立を願ったものでした。

 イタリアとの戦争は、普国との戦争とは別の戦争(イタリアも「第三次統一戦争」と言っていました)として、イタリアとのみの休戦、そして講和を考えていた墺政府でしたが、野心家のナポレオン三世は普をも巻き込む講和でなければ、と条件を突きつけました。

 従って、普国とすればナポレオン三世の仲裁は「ドイツへの内政干渉」として拒絶の理由となったのです。


 8日に墺発案の休戦を普軍が拒絶したことで、伊政府も仏の仲裁をひとまず拒否としました。お互い相手が戦い続けるなら片方も戦う、という普との秘密協定条項もありますが、このまま普軍がウィーンに入城して墺帝国が崩壊すれば、南チロルやダルマチア(現クロアチアのアドリア海沿岸)も手に入れられるだろう、そうした読みがあったのです。

 伊軍は再びポー川南岸に兵力を集め、今は仏領とされているものの実質墺が支配するヴェネトへの侵攻を企てました。


 こうなっては墺政府も戦うしかありません。彼らは徹底的にこの戦争を戦い抜くことに決し、その準備を急速に進めました。


 伊との戦いは、ヴェネトにおいてはイゾンツォ川河畔と四角要塞地帯で、チロル地方ではアルペン(アルプス)山脈によって敵を長期に渡り拘束することが可能であり、要塞守備隊と山岳猟兵をはじめ精鋭を少数残すだけで何とかやりくり出来るはずです。

 しかしケーニヒグレーツが抜かれ、ボヘミア(独名ベーメン)地方からモラヴィア(同じくメーレン)地方に戦場が移り、その中心都市ブリュン(ブルノ)に迫っている普軍との戦いは一刻を争う手立てが必要です。


 これに対し政府・軍首脳は、南軍からの二個軍団と、北軍から二、三個軍団を引き抜いてドナウ橋頭堡防衛に当て、残りの北軍がオルミュッツからドナウ川で戦う普軍後方から挟み撃ちにする「夢のような」作戦を思い描いていました。

 しかし普軍の実力を甘く見ているこの作戦では大敗必至と見た南軍司令官、アルブレヒト・フリードリヒ・ルドルフ・フォン・エスターライヒ=テシェン親王大将は北部方面の戦いを憂い、7月9日、軍・政府に対し「現在使用可能な全帝国軍をドナウ川橋頭堡に集中させ、首都防衛に当たるべきである」との建議をします。


 この建議により政府首脳も考えを改め、オルミュッツにいる北軍全てをウィーン北方に集合させることに決しました。

 この9日、墺軍大本営は北軍本営のベネデック元帥に対し、既にウィーンに向かった第10軍団の他にもう一個軍団を送るべし、と命令、ベネデックは渋々第3軍団を鉄道で11日に送る、と回答しその準備を命令しました。翌10日には続いてザクセン軍団もウィーンへ、との命令が下り、さらに重ねて要塞守備隊と少数の野戦守備隊を残し全軍オルミュッツを離れウィーンに向かうべし、との勅命が下りました。これにより要塞都市周辺では大忙しの行軍準備となります。


 既に普軍が迫っており、いつまで鉄道が使えるか分からなくなっていました。先行する第3とザクセンの両軍団を除く各軍団は出来る限り鉄道を使って移動し、それが叶わなければマルク川東岸まで徒歩行軍してウィーンへ向かうことになります。

 ベネデックは尚もオルミュッツに拘り、二、三個軍団を要塞に残すべき、と建議しますが墺政府は既にベネデックを見限っており、その意見は即座に拒絶されてしまいます。


 7月10日。墺皇帝フランツ・ヨーゼフ一世は帝国民に対し勅諭を発します。その要旨は「朕は北軍がよく戦い奮戦したことを知っているが、普はこれを破ってボヘミアを占領し、今や首府に迫る勢いとなっている。仏皇帝に和議の仲介を願ったが、仏皇帝の和議仲裁も普国王は拒絶した。ここに至っては徹底抗戦するしか手がない。臣民は発起してこの帝国最大の危機を乗り越えなくてはならない」

挿絵(By みてみん)

フランツ・ヨーゼフ一世(1865年)

 7月11日。第3軍団の将兵が鉄路ドナウ橋頭堡に向かった頃、墺大本営は勅命を発し、墺全軍の指揮権を現・南軍司令官アルブレヒト親王大将に委ねる、とします。

 もはや帝国軍の指揮を担う人材は親王を除いて他にはいない状況でした。

 アルブレヒト親王は信頼する参謀長フランツ・フォン・ヨーン少将を連れ、南軍を唯一強力な野戦軍として後に残る第7軍団の司令官マローシッチ将軍に委ね、12日ウィーンへ向かいました。

挿絵(By みてみん)

ヨーン

 翌13日、ウィーンに帰還したアルブレヒト新総軍司令官は、皇帝から全軍の指揮を泰然と拝命したのち、直ちに「軍令第一号」を発しました。


 「不肖アルブレヒト、皇帝より全軍の指揮を拝受し本日就任した。北軍南軍の将兵、そして忠勇なるザクセン軍将兵に告げる。全軍一心同体となりこの困難に当たって欲しい。(北軍・ザクセン軍将兵は)今や一層の勇気と忠義をもって敵と戦い大勝し、前戦の恥辱を雪がんことを願う。勝利はそれを強く願い奮進する者に訪れる。果敢に敵と当たることにより自ずと道は開けるであろう。帝国民の安寧を願って我ら帝国軍人に全てを委ね、正道に輿ずる皇帝を篤信せよ。全軍、勇気と気力を振り絞り戦いに臨んで欲しい」(重要部分のみ。筆者意訳)


 ナポレオン1世に勝利した父を持ち、皇族軍人でもその軍事的才能では一、二を争う親王の、帝国の行く末を憂う正に檄文と言えるでしょう。

挿絵(By みてみん)

アルベルト・フォン・テシェン

 この日より八月に至るまで、水面下で続く和平交渉とは一線を画し、ウィーン市とその近郊は驚くほどの勢いで要塞化し、墺政府は各地で義勇兵を徴募し、また住民を後備兵として追加徴兵、たちまち数十万の軍勢を増加させ、強敵、普王国の軍隊に対抗して行くのでした。



*注 この師団長とはケーニヒグレーツ戦で第5、第6師団を統括指揮したグスタフ・フォン・マンシュタイン将軍で、7月2日午後に届いた作戦命令を見て「中々良く出来た作戦命令書だが、このモルトケとは一体誰かね?」と傍らのラウツ参謀に尋ねたという逸話を残しました。 


1866年7月13日墺軍の序列※東軍を除く


☆北軍本体(在オルミュッツ)

・第1軍団 15,027 砲42

・第2軍団 22,498 砲80

・第4軍団 17,146 砲46

・第6軍団 15,875 砲60

・第8軍団 18,884 砲70

・軽騎兵第2師団 2,696 砲13

・軍直轄砲兵 10個中隊 砲53

総計 92,126 砲364


☆オルミュッツからウィーンへ移動中

・第3軍団 21,324 砲49

・ザクセン軍団 19,930 砲57

総計 41,254 砲106


☆ブリュンからウィーンへ移動中(騎兵軍団)

・軽騎兵第1師団 2,000 砲24

・予備騎兵第1師団 2,000 砲16

・予備騎兵第2師団 3,400 砲16

・予備騎兵第3師団 2,000 砲16

総計 9,400 砲72


☆ウィーン郊外に駐屯

・第10軍団 16,700 砲56

※但し以下の旅団を除く

・モンデール旅団(在モラヴィア/ルンデンブルク)6,000 砲8


☆ヴェネトからウィーンへ移動中

・第5軍団 25,234 砲48

・第9軍団 31,233 砲64

・プルツ騎兵旅団 1,380 砲8

総計 57,847 砲120


☆北部要塞守備

・オルミュッツ要塞 11,617 砲8

・クラコウ要塞 11,485 砲16

・テレージエンシュタット要塞 8,325 砲8

・ヨセフシュタット要塞 6,130 砲8

・ケーニヒグレーツ要塞 3,386 砲0

総計 40,943 砲40


☆南部要塞守備

・ヴェローナ要塞 17,103 砲16

・ペスキエラ要塞 3,682 砲5

・マニトバ要塞 6,573 砲0

・レグナゴー要塞 1,693 砲0

・ヴェネディグ要塞 9,208 砲8

総計 38,259 砲29


☆対イタリア野戦軍

・チロル兵団 17,152 砲32

・第7軍団 27,773 砲62

☆ダルマチア駐屯部隊 8,815 砲16


※他に補充要員として一個連隊に対し約二個補充中隊、一個猟兵大隊に対し二個補充中隊がオーストリア全域にあり、多くは集成旅団に臨時編成された。


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