附録*オーストリア北軍戦闘序列
墺北軍戦闘序列1866年6月15日
総司令官 ルートヴィヒ・リッター・フォン・ベネデック元帥
軍参謀長 男爵アルフレッド・フォン・ヘニックシュタイン中将※7/3~バウムガルテン少将
作戦主任参謀 ギデオン・リッター・フォン・クリスマニク少将※7/1罷免
軍砲兵総監 親王大公ヴィルヘルム・フランツ・カール・フォン・オーストリッチ中将
工兵長 男爵フランツ・カール・フォン・ピドル・ツー・クインティンバック大佐
庶務局長・侍従武官 フェルディナント・クリッツ少将
総務監督 アロイス・ポコルニー・エデラー・フォン・フュルステンスシルド中将
○第1軍団(歩兵35個大隊33,375名・騎兵4個中隊と1個小隊・砲80門)
軍団長 伯爵エデュアルド・グラーフ・クラム=グラース『騎兵将軍』(GdC。歩兵中将よりやや格上)※7/1更迭
軍団付将官 伯爵レオポルト・グラーフ・ゴンドルクール少将※7/2軍団長昇格
参謀長 男爵エデュアルド・フォン・リッツェルフォーフェン大佐
砲兵長 ヨハン・ワイセル大佐
☆ポシャッハー旅団(6,681)
旅団長 フェルディナンド・ポシャッハー・フォン・ポシャッハ少将※7/3戦死
・猟兵第18大隊(986)ホーフェンドルフ中佐
・歩兵第30『マルチーニ男爵』連隊(2,903)バーゴウ大佐※7/3戦死
・歩兵第34『プロシア』連隊(2,789)スチュヴァルトフューラー大佐
・砲兵第1連隊第5中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ライニンゲン旅団(6,942)
旅団長 伯爵ヴィクトール・グラーフ・アルト=ライニンゲン=ヴェスターブルク少将
・猟兵第32大隊(998)プロハスカ中佐
・歩兵第33『ギューライ伯爵』連隊(2,513)ツェッブス大佐※7/3戦死
・歩兵第38『ハウクィッツ伯爵』連隊(3,027)フュルガントナー大佐
・砲兵第1連隊第4中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ピレー旅団(6,546)
旅団長 男爵ルートヴィヒ・ピレー・デ・ビハイン少将
・猟兵第29大隊(964) ハーマンシュタール中佐
・歩兵第18『コンスタンチン大公』連隊(2,934)キルヒベルク大佐
・歩兵第45『ジギスムント大公』連隊(2,643)リッパー大佐※7/3戦死
・砲兵第1連隊第6中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆リンゲルスハイム旅団(6,687)
旅団長 ヨーゼフ・リンゲルスハイム少将※7/1~第3軍団付将官へ異動
・猟兵第26大隊(1,036)バニッツァ中佐
・歩兵第42『ハノーヴァー』連隊(2,828)レインハートシュタイン大佐
・歩兵第73『ヴェルテンベルク』連隊(2,820)バーンニス大佐
・砲兵第1連隊第2中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆カリク旅団(6,496)
旅団長 アントン・リッター・フォン・カリク少将※病気更迭・6/末~ビンセンツ・フォン・アベル大佐
・猟兵第22大隊(960)シラー中佐※7/3戦死
・歩兵第35『ケーベンフューラー伯爵』連隊(2,910)バイロウ大佐
・歩兵第72『ラミンク男爵』連隊(2,625)スパッツァー大佐
・砲兵第1連隊第3中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆驃騎兵第2『ニコラウス大公』連隊(第2、3、4、5中隊・590騎)クーンリット大佐
☆第1軍団砲兵隊(40門)
・砲兵第1連隊第7・8中隊(4ポンド騎砲16門)
・砲兵第1連隊第9・10中隊(4ポンド歩兵砲16門)
・砲兵第1連隊第11中隊(ロケット砲8門)
☆工兵第2大隊第1中隊
☆軍団野戦弾薬廠
☆他補給段列、野戦病院など
○第1軽騎兵師団(騎兵30個中隊4,604騎・砲24門)
師団長 男爵レオポルド・フォン・エデルスハイム少将
参謀長 男爵ワルドステッテン少佐
☆アッペル旅団(1,531騎)
旅団長 男爵ヨハン・フォン・アッペル大佐(槍騎兵第4連隊長)
・竜騎兵第2『ヴィンデッシュグレーツ公爵』連隊(第1、3、4、5、6中隊・775騎)ヴィンデッシュ=グレーツ大佐
・驃騎兵第9『リヒテンシュタイン公爵』連隊(第1、3、4、5、6中隊・749騎)ペヤツェヴィッチ大佐
・砲兵第11連隊第4中隊(4ポンド騎砲8門)
☆ワリース旅団(1,532騎)
旅団長 伯爵オリヴァー・グラーフ・ワリース・アウフ・チャリクマン大佐(驃騎兵第14連隊長)
・竜騎兵第1『サヴォイェン』連隊(第1、2、3、5、6中隊・783騎)ベランド大佐
・驃騎兵第10『プロシア』連隊(第1、3、4、5、6中隊・793騎)ヴィンデネック大佐
・砲兵第11連隊第5中隊(4ポンド騎砲8門)
☆フラトリクセヴィックス旅団(1,525騎)
旅団長 伯爵イグナス・フォン・フラトリクセヴィックス少将
・驃騎兵第5『ラデツキー伯爵』連隊(第1、2、4、5、6中隊・761騎)シモニィ大佐
・驃騎兵第8『ヘッセン=カッセル』連隊(第1、2、3、4、5中隊・758騎)グリーナー大佐
・砲兵第11連隊第6中隊(4ポンド騎砲8門)
※第1軍団と第1軽騎兵師団でベーメン(ボヘミア)軍を編成、第1軍団長をその指揮官とする(6/30まで)
○第2軍団(歩兵28個大隊27,005名・騎兵4個中隊と1個小隊・砲80門)
軍団長 伯爵カール・グラーフ・ツーン・ウント・ホーヘンシュタウフェン中将
軍団付将官 男爵ヨーゼフ・フィリポヴィック・フォン・フィリプスブルク少将
参謀長 男爵ヨーゼフ・フォン・デブネル大佐
砲兵長 ヨーゼフ・シンドラー大佐
☆トーム旅団(6,728)
旅団長 ミハエル・フォン・トーム大佐
・猟兵第2大隊(1,071)ヴァルトツルン中佐
・歩兵第40『ロスバッハ男爵』連隊(2,849)ボイメン大佐
・歩兵第69『エラチック伯爵』連隊(2,805)ラインホルツ大佐
・砲兵第2連隊第1中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ヘンリケッツ旅団(6,766)
旅団長 グスタフ・リッター・フォン・ヘンリケッツ少将
・猟兵第9大隊(1,054)シトラッハ大佐
・歩兵第14『ヘッセン』連隊(2,946)ナランシッチ大佐
・歩兵第27『ベルギー』連隊(2,763)ヴィラシッツ大佐
・砲兵第2連隊第2中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆サフラン旅団(6,439)
旅団長 男爵エマニュエル・フォン・サフラン少将
・猟兵第11大隊(911)シュワブ大佐
・歩兵第64『ザクセン=ワイマール』連隊(2,601)バウムガルテン大佐
・歩兵第80『ホルシュタイン』連隊(2,924)ヘイノルド大佐
・砲兵第2連隊第3中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ヴェルテンブルク旅団(7,051)
旅団長 公爵ヴェルテンブルク・フォン・ヴィルヘルム少将
・猟兵第20大隊(985)ペーテルス大佐
・歩兵第47『ハルツェン男爵』連隊(3,052)ヴェイデンストラッチ大佐※7/3負傷交代
・歩兵第54『メクレンブルク=シュヴェリーン』連隊(3,011)ジェヴィアルトウスキー大佐
・砲兵第2連隊第4中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆槍騎兵第6『フランツ・ヨーゼフ皇帝』連隊(第2、3、5、6中隊・713騎)ヴァルデック大佐
☆第2軍団砲兵隊(48門)
・砲兵第2連隊第7・8中隊(4ポンド騎砲16門)
・砲兵第2連隊第9・10中隊(8ポンド砲16門)
・砲兵第2連隊第5中隊(4ポンド歩兵砲8門)
・砲兵第2連隊第11中隊(ロケット砲8門)
☆工兵第2大隊第2中隊
☆軍団野戦弾薬廠
☆他補給段列、野戦病院など
○第3軍団(歩兵28個大隊と5個中隊25,712名・騎兵2個中隊と1個小隊・砲64門)
軍団長 親王大公エルンスト・カール・フェリクス・マリア・ライナー・ゴットフリード・スィリアック・フォン・オーストリッチ中将
軍団付将官 アロイス・フォン・バウムガルテン少将※7/3~男爵リンゲルスハイム少将
参謀長 男爵アドルフ・フォン・カッツィ大佐※7/3負傷交代
砲兵長 フリードリヒ・ヴァルセック・フォン・ヴァルフェルド大佐
☆アピアーノ旅団(6,537)
旅団長 カール・リッター・フォン・アピアーノ少将
・猟兵第4大隊(1,002)バーンストロフ大佐
・歩兵第46『ザクセン=マイニンゲン』連隊(2,645)スロウバキー大佐※7/3戦死
・歩兵第62『ハインリヒ大公』連隊(2,709)ツェアマック大佐
・砲兵第8連隊第3中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ベネデック旅団(6,602)
旅団長 アレクサンダー・ベネデック大佐(第34連隊長)※7/3負傷交代
・猟兵第1大隊(964) クレイン少佐
・歩兵第52『フランツ・カール大公』連隊(2,849)レズニチェク大佐
・歩兵第78『ソクセヴィック男爵』連隊(2,786)ウドヴァーノキー大佐
・砲兵第8連隊第4中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆キルヒベルク旅団(6,566)
旅団長 ジュリアス・マンガー・フォン・キルヒベルク大佐(第58連隊長)
・猟兵第3大隊(896)スュミゴッツ大佐
・歩兵第44『アルブレヒト大公』連隊(2,946)ヘルリッツ大佐※7/3負傷交代
・歩兵第49『ヘス』連隊(2,721)バインダースフェルド大佐※7/3戦死
・砲兵第8連隊第5中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆プロチャッカ旅団(6,165)
旅団長 男爵オットカー・フォン・プロチャッカ大佐(第47連隊長)
・混成猟兵第33大隊(672)ガイヒ少佐
・混成猟兵第34大隊(984)ヴェンコー少佐
・歩兵第13『ロマーネン=バナート』境界連隊(2,804)ヴィレッツ大佐
・歩兵第55『ゴンドルクール伯爵』連隊第4大隊(850)中佐(不詳)
・歩兵第56『ゴリッツツティ男爵』連隊第4大隊(852)中佐(不詳)
・砲兵第8連隊第6中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆槍騎兵第9『メンスドルフ』連隊(第1、2中隊・297騎)カーステンヴァース大佐
☆第3軍団砲兵隊(32門)
・砲兵第8連隊第7・8中隊(4ポンド騎砲16門)
・砲兵第8連隊第9・10中隊(8ポンド砲16門)
☆工兵第2大隊第4中隊
☆軍団野戦弾薬廠
☆他補給段列、野戦病院など
○第4軍団(歩兵28個大隊と5個中隊26,356名・騎兵4個中隊と1個小隊・砲80門)
軍団長 伯爵タシーロ・グラーフ・フエスティス・デ・トルナ中将※7/3戦中負傷後退
軍団付将官 男爵アントン・リッター・モリナリー・フォン・モンテ・パステーロ少将※7/3戦中軍団長代理
参謀長 ヴィルヘルム・リッター・フォン・ゴルツ大佐※7/3戦死
砲兵長 ヨーゼフ・ヌーク大佐
☆ブランデンシュタイン旅団(6,650)
旅団長 フリードリヒ・ヘルマン・フォン・ブランデンシュタイン少将※7/3負傷後退
・猟兵第27大隊(1,005)シャーフゲッチェ中佐
・歩兵第12『ヴィルヘルム大公』連隊(2,748)ハートミュール大佐
・歩兵第26『ミハエル大公』連隊(2,891)カミエニエツキ大佐※7/4~旅団長
・砲兵第4連隊第1中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆フライシュハッケル旅団(6,624)
旅団長 エメリッヒ・フォン・フライシュハッケル少将
・猟兵第13大隊(938)フランケンバック少佐
・歩兵第6『コロニーニ伯爵』連隊(2,900)ストックリン大佐
・歩兵第61『ロシア帝国皇太子』連隊(2,780)ボアドロ大佐
・砲兵第4連隊第2中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ペーク旅団(6,216)
旅団長 カール・フォン・ペーク大佐(第39連隊長)※7/3戦死
・猟兵第8大隊(973)ライツェンシュタイン大佐※7/3戦死
・歩兵第37『ヨーゼフ大公』連隊(2,680)トラウンシュタインベルク大佐
・歩兵第51『カール・フェルディナンド大公』連隊(2,552)モーリッツ大佐
・砲兵第4連隊第3中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ヨーゼフ旅団(6,845)
旅団長 親王大公ヨーゼフ・カール・ルートヴィヒ・フォン・エスターライヒ少将※7/4~軍団長
・猟兵第30大隊(980) コドリッヒ少佐
・歩兵第67『シュメリンク』連隊(3,017)ミュラー大佐
・歩兵第68『ステインゲル男爵』連隊(2,841)ビッシンゲン=ニッペンブルク大佐※7/3戦死
・砲兵第4連隊第4中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆驃騎兵第7『プロシア皇太子』連隊(第3、4、5、6中隊・593騎)デーゲンフェルト=シェーンブルク大佐
☆第4軍団砲兵隊(48門)
・砲兵第4連隊第7・8中隊(4ポンド騎砲16門)
・砲兵第4連隊第9・10中隊(8ポンド砲16門)
・砲兵第4連隊第5中隊(4ポンド歩兵砲8門)
・砲兵第4連隊第11中隊(ロケット砲8門)
☆工兵第5大隊第1中隊
☆軍団野戦弾薬廠
☆他補給段列、野戦病院など
○第6軍団(歩兵28個大隊と5個中隊27,149名・騎兵4個中隊と1個小隊・砲72門)
軍団長 男爵ヴィルヘルム・ラミンク・フォン・リートキルヒェン中将
軍団付将官 アウグスト・コッツマイスター少将
参謀長 ルートヴィヒ・フロウリッヒ・フォン・エルムバッハ大佐
砲兵長 カール・ホフマン・フォン・ドンナースベルク大佐
☆ワルドステッテン旅団(6,966)
旅団長 男爵ゲオルグ・フォン・ワルドステッテン大佐
・猟兵第6大隊(1,005) テッツエンバック少佐
・歩兵第9『ハルトマン伯爵』連隊(2,967) プロチャッカ大佐
・歩兵第79『リッター・フォン・フランク』連隊(2, 988)バグナラスタ大佐
・砲兵第10連隊第1中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ヘルトヴィック旅団(6, 404)
旅団長 モーリス・ヘルトヴィック・エドラー・フォン・ハウエンエーバーシュタイン少将
・猟兵第25大隊(964) タボーラ少佐
・歩兵第41『ケルナー男爵』連隊(2,402)フェルディナント大佐
・歩兵第56『ゴリッツィー男爵』連隊(3,052)レープツェルター大佐※7/3戦死
・砲兵第10連隊第2中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ローゼンツヴァイク旅団(6,930)
旅団長 フェルディナント・リッター・ローゼンツヴァイク・フォン・ドラウヴァー少将
・猟兵第17大隊(1,070) クレメント少佐
・歩兵第4『ホーフ・ウント・ドイッツェマイスター』連隊(2,825) ペインリッヒ大佐
・歩兵第55『ゴンドルクール伯爵』連隊(3,031) ヴァース大佐
・砲兵第10連隊第3中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ヨナック旅団(6,828)
旅団長 ヨハン・ヨナック・エドラー・フォン・フライエンワルド大佐(第54連隊長)
・猟兵第14大隊(1,069) イェソビッツ少佐
・歩兵第20『プロシア皇太子』連隊(2,809)ウインプフェン大佐
・歩兵第60『ワサ皇太子』連隊(2,944)ライズ大佐
・砲兵第10連隊第4中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆槍騎兵第10『クラム=グラース伯爵』連隊(第2、3、4、5中隊・587騎)ウィッケンベルク大佐
☆第6軍団砲兵隊(40門)
・砲兵第10連隊第7・8中隊(4ポンド騎砲16門)
・砲兵第10連隊第9・10中隊(8ポンド砲16門)
・砲兵第10連隊第5中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆工兵第5大隊第2中隊
☆軍団野戦弾薬廠
☆他補給段列、野戦病院など
○第8軍団(歩兵28個大隊と5個中隊26,326名・騎兵5個中隊と1個小隊・砲72門)
軍団長 親王大公レオポルト・ルートヴィヒ・M・F・J・E・G・フォン・オーストリッチ中将※6/30病気降板
軍団付将官 ヨーゼフ・ウェーベル少将※6/29~旅団長7/1~軍団長兼務
参謀長 カール・マイノーネ・フォン・マインスベルク中佐
砲兵長 ミハエル・アンガエラ大佐
☆フラクナーン旅団(6,796)※6/29~ロート旅団
旅団長 グスタフ・エドラー・フォン・フラクナーン少将※6/28戦死 カール・フォン・ロート大佐交代
・猟兵第5大隊(970)リンナー少佐
・歩兵第15『ナッソー伯爵』連隊(2,924)テゲトフ大佐
・歩兵第77『カルロ・サルヴァトーレ大公』連隊(2, 888)ハヌス大佐
・砲兵第9連隊第1中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆シュルツ旅団(6, 509)
旅団長 カール・シュルツ少将※7/3戦死
・猟兵第31大隊(938)エンゲルスフォーヘン中佐
・歩兵第8『ゲルスナー男爵』連隊(2,898)キルヒマイア大佐
・歩兵第74『ノビーリ伯爵』連隊(2,670)パロンビーニ大佐
・砲兵第9連隊第2中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆クライサーン旅団(6,930))※6/29~ウェーベル旅団
旅団長 レオポルド・クライサー・フォン・クライサーン大佐(第12連隊長)※6/28戦死
・猟兵第24大隊(926) クレペル中佐
・歩兵第21『ライツシャッツ男爵』連隊(2,842) ザクセン=ワイマール親王大佐
・歩兵第32『フェルディナント・エスト大公』連隊(2,570) コッペル大佐
・砲兵第9連隊第4中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ロートキルヒ旅団(6,657)
旅団長 ロタール・グラーフ・ロートキルヒ・ウント・パンテーン少将
・歩兵第25『マムーラ男爵』連隊(2,952) カンスチ大佐
・歩兵第71『トスカーナ大公』連隊(2,701) ヴァイデンマン大佐
・砲兵第9連隊第3中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆槍騎兵第3『カール大公』連隊(第1、2、3、5、6中隊・750騎) ワルドステイン=ヴェルテンブルク大佐
☆第8軍団砲兵隊(40門)
・砲兵第9連隊第7・8中隊(4ポンド騎砲16門)
・砲兵第9連隊第9・10中隊(8ポンド砲16門)
・砲兵第9連隊第5中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆工兵第2大隊第3中隊
☆軍団野戦弾薬廠
☆他補給段列、野戦病院など
○第10軍団(歩兵28個大隊と5個中隊26,326名・騎兵5個中隊と1個小隊・砲72門)
軍団長 男爵ルートヴィヒ・フォン・ガブレンツ中将
軍団付将官 男爵アレクサンダー・フォン・コラー少将
参謀長 男爵スタニスラウス・ブルギノン・フォン・バウムベルク中佐
砲兵長 ヨハン・アイスラー大佐
☆モンデール旅団(6,709)
旅団長 フリードリヒ・モンデール大佐(第75連隊長)
・猟兵第12大隊(966)バンディアン少佐
・歩兵第10『モッツァリー伯爵』連隊(2,976)ビルケンハイン大佐
・歩兵第24『パルマ公爵』連隊(2, 764)ザレンバ大佐
・砲兵第3連隊第1中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆グリヴィック旅団(5, 767)※6/29~連隊規模
旅団長 ゲオルグ・グリヴィック大佐(第19連隊長)
・猟兵第16大隊(910) ヘイデル少佐
・歩兵第2『アレクサンダー皇帝』連隊(2,064)フリッチュ大佐
・歩兵第23『アイロルディ男爵』連隊(2,790)ガメーラ大佐
・砲兵第3連隊第2中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆クネーベル旅団(6,782)
旅団長 アルベルト・リッター・クネーベル・フォン・トロイェンシェヴァルト少将
・猟兵第28大隊(929) シュロスサーク少佐
・歩兵第1『フランツ=ヨーゼフ皇帝』連隊(2,966) リュー・デ・フェヨー大佐
・歩兵第3『カール大公』連隊(2,884) ペーム大佐
・砲兵第3連隊第3中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆ウィンプフェン旅団(6,605)
旅団長 男爵アドルフ・ウィンプフェン・ツー・モルベルク少将
・歩兵第13『バンベルク男爵』連隊(2,779)ミュンヘ=ベリングハウゼン大佐
・歩兵第58『ステファン大公』連隊(3,823)ヴァイデンシュトラウハー大佐
・砲兵第3連隊第4中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆槍騎兵第9『メンスドルフ伯爵』連隊(第3、4、5中隊・412騎)カースティンヴェルト大佐
☆第10軍団砲兵隊(40門)
・砲兵第3連隊第7・8中隊(4ポンド騎砲16門)
・砲兵第3連隊第9・10中隊(8ポンド砲16門)
・砲兵第3連隊第5中隊(4ポンド歩兵砲8門)
☆工兵第5大隊第3中隊
☆軍団野戦弾薬廠
☆他補給段列、野戦病院など
※墺軍旅団の歩兵連隊は一個大隊欠の三個大隊編成を基本とし、第4大隊を要塞守備隊及び軍本営などに分配。第10軍団ウィンプフェン旅団第58連隊のみ完全(四個大隊)編成。騎兵部隊も6個中隊編成中一個ないし二個中隊を抽出し他任務に充てていた。
○北軍直轄砲兵隊(128門)
・砲兵第6連隊第2・3・4中隊(4ポンド騎砲24門)
・砲兵第12連隊第6中隊(4ポンド騎砲8門)
・砲兵第6連隊第7・8・9・10中隊(8ポンド砲32門)
・砲兵第11連隊第7・8・9・10中隊(8ポンド砲32門)
・砲兵第12連隊第7・8・9・10中隊(8ポンド砲32門)
○軍野戦弾薬廠
○工兵第1大隊第1・2・3・4中隊
○工兵第6大隊第1・2・3・4中隊
○架橋輜重部隊
○他補給段列、野戦病院、憲兵隊など
○第2軽騎兵師団(騎兵20個中隊2,944騎・砲16門)
師団長 親王エメリッヒ・プリンツ・フォン・ツーン・ウント・タキシス少将
参謀長 ヨーゼフ・リッター・フォン・ロダコウスキー中佐
☆ベルガルド旅団(1,481騎)
旅団長 伯爵アウグスト・グラーフ・ベルガルド大佐(竜騎兵第2連隊長)
・驃騎兵第4『セセー』連隊(第1、2、4、5、6中隊・726騎)ゴンタード大佐
・驃騎兵第12『ヒラー伯爵』連隊(第1、3、4、5、6中隊・746騎)マールブルク大佐
・砲兵第11連隊第2中隊(4ポンド騎砲8門)
☆ヴェストファーレン旅団(1,447騎)
旅団長 伯爵ヴィルヘルム・グラーフ・ヴェストファーレン少将
・驃騎兵第6『ヴェルテンブルク王国』連隊(第1、2、3、4、5中隊・695騎)ワットマン大佐
・驃騎兵第14『パルフィー』連隊(第1、2、3、4、5中隊・743騎)フォングレッツ大佐
・砲兵第11連隊第3中隊(4ポンド騎砲8門)
○第1予備騎兵師団(騎兵26個中隊3,739騎・砲16門)
師団長 親王公爵ヴィルヘルム・プリンツ・ツー・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=グリュックスブルク中将
参謀長 フランツ・シュミット大佐
全予備騎兵砲兵長 ヨハン・ヒュサーク少佐(第6砲兵連隊長)
☆ソルムス旅団(1,880騎)
旅団長 伯爵カール・プリンツ・ツー・ソルムス=ブラウンフェルザー少将
・胸甲騎兵第4『フェルディナンド皇帝』連隊(第1、2、3、5中隊・610騎)ペルツ大佐
・胸甲騎兵第6『ヘッセン皇太子』連隊(第1、2、3、4中隊・576騎)ツーン=ホーヘンシュタイン大佐
・槍騎兵第8『メキシコ皇帝』連隊(第1、2、3、4、6中隊・687騎)ヴルムブランド=シュトゥバッハ大佐
・砲兵第6連隊第5中隊(4ポンド騎砲8門)
☆シンドラッケル旅団(1,859騎)
旅団長 ユージン・フォン・シンドラッケル少将
・胸甲騎兵第9『スタディオン伯爵』連隊(第1、2、3、4中隊・602騎)ボーマー大佐
・胸甲騎兵第11『ヘッセン皇太子』連隊(第1、2、3、4、6中隊・603騎)スパームゴッチェ大佐
・槍騎兵第4『フランツ=ヨーゼフ皇帝』連隊(第2、3、4、5、6中隊・647騎)シェーレイ大佐
・砲兵第6連隊第6中隊(4ポンド騎砲8門)
○第2予備騎兵師団(騎兵26個中隊3,877騎・砲16門)
師団長 カール・ザイツェク・フォン・エグベル少将
参謀長 アルフレッド・リッター・フォン・エールソン中佐
☆ボックスベルク旅団(1,917騎)
旅団長 男爵カール・フォン・ボックスベルク少将
・胸甲騎兵第3『ザクセン』連隊(第1、2、3、4、中隊・591騎)シュワルツ大佐
・胸甲騎兵第7『ブラウンシュバイク伯爵』連隊(第2、3、4、5中隊・589騎)ランベルク大佐
・槍騎兵第2『シュヴェルツェンベルク』連隊(第1、2、3、5、6中隊・730騎)ライデンコーン大佐
・砲兵第12連隊第4中隊(4ポンド騎砲8門)
☆ソルチュク旅団(1,953騎)
旅団長 伯爵ローマン・グラーフ・ソルチュク少将
・胸甲騎兵第1『フランツ=ヨーゼフ皇帝』連隊(第1、2、4、5中隊・540騎)ヴィラータ大佐
・胸甲騎兵第5『ニコラウス皇帝』連隊(第2、3、4、5中隊・636騎)ヴァッツェク大佐
・槍騎兵第5『ヴァルモーデン伯爵』連隊(第1、2、4、5、6中隊・770騎)ホンペッシュ=ボルハイム大佐
・砲兵第12連隊第5中隊(4ポンド騎砲8門)
○第3予備騎兵師団(騎兵27個中隊3,788騎・砲16門)
師団長 伯爵カール・グラーフ・クーデンホーフェ少将
参謀長 男爵フリードリヒ・フォン・クノブロッツ中佐
☆ヴィンディシュ=グレーツ旅団(1,916騎)
旅団長 公爵アルフレッド・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ少将
・胸甲騎兵第2『ウランゲル伯爵』連隊(第1、3、4、5中隊・599騎)エルバック=フュルステナウ大佐
・胸甲騎兵第8『プロシア皇太子』連隊(第1、3、5、6中隊・603騎)バースリング大佐
・槍騎兵第7『カール・ルートヴィヒ大公』第7連隊(第1、2、4、5、6中隊・710騎)ベルリヒンゲン大佐
・砲兵第12連隊第2中隊(4ポンド騎砲8門)
☆メンゲン旅団(1,872騎)
旅団長 アドルフ・フォン・メンゲン少将
・胸甲騎兵第10『バイエルン』連隊(第1、2、3、4中隊・594騎)イサークサーン大佐
・胸甲騎兵第12『ニッペンブルク』連隊(第2、3、4、5中隊・552騎)パーペンヘイム大佐
・槍騎兵第11『アレクサンダー皇帝』連隊(第1、2、4、5、6中隊・725騎)ヴィッケンブルク大佐
・砲兵第12連隊第3中隊(4ポンド騎砲8門)
○ザクセン軍 (歩兵18,841名・騎兵2,574騎・砲58門 ※6月20日付戦闘序列)
軍団長 ザクセン王国王太子アルベルト・フォン・ザクセン大将
参謀長 ゲオルグ・フリードリヒ・アルフレッド・フォン・ファブリース少将
砲兵部長 ルードヴィヒ・シュマルツ少将
工兵部長 ルードヴィヒ・オットー・ペーテルス大佐
総務経理監 子爵エドゥイン・フォン・フリーゼン大佐
☆ザクセン第1歩兵師団(9294)
師団長 バーナード・フォン・シンプ中将
参謀長 フリードリヒ・フォン・チェスヴィッツ少佐
*ザクセン歩兵第2旅団(4640)
旅団長 ハーマン・フォン・ハーケ大佐
・猟兵第2大隊(907)
・歩兵第5大隊(947)
・歩兵第6大隊(921)
・歩兵第7大隊(936)
・歩兵第8大隊(921)
*ザクセン歩兵第3旅団(4640)
旅団長 ゲオルグ・ヨブ・フォン・カルロヴィッツ少将※7/3戦死
・猟兵第3大隊(910)
・歩兵第9大隊(935)
・歩兵第10大隊(949)
・歩兵第11大隊(879)
・歩兵第12大隊(953)
*師団騎兵隊(317騎)
指揮官 エルンスト・フォン・スタンフェスト少佐
・騎兵第2連隊第4中隊
・騎兵第3連隊第4中隊
*師団砲兵隊(12門)
指揮官 カール・ヴァイグル中佐
・『ワルサー』6ポンドライフル砲兵中隊(6門)
・『フォン・デア・フォルテ』12ポンド榴弾カノン砲兵中隊(6門)
*第3野戦病院
☆ザクセン第2歩兵師団(9333)
師団長 トゥースコ・フォン・スティーグリッツ中将
参謀長 アルバン・フォン・モントベー中佐
*ザクセン親衛歩兵旅団(4667)
旅団長 男爵クレメンス・フォン・ハウゼン大佐
・猟兵第4大隊(942)
・歩兵第13大隊(910)
・歩兵第14大隊(941)
・歩兵第15大隊(913)
・歩兵第16大隊(947)
*ザクセン歩兵第1旅団(4634)
旅団長 エミール・フォン・ボックスベルク大佐※6/29戦死
・猟兵第1大隊(884)
・歩兵第1大隊(957)
・歩兵第2大隊(920)
・歩兵第3大隊(931)
・歩兵第4大隊(930)
*師団騎兵隊(319騎)
指揮官 クルーグ・フォン・ニッダー少佐
・近衛騎兵連隊第4中隊
・騎兵第1連隊第4中隊
*師団砲兵隊(12門)
指揮官 フォン・グリューネンワルド中佐
・『リヒテル』6ポンドライフル砲兵中隊(6門)
・『ヘーリング』12ポンド榴弾カノン砲兵中隊(6門)
*工兵支隊(57)
*第2野戦病院
☆ザクセン騎兵師団(1938)
師団長 男爵バーナード・アルベルト・フォン・フリッシュ中将
参謀長 アドルフ・レオポルド・フォン・チェレスキー・ウント・ボーゲンドルフ中佐
*ザクセン騎兵第1旅団(933)
旅団長 親王ゲオルグ・フォン・ザクセン少将
・親衛騎兵連隊(第1・2・3中隊/429)
・騎兵第1連隊(第1・2・3中隊/502)
*ザクセン騎兵第2旅団(998)
旅団長 子爵モーリス・フォン・ビーダーマン少将
・騎兵第2連隊(第1・2・3中隊/487)
・騎兵第3連隊(第1・2・3中隊/502)
*師団砲兵隊(6門)
・『ゼンケル』12ポンド騎砲兵中隊(6門)
*第1野戦病院
☆軍団直轄砲兵隊(28門)
司令官 ブルーノ・ケーレル大佐
*ザクセン砲兵第1旅団(16門)
旅団長 ヨハン・フォン・ワッツドルフ少佐
・『レオンハルディ』6ポンドライフル砲兵中隊(6門)
・『レグニック』12ポンド榴弾カノン砲兵中隊(6門)
・『ヴェストマン』12ポンド榴弾カノン砲兵中隊(4門)
*ザクセン砲兵第2旅団(12門)
旅団長 アドルフ・アルベルト少佐
・『ハイデンライヒ』6ポンドライフル砲兵中隊(6門)
・『ホック』12ポンド騎砲兵中隊(6門)
*野戦弾薬廠
☆他補給段列、工廠、砲廠、架橋廠など
こぼれ話・ロケット砲顛末
近代ロケット砲の発明者はイギリスのウイリアム・コングリーブという人で、イギリスがナポレオンと戦っていた1805年に最初の形式のものが作られ、早速フランス軍やその同盟国軍に対して使用されました。
当時のロケットは今のロケット花火に良く似た形のもので、長い柄の先に尖った先端を持つ弾体を付け、この中には飛翔用の固体燃料と炸薬を分けて搭載しました。
このロケットは1807年のイギリス軍によるデンマーク首都コペンハーゲン攻撃でも300発が使用され、このロケットに積まれた焼夷火薬によりコペンハーゲン市は市街地の約四分の三を焼き払われ、また、2,000人の民間人が死亡しました。デンマークはこの戦いの後、憎きロケット弾の研究と開発を開始、ロケット砲部隊を設立するのです。
オーストリア軍では陸軍の技術士官だったヴィンセンツ・オーガスティン(1780~1859)により導入され、同盟国だったイギリスがその製造法などの情報提供を拒否したので、オーガスティンはデンマークに接近、苦労の末技術を手に入れ発展させました。
このロケットが最盛期だったのは1850年前後で、反乱鎮圧や対イタリア戦で活躍しました。
因みにオーガスティンは軍での技術畑で影響力が大きく、何故か後装ライフル銃を嫌って1841年に将来の正式小銃を決定する際、後装銃ではなく前装ライフル銃であるローレンツ銃を強力に推します。この銃は後に正式化され、これが普墺戦争当時の墺軍正式小銃となり、普軍のドライゼ「針」銃に速射性などで対抗出来ず敗因の一つとされます。
さて、ロケット砲は普墺戦争時には既に後装旋条砲に押され衰退しており、わずか30門前後が使用されたに過ぎませんが、最盛期だった1855年頃には墺軍18個の軍団全てに一個中隊8門のロケット発射砲部隊が置かれていました。
当時の墺軍ロケット砲は「野砲」タイプと「攻城砲」タイプがあり、4.8cm口径と5.84cmの二種、弾体には爆裂型、榴散弾型など色々あり、重量も6、12、16、28ポンドがありました。
このロケットに付けられた長い柄は、弾体が飛行する際に安定し真っすぐ飛ぶため必要でしたが、時折軌道から大きく外れることがあり、どこへ飛んで行くか分からないという欠陥もありました。
しかしこれは後々の人々を恐怖に陥れた、彼らドイツ人の子孫が発明したフェアゲルトゥングスヴァッフェ1号、2号と呼ばれた兵器にも共通した不確実性で、これは恐怖兵器としての性格を付け加えるものとして「怪我の功名」とも言えるものでした。
1858年になると、イギリス人ウィリアム・ヘールが柄の無いロケット飛翔体を実験し成功させて見せ、オーストリア軍は彼の製品を採用しライセンス生産を開始します。
柄の無い「ヘール・ロケット」は旧来の柄付き同様、専用の発射筒に装填し発射薬に点火します。フィン(弾体後部のハネ)は弾体がクルクルと回転させるようになっており、発射筒にも旋条が切られていて、まるでライフル銃から発射される弾丸と同じ直進性を与えるのでした。
1859年の第一次イタリア独立戦争では新・旧両方のロケット砲が使用され、砲兵たちは計算通りに飛んで行くヘール・ロケットに喝采を送ったものです。
しかし、その戦争に負けたオーストリアも遅れ馳せながら軍の改革に着手し、それは武器の刷新に及びます。この状況は同じ年に亡くなった武器の権威、オーガスティン将軍の影響が消えたことをも意味しました。
その反動とも言える余りに厳しい改革と部隊再編により、かえって実際の戦力が落ちてしまうほどでしたが、改革の波はオーガスティンが愛したロケット砲にも及びました。
この年ロケット砲部隊は、18個中隊から12個中隊に減らされました。廃止された部隊の人員は通常の砲兵部隊に転用されます。
これに留まらずロケット砲は更に厳しい目に晒されました。当時、砲兵部隊には比較的安価で性能の良い旋条砲が配備され始めており、それはどうしても高価なロケット砲部隊と比較され、同様な効果が得られる効率的な野砲が配備されているのに、どうしてロケット砲を維持しなくてはならないのか、という当然の批判につながって行くのです。
1863年、批判は遂に改変実施となってロケット砲兵部隊は次々に後装旋条砲に転換され、消えて行きました。翌64年にはロケット砲部隊が誇らしく着ていた特別な制服も廃止され、わずかに残るロケット砲兵も普通の砲兵と区別が付かなくなりました。
1866年、普墺戦争開戦時でのロケット砲部隊は、チロル地方でガルバルディと戦ったごく一部の例外を除き、南軍で1個中隊が、北軍では3個中隊が加わったに過ぎませんでした。
しかも、南軍の中隊は開戦時には大砲が割り当てられず、実際にはクストーザ戦の後、イタリア軍から捕獲した通常の野砲を装備しています。
また北軍の3個中隊は、第1、第2、第4の各軍団それぞれの直轄砲兵第11中隊として8門のロケット砲を割り当てられて戦いましたが、全てがケーニヒグレーツ戦までに失われています。
結局、普墺戦争後まで生き残ったロケット砲は、要塞守備隊に配備されていたわずか十数門だけでした。
オーストリア軍のロケット砲は1869年、南部ダルマチアでの反乱制圧に使用されたのが最後の活動となります。
結局、数多くの消え去った兵器と同じく、ロケット砲もその効果を、もっと効率よく・安価に・簡単に操作出来る兵器へと取って変わられたのでした。




