ケーニヒグレーツの戦い/ヒラー近衛第1師団長の戦死
午後2時。普近1師によるクルム、ロズベリックへの進撃が始まった頃、墺第6軍団長、ラミンク将軍の下に一人の連絡士官がやって来ました。
この士官は第4軍団代理指揮官モリナリー将軍から派遣された参謀で、モリナリー将軍の要請を伝えます。曰く、貴軍団をして直ちにクルム高地からマスロウェード方面へ前進し、苦戦する第4軍団を助けて欲しい、と。
しかし、ラミンク将軍は首を横に振ります。そして諭すように答えました。軍の総予備である第6軍団は、総司令官ベネデック元帥の命令がなければ勝手に動くことは出来ない、と。
既に第10軍団のガブレンツ将軍からも一個旅団を貸してくれと言われ、断ったばかりでした(代わりにと弾薬は融通しましたが)。
また、昼前には本営から戦線の東へ移動を命じられ、直後にそれを取り消される、というドタバタもありました。
しかしラミンク将軍は、軍団自体の前進は命令を盾に断ったものの、第10軍団に弾薬を融通したように第4軍団にも援助の手を延べようと考え、軍団直轄砲兵部隊に対し、直ちにウェセスタル=シュウェティ間の高地へ進出、砲列を敷いて第4軍団を援護するよう命じます。
護衛に槍騎兵連隊を付けて軍団砲兵を送り出した将軍は、単に味方を援護するためだけでなく、いつ何時自軍団に出動命令が来てもスムーズに後背地から砲兵が援護出来るよう予め手を打ったのでした。
それにしても、ラミンク将軍は北軍本営から煙たがわれ、それを本人も知っていましたから腹が立って仕方がなかったに違いありません。
スカリッツの一件を皮切りにこの一週間の出来事は、ベネデックの資質に関する深い疑問となって将軍の脳裏に渦巻いています。総司令官が深い洞察を持って行動していると信じたいのは山々でしたが、どうしても不安が先行してしまう状況ではありました。
とは言え、所詮一軍団長に過ぎないラミンクは北軍全体の、ひいては帝国全体の戦略については預かり知らぬ身です。もしベネデックが意見を求めたり助力を請うたりすれば、ラミンクもやぶさかではなかったでしょう。元より今は国家の一大事であり、彼ら軍人が存在する最大の理由である戦争中なのです。仲間割れや軍規を揺るがす抗命など、もってのほかであることは当然のことでした。
ラミンク将軍は次第に不利になって行くように見える戦況を、ぐっと堪えるようにしながら打てる手は打って「その時」を待ちました。
そしてその「時」は訪れます。
午後2時半、北方リパから馬を早駆けさせ、なんとベネデック元帥本人が第6軍団本営に飛び込んで来ます。ラミンク将軍を見つけると、直ちに軍団を率いクルム高地へ進撃せよ、と直接命令を下したのです。
既にラミンクもクルムとロズベリック、そしてセンドラシック方面が敵の手に渡ったとの報告を受けています。一刻の猶予もならない状況下、ラミンク将軍は続けざまに命令を発し、軍団が北東から東へ、クルムからネデリストへと進撃する準備行動を開始していました。ベネデックが駆け込んで来たのは正にその移動準備の最中だったのです。
ほら見たことか!
ラミンクは言いたいことをぐっと堪え命令を受領し、自ら騎乗して前線へ、北東方面クルムへと向かうのでした。
ウェセスタル東方の高地という格好の陣地を得ていた第6軍団直轄砲兵は、既にクルム高地に登りつつある普近衛軍団砲兵に対し砲撃を加え、また東側ネデリストに集合しつつある普11師団や騎兵隊に対し砲撃を繰り返しています。この砲撃はなかなか効果的で、クルム高地に陣を敷こうとしていた近衛砲兵は、南より飛来する砲弾を避けながら陣地を構築しますが、時間が掛かる大仕事になっていました。
こうして自軍団の砲兵の活躍に勇気付けられた第6軍団の各旅団は、勇躍ランゲンホーフ後方の待機場所から続々と出撃して行きました。
午後3時過ぎ、第6軍団の攻勢が開始されます。進撃方向の南東側・右翼にはワルドステッテン旅団が、その北西側・左翼をローゼンツヴァイク旅団が進みます。この二つの旅団後方右翼をヘルトウィック旅団が、左翼をヨナック旅団が隊列を密にして進撃しました。
この3時という時間、クルム高地上では近衛砲兵が墺軍砲兵から邪魔をされながらも砲列を敷き終え、対抗射撃を始めた時間でもあります。当然ながらこの墺第6軍団の行動はクルム高地上の砲兵からも窺え、近衛砲兵たちはこの新たな敵の脅威に対し猛烈な砲撃で応じたのです。
この砲撃下、ラミンク将軍はフェルディナント・フォン・ローゼンツヴァイク少将にクルム攻撃の先鋒を命じ、ゲオルグ・フォン・ワルドステッテン大佐にロズベリック進撃を命じました。
この二つの旅団は直ちに目標に向けて進み始め、たちまちホリク=ケーニヒグレーツ街道周辺は小銃の射撃と砲撃音で満ちあふれ、あちらこちらで死闘が繰り広げられました。
普軍近1師のケッセル旅団とクナッペ旅団は、突然降って湧いたように街道の西から押し寄せた墺軍に対し、必死で抗戦します。その中心はロズベリックの部落周辺で、この徹底抗戦が墺軍に乱れを呼ぶのです。
ワルドステッテン
クルム奪還を命じられたローゼンツヴァイク将軍は、猟兵大隊を先頭に街道を越え東へと進みますが、目標のクルムに至るには攻勢方向東側にあるロズベリック部落からの猛烈な射撃が邪魔でなりませんでした。
地理的にも、クルムを陥としたとしてもロズベリックが敵の手にあればその後方のバルジ(突出部)となり、安心してクルムを維持することが難しくなります。ローゼンツヴァイクはワルドステッテン旅団が攻撃に苦労しているロズベリックを陥とすのが先と考え、命令に反しロズベリック攻撃を先に開始します。
この攻撃でロズベリックの部落は炎上し、防戦に努める近衛兵を苦しめました。程なくロズベリックの近衛兵は、ほぼ三倍になった敵の攻撃を支え切れずに敗退、数百人の捕虜を出してクルム東高地へと潰走してしまいました。
ローゼンツヴァイク
ロズベリックを攻略したローゼンツヴァイク旅団は後をワルドステッテン旅団に託し、休まずクルムへの突撃を敢行します。
自ら一個連隊の先頭に立ったローゼンツヴァイク少将は、クルムに陣取るパーペ旅団や近衛猟兵たちの猛射撃に臆することなく攻撃を続け、部落の南西側に取り付きました。ここで手駒が少ないと感じた将軍は伝令を後方に放ち、ロズベリックから残りの一個連隊を呼び寄せて攻勢を強化、あのナーホト・ヴィソコフ高地の汚名を返上しようと燃えるローゼンツヴァイク旅団は一丸となって普軍のエリートを自称する近衛兵に立ち向かったのです。
この勢いに押されたのか、近衛兵たちは次第に後退し、墺軍兵士は部落の中心部まで進んで白兵戦を繰り広げ、戦いの主導権をとり続けました。
折しも南方の高地同士の砲撃戦も墺軍有利に進み、砲を破壊された近衛砲兵もたまらず隊を乱して高地から逃げ降ります。
この乱戦を前線で指揮していた近1師団長ヒラー中将は、現在の勢いが敵にあり、このまま態勢が乱れた状態で市街戦を続ければ圧倒的不利になると確信し、全軍に一度クルムから退去し後方で隊を整えろ、と命じました。
三人の大佐旅団長も部隊が崩壊寸前にあることを感じ、必死で立て直そうと陣頭でがんばりますが、敵の勢いは止められません。
遂にクルム全域はローゼンツヴァイク旅団に占領され、近1師はクルムの東側へ追い出されてしまうのでした。
そして、ここでさらなる悲劇が近1師を見舞います。
全軍後退を命じ、クルム郊外で部隊を整えようと命令を出し続けていたヒラー師団長の周囲を狙って敵の砲撃が始まり、その中の一弾が師団長を直撃してしまったのです。榴弾を受けたヒラー中将は壮絶な戦死を遂げ、この戦争中、直接戦闘で亡くなった将官の最上級階級者となってしまいました。
ヒラー・フォン・ゲルトリンゲン
こうして近1師は一時指揮官不在となってしまいます。既に敗残兵の様相を見せ始めた近衛兵は最大の危機を迎えます。
しかし、この瞬間が墺軍逆襲の最高点でした。
ローゼンツヴァイク旅団はクルムを奪取すると攻撃を続行しようとしましたが、激戦で消耗した旅団にはこの部落を守ることすら手に余る状況でした。
本来なら後方からワルドステッテン旅団が駆けつけ、彼らに代わるのが常道です。しかしこの墺軍が攻勢限界点を迎えた時、攻勢を続けるべき後方からの援軍は遅れたままでした。
ワルドステッテン旅団は、部落から追い出したとは言え未だ一個旅団以上の敵と面しており、このロズベリックを維持するのが精一杯で、クルムに向かうことが出来ません。その後方の二個旅団も、先行するローゼンツヴァイク旅団と違って進撃に手間取っており、これを知ったラミンク軍団長は後方のヨナック旅団から直ちに動かせた二個大隊を引き抜き、将軍自らこれを指揮してロズベリックを駆け抜け、クルム救援に向かいます。
しかし、状況は瞬時に変化し続け、先ほどまで墺軍に微笑んでいた勝利の女神は普軍へと気持ちを傾き始めるのです。
優勢な敵に反撃をする時、そして敵が混乱の最中にあっても侮れない兵力を残す時、攻撃側がその手を緩めれば即ちそこが攻勢限界点となり、攻守が逆転するという事例。これは戦史で事欠きません。この墺第6軍団の攻勢も正しくその事例の一つとなり、ローゼンツヴァイク旅団がクルムを領し、その勢いが潜んだ瞬間に攻守は逆転したのでした。
墺軍が先行する一個旅団を援護するのにわずか数個大隊しか駆けつけられなかったのに対し、普軍は文字通り四方から救援が駆けつけました。
ラミンクが自ら率いる二個大隊でクルム前面に達すると、その部落前面に新たな敵が現れ、部落へ入ろうとしたラミンクの前に立ちふさがりました。
それは遂に戦場へ到着した普第1軍団の先遣部隊だったのです。




