ケーニヒグレーツの戦い/シストヴェス、ネデリストの陥落
近1師がクルム、ロズベリックを占領した頃、遅れていた近衛第2師団もホレノヴェスを経てマスロウェードに到着しました。これを追うかたちで普第二軍本営もホレノヴェスに進出、軍司令官のフリードリヒ皇太子はここで近1師の活躍を聞き及びます。同時に、ロズベリックの南西、ホリク=ケーニヒグレーツ街道を挟んだその先に、墺軍の一大兵団が待機しているとの偵察報告も受けます。
この報告をもとに皇太子はブルーメンタール参謀長と協議し、午後三時、攻撃中の軍団に対し以下の命令を発しました。
マスロウェードの近2師(普近衛第2師団。以下こう略します)は本隊をクルム部落まで前進、前衛部隊はロズベリックまで前進すること。
マスロウェード高地に至った近衛軍団直轄砲兵は、近2師本隊の後方を進み、クルム東高地へ進出・展開すること。
センドラシックからネデリスト方面で攻撃中の第6軍団は、その目標をロズベリック=シュウェティと定め、進軍すべきこと。
ウルショーニックからベナテックにかけて行軍中の第1軍団は、クルムを目指し行軍すべきこと。
先鋒部隊がルザンに至った第5軍団及び騎兵師団は、可及的速やかに戦場に達し、第6軍団の後方を進みクルムへ至るべきこと。
しかし、状況は各軍団がこの命令を遵守出来るほど簡単ではありませんでした。
命令によりロズベリックへ向かった近2師の前衛部隊は、前方で近1師がクルムの北シストヴェス部落で墺第4軍団のフライシュハッケル旅団と戦っていることを知ると、攻撃軸をシストヴェスに移し、近1師の応援に回ってしまいました。
第6軍団は命令を受けたものの、この午後3時前後の時間、12師団はヘンリケッツ旅団の後衛部隊とエルベ河畔のロヘニックで戦っており、また11師団は未だセンドラシックからネデリストへ移動中で、両師団ともシュウェティ方面に急行出来る態勢にはありませんでした。
また、第1軍団は強行軍に疲れ始めており、先鋒部隊はようやくクルム高地の入り口、ベナテック部落にたどり着いたばかり。
ルザンに前衛が入った第5軍団とその後方を進むハルトマン騎兵師団は、このケーニヒグレーツの戦いにおいて遂に敵と砲火を交えることがありませんでした。
この近1師だけが前方へ飛び出し、後続の諸軍団が遅れる、又は命令とは微妙に方向を変えるという状況が、この後第二軍の危機へとつながっていくのです。
フリードリヒ皇太子は命令を下すと、随員副官らを引き連れ、クルムへと前線視察に出発します。
同じ頃、シストヴェス部落では墺フライシュハッケル旅団と第3軍団の驃騎兵第7連隊が、敵の近衛部隊と壮絶な戦いを行っていました。
後方のクルムを奪われ、敵中に飛び出した格好となってしまったシストヴェスの墺軍。
実は第4軍団の本隊が、最終的に後衛一個大隊を残してマスロウェードを去る時、代理軍団長のモリナリー将軍は「シストヴェスを離れネデリスト方面へ後退せよ」とのフライシュハッケル少将に当てた命令を副官に持たせて走らせていました。ところがこの士官は行方不明となってしまい、命令はフライシュハッケル将軍に伝わらなかったのです。将軍は命令のない状態は、このままシストヴェスを堅持せよとの意だ、と信じ、第3軍団から派遣されていた軽騎兵や猟兵たちとともに部落に籠もっていたのでした。将軍も必ず墺軍が逆転し、普軍を高地から追い落とす時にこのシストヴェスが重要拠点となると考え、決死の覚悟でした。
しかし、その右翼(東のマスロウェード方面)から味方が消えて行き、遂に連絡がつかなくなると将軍にもシストヴェスが敵中に孤立したことが分かりました。こうなっては部隊が敵に包囲され全滅するのも時間の問題です。
フライシュハッケル少将はまだマスロウェード方向に連絡路が開いていると考え、手遅れになる前にまずは砲兵部隊と護衛の驃騎兵小部隊をマスロウェードへの道へ進ませます。
するとシュウィープ森の南西端から道を曲がり数百メートル進んだ所で、砲兵たちはマスロウェード南方からの砲撃を受け、時間差で東側シュウィープ森とマスロウェードの間からも砲撃と小銃射撃を受けてしまいます。
これはマスロウェードとクルムの間に展開していた近1師のパーペ旅団砲兵と、戦場に着いたばかりの近2師所属近衛散兵大隊とその砲兵による攻撃でした。
墺軍の砲兵はこの射撃で多くの曳馬を倒され、負傷者も多く、大砲を遺棄してシストヴェスへ逃げ帰ろうとします。ところが護衛に就いていた意気盛んな驃騎兵たちはこれに怒り、傷ついた者たちを残してマスロウェードへ突撃を敢行するのです。
余りにも大胆不敵な墺軍騎兵の行動に、不意を突かれた普軍砲兵は驚き慌てますが、墺軍騎兵はこの敵砲列を突破し、なおも部落に迫りました。
ここでマスロウェードの郊外にいた普軍歩兵が一斉射撃を行い、墺軍騎兵はこれを避けるため部落の北、シュウィープ森側へと進路を変えました。するとその前方に目立つ騎馬の一行が見え、墺軍騎兵はこれに向かって突撃する形となります。
この一行がなんと普皇太子とその副官たちだったから一大事です。突然、味方砲兵の列から墺軍の騎兵が降って湧いたように突撃し、自らに迫ったものですから皇太子もこれを偶然とは思わず、自分を殺すために決死隊がやって来た、と思ったことでしょう。皇太子はいつもの沈着冷静さを失い、驚き慌てた副官たちに守られつつ味方歩兵の行軍列に逃げ込みました。
偶然にも大殊勲を挙げる一歩手前まで行った墺軍の驃騎兵たちは、哀れにもこの皇太子が逃げ込んだ近2師第2近衛連隊の歩兵によるドライゼ銃の一斉射撃でほぼ全員が戦死してしまいました。
皮肉なことにこの墺軍驃騎兵が所属していた部隊、墺第7驃騎兵連隊の名誉称号は『Prinz von Preussen/プロシア皇子』で、名誉連隊長は命拾いしたフリードリヒ皇太子の叔父、現・普騎兵軍団長ハインリヒ・アルブレヒト親王大将だったのです。
この騎兵たちの突撃で得られた銃砲撃の合間を利用し、墺軍砲兵たちはシストヴェスへ逃げ帰ろうとしました。しかし、普軍も皇太子襲撃の衝撃から立ち直るとこの砲兵に襲いかかり、砲兵は捕虜となり大砲は戦利品となってしまうのでした。
ここに至り近1師のパーペ旅団は近2師の前衛に援助されながらフライシュハッケル旅団に対し攻撃を仕掛け、シストヴェス部落の南で激しい銃撃戦となります。フライシュハッケル将軍は、第3軍団ベネデック旅団の生き残りで臨時に指揮下に入っていた猟兵第1大隊を先頭に、旅団の一個連隊を迫る普軍に突撃させます。すると普軍は攻撃を止めて防御に徹し、わずかな間、攻撃の隙が出来ました。これを逃さず旅団は一斉に敵中突破を図ります。
将軍はクルムを抜けて自軍団(第4軍団)がいるはずのネデリストを目指そうとしましたが、既にクルムが普軍の手に落ちたことを知ると、リパ部落の脇、クルムの西にある林を抜けてランゲンホーフ方面へ退却しようと考えました。
旅団は普軍近衛兵の集団が追う中、リパ林に突入します。ところが自軍工兵が仕掛けた鹿柴に邪魔をされ、進路を妨害された部隊の一部は、大胆にも林を出て敵がひしめくクルム部落直近を掠めるようにして走り抜けます。驚いたのは、ちょうどクルムの北高地に砲列を敷こうとしていた近衛軍団直轄砲兵たちで、このフライシュハッケル旅団の突進を攻撃と受け取って逃げ去るのでした。
部隊の先頭に立って先導したフライシュハッケル将軍は程なくリパ部落南、街道沿いの空地へ到着します。この地には同僚のプロチャスカ旅団が配置についていて、将軍はこの旅団の背後で自旅団を集合させました。員数は大きく減ったものの士気や秩序を落とすことなく、将軍は立派にこの脱出行を成功させ、部隊は味方第10軍団の控えるランゲンホーフへと去るのでした。
フライシュハッケル
フライシュハッケル旅団がシストヴェスを去るにあたり、一緒に戦っていた驃騎兵第7連隊も部落を去る決心をします。この軽騎兵たちはクルムとマスロウェードの間を抜け、ネデリストを目指しました。これは正に敵中突破に他なりません。しかし、この騎兵たちは敢えてこの大胆不敵なルートを選びました。
連隊はデーゲンフェルド大佐に率いられ、クルムの脇を駆け抜けます。案の定激しい銃撃を浴びせられ、落伍する者が続出しますが、構わずに駆け抜けます。その先、マスロウェードの南では先ほど皇太子を救った近衛2師の第2連隊に見つかり、ここでも銃砲撃を浴び、先頭を進んでいた一個小隊の騎兵は全滅してしまいますが、残りの騎兵は必死で駆け抜け、遂に敵から逃げおおせた連隊は墺軍の砲台列線を抜け、ネデリストに集中していた味方第4軍団への合流に成功するのでした。
既に墺北軍の本営も、第3軍団の兵も南西へ撤退したリパの部落は、フライシュハッケル旅団が撤退すると入れ替わりに入って来た普軍の近衛兵たち(近1師と近2師の前衛部隊)により占領されます。ほぼ同時にシストヴェス部落も、近1師の部隊とシュウィープ森からやって来た普第7師団の部隊により陥落するのです。
一方、近1師がクルムを占領する頃、その南の戦場では普11師団と12師団の攻撃がネデリストを中心に激しくなっていました。この二個師団を束ねる普第6軍団長のルイス・ヴィルヘルム・フランツ・フォン・ムーティウス大将は、第6軍団をして墺軍の第2軍団とエルベ川の間に割って入り、先に逃げてしまったヘンリケッツ旅団以外逃がしてはならじと部下を叱咤するのでした。その焦点となるのはやはりネデリストの部落でした。
ネデリストは既に墺軍部隊はなく、センドラシックとネデリストの間に墺第2軍団トーム旅団の激減した部隊があり、またサフラン、ヴェルテンブルクの両旅団は既に部隊の体を成さず、弾薬も使い果たして戦う事は不可能でした。
普軍に立ち向かうのは、一旦ロヘニックへ引いた墺軽騎兵第2師団しかなく、師団の半分を率いるベルガルド大佐はこれら敗残部隊を救うべく、ネデリストへ近付く普11師団の先鋒部隊に対し自旅団の驃騎兵を突撃させました。
しかし、普軍はこれを方陣で迎え、激しい銃撃で墺軍騎兵は蹴散らされてしまいます。しかしこれによって普軍の行軍が乱れて遅れ、トーム旅団の兵士たちはこの隙に乗じてネデリストを通過、プレドメリック(プジェドムニェジツェ・ナト・ラベム)へと退却するのです。
墺第2軽騎兵師団のタキシス少将は師団の残り半分、ヴェストファーレン伯爵少将率いる旅団に対しロヘニックとネデリスト間に布陣せよ、と命じ、トーム旅団を逃がすことに成功したベルガルド旅団も傷付いた驃騎兵を収容するとその後方に待機しました。
この間も普11師団は着実にネデリストへ近付き、まずは砲兵部隊がネデリスト北方へ展開し砲撃を準備します。同時にセンドラシックより軍団予備の騎兵旅団を前進させ、その驃騎兵第4連隊と龍騎兵第8連隊により墺騎兵師団に対して突撃を敢行したのです。
この積極的な攻撃はしかし、戦場が騎兵戦には向かない起伏と小川が横切る地形だったため隊列が乱ればらばらとなってしまい、身軽な驃騎兵部隊のみロヘニックを掠めプレドメリックに迫りますが墺軍の驃騎兵がここで突撃し激しい騎馬戦となり、普軍騎兵は敗れてセンドラシック方面へ離散して行きました。
しかし、騎兵同士が戦っている間に普11師団先鋒部隊は遂にネデリストへ突入し、これを占領します。部落の西に展開していた墺軍直轄の砲兵第2大隊はこの攻撃で撃破され、シュウェティ部落へと撤退し、戦う気力を失ったサフラン、ヴェルテンブルクの両旅団、そしてシストヴェスからやって来た驃騎兵第7連隊も退却し始め、大多数がプレドメリックへ至り、その多くはエルベ川を渡って戦場を離脱して行きました。
普11師団はネデリストに一個大隊を守備に残し、ハンネンフェルト少将の第21旅団とホフマン少将の第22旅団は部落の北で隊列を整え、シュウェティへの進撃を準備します。攻撃を失敗した騎兵部隊もこれに続き、更に北方からビスマルク騎兵旅団も到着しました。
またロヘニックの普12師団は、墺ヘンリケッツ旅団で未だ抵抗を続ける小部隊に対し部隊を割いて残し、師団主力は墺第2軽騎兵師団の防衛線に気を付けながらネデリスト東方に集合するのでした。
クルム部落の戦い(普近衛第1連隊)




