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ケーニヒグレーツの戦い/近衛第1師団の突進

 普第二軍の攻撃によって墺軍が浮き足立ち、東部戦域での勝敗の流れが完全に普軍有利となった午後2時。近1師団長、ヴィルヘルム・ヒラー・フォン・ゲルトリンゲン中将は、麾下の部隊を敵の混乱に乗じて突進させる決心をし、命令を下します。

 

 師団攻略目標をベネデックが前進本営を構える高地の中心、クルム部落とその南一キロのロズベリック(ロズビェジツェ)部落とし、午後2時30分を期して全軍突撃せよ、と命じたのでした。


 勝利の女神は、この近1師の積極果敢な行動に微笑みました。


 普軍のエリートと自他共に認める近衛兵たちは、命令を受けるや否や2時半を待たずに行動を開始(午後2時過ぎ)、手始めにホレノヴェス西高地からマスロウェードへ突撃します。

 この2時という時間、午前中は墺軍の重要拠点となっていたこの部落に、墺軍の姿は後衛に残った一個大隊のみ。墺第2、第4の両軍団主力はクルムやネデリスト周辺での再配置に忙しく、このわずかな部隊以外普軍を妨害するものはありませんでした。


 近1師の主力部隊は部落から射撃を受けると、シュウィープ森側へ迂回してこれを避けて前進を続行し、マスロウェードの南にある高地に部隊を分派して無人の高地を占領、部落は両側から合撃されて守備隊は潰走します。

 こうして近1師は易々と重要拠点マスロウェードを攻略し、更に南西、南東へと急進しました。


 マスロウェードとその高地は、クルムやネデリストの高地から丸見えのはずでしたが、思い出してください、この日はあいにくの雨天。遠望は利かず、この7月上旬という季節は穀物が育つ時期であり、畑の麦や雑穀類が人の身の丈近くまで伸び、お陰で普軍兵士の姿はクルムの墺軍からはよく見えませんでした。

 また普軍の前進に当たっては、指揮官たちはこのマスロウェード=クルム=ネデリスト付近の地形の特徴である、うねうねと続く丘陵と広大な耕作地の陰を狙って移動し、容易に砲撃を避けることが出来たのです。

 近衛兵たちは開けた土地を走り抜けては畑の中や丘の陰で小休止し、再び次の遮蔽物まで走り、兵士たちはこの移動を交互に援護しながら次第に目標であるクルムとロズベリックに接近するのでした。


 また、砲兵部隊もこれに続いてホレノヴェスからマスロウェード高地への移動を素早く行いました。「不死身の」第7師団砲兵もベナテック方面からシュウィープ森を迂回してマスロウェードに到着、砲兵たちは協力してクルム方面への砲撃を準備します。


 クルム部落の高地に陣取る墺軍砲兵から見れば、マスロウェード付近にちらほらと敵の姿が見えるだけで、たまに銃声とその閃光が畑や丘の中腹で瞬くだけでした。この静かに流れる午後の時間、墺兵たちは自分たちのわずか数百メートルまで敵が迫っているとは想像も出来なかったのです。


 この時、ヒラー近1師団長は師団戦力を旅団を中心とした三つの「戦闘団」に再編成し、それぞれ気鋭の大佐に指揮させています。

 クルムへの進撃では師団右翼(北東シュウィープ森側)をアレクサンダー・アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・パーペ大佐の旅団(近衛第2旅団中心)が先頭を進み、間を置かずオットー・アウグスト・クナッペ・フォン・クナップシュタット大佐の旅団(近衛第1旅団中心)が続きます。また左翼(ネデリスト側)はあのケーニヒスホーフで活躍したベルンハルト・ハインリッヒ・アレクサンダー・フォン・ケッセル大佐の旅団(近衛銃兵連隊と猟兵大隊中心)が進撃しました。


 これらの部隊はクルムより「勘で」撃ちかける墺軍砲兵の砲撃を避け、また、見つからないよう、畑や丘の物陰を進んだので次第に隊列が入り乱れ多少の混乱が起きますが、指揮官たちはどんな物陰からもはっきりと見えていたクルム部落の教会の尖塔を目標に定めていて、迷う者はありませんでした。

 

 さて、クルムの南東には墺軍工兵が築いた砲台が七つ並んでいましたが、その三番目の砲台には第4軍団の砲兵が騎兵部隊の砲兵と共に砲列を敷いていました。


 彼らは時折見える敵兵に対し弾丸を節約するため、ある程度の数が固まって見えた時に砲撃を繰り返していましたが、敵が自分たちの至近まで迫っていることには一切気付いていませんでした。この2時半過ぎ、砲台は突如普軍に襲われます。それも四面から。

 気付いたときには既に遅く、瞬く間に砲台へと敵兵が殺到します。墺軍はそれでもゼロ距離(照準を定めることも出来ないほどの近距離・十数メートル内外)で榴散弾を発射、一部の敵を退けその隙に脱出に成功する者もいましたが、雨に濡れた大地は滑って思うように大砲が動かせず、馬は殺され、砲兵や護衛の軽騎兵たちは大概が白兵戦で倒れ負傷し、捕虜となったのです。


 これは近1師の二個旅団、ケッセルとクナッペ大佐の部隊の連携プレーで、砲台の周辺に陣を敷いていた墺ヨーゼフ大公旅団所属の猟兵も同時に襲撃され、不意を突かれたこの部隊は全滅する前になんとかウェセスタル(ヴシェスタリ)へと逃走するのでした。

 

 第3砲台が普軍の手に堕ちると、その東側にいたヨーゼフ旅団本隊は普クナッペ旅団の近衛兵と戦い始めます。しかし、北から続々と普軍がやって来て、ケッセル大佐の部隊ばかりか、ネデリスト方面から普第11師団の先鋒までやって来るに及び、遂に戦い続けることが適わず、次第に圧迫されたヨーゼフ旅団は更に南東へ、シュウェティ(スヴェィエティー)へと潰走してしまいました。


 クルム部落周辺にもクナッペ、ケッセル両旅団の兵士が押し寄せ、部落の周囲にある高地に砲列を敷き、ホラ林やシュウィープ森への砲撃を繰り返した第3軍団や第4軍団の砲兵たちは窮地に追い込まれてしまいます。

 そのほとんどは弾薬を使い果たしており、敵に対し何も出来ない部隊が多くありました。彼らは普軍の近衛兵たちを認めると直ちに砲を動かし、何とかウェセスタルやシュウェティへ逃れようとしましたが、多くは曳馬を殺され、銃撃を加えられ、捕虜か戦傷・戦死するかの運命を辿りました。

 

 クルム部落自体は第3軍団のアピアーノ旅団が守っていました。近1師が襲った時には至近にシュウィープ森から撤退した第4軍団のブランデンシュタイン旅団生き残りの兵士たちもいました。


 午後2時過ぎ、クルム部落に敵の砲弾が落下し始め、十分な遮蔽物のない場所にいた旅団砲兵はアピアーノ少将の命令でロズベリックに向かって後退しました。やがて時を移さずクルムの周囲に銃声が絶え間なく響くようになると、突如、部落は普軍近衛兵によって奇襲されたのでした。

 部落の中央にいた墺軍兵士は殺到する普軍兵士によってたちまち倒され、四方から突撃をかけて来た普軍に、墺軍兵士たちは応射する間もなく圧倒されてしまいます。

 短い時間の激しい銃撃戦で墺軍側に犠牲が相次ぎ、第46『ザクセン=マイニンゲン』連隊を率いた連隊長カール・スロウバキー大佐を始めとする連隊や大隊を率いる指揮官たちが次々に倒れ、アピアーノ旅団のほぼ半分にあたる兵士たち(ほとんどが第46連隊所属)はクルムを捨て、ロズベリックやウェセスタルへと潰走してしまいました。


 この時、墺北軍本営はクルム部落至近の高地上から北へ、リパ部落付近の高地上に移っており、そのため、ベネデック元帥始めとする墺北軍の高級将校たちは普軍の捕虜とならずにすみました。

 ベネデックはちょうどクルムが襲われた頃に、第2、第4軍団の様子を知るため、連絡将校をネデリスト方面へやりますが、この参謀将校は途中、クルム部落で敵が押し寄せるのに出会し、必死で馬を駆ってリパに逃げ戻り、既にクルムまでもが敵の手に落ちた、と伝えました。

 最初ベネデックはこれを信じようとせず、大将自ら副官を引き連れ、馬で高地を降りてクルムへ向かうと、突然クルム部落から激しい銃撃を浴びせられ、複数の副官が戦死するという緊急事態に陥入りました。


 ベネデックは馬を翻すとリパへ駆け戻り、リパ、クルム間にホラ林に向かって陣を敷いていた第3軍団のベネデック旅団(司令官の親戚、アレクサンダー・ベネデック大佐が指揮官でした)に対し、逆方向のクルムに向け進撃し敵を攻撃せよ、と直接命じました。軍団長を差し置いて、軍司令官が軍団を構成する旅団に命じるのは異例なことですが、それだけ緊急事態だったと言えます。


 A・ベネデック大佐は直ぐに動くことが出来た第52『フランツ・カール大公』連隊をクルム部落へ突入させます。しかし、連隊のうち第三大隊が部落の南側から回り込んで突撃に成功しますが、部落内での乱戦で普軍に囲まれ、大隊長は戦死、部隊の兵士も多くが負傷・戦死し、生き残った者は捕虜となってしまいました。

挿絵(By みてみん)

A・ベネデック

 また、クルムの外側に砲列を敷いていて、敵から攻撃を受けずにいた第3軍団に属するある砲兵中隊は、クルム陥落を知るや友軍砲兵がクルム周辺より脱出するのを助けるため、クルムよりわずか百数十メートルまで接近、部落から出撃する普軍を砲撃しますが、猛烈な対抗射撃を受けてほぼ全滅してしまいます。


 クルムのすぐ外にいた第4軍団のブランデンシュタイン旅団は、クルムの南から撤退する墺軍を追ってロズベリックを目指した普近衛のクナッペ旅団本隊と衝突します。

 既にシュウィープ森で満身創痍となっていて、定員とはほど遠い状態のブランデンシュタイン旅団は最後の力を振り絞るかのように奮戦し、最後にはクルムに向け絶望的な突撃を敢行しますが、攻撃の陣頭に加わった第4軍団の参謀長始め多くの士官を含む多数の戦死者を出してしまい、敗残兵と化した旅団の生き残りたちはロズベリックを通り過ぎて遥か南東のプラッカ(プラーツキ/ケーニヒグレーツ郊外)へと落ち延びて行くのでした。


 近1師は右翼のパーペ旅団がクルムを押さえ、リパやシストヴェスを窺い、左翼のクナッペ、ケッセルの両旅団は南東方面、即ちケーニヒグレーツ方面へ進撃を続けます。


 ロズベリックに達したクナッペ、ケッセル旅団の諸部隊は、その周辺に駐屯していた墺予備騎兵第1師団を襲います。

 不意を突かれた騎兵たちは、騎馬を御する間もなく突撃を敢行され、死傷者多数を出してしまいます。

 生き残った重騎兵部隊はシュウェティへ逃れ、軽騎兵部隊は墺第十軍団が構えるランゲンホーフへと逃れます。


 クルムの守備に当たっていたカール・リッター・フォン・アピアーノ少将は普軍の攻撃時、敵情を観察しようと近隣の高地にいて助かりました。将軍は部落の外で警戒していて壊滅を免れた旅団の残り四個大隊を以てクルムを奪回しようと攻撃を開始しますが、このロズベリックの危機に際し、クルムを諦め、ロズベリックを救うことを優先します。

 アピアーノという名が示す通り、将軍は生粋のイタリア人ですが、墺国が領土としたイタリア半島北部出身故に若くして墺軍に入隊、『敵性外国人』故のハンデを背負っても旅団長少将まで出世しました。

 墺軍にはこうした被支配民族出身の将軍も多く、第1軽騎兵師団長のエデルスハイム少将もハンガリー人のユサール(驃騎兵)でした。

 アピアーノ少将は戦後、このケーニヒグレーツ戦で敢闘した者に授けられたアイアン・クラウン勲章受賞者五人の一人となります。


 敢闘精神に溢れた少将は旅団の残りと共に全力でロズベリック攻防戦を戦いますが、相手は普軍のエリート近衛の二個旅団で、兵力差が有り過ぎました。

 猟兵たちの踏ん張りもあり、しばらくは部落を守ったアピアーノ旅団も、次々に精力的な攻撃を繰り出す普軍の前に次第に崩れ、部落は死傷者と死んだ馬、横転した荷車などで散乱した状態となり、やがて少人数のグループとなった旅団の残兵は他の部隊の兵士たちが落ち延びたウェセスタルやシュウェティへと逃れるのでした。


 先行してクルムに面して布陣した墺北軍直轄の予備砲兵の一部は、ロズベリックに敵が溢れたのを見て部落に対し接近し砲撃しようとしますが、これは無謀な冒険でした。近衛の歩兵たちは、敵の砲兵が見通しのよい街道沿いにのこのこと出て来たのを見るや急進して襲撃し、墺軍砲兵はほとんど撃つ間もなく多くの犠牲を出してウェセスタルへ逃げ帰るのでした。


 北のリパ周辺でがんばる第3軍団のベネデック旅団は、重ねてクルムを奪還しようと攻撃を繰り返します。

 軍司令官の直接命令による一回目の攻撃で、敵に一個大隊を壊滅されたA・ベネデック旅団長は、敵が勢いに乗ってクルムから北上しようとするのを見ると、自ら三個大隊を率いてクルムへ突進します。


 しかし、リパ=クルム間には北軍工兵が築いた鹿柴(ろくさい・防御柵)や対騎兵用の壕などがあり、これが邪魔となって突撃の勢いが殺がれてしまいます。逆に普軍近衛兵たちはこの障害物を遮蔽物として巧みに利用し、墺軍兵士たちはドライゼ銃の射撃でバタバタと倒れていきました。

 陣頭指揮をした大佐も重傷を負って倒れ、これによりベネデック旅団も敗残兵と化してしまい、彼らは旅団長始め負傷者を抱えながらランゲンホーフへと逃れて行きました。


 クルムとロズベリックが完全に普軍の手に落ちたのは午後2時45分のことでした。しかし普軍のエリートたる近衛軍団はこの後、南西側から手痛い反撃を受けることとなるのです。



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