ケーニヒグレーツの戦い/東部戦域・墺第2、第4軍団後退す
近1師の先鋒がホレノヴェスの高地を目指し行動を開始、続々と後続部隊が戦場に到着し始めた午前11時30分過ぎ、お隣、南側を進む普第6軍団ではちょっとした混乱が発生していました。
第6軍団に所属する二つの師団のうち、先を行く第11師団の先鋒、ハンネンフェルト少将指揮の第21旅団はラシク(ラチツェ・ナト・トロティノウ)に至ると、そこにいた墺軍の一個大隊と交戦、墺軍を蹴散らし捕虜多数を得ます。また、別の大隊は近1師が到着前に二キロ西のホレノヴェスを狙い進撃しますが、この時はまだ高地に墺軍猟兵やトーム旅団が待機していて砲兵も健在だったため猛烈な反撃を食ってしまい、多数の犠牲を出して敗退してしまいました。更に別の一個大隊は目標とされた雑木林を探せずに戦場で道に迷ってしまうという失態を演じ、ホウホウの体でラシクに戻って来るという体たらくでした。
後方からエルベ川沿いを進んでいた第12師団は、命令変更で砲撃音を聞きながら北に進路を変え、これもラシク近郊に至りました。部隊はラシクの東にあるホリッカの林を占領すると、ラシク部落に入ろうとしますが、ここは既に11師団が占領し、狭い部落は普軍兵士で溢れ返っています。
これを見た11師団長ツァストロウ将軍は慌てて12師団長のプロジンスキー将軍へ副官を送り、進路を南寄りに変更して貰えないか、と懇願します。しかし、12師団長がそれを承諾した時には既にラシク周辺には手に負えないほどの渋滞が発生しており、11師団の兵士と12師団の兵士は入り交じってしまい互いにあっちへ行け、いや、こっちだ、と押し合う事態になってしまいました。
これは命令の変更後、明確にそれぞれの師団目標を定めなかったムーティウス軍団長の失態と言えそうです。
ラシクに入り切れなかった12師団の部隊はやむを得ず、目前を流れるトロチカ川を渡河してスペースを開け渋滞を回避しようとしますが、混乱はしばらくの間続きました。やっとのことで12師団はラシクから南東方向へ転進し、ロドー(ロドフ)の部落へと移動するのでした。
混乱が収まり始めると普第6軍団は進撃を再開、ラシクやロドーからセンドラシック前面の高地へと向かいます。ここには墺第2軍団のヘンリケッツ旅団から前哨が派遣されていましたが、普軍が接近すると白旗を振って相手を油断させ、近付いたところで発砲するというギリギリの手を使って最初の攻撃を押さえ込みます。しかし多勢に無勢、次第に増える敵を前にセンドラシックの本隊へと遁走に移りました。
面白いことに、墺軍側の戦記ではこの時の様子が全く逆に描かれていて、普軍は近付いて来ると白旗を振り、墺軍兵士に「我々はザクセン軍の者だ」と言った、といいます。疑った墺軍が発砲すると重ねて旗を振り「味方だ、こちらはザクセン軍だ」と言い続けたと言います。
何が起きたのかは今となっては分かりませんが、どちらかが偽りの白旗を振ったことは間違いなさそうです。
さて、墺軍で唯一戦場の東側を警戒していたヘンリケッツ旅団は12時30分、「センドラシック東方高地へ進撃せよ」とのツーン第2軍団長からの命令が届き、行動を開始します。先ずは2個連隊(旅団の半分)が待機していたトロチナ付近からセンドラシックの東へと進みますが、この12時半を回った辺りで先ほど前哨を敗退させた普軍が、ヘンリケッツ旅団の先鋒でセンドラシック北の林(現在のセンドラジツェ駅付近)で警戒していた墺第9猟兵大隊を攻撃、ほぼ同時にロドー方面から普第12師団の進撃が始まりました。
旅団長グスタフ・リッター・フォン・ヘンリケッツ少将は砲兵に命じてこの行軍を砲撃させますが、普軍も砲兵が進出して反撃、この砲撃戦の間に普軍はトロチカ川を渡り猟兵大隊を包囲しようとし、また別働隊がトロチカ(トロティナ)部落を攻撃しました。
墺猟兵第9大隊は奮戦の後、包囲を逃れてセンドラシックへ退却し、トロチカ部落にいた大隊も同じくセンドラシックへ逃走しました。
勢いに乗った普第12師団は次々にトロチカ川を渡河しセンドラシックを包囲しようとしたため、午後2時30分、遂にヘンリケッツ将軍は退却を決意し、旅団は一斉に南東2キロにあるエルベ川畔のロヘニック(ロヘニツェ)へ退却して行きました。
普12師団のおよそ千名の歩兵・猟兵と驃騎兵連隊はこれを追ってロヘニック近郊で戦い、また八百名ほどの歩兵と猟兵はセンドラシックへ突入、後衛として残っていたヘンリケッツ旅団の猟兵を駆逐します。これによってラシクから普11師団の本隊もセンドラシックへ進出し、第21旅団のあのホレノヴェスを襲って敗退した大隊は懲りずにセンドラシックを抜け、更に南のネデリストへ向けて進撃するのでした。
このネデリスト(ネジェリシュチュ)はクルムの「背後」に当たり、先に墺北軍ベネデック将軍が第2、4の二個軍団に防衛線構築を命じたクルム=ネデリスト線の南端であり、ここを奪われると墺北軍主力(第2、3、4軍団)が包囲される危険が増すことになります。
ネデリストには朝から墺第2軽騎兵師団(2,800騎・砲16門)が待機しており、第2と第4軍団が北へ偏った陣を敷いても釣られずに軍命令通りの位置で構えていました。
師団長のエメリッヒ・ツーン・ウント・タキシス親王少将はヘンリケッツ旅団が退却し敵がそれを追って南下するのを認めると、直ちに一個驃騎兵連隊を前進させて警戒させました。同時に砲兵をセンドラシックの南へ前進させてヘンリケッツ旅団の援護射撃を開始します。この砲兵はセンドラシックから前進しつつある普軍を狙い盛んに砲撃を繰り返しますが、敵の数は多く砲撃も受け、やがてその砲列に敵歩兵が迫ったためネデリストへ後退するしかありませんでした。
これによって普軍の障害はなくなり、センドラシックの南端から第12師団がネデリストをめがけて進撃を開始、村に対して激しい銃撃を加えたため、墺第2軽騎兵師団はこれ以上の損害を避けるためロヘニックへと退却したのです。
ネデリストとマスロウェードの間に布陣し墺第2軍団の退却を援護する予定だったトーム旅団は、この普軍の進出により前進を阻まれてしまい、仕方なく主力をセンドラシックの南西に面した高地に布陣させます。しかし残った旅団の部隊は普第12師団に順次攻撃され、ばらばらとなってしまい、マスロウェードの南方へ後退する者、またネデリストの南側へ退避する部隊、そしてケーニヒグレーツ郊外のプロチスト(プロティシュチェ・ナト・ラベム)まで逃げ続けた者すら出る始末でした。
12時過ぎに本来の部署であるネデリスト付近からトロチナへの移動を命じられた墺第2軍団はサフラン旅団を先頭に南へ移動を開始しますが、この12時過ぎと言う時間は普第二軍がホレノヴェスからセンドラシック、トロチナへの攻撃を始めた時間に合致していて、偶然とはいえ全く最悪な時間帯に移動を命じられたことが分かります。
先述の通りセンドラシック部落にいたヘンリケッツ旅団はロヘニックへ退却、その北、ホレノヴェスにいたトーム旅団も近1師の攻撃前に退却しますが、南下中に普第6軍に捕捉され散々な目に遭いました。
最初に動き出したサフラン旅団はシュウィープ森前面から全部隊が退却した時、ちょうどホレノヴェス高地を近1師の先鋒と騎兵が占領した直後となり、マスロウェードで集合し南下し始めると、このホレノヴェス方面から盛んに砲撃や小銃の射撃を浴び続ける事となってしまいました。その後衛はホレノヴェス攻撃に加わっていたビスマルク騎兵旅団(フリードリヒ・アレクサンダー・フォン・ビスマルク=ボーレン少将指揮。この人は宰相ビスマルクの遠い親戚です)に襲われました。これは近1師団長ヒラー将軍がホレノヴェス高地に登って来た時にサフラン旅団の後退を望見、ビスマルク少将に命じて突撃させたものでした。少将の龍騎兵(普では重騎兵です)はこの後衛目がけて駆け寄りますが、サフラン旅団後衛は直ちに方陣隊形を作ってこれを迎え撃ち、一斉射撃により攻撃を頓挫させました。
これによりサフラン旅団は無事にネデリスト南東の集合地点へと退却して行きました。
ヴェルテンブルク旅団はサフラン旅団より早くにシュウィープ森の戦いに参戦していた分、森の奥深くまで進出していましたが、撤退命令を受けても中々森を出ることをしませんでした。
これは旅団長ヴェルテンブルク公が即時撤退を拒否したためです。
公は、墺軍がシュウィープ森を一気に放棄すれば、敵は即進撃して第2、第4軍団の退却が危険となると考え、自分の旅団が後衛として犠牲となることで軍団を護ろうとしたのでした。
これでヴェルテンブルク旅団は窮地に立たされることとなりますが、第4軍団の砲兵とこのヴェルテンブルク旅団砲兵が協力しマスロウェードの西からホレノヴェス高地に対し猛烈な砲撃をしたため、しばらくの間普軍は動けず、この間にヴェルテンブルク旅団は森から出ようとしました。ところが、撃退したはずの普第7師団がここで再び森に突入し、ヴェルテンブルク旅団の残兵を襲います。激戦の後、墺軍歩兵たちはなんとか森を脱出、マスロウェードに入ります。
しかし、休む間もなく近1師の先鋒部隊が迫る中、ネデリストへ向けて旅団の退却行は続きました。そして途中でサフラン旅団と同じく普軍騎兵の襲撃を受けますがこれも撃退し、午後2時過ぎにはネデリスト付近に辿り着くことが出来たのです。
こうして墺第2軍団は呪われたシュウィープ森から離れて行きました。既に軍団は満身創痍の状態で戦う力もなくなっています。ヴェルテンブルク、サフランの両旅団はシュウィープ森からネデリストへの退却行で敗残兵の集団に近い状態、トーム旅団はばらばらとなってしまい、本隊は二個大隊程度まで激減、ヘンリケッツ旅団はセンドラシックからロヘニックへ退却、エルベ川を渡河し、最早戦場を離脱しようとしていました。
その砲兵たちはホレノヴェスやマスロウェードから動かせる砲を必死で動かし、ネデリストの西で軍団の本隊と合流します。しかし、既に弾薬を使い果たしたり遺棄せざるを得なかったため、その大砲は沈黙するばかりとなるのでした。
この間、墺第4軍団も退却を開始します。頑固なモリナリー代理軍団長は、ベネデック総司令官の厳命でようやく退却を始めたのでした。
マスロウェードをヨーゼフ大公旅団に守らせ、シュウィープ森で痛め付けられた2つの旅団が午後一時から二時にかけて、この部落の南を通ってネデリストへと後退して行きました。
しかし、ペーク旅団に属する連隊の一つは、未だシュウィープ森の縁に残っていて、息を吹き返した普第7師団に襲われた第2軍団のヴェルテンブルク旅団を援護しようと森の奥へ引き返します。
普軍の銃撃は変わらず正確で、撃ちながら迫る敵に何度も危ない場面となりますが、その都度この攻撃を挫折させ、ヴェルテンブルク旅団兵士が森を離れるまで援護射撃を繰り返したのでした。
この勇気ある連隊(第37『ヨーゼフ大公』連隊)はヴェルテンブルク旅団の残兵と共に森を離れますが、この時に友軍の砲撃は敵味方構わず森の周囲に降り注ぎ、敵の弾丸を避け得た兵士たちは友軍の砲弾で倒れて行くと言う理不尽を味わうことにもなったのです。
第4軍団はこうして墺北軍の当初計画通りクルム=ネデリスト間に布陣し、ブランデンシュタイン旅団がクルム部落南東へ、ペーク旅団は小部隊単位でネデリストとクルム間に点在、ヨーゼフ大公旅団はマスロウェードからクルム部落の南へと移動したのです。
またこの軍団砲兵はクルムの南に北軍工兵監ピドル大佐の隊が築いたいくつかの砲台(『決戦前夜~オーストリア側の事情』を参照)へと籠るのでした。時間は午後2時を過ぎようとしていました。
ただ独り、フライシュハッケル旅団だけは第3軍団の兵士たちとシュウィープ森の南西側シストヴェス部落に残りました。これでシストヴェスの部落は普第一軍に突き出す目立つ「角」となります。
墺北軍の砲兵総監、ヴィルヘルム・フランツ・カール・フォン・ハプスブルグ=ロートリンゲン(オーストリア大公)中将は第2、第4軍団の後退が困難なのを見て取ると、ベネデックに諮らず独断で軍の予備砲兵を動かすことに決め、正午過ぎ、数人の士官をクルム=ネデリスト線へ派遣して急ぎ地形を確認、直ちに砲兵八個中隊(40門前後)を槍騎兵隊に護衛させてクルムの南へと派遣します。敵の第二軍がクルムに攻め込むのは時間の問題と考えた若い親王(39歳)の英断で、この砲兵たちを始めとする予備軍のお陰で墺北軍はこの後、全滅を免れるのです。
ヴィルヘルム・フランツ親王
午後2時。普第二軍の進撃はようやく勢いが付き、第12師団はロヘニックを襲い、第11師団はセンドラシックの墺残兵を刈りつつネデリストを攻め、近1師はホレノヴェスから高地を経てマスロウェードに迫り、その右翼には第一軍の第7師団が連なり、シュウィープ森から出ようとしていました。
そしてホレノヴェスの北、第二軍司令官のフリードリヒ皇太子の目前を、待ち望んだ黒い制服に身を包んだ部隊が早足で南西へと進んで行きました。
遅れていた近衛第2師団がホレノヴェスへ入ろうとしていたのでした。




