ケーニヒグレーツの戦い/東部戦域・普第二軍の進撃
普国皇太子フリードリヒ王子が大本営からの命令を受領し、それを参謀長と鳩首し、軍命令として麾下の各軍団へ送付した時には夜が明けかかっていました。
その命令を一言で言い表せば、「大至急クルム高地の東側へ向かい、敵と戦え」と言うことで、北から南へ第1軍団、近衛軍団、第6軍団という並びで進撃し、第6軍団の後ろから第5軍団が遅れて出発し軍の予備となる公算でした。彼らはマスロウェード(第1軍団目標)=ホレノヴェス(近衛軍団目標)=ラシク(ラチツェ・ナト・トロティノウ/第6軍団目標)の線を目指し、その2キロほど手前で交戦準備をし、墺軍へ戦いを挑む作戦です。
しかし決戦の日は生憎の雨天で、耕作に適したふくよかで柔らかい大地のボヘミア農村地帯を進む彼らは、泥という敵とも戦わねばならなくなります。
同じような目(降雨による泥濘)に遭ったイタリア軍は、一週間前にミンチョの畔で同じ敵、墺軍相手に大敗を喫しました。
しかも伊軍と違い、普第二軍には時間との戦いもあります。戦場にたどり着くのが遅れれば遅れるほど先に戦い始めた第一軍が不利となり、その「攻勢限界点」が第二軍の到着前に訪れたなら、普軍は各個撃破というナポレオン戦争当時の姿を晒すことにもなりかねません。
普第二軍の各軍団は、午前8時前後には出発して、10キロから15キロ先の戦場を目指しました。
この中で一番早く出発したのは第6軍団の第12師団で、午前6時には出立しました。
グラドリッツ(ホウストニーコヴォ・フラディシュチェ)付近で野営していた彼らは前日最初に発せられた命令により、早朝出発しヨセフシュタット要塞付近に進出、威力偵察を命じられていたため、至急前進の命令が届いた時には行軍準備が整っており、どの部隊よりも早く動き出すことが出来たのでした。
また、近衛軍団はさすがに精鋭で、午前5時過ぎに命令を受領するや否や、目覚ましい勢いで行軍準備を完了し、レッテンドルフ(コツベジェ/近衛第2師団)を7時、ケーニヒスホーフ(近衛第1師団)を8時に出立しました。
これとは逆に汚点を残したのは第1軍団で、既に北方より南下していた彼らは、午前3時15分という早い時間に大本営のモルトケから直接進軍命令が届けられたのに、これを「無視」してしまいました。
モルトケは第1軍団が第二軍本営から遙かに離れていて、逆に大本営(ギッチン)に近かったため、第二軍経由では命令受領が遅れることを恐れてわざわざ伝令に持たせたのですが、第1軍団長のフォン・ボーニン将軍はこの期に及んで形式に拘り、皇太子からの命令がなければ行軍は実行出来ないとし、何と六時間後の午前9時半、ようやく届いた皇太子の命令によって行軍を始めたのです。
この辺り、さすがの普軍も敵国内での急進撃では電信敷設が間に合わず、騎馬伝令に頼らねばならなかったので、さぞイライラしたことでしょう。
ボーニンはトラテナウで、積極果敢な墺軍ガブレンツ将軍に対し形式通りの硬直した戦術で戦い、普軍唯一とも言える負け戦をし、またここでも参謀総長の命令を拒絶、頑迷で古いタイプの軍人気質はマイン軍のファルケンシュタインと似たり寄ったりでした。
この大幅な遅延により、普軍の名門、第1軍団はこの大会戦の最後になってようやく登場、普墺戦争では脇役で終わってしまいました。
アドルフ・フォン・ボーニン
さて、泥濘は特に重い資材を運ぶ工兵や、大砲に弾薬を運ばねばならない砲兵部隊に難儀を与え、その冷や汗が出るような進軍速度に指揮官たちは焦り、部下に発破を掛けますが、そんなことで行軍がより捗るというものではありませんでした。
そんな普第二軍にとって不幸中の幸いだったのは、敵に悩まされることが少なかったことです。
ボヘミアの住民たちは固く家に籠もって戦火が過ぎるのを祈るだけで特に目立つ妨害(例えば街道に障害物を置くなどの)もなく、また墺軍はこの地方に長距離斥候や哨兵をほとんど置いていなかったため、天候以外に煩わされるものはほとんどありませんでした。
しかし、泥濘やボーニンのような「人災」以外にも遅延の原因が見られました。
特にひどかったのは近衛軍団で、最も遠く離れていたため必死で行軍準備をし、お陰でスタートダッシュに成功した近衛第2師団は、「軍団直轄砲兵は近衛第1師団に属し行軍せよ」との軍団命令によって、その進撃路である街道を先に足の遅い砲兵たちに使われてしまいます。
泥濘で亀の歩みとなった砲兵部隊の後ろで、神経のすり減る待機を強いられてしまい、精鋭の彼らも会戦の最後期にやっとのことで戦場に辿り着くのです。
フリードリヒ皇太子は午前11時15分、第二軍本営をショテボレック(ホチェボルキ)近郊の丘陵に移動、ここから指揮を執ることにしました。
この丘からは彼方にホレノヴェスの高地が望め、ビストリッツ川流域も微かに遠望することが出来ます。
この時、皇太子の目に映ったのは川端やホレノヴェス周辺の部落が煙を上げ炎上する様で、見通しが悪い雨天とはいえ、何かの拍子に遠く砲煙や発砲炎が見えることもありました。
砲声は地鳴りのように続いて途切れることはなく、皇太子の胸の高鳴りと同期するかのように激しさを増していきました。
皇太子がこの地に至るまでの道すがら、敵情や戦闘情報が矢継ぎ早に到着し、特に第7師団のフランセキー師団長が次々に走らせた伝令は、シュウィープ森での激戦と二個軍団を相手にする苦戦を伝え、至急援軍を、と訴え続けました。
第二軍本営の幕僚たちは報告にも押し黙って馬を進める皇太子の背中をちらりちらりと盗み見しながら、第二軍がベナテックやホレノヴェスにたどり着くまで第七師団は持たないのではないだろうか、と不安を抱くのでした。
ショテボレック丘の上の皇太子は傍らのブルーメンタール参謀長と話し合います。
これまでの情報を整理すれば、墺軍はリパ=クルムを中心に北に向かって半円を描く形で布陣し、普第二軍の相手となる東側には三個軍団程度の敵が味方の第一軍と戦闘中です。
皇太子の軍が真っ先にしなくてはならないことは、敵の側面である東側に「クサビ」を打ち込み、敵の注意と戦力を東側にも分散させ、苦戦する第七師団を始めとするカール王子の軍に掛かっている敵の圧力を弱めることです。
地形からすればその「クサビ」を打ち込むのに最適な場所は、クルム高地の東北端に当たると同時に戦線の最東端になるホレノヴェスの高地で、ここを押さえることが出来れば、クルム周辺に陣取る敵主力の砲兵と対等な高さで砲撃戦を行うことが出来、また敵が第一軍に向かえばその側面に牽制の砲撃や不意を突く攻撃を行うことが出来るでしょう。
皇太子の目にも遠く霞んで見えるホレノヴェスは真っ先に攻略すべき場所と映りましたが、問題は、当然同じことを墺北軍司令官ベネディックも考えているだろう、と言うことです。
あの高地には一個軍団が構えるのに十分な広さがあり、そこに東側から接近すれば高地から丸見えで、攻撃側は多大な損害を覚悟しなくてはなりません。
しかも、第二軍で今すぐにこの高地に向かえるのは近衛第1師団だけで、他にムーティウス将軍の第6軍団が最左翼(南)を進んでいるものの、この二個師団を北へ向ければ南側面をガラ空きにするということになり、敵が予備を後置していた場合(実際にしていました)、あまりにも危険です。
他の部隊は、頑迷なボーニンの第1軍団はようやく進み始めたばかりで役に立たず、近衛第2師団は砲兵部隊に邪魔され、未だにケーニヒスホーフ周辺でイライラと待っていて、歴戦で疲れ、今回は予備に回った殊勲の第5軍団は第6軍団の後ろから出立したばかりでした。
しかし、皇太子も参謀長も結論は一緒でした。ホレノヴェス高地を穫るしかない。
たとえ数万の敵が待ち構えていようが、ホレノヴェスを回避してクルムに向かうには大きく南へ迂回せねばならず、その機動に敵が反応すれば戦線は動き、第一軍は楽になりますが、もし敵が焦らず動かなかった場合、第二軍は「遊軍」となってしまい、第一軍は敗れ去ってしまうでしょう。
同じような先例は過去にも多くあり、何しろ皇太子の父である普国王が若い王子の頃に騎兵旅団を率いて参戦した、あのナポレオン最後の戦い「ワーテルローの戦い」で敵フランスのグルーシー将軍率いる軍団が遊軍化するという同じ失敗をして敗因となっています。
敵の数は関係なく、ホレノヴェスは落さなくてはならない。皇太子はそう決心すると各軍団に伝令を走らせました。
まもなく戦場に到着する三個師団(近衛第1、第11、第12師団)には簡素に「進撃し速やかに敵を討つべし」、遅れる部隊には「ひたすらに急進し、一刻も早く戦場で参戦せよ」と。
この伝令を受けた近衛第1師団のある将軍は麾下の士官たちを集めると、ホレノヴェス南方の高地最高地点に高く見えている二本の菩提樹を馬鞭で指し示し、「あれが諸君の目標だ。かかれ!」とだけ言い放ちました。この辺り、ギッチン戦での第6師団長ツンプリング将軍の「パフォーマンス」と同じで、士気を高めるのが上手な普軍の将軍らしい場面です。
その近衛第1師団の先鋒旅団を率いるアルヴェンスレーベン将軍の下には、なんと出発直前の午前7時、第7師団長フランセキー将軍から使者が訪れ、この後、第7師団は敵の右翼(東)を攻撃するので、我が師団左翼(東)を援護して欲しい、と要請がありました。
近衛第1師団はこの要請は軍命令にも合致していたので、これに応えることとし、行軍して来たのです。
そのため、砲兵が出来るだけ多く必要であろうとの考えから軍団直轄砲兵が師団に加えられ、そのために近衛第2師団が大幅に遅れる原因となったのは皮肉なことでした。
近衛第1師団はショテボレック付近でこの軍団砲兵を加えることに成功し、強化された師団はアルヴェンスレーベン支隊を先頭にベナテックからホレノヴェスに掛けて攻撃を開始したのでした。




