ケーニヒグレーツの戦い/中央・東部戦域 死神の棲む森で
ガブレンツ将軍率いる墺第10軍団の砲列の前に難渋する普第2軍団も、ただ地面に伏していたばかりではありませんでした。中には、何とか敵の砲兵を攻撃し、その砲撃を弱めさせようとする動きもあり、それは主力がホラ林に向かった第4師団の別動部隊や第8師団に多く見られた行動でした。
午前10時過ぎ、一大佐に率いられた第4師団の連隊の一つは、ドハリックの部落に上がってくると、第3師団の兵士が砲撃で難渋する姿を横目に、猛砲撃の中果敢にもその先500メートルのオーベル=ドハリック(ホルニー・ドハリツェ)の部落へ突入します。ここはホラ林の西に隣接していて、この部隊の攻撃を知った第8師団の連隊も林から部落へとやって来ました。
これらの部隊は、一致協力してランゲンホーフ前面高地に陣取る墺第10軍団や第3予備騎兵師団の砲兵陣地へ突入しようと前進を試みます。しかし、ここからランゲンホーフまでは緩やかな斜面を成し、樹木も大地の起伏も乏しく、身を隠せる場所がありません。折からの雨とはいえ、11時前後になると霧も晴れ、見通しは良くなって来ました。
墺軍の砲兵たちはたちまちこの普軍部隊を見つけて砲撃を繰り返し、結局、この共同チームの攻撃は失敗に終わり、後はオーベル=ドハリックに張り付くだけで前進は叶いませんでした。
普第2軍団長のステファン・フォン・シュミット将軍は軍団の前進が進まないことに苛立ち、自らミザンの陣地からサドワを通ってホラ林までやって来ます。ここで第4師団の本隊と師団長ビッテンフェルト将軍を激励し、直ちに林に突入し敵を攻撃しろ、と命じました。
これにより、ホラ林の中で激戦が繰り広げられることになるのです。
このクルム高地一帯の林は、寒村の雑木林というよりは山岳地帯にある本格的な森に近く、樹木は密集していて、人の手が加えられない部分も多く残っていました。そこかしこに下草が生え、昼なお暗い、周囲の見晴らしがよい田園風景とは真逆の光景です。
しかもこの悪天候ですから林の奥は相当に暗く、雨は兵士が進む音を消して、そこかしこに敵が潜んでいるような錯覚に陥ります。これは両軍の歩兵に緊張を強いることとなりました。
ここホラの林では歩兵対歩兵の遭遇戦(敵を探し求め発見次第戦う)が多発、双方共に手探りの状態での戦いとなりました。結果は墺軍が頑強に抵抗したことで膠着状態になり、普墺両軍ともいたずらに犠牲が増すばかりとなってしまいました。
また、林の周辺では普軍の騎兵部隊も突撃を繰り返しますが、変わらぬ正確な砲撃と、街道の両側に陣を敷く墺第3軍団と第10軍団の歩兵による一斉射撃で撃退されました。
こうして中央戦域では一進一退の激しい攻防が、ホラ林を中心に延々と続くこととなるのです。
正午における普第一軍右翼(ホリク=ケーニヒグレーツ街道の西側)の状況は、
第3師団はモクロヴォースからドハリカ、ドハリックの西まで点在し、
第4師団の一部(第49連隊)はドハリックとオーベル=ドハリックに、本隊はホラ林の中で激戦、
ゴルツ騎兵旅団はドハリカの下に展開、第2軍団直轄砲兵もここからランゲルホーフを狙って砲撃中、
第5と第6師団は、クレニック(クレニツェ)から前進して、オーベル=セルヌテク(ホルニー・チェルヌートキ)まで進み、第8師団か第3師団の後に続こうとしていました。
軍の直轄砲兵は、砲列をサドワからドゥブまで敷いていましたが、敵陣は遠く、効果的な砲撃は出来ずにいて、
騎兵軍団は一部を除き未だにスチャから動けずにいました。
対する墺軍は、
第10軍団と第3予備騎兵師団はランゲンホーフの北に集中し、ホリク=ケーニヒグレーツ街道の西へ展開、その砲兵隊は効果的に敵を防いでいました。
第3軍団は第10軍団の東に連なり、前線はホラ林とその東の街道にあって、ここで敵と壮絶な攻防を繰り広げていました。
一方、東部戦域では……
部署への配備が遅れた墺第4軍団と第2軍団が担当する東部戦域は、墺北軍司令部やベネデック将軍が描いていた、東側からやって来るはずの普皇太子率いる第二軍への備えが危うい状況になっていました。
既に記した様に、第4軍団は東側に目を向けるはずが、全て北西側を向いてしまっていて、遅れてやって来た第2軍団は一個旅団のみ東を向き、残りは戦線の北東端、ホレノヴィスの南に集中して布陣するという形になってしまいました。
午前7時30分。砲撃の開始とともに普第7師団は待機していたセレクヴィック(ツェレクヴィツェ・ナト・ビストジツィー)から進撃を開始しますが、既に先行した前衛の2個大隊がベナテック部落の北まで進んでいました。
このホレノヴィスの西にある小部落はクルム高地の突端で、ここには墺軍の前哨がいましたが普第7師団の進撃を発見するやさっさと後退します。折しもホレノヴィスに到着した墺第4軍団の前衛、ブランデンシュタイン旅団はその前に立ちふさがる形でマスロウェードからシュウィープ森にかけて布陣して行きました。
普第7師団は前衛がベナテックに入ると直ちに高地を駆け上がり、本隊もベナテックに入りました。その北側、ホレノヴィス方面には騎兵を置いて警戒し、ベナテック後方からビストリッツ川にかけても第一軍から軽騎兵部隊が送られ警戒を強めていました。
午前8時30分過ぎ、第7師団の前衛と、シュウィープ森の東端で陣を張っていた墺ブランデンシュタイン旅団前衛との間で激しい撃ち合いが発生します。これが東部戦域の歩兵戦の発端となりました。
この9時過ぎにはベナテックの戦いは最高潮に達し、ブランデンシュタイン旅団と普第7師団前衛の第14旅団との戦いは一進一退、次第に西に広がるシュウィープの森にまで戦闘が広がって行きました。
ちょうどベナテック郊外に登って来た普第7師団の砲兵も、墺軍砲兵に負けじと撃ち返します。このクルップ後装砲部隊は盛んに砲撃を繰り返し、少なからず墺軍に損害を与えます。
そして9時30分頃、ブランデンシュタイン旅団へ督戦に来ていた軍団長、フエスティス将軍の傍らにその榴弾が当たり、傲然と爆発しました。
フエスティス将軍は左足を吹き飛ばされ、重傷を負ってしまいます。将軍は後送され、すかさず軍団付きのモリナリー将軍が臨時軍団長となり指揮を代りました。
さて、先述の通りシュウィープの森は東西1.5キロ以上、南北1キロ強という付近でも目立つ森で、現在でも当時とほとんど変わらない姿を保っています。
この森の周囲や奥深くには数多くのモニュメントがあり、それは全てこの1866年7月3日にこの森で戦い亡くなった将兵への鎮魂の記念碑です。
このシュウィープの森ばかりでなくクルム高地全域には現在も「1866年7月3日」を記念した石碑や亡くなった将校の墓、鎮魂碑や顕彰碑などが至る所にあり、地元の住民たちによって大切に守られています。
特にこの森の南西側の縁にある「猟兵第8大隊記念像」は、墺第4軍団ペーク旅団のエース、猟兵第8大隊の鎮魂と顕彰の石像ですが、実に生き生きと当時の一猟兵を写した彫刻で、見る者の心を打つ傑作です。
石像の猟兵が憂いを込めた目で見つめる森の縁に広がる空き地。当時はそこに伐採された木が横たわり、迎え撃つ墺軍の歩兵たち格好のバリケードとなりました。
そして森の中では、鬱蒼と茂った下草や、人の手入れが行き届かない場所に気ままに伸びた松や雑木が、侵入した普軍歩兵格好の遮蔽物となったのです。
開戦当初、このシュウィープの森には南西角にあるシストヴェス部落に陣取った墺第3軍団、アピアーノ旅団から二個大隊が送られて警戒に当たっていましたが、午前10時頃のリパ=クルムのラインへの撤退命令によりシストヴェスを引き払い、後退しました。
入れ替わるように普第7師団第14旅団ゴルドン少将の命令で二個大隊が侵入し、森を越えてベナテックの南で戦う墺ブランデンシュタイン旅団の側面へ出ようと計ります。
墺第2軍団のブランデンシュタイン将軍は、ベナテックで戦うことで敵の中に突出している旅団の現状を憂い、また、敵が自部隊を迂回し、マスロウェードへ突破するのを防ごうと麾下の猟兵大隊や歩兵連隊をシュウィープ森へ突入させます。
また、一旦退いたアピアーノ旅団も、普第7師団が森に入ったとの情報を得るや、森から撤退したあの二個大隊に猟兵を加え、再び森へと送り返したのです。
対する普第7師団長、フランセキー将軍も、この森が焦点となると悟ると、攻撃の主軸をベナテックを抜ける街道から森へと移しました。
ここに壮絶で凄惨なシュウィープ森の戦いが始まります。
当初、森は墺軍の砲撃により、たとえ木の陰に隠れても正確な榴弾の着弾と木の破裂で負傷させられるため、普軍歩兵にとっては地獄のような場所でした。ところが森に墺兵が入ったため砲撃が止み、普軍歩兵は速やかに森の奥へと浸透することが出来るようになります。
そこへ墺軍がやって来ました。彼らは軽装備で森を良く知る猟兵を中心に散開し、普軍を探し求めます。やがて、森の至る所で遭遇戦が発生しました。
鬱蒼と茂る森は雨のために一層薄暗く、墺軍の白灰色の制服や、普軍の有名な「プルシアンブルー(プロシアのブルー)」の制服も迷彩のように森へ深く溶け込んでしまい、全く見分けが付きません。気付いた時にはお互い数十歩の距離にいた、などという状況が多発し、また、狭い木々の間を進むため自然と密集隊形になった部隊は、待ち構える狙撃担当の散兵たち格好の目標となってしまいます。
白兵戦と狙撃が至る所で発生し、どちらが有利と言うこともなく戦闘は途切れ途切れに続いて行き、時間の経過と共に勝敗は混沌として行きました。
シュウィープ森の戦い
両軍の部隊は森の中で激しい戦闘が発生する度、相手を出し抜こうとお互い一旦撤退し、敵の少ない部分を探して森を出たり入ったりを繰り返しました。しかし、お互いに森へ入った兵員数が出てくる度にだんだんと減って行きます。
両軍の指揮官たちにも状況が掴めず、お互いの砲兵たちも森の中へ打ち込むわけにも行かないので、森から出て来る敵を狙って周辺の空き地に煽り立てるような砲撃を繰り返しました。
しかし、この激戦も普第7師団の精鋭、第27連隊がドライゼ銃にものを言わせて頑強に押し進み、その一個大隊が森からシストヴェス部落に突入すると、墺軍の部隊は次第に浮き足立って退却へと移ります。
ブランデンシュタイン将軍はなんとか劣勢を挽回しようと旅団のほぼ半数を集中させ、再度シュウィープ森へ突撃を敢行しますが、普第7師団長フランセキー将軍もタイミング良く予備部隊である第13旅団の二個大隊を投入、この部隊は森の奥へと密集しながら殺到する墺軍兵士を落ち着いた統制射撃で迎え、ドライゼ銃はまたもや墺兵の血を大量に森へ吸わせるのでした。
こうしてブランデンシュタイン将軍最後の「賭」も失敗し、墺軍が退却した森の中には、目を疑わんばかりに両軍兵士の死体が折り重なって倒れていました。
しかし、これで油断したのでしょうか。シュウィープ森の中で陣頭指揮をしていたフランセキー将軍が、最前線の自軍兵士を督戦しようと愛馬を降り森を前線に向け歩いていると、ばったり墺軍の猟兵たちに出会ってしまいました。
いち早く敵に気付いた副官と本部兵が銃を撃ちまくり、敵の指揮官を捕虜にするチャンスとばかり押し寄せる墺猟兵を押さえている間、将軍は必死で森の中を走って危機を脱したのでした。
フランセキー
ほぼ同じ頃、森から出てマスロウェードに迫ろうとする普第7師団に対し、森から退却した部隊を再編成し迎え撃つ指揮を執っていたブランデンシュタイン将軍は、普軍の狙撃兵から銃弾を浴び、重傷を負ってしまいました。
こうして両軍とも、その指揮官たちまで戦いに巻き込まれる激戦に突入したのでした。




