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ケーニヒグレーツの戦い/午前8時・普墺首脳前線へ

 普第7師団の前衛がサドワの3キロ北東、ベナテック(ベナートキ)の部落に突入、普の部隊として最初にクルム高地へ取り付いた午前8時。


 サドワの北西、ミザン丘陵の北1キロ、ドゥブの部落に、普国王ヴィルヘルム1世が自ら騎乗してやって来ました。そのすぐ後方には参謀総長モルトケ大将とビスマルク宰相が同じく騎乗して続きます。ここドゥブの高台には早朝より第一軍の前進指揮所が置かれ、カール王子がフォークツ=レッツ参謀長と共に指揮を執っていました。


「陛下。わざわざのご来陣、痛み入ります」

 王子は伯父でもある国王に一礼すると、つい先ほど敵と戦い始めた自軍の最新情報を告げました。第7師団がクルム高地に取り付いたとの報告が入ったのはこの頃で、カール王子は王の前で第8師団の本隊をサドワの東、ソヴェチック(ソヴィエティツェ)へ向け、第7師団が敵に回り込まれて包囲されないような手配をしました。

 戦いは始まったばかりで、雨は止む気配がなく、戦場は未だ朝霧に包まれて敵のいるクルム高地は漠然とした黒い塊でしかありませんでした。


 普王国は伝統的に軍国です。特に現王・ヴィルヘルム1世は軍人気質丸出し、根っからの武人で、十代から前線で軍を率い、質実剛健を旨に、前線では粗末な民家に眠り、兵に出すような粗食も辞さなかったといいます。

 その節制振りは軍にいる時ばかりでなく、普段の生活にまで及びます。専用のお召し列車や御料車も持たず、その在位中宮殿を新築しなかった数少ない普国王の一人、それがヴィルヘルム1世という王様でした。その血を引く皇太子も普軍の半分を率い、今しも王の下へ馳せ参じようと奮戦していました。


 すぐ前方のミザン丘陵では敵の砲弾が炸裂し、自軍砲兵の応射する砲声が鳴り響くドゥブ部落の高地上。カール王子の説明が終わった後、王は雨に濡れた軍服姿で独り身じろぎもせず、しばらく敵方をにらんでいましたが、やがてモルトケを呼び寄せると鳩首協議し、この戦いで最初の命令を下します。

 その内容は第一軍に対し「総力を以てビストリック川流域を占領すべし」というものでした。

 命令自体はカール王子の命令にハクをつけるだけのもので、深い意味はありませんが、命令文には「誰が・どこで」発令したと記されているので、これにより国王が最前線にやって来たことが広く将兵にも伝わります。


 麾下の将兵は、王自らが前線で自分たちの戦いを見ていて下さるとなれば俄然張り切るというものです。この辺り、軍を愛し、その改革に威信を賭け、兵士の本質を良く知っているヴィルヘルム1世らしい采配と言えるでしょう。


 同じ頃、エルベ軍の先陣がアルト=ネカニック(スタレー・ネハニツェ)近郊に達し、ザクセン王国軍と最初の戦闘が始まりました。セーレル旅団と交代して前衛となった二個連隊(第14と15師団の先鋒部隊)はこのザクセンの前哨を蹴散らすとビストリッツ川を渡河し(橋は昨日墺騎兵によって爆破されています)、ネカニック部落でザクセン軍の前衛部隊と戦闘に入りました。

 しかし、エルベ軍の本隊はまだビストリッツ川から離れたところを行軍中で、エルベ軍とザクセン軍本隊が激突するにはまだ時間がありました。


 そのザクセン軍は、前日深夜の命令でポポヴィック(ポポヴィツェ)からトレソヴィック(トジェゾヴィツェ)に掛けて布陣せよ、と命じられていましたが、アルベルト=ザクセン皇太子は現在の布陣、ニーデル・プリム(ドルニー・プジーム)からプロブレス(プロブルス)の高地に居座った方が絶対に有利と考え、ベネデックに現在地を放棄せず、それに加えて命令の地にも布陣することとしたいがどうか、と尋ねました。


 同盟国の皇太子と言う立場だけでなく軍事能力でも秀でる王子のこと、墺軍からは一目置かれています。ベネデックも親王の判断に反論することはせず、それを許可し、アルベルト親王はポポヴィックからトレソヴィックには第1師団の半分、一個旅団を派遣するだけで残りの三個旅団と砲兵とで現在地の防備を固め、その西側に騎兵師団を配しました。

 

 このアルベルト親王の判断は実に正しく、この後まもなく、ザクセン軍は戦史に残る活躍を示すことになるのです。


 さて、戦場の東側を担当するはずの普第二軍、皇太子フリードリヒ3世の軍はどうなったのでしょうか?


 王が前線に出た朝8時前後、ようやく第二軍の諸軍団本隊は行軍準備が完了し、野営地を出立しました。

 早朝4時にモルトケからの命令を目にした皇太子は至急第二軍参謀長ブルーメンタール中将と協議、午前5時、次の命令を麾下の軍団に発令しました。


 「諸情報によれば、敵軍は今朝、我が第一軍をミロウヴィック、ホリク、セレヴィック地方で攻撃するとのこと。因って我が第二軍は以下の序列をなして第一軍の援軍とする」


 第1軍団は二個縦隊を作りグロース・ビュルグリッツ(ヴェルキー・ヴジェシュチョフ)へ、

 騎兵師団は第1軍団に続きグロース・ビュルグリッツへ、

 近衛軍団はケーニヒスホーフからエリセク(イェジツェ/ホジツェ郊外)及びロータ(ブジェゾヴィツェ郊外)へ、

 第6軍団はヴェルショー(ヴェリホヴキ)へ至り、ここでヨセフシュタット要塞の監視として一支隊を送り、

 第5軍団は第6軍団が出立した二時間後に出立、コテボレック(ホチェボルキ)へ、


 「以上の行軍は可及的速やかに実施すべし。輜重その他は野営地に保管、以後の命令を待つこと」


 皇太子と参謀長は突然の命令変更でさぞや焦ったことでしょう。しかし、大急ぎで命令を発し、後は部下の能力を信頼するしかありません。

 ですが、命令のように言葉にするのは簡単です。戦場はそれぞれの野営地から近い者でも15キロは離れていて、それも今朝以来の雨で街道さえ泥の川となっているところ、敵の前哨や騎兵が待ち構え妨害する中を突進するしかないのです。各軍団の野営地は大騒ぎとなり、将兵は大急ぎで出発準備を始めます。

 しかし、もっとも早く準備が整った近衛第1師団が野営地を出立した頃、クルム高地はすでに砲煙で包まれていたのでした。


 一方、墺北軍の状況も最悪でした。

 連戦連敗の挙げ句、一個軍団に匹敵する戦闘員3万を失い、今もまた護る意義の薄い高地に展開し、敵の国王が直卒する敵の本軍を迎えねばなりません。


 北軍は昨日深夜の合戦準備命令以来、気力を振り絞って指定された場所へと移動し、防御陣地を整え、兵員を出来る限り休ませようとしました。しかし、現在位置から動くなと指示された部隊以外、敵の攻撃前に指定された陣地へ入ったのはわずかな部隊だけでした。

 これには理由があり、昨夜の命令には「敵が来襲するのを見て後、本陣地へ移動すべし」との一文が添えられていたからで、ほとんどの部隊が7時30分の砲撃開始を見て(聞いて)、陣地へと移動したのでした。何とも奇妙な命令です。

 このため、前哨兵たちは騎兵と一緒に戦いながら本隊を待ち、砲兵は準備が出来た砲から順次敵へ発射したりと、綱渡りの防衛戦開始となりました。


 その防御線の選定も一部具合の悪い部分があり、特に普第一軍が攻撃の第一目標としたサドワに兵を置かず、クルム高地の中心ライン、リパからクルムへ防衛線を設定された第3軍団は、わざわざ高地への「扉」を開けて敵を待つ形(サドワ周辺は比較的緩やかにクルム高地へ登れるので街道がまっすぐに走り、ビストリッツ川には橋もある)となってしまいました。

 さすがにこれはまずいと考えたのか、墺第3軍団長エルンスト大公親王はプロチャッカ旅団をここに置きました。しかし、彼らへの命令は軍団の後衛として最前線にいろ、というもので、後衛というものは普通時間稼ぎが任務で、「後退を許さない」即ち全滅するまで戦えと命じられない限り適度なところで後退するものです。

 増援もなくサドワ死守も命じられなかったオットカー・フォン・プロチャッカ男爵大佐は、味方の砲撃が効果的に敵を防いでいる間、敵の攻撃が激しさを増して行くにつれ、次第に部隊を高地に向けて後退させていったのです。


 このように、墺の防衛作戦は所々問題がありましたが、朝のうちは砲兵を中心に敵をよく食い止めていました。


 午前7時30分。クルム高地中央から砲撃音が聞こえてくると墺北軍総指揮官のベネデック元帥は本営のケーニヒグレーツ中心街のホテルから外に出ました。すると新任の北軍参謀長アロイス・フォン・バウムガルテン少将がやって来て、赴任の挨拶をします。元の配属先だった第3軍団の防衛線構築の監督と後任の第3軍団付き将軍となった元第1軍団の旅団長リンゲルスハイム少将への引継に時間が掛かり、このタイミングでの赴任挨拶となったのでした。


 ベネデックはこの数日間、半ば捨て鉢な気分で軍を率い、それを補佐するはずの参謀長は左遷、新任の参謀長はなんと決戦当日、戦いが始まった直後に赴任の報告に来るという間の悪さ。これは別にバウムガルテンが悪いわけではなく、決戦直前に人事異動(北軍の首脳陣三人の更迭)を行った皇帝にその責任があります。

 ベネデックの後ろからは、なんとクビにされたヘニックシュタイン前参謀長とクリスマニク前作戦参謀が出て来ました。彼らはもう一人クビにされた前第1軍団(ボヘミア軍)指揮官クラム=グラース将軍と共に今日ウィーンへ向かうことになっています。その前に戦場を見て意見を聞きたい、ベネデックにそう請われてのことでした。


 ぎこちない空気の中、ベネデックは愛馬に騎乗し、新旧参謀長たちを引き連れてクルム高地へと向かったのです。

 


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