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ケーニヒグレーツの戦い/サドワ・朝7時30分・普の攻撃

 7月3日。決戦の日はあいにくの天候でした。夜が明ける前から雨が降り出したのです。

 日本でもこの季節は梅雨ですが、ここ、ボヘミアは一大穀倉地帯であり、穀物生産地の必須条件である初夏に雨が多い地方です。


 夜明けを迎え、急速に展開する自軍の後方を必死で追従する両軍の砲兵隊長たちは舌を打ちます。雨はぬかるみを作り、道は泥の河となり、元より耕作適地の軟弱な地面は砲車をめり込ませ、砲や弾薬車を引く馬の脚を重くし、また発射した榴弾は地面に当たっても破裂しない不発弾を多くします。

 砲兵のみならず両軍の歩兵たちや騎兵たちも、時折激しくなる雨の中でずぶ濡れになりながら決戦の場へ向かいました。雨は容赦なく彼らを叩き、泥は暗闇の中で跳ね上がり、ただでさえ深夜の行軍で疲弊する部隊の足を重くします。きらびやかな騎兵たちの制服も黎明の中、泥だらけで暗く沈んで見えていました。


 また、雨は霧を呼び、高原地帯や河川の渓谷は霧が重く垂れ込めて、視界が非常に悪い一日となりました。

 現代と違い、航空機もレーダーも、暗視装置や熱感知センサーどころかキャタピラー車やトラックも無い時代です。視界が悪ければ相手が見えず、砲撃や指揮に影響が出るのは当然でした。

 特に朝の数時間は両軍とも相手の規模が不明で、お互いに手探りの戦いが繰り広げられるのです。


 こうして雨は両軍に等しく降りかかりましたが、この天候はまず、オーストリア側に微笑みかけることになります。


 普(プロシア。字数を減らすため、この一節では以降こう呼びます)の第一軍は、前日夜9時における司令官カール王子の命令により一斉に行軍を始め、この3日明け方4時から6時にかけて攻勢発起点(攻撃の出発地点)への配置が完了しました。


 第7師団(フランセキー中将指揮)はセレヴィック(現/ツェレクヴィツェ・ナト・ビストジツィー)に、

 第8師団(ホルン中将指揮)はミロウヴィック(ミロヴィツェ・ウ・ホジツェ)に、

 第4師団(ビッテンフェルト中将指揮)はブリスタン(ブジーシュチャニ)に、

 第3師団(ヴェルダー中将指揮)はプサネック(プシャーンキ)に、

 第6師団(マンシュタイン中将指揮)はホリク(ホジツェ)に、

 そして師団長が戦傷で不在の第5師団はマンシュタイン将軍が第6師団と統一指揮を執ってホリクに入りました。


 一方、普エルベ軍は同じ時刻、ネカニック(ネハニツェ)に向けて行軍中でした。

 ボヘミアに入って以来必ずエルベ軍の先頭を進み、激しい戦闘を繰り返して来た第31旅団(セーレル少将指揮)は、スミダル(スミダリ)を出発してコブリック(コビリツェ)を目指し東進、第16師団(エッツェル中将指揮)の残り部隊が後に続きます。

 第15師団(カンシュタイン中将指揮)は第16師団の南に並びプラセック(プラセク)を通過中、

 第14師団(マインヘーベル中将指揮)はその北、ポドリブ(ポドリビ)からロディン(ロディーン)へ進行中でした。

 彼らエルベ軍はおよそ午前9時には目的地ネカニックに達するであろう、とカール王子へ報告して来ます。


 戦機満つ。

 夜が明けた午前6時30分、カール王子は「総軍前へ」を発令し、第一軍は一斉にクルム(フルム)高地前に流れるビストリッツ川(ビストリツェ川。エルベ支流)渡河を目指し進み始めました。

 その第一線は第3と第4の両師団を持つ第2軍団(シュミット中将指揮)と第8師団で、クルムを越えてケーニヒグレーツ(フラデツ・クラーロヴェー)に向けて延びる街道の右(西)を第2軍団の二個師団が、左(東)を第8師団が並列してサドワ(サドヴァー)へ向かいます。

 その後方には第二線として第7師団が控え、戦闘が始まれば時期を見て参戦しようと後方セレヴィックの部落で待機に入りました。

 同じく実質マンシュタイン将軍の「軍団」と化した第5、第6の二個師団も第二線として、その後方を街道の両側に分かれて南下して行きます。


 この普第一軍の主力六個師団、およそ8万名が早朝の霧の中、雨にけぶる街道を霧の果てに沈むクルム高地に向けて行軍する姿は、まるで幻想小説に登場する幽鬼の集団のようです。この戦争で一度にこんな大軍が集中して行軍することは両軍ともにこれまではありませんでした。これを見れば詳細を知らされない下級の兵士たちでも、これがこの戦争最大の戦いになる事は分かろうと言うものです。

 これから始まる死闘を前に、歩調を揃えて歩く兵士も、騎乗の士官たちもみな寡黙で、時折鋭い一声で隊列を整える下士官たちですらその声は抑えられ、全体としては不思議な静寂に溢れ、一服の絵画のように見えました。


 このクルム高地中央の戦線、第8師団が向うサドワ東の地形は、北に向かい合うミザン(ムジャニ)とドゥブ(ドゥプ)の丘陵から高地へ向けて一旦下り、その後ビストリッツ川からゆるやかな坂となって南に向けて登って行きます。

 また、普第2軍団が向うサドワ西とスチャ(スハ)の間は、川から急な斜面となって南へ登っていました。


 本隊を追って普軍直轄の砲兵や騎兵軍団も夜を徹して前線へ向かいます。

 普騎兵軍団は午前8時スチャに展開、付属の砲兵隊をスチャの前面に配置しました。

 直轄砲兵隊は第5、第6師団の後ろで待機します。


 午前7時30分。

 エルベ軍司令官の末弟、フリードリヒ・ビッテンフェルト中将が指揮する普第4師団がミザン部落の丘に到着します。その西側では第3師団がやや遅れてザヴァディルカ(同)の丘へ入り始めました。

 ここには墺(オーストリア。字数を減らすため、この一節では以降こう呼びます)第3軍団のプロチャッカ大佐旅団の前哨たちがいましたが、敵が行軍すると一斉に高地へ引き揚げました。

 第4師団の前衛は槍騎兵連隊でしたが、この目立つ長い槍の列は、雨の中とはいえ向かい合う高地に布陣するプロチャスカ旅団の砲兵隊にもよく見えました。砲兵隊長は直ちに射撃を命じ、ミザンの丘を目標に十数門の大砲が火を噴きました。

 ビッテンフェルト師団長も黙っていません。ミザンへ急速に展開させた師団砲兵隊に対し応射(撃って来た砲兵に対し撃ち返す)を命じます。


 同時刻その東、サドワでも第8師団前衛が村に突入、プロチャッカ旅団と銃撃戦が始まりました。師団の本隊はその西、ミザンの丘の下を進み、これを狙って墺アピアーノ少将旅団の砲兵隊が射撃を開始します。第8師団長ホルン中将も師団砲兵隊に応射を命じ、これでサドワの両側で砲兵戦が始まりました。

 この激しい砲撃音を聞いた普第7師団は、第8師団への援軍としてセレヴィックを出発しました。


 こうして後に「ケーニヒグレーツの戦い」と呼ばれる兵員二十万対二十万の会戦が始まったのでした。


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