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スカリッツの戦い(後)

 オーストリア第8軍団の左翼を率いるフラクナーン少将は、味方が盛んに敵に向かって砲撃しているのは、砲撃後に橋から増援部隊が送り込まれてくる前兆にに違いない、と判断します。それにぐずぐずしていたら敵が彼らの左翼(北)へ回り込み、ツリクからアウパ川沿いに旅団の弱い横腹を狙って攻撃して来るに違いない。フラクナーンは決心します。


 午後12時30分、フラクナーン旅団の各大隊は部隊単位でドゥブノの森へ銃剣突撃を敢行します。砲兵部隊まで含めた指揮下の部隊6,000人がスカリッツへの脱出ではなく、敵に向かって攻撃を仕掛けたのです。


 この攻撃に対し、木々を遮蔽物に使うプロシア第17旅団やレッツ大佐の前衛部隊は一斉にドライゼ銃の統制射撃(指揮官の号令で敵を引き付け一斉に射撃する)を行い、オーストリア兵をなぎ払いました。


 結果は悲惨でした。最初の突撃で陣頭に立った旅団長フラクナーン少将は、剣を振りかざし部下を鼓舞していましたが、たちまち全身にドライゼの銃弾を受け、壮絶な戦死を遂げます。

 第一波の攻撃はほとんどがドライゼ銃の猛射の前に腰砕けとなり、続く第二波の突撃に抜かされてしまうほどでした。この第二波も一部の部隊はプロシア兵を蹴散らして森の一角を抑えたものの、次第に敵に圧倒され包囲され、捕虜となってしまいました。

 フラクナーン将軍の戦死に続き部下の将兵も次々に倒れ、一時間の攻撃で旅団は半数の人員3,000名を一気に失ってしまいます。


 旅団長ばかりでなく連隊長たちも戦死するか負傷して倒れてしまい、命令する士官を失った兵士たちは次第に恐慌状態に陥り、南へ逃走します。ドゥブノの森の脇を通る街道にはオーストリア砲兵が打ち捨てて行った大砲が六門、点々と残されていました。


 アウパの川下で、ちょうど部下の撤退を監督していたシュルツ将軍。

 彼は振り返りもせず声をかけても走るのを止めない敗残の兵を止めるため、兵士に着剣(小銃の先に銃剣を着けること)を命じ、フラクナーン旅団の生き残りを脅さねばならなかったのでした。


 このフラクナーン旅団の潰走を中央部隊のクライサーン大佐は見ていることしか出来ませんでした。大佐の前面にも敵の第19旅団が迫っていたからです。

 それでも大佐は前面の敵を無視してフラクナーンを救うため、独断で部隊の三分の二を直卒してドゥブノの森へ向かいます。


 クライサーン大佐の行く先にはドゥブノの森に沿ってヴィソコフからスカリッツに至る街道とその先には鉄道線路が堤の上を走っていました。

 この鉄道は町の郊外で南に折れ、停車場に入ります。線路が築かれた堤は格好の掩蔽物で、ここを奪えば森の敵に対して隠れながら射撃が出来るでしょう。

 大佐の旅団は街道を越えてこの堤に向かい登って行きますが、ここで猛烈な射撃を喰らってしまいます。堤の上にはプロシア兵が並んでいて、ドライゼ銃を向けていました。

 クライサーン大佐は「突撃!」と叫ぶと部隊の先頭に立って走り出しますが、フラクナーン将軍と同じく彼も銃弾を浴びてたちまち戦死してしまいました。


 こうして線路を挟んだ猛烈な撃ち合いが始まりました。

 クライサーン戦死後、部隊は弔い合戦とばかりにいきり立ち、数派に渡る突撃を行います。味方がばたばたと倒れて行く中、オーストリア兵は一旦は線路上に立ちますが増援としてやって来たプロシアの部隊により撃退されてしまいます。


 プロシア側も必死でした。オーストリア兵ばかりでなく、砲撃にも耐えねばなりません。スカリッツ方面からクライサーン旅団を支援するため熾烈な砲撃が繰り返されました。

 プロシア兵は降り注ぐ砲弾の嵐にも耐え、敵を潰走させることに成功しますが、その犠牲もまた大きかったのです。


 クライサーン旅団の敗残兵と、後衛として残り戦いながら撤退して来たフラクナーン旅団最後の生き残りが砲撃の支援の下、スカリッツの橋へと退避して行きます。後を追いプロシア第17と第19旅団が進撃して来ます。

 これに対し、生き残ったエリートの兵士であるオーストリア猟兵たちが部隊を越えて協力し、味方が川を渡る時間を得るためにプロシア軍へ絶望的な後衛戦を仕掛けました。クライサーン旅団の生き残りで戦意が衰えていない者たちも加わり、プロシア軍をほんの一時食い止めます。

 それを見たフラクナーンとクライサーン旅団の敗残兵は、消えかけたプライドを奮い起し、隊伍を整え行進しながら町へと消えて行くのでした。


 自然と発生した後衛部隊でスカリッツへ脱出出来た者はほとんどいませんでした。


 スカリッツの町では第8軍団司令官レオポルド大公が真っ青になっていました。自分は一切命令していないのに、部隊がひとりでに戦闘状態となってしまったのです。


 既に12時の時点で、総司令官ベネデック元帥は最初の「2時まで」を取り消し、第8軍団をスカリッツから撤退させるよう大公に命じて町を去りました。

 大公は何度か幕僚を前線に送り、撤退命令を繰り返させますが、町の渋滞と大混乱の中で命令は中々徹底出来ませんでした。午後12時から1時までの僅か一時間で、第8軍団は半数が壊滅状態となってしまったのです。


 午後1時過ぎにはプロシア第19旅団がスカリッツの郊外に達し、停車場付近の陣地を攻撃し始めました。これに南から川を渡って来たシュルツ少将旅団が襲い掛かります。彼らはフラクナーンとクライサーン、同僚の二個の旅団が壊滅する様を南から見ていたのです。兵士たちは上官の「撤退!」という命令に「Sieg Heil!」(勝利万歳!)と叫び返し、撤退を拒否しました。


 怒りに燃えた彼らの攻撃もまた壮絶でした。しかし、これもまたドライゼ銃の猛射に食い止められてしまいます。

 午後2時にシュタインメッツ将軍は前線にやって来るなり、第10師団第20旅団の一連隊を直接陣頭指揮し、停車場を占拠しました。

 これによってオーストリア軍の中央陣地は崩壊しました。アウパ川により東と南、西と北に二分されているスカリッツの南と東側はプロシア軍の手に落ちたも同然です。


 北から攻めるプロシア第9師団第17旅団を中心とするレーヴェンフェルド少将の部隊は、ツリク付近で逆巻く川を苦労しながらも渡河、ドゥブノの森からアウパ川にかけての一帯と、その対岸であるスカリッツの町北側を占領しました。その先鋒部隊は既に唯一の橋に迫っています。


 午後2時15分、レオポルト大公は全部隊に撤退を命じました。命令が届いた部隊が急速に町を離れようとしたため、この撤退は哀れな潰走となります。

 我先に逃げ出す兵士を、もう止める気力のない指揮官たち。プロシア兵のドライゼ銃を怖れ、家に隠れる兵士。アウパ川の南に残っていた兵士たちは急流の川に飛び込み、泳ぎ切れずに流され溺れ死ぬ者まで出ました。


 スカリッツの町は怯えた兵士や打ち捨てられた装備や大砲、荷車や死んだ馬などで溢れ返ります。その中をプロシア兵は敗残兵を駆り立てて行きました。


 オーストリア将兵の捕虜はおよそ3,000人で、半数近くは無傷だったと言います。


 プロシア軍はスカリッツの町全域を占領すると、そこで進撃を止めました。シュタインメッツはこれ以上の追撃は自らの能力を越えた深追い、と考え兵を町の守備に移行させたのです。

 唯一の積極的な行動として将軍は、昨日ヴィソコフ部落の占領に大活躍したあのプロシア第二軍参謀長の弟、ブルーメンタール大佐に数千人の部隊を預け、町の西側、アウパ川沿いを一巡りさせます。


 大佐が見たものは街道を長々と続くオーストリア軍隊列の背中で、引き返して大佐の部隊と戦う者は誰もいませんでした。大佐は肩をすくめると颯爽と町に引き返して行ったのです。


 この戦いでのプロシア軍の損失は士官62名、兵士1,305名。

 対するオーストリア軍はフラクナーン将軍を始めとして士官205名、兵士5,372名を失いました。


 スカリッツの西では夕刻になってもオーストリア軍の混乱が続きました。叩き潰され追い出された第8軍団の将兵は、整然と撤退していた昨日の敗者、第6軍団の行軍を追い越す勢いで迫ったため、第6軍団の士官たちは兵に道を開けさせ、お先にどうぞと第8軍団の兵士を行かせるのでした。


 後日、総司令官ベネデックは、スカリッツで戦闘が行われたのは自分が町から離れた後で全く知らなかった、と酷い弁明をしました。ヨセフシュタットへ向かう途中、激しい雷雨があって銃声や砲声が聞こえなかった、とも。

 これに対し、激しい勢いでラミンク将軍が反論しました。ラミンクは午後1時頃、スカリッツの西3キロのトレヴィゾフ(現 ヴェルキー・トジェベショフ)で総司令官と話し合っており、その時に明確に東から激しい砲声が聞こえて来ていた、と。

 あの時ラミンク将軍は、既にスカリッツで戦いが始まっており、自分の第6軍団をギッチンにはやらず、もう一度スカリッツに戻して第8軍団を援助させて欲しい、と訴えていたのです。しかし、ベネデックは「君にはここで戦うのでなく、もっと大事な任務がある」として、あくまでギッチン行きを命令したのでした。


 この「スカリッツの戦い」は、前日の「ナーホトの戦い」以上に決定的な影響をオーストリア軍に与えます。


 イーザー川ではプロシア軍が優勢に戦いを続け、トラテナウ周辺に頑張っていたガブレンツ将軍の第10軍団はプロシア近衛軍団に敗れ西へ撤退中、そしてナーホトとスカリッツで第6軍団に続き第8軍団が敗れたことでベネデック将軍には余裕がなくなってしまいました。


 彼は北軍全体に戦略の変更を告げます。

 今までギッチンに向かっていた全ての軍団に停止を命じ、東から押して来るプロシア皇太子フリードリヒ親王の第二軍に対抗するように命令を変更しました。


 しかし、15万の軍勢がそれぞれ方向と敵を変えるなどと言う事が簡単に行える訳がありません。これも考えようによっては酷い命令と言えます。

 これにより、今度は北の戦線で悲劇が起こるのでした。



スカリッツの戦いに参加した主な部隊


☆オーストリア北軍 総司令官 ベネデック元帥


○第8軍団  歩兵21,600 名 指揮官 オーストリア大公レオポルト中将

フラクナーン少将旅団6,800

シュルツ少将旅団6,500

クライサーン大佐旅団6,300

臨時増援・二個大隊2,000

槍騎兵5個中隊900騎

軍団砲兵900 砲40(全体で64)


☆プロシア第二軍 総司令官 皇太子フリードリヒ親王

 

○第5軍団 歩兵21,000 指揮官 シュタインメッツ大将

前衛隊 フォークツ=レッツ大佐 

 第7連隊(第18旅団)2,800

 砲兵

右翼支隊 レーヴェンフェルド中将

 第17旅団(ベロー大佐)6,000

 砲兵

左翼本隊 キルヒバッハ中将

 第19旅団(ティーゲマン少将) 6,000

 第20旅団(ウィッチ少将)6,000

 砲兵

軍団予備砲兵900 砲40

○第6軍団増援

 第22旅団(ホフマン少将)6,100

○近衛重騎兵旅団(アルブレヒト親王中将)1,260騎


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