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スカリッツの戦い(中)

 シュタインメッツ大将は昨日のナーホトの戦いでおよそ一個大隊の将兵を失っていて、その補充は受けられませんでしたから、このスカリッツ攻撃では部隊を再編成していました。


 左翼は本隊として第10師団をキルヒバッハ中将が率い、右翼はレーヴェンフェルド中将が第9師団の第17旅団を中心とした部隊を率います。元々第18旅団として第9師団の一翼を担っていた前衛部隊、フォークツ=レッツ大佐の戦闘団はレーヴェンフェルド部隊と並んで西へ向かいました。

 また、第6軍団から派遣されてシュタインメッツの指揮下に加わった第22旅団(ホフマン少将指揮)は予備としてヴィソコフ部落の西に続き、近衛重騎兵旅団(アルブレヒト親王指揮)は戦機を見て突撃を敢行しようと後方で待機に入ります。


 午前10時30分。プロシア第9師団第17旅団はヴィソコフ高地から鉄道の北側沿いに前進し、ドゥブノの森の東にある羊の放牧場まで進出、敵の砲撃の中を森目指して進撃しました。敵の砲撃は激しいものでしたが損害は思ったほどでもなく、彼らは11時にはスカリッツ北東に広がるドゥブノの森にたどり着きました。

 

 このオーストリア砲兵の砲撃がたいした効果がなく終わったことは重大でした。撃ち降ろす形に視界が開けていて射程圏内で目標は選び放題、なのにほとんど着弾の爆発が起きない。砲撃だけでも敵を痛めつけ落後させる事が出来ると考えていた砲兵たちは焦ります。照準は合っているのに何故?


 理由は単純でした。オーストリア軍が使用する大砲の砲弾が元々信管感度の鈍い榴弾で、目標の地面がぬかるんでいたからです。


 榴弾とは砲弾の中に火薬を詰めたもので、地面や建物など固いものにぶつかると破裂して、その鉄の断片や砕けた建物や木、岩の破片、飛び散る石などで立っている兵士をなぎ倒す、と言うものです。

 榴弾は現在でも最も多く使われる砲弾で、「軟性目標」(家屋や人間など柔らかな目標)に使用されます。

 逆に「硬性目標」(コンクリートや岩、要塞や艦船、戦車など)には徹甲弾と呼ばれる鉄などを貫く硬い弾芯を持った砲弾を使いますが、この19世紀ではまだ発明されていません。当時は硬性目標には中に火薬を詰めない鉄の塊の砲弾が使われていました。

 

 この砲弾が破裂するためには砲弾の先端(尻の部分のものもある)に「信管」と呼ばれる起爆装置を取り付け、ものに触れた瞬間に砲弾中の火薬を発火させるようにします。しかし、この信管の感度が良いと発射の衝撃や兵士が手荒く扱っただけでも破裂してしまいます。そのため、かなりの衝撃を加えないと(例えばハンマーで先端を叩くなど)爆発しないように感度を落とすのが普通でした。


 このスカリッツの東側低地帯はアウパ川からいく筋もの支流が流れていて、地面は軟弱で湿っていました。そのため、榴弾が地面に当たっても破裂せずめり込むだけの不発弾となってしまうケースや爆発しても泥を吹き飛ばすだけというケースが続出していたのです。

 これでは敵は直撃しない限り倒せません。プロシア軍にとって実に運の良いことでした。


 プロシア第17旅団はドゥブノの森に突入し、森に散兵として配置されていたオーストリアの一個大隊(約1,000人)を追い立てるように攻撃し、森から追い出してしまいます。この大隊の兵士たちは森と町との間の何の障害物のない(従って隠れることが出来ない)草原を走って逃げますが、大隊はここでプロシア軍のドライゼ銃によりおよそ半数の兵士を失い壊滅状態となってしまいました。


 ドゥブノの森を制圧したレーヴェンフェルド将軍は、第17旅団の一部を森の北西にあるツリク部落(現ズリーチュ)へ向かわせます。これによりアウパ川に沿ってこの部落とスカリッツの間で壮絶な戦いが発生するのです。


 プロシア第10師団の方は、ヴィソコフとスカリッツを結ぶ街道と、その北を走る鉄道線路との間を西へ向かいました。

 ところが、ここはスカリッツ方面から丸見えの場所であり、オーストリアの砲兵は盛んに撃って来ます。ここには鉄道や街道が走っていることからも想像出来ますが、北の放牧場や南側の湿地より比較的地面が固い土地であり、砲弾もちゃんと破裂しました。


 そのため、主力の二個旅団は物陰に縮むように伏せて砲撃を避けるしかなく、思うような前進が出来ません。司令官のキルヒバッハ中将は直ちに方針を転換して、部隊を低地に切れ込むようにして流れているアウパ川の支流が作る小渓谷へ向かわせました。

 この支流は北西から流れていて、さかのぼればドゥブノの森西側へ出ます。ここで砲撃をさけて北西に向かい、第9師団の南隣へ出よう、という作戦変更でした。


 一方、スカリッツの町は朝から大混乱が発生していました。


 昨日大敗した第6軍団の兵士が後退命令により西へ向かおうとひしめき合っています。そこへ続々と交代の第8軍団兵士が入って来たのですから大変です。おまけに町の真ん中を横断して流れるアウパ川にはまともな橋が一つしかありません。橋の上は、西へ後退するもの、東へ戦いに向かうものが押し合いへし合い、にっちもさっちも行かない状態です。


 これは軍議ばかりでまともな命令をなかなか出さなかった、オーストリア軍首脳部の責任です。

 特にこの11時には第6軍団に撤退命令、第8軍団に午後2時まで待て、との命令が立て続けに出たばかりで、そこへシュタインメッツのプロシア軍が迫ったことにより混乱が助長されてしまったのです。


 哀れだったのは、町の東側で待機していた第8軍団の半数を構成する二つの旅団でした。

 グスタフ・エドラー・フォン・フラクナーン少将が指揮する旅団は第8軍団の左翼としてスカリッツの北東側、プロシア第9師団が占拠したドゥブノの森に面する地域で町を護り、

 レオポルド・クライサー・フォン・クライサーン大佐が指揮する旅団はその南側、町の停車場(鉄道駅)の正面でプロシア第10師団の先頭、第19旅団と対決することになります。

 そして驚くことに、この二つの旅団が早朝、町の外側で待機を命じられてからと言うもの、作戦に関する命令が何一つ届いていなかったのです。


 これは上級指揮官たちがああだこうだと思案している時間が長かったためと、いざ出された最初の命令が例の要領を得ない「午後2時まで待つ」だったため、後で軍団長レオポルト大公が即時撤退を命じてもなかなか部隊に浸透しなかったこと、町が大混乱の渋滞となっていて、命令を携えた伝令が彼らの下へたどり着けなかったのではないか、とも推察します。

 その証拠に、クライサーン旅団の南側には、第8軍団の右翼としてシュルツ少将の旅団がアウパ川に沿って控えていましたが、彼らはちゃんと撤退命令を聞いており、昼前後には既にその一部がアウパ川を渡り始めていました。

 シュルツ旅団が展開していたスカリッツの南側ではアウパ川も次第にゆるやかに流れ、一キロほど下流のリコウ(現・ジーコフ)まで行けば渡河もさほど困難ではなかったのです。


 逆にフラクナーンとクライサーン二つの旅団が置かれた状況は最悪です。アウパ川の東にいた彼らが西へ撤退するには例の町中にあるひとつだけの木橋しかなく、川を渡ろうにもここは深い渓谷で、川の勢いもここ数日降った雨により水量が増えて、とても渡る気にはなれない急流となっていました。


 シュルツ旅団が撤退を始めたとは知らない二人の指揮官は命令を待ちますが、町からは何も言って来ません。届く命令は「恒例の昼のワイン配給をいつもの倍量にすべし」というどうでもいい様な指令だけでした。まあ、その酒のお陰でオーストリア兵たちは蛮勇を奮って壮絶な戦いをするのですが。


 目前には敵が迫っています。特にフラクナーン旅団の一部は既に痛い目にあって(ドゥブノの大隊)いるのです。状況はひっ迫していました。退くのか戦うのか。


 命令など待っていられません。彼らは彼らで考え行動するしかありませんでした。


 司令官が何も言って来ないのは「戦え」と言うことだ、と二人の旅団長は時を同じくして考えます。ここで踏み留まって町を護る。そう決断した彼らは部隊を攻撃に向かわせました。

 こうして悲劇が始まったのです。



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